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19 黒の宿命の子

 わたしは背中にバイオリンケースを背負って白杖を持ち、大手を振ってダンブルの街を歩いていた。今は月影の塔がある丘を下っている。

「ヒカルー、何で一人で歩きたいんだ? 俺が側にいる方が安全だぞ」

 後ろからのんびりとしたディーレノールの声が聞こえた。

「外を一人で歩く自由を噛み締めたいんです。だから道を間違えない限り、話し掛けないでください」

 わたしは振り向きもせずに、素っ気なく返事をした。後ろから聞こえよがしの溜め息が聞こえる。

 昨日は祓いが終わった後、疲労感が強くてそのまま眠ってしまった。目が覚めた時は既に夜で、結局ご馳走にも美味しい酒にもありつけなかった。今は朝から大神殿に向かって歩いている。

 小鳥たちがさえずりながら空を飛び交い、穏やかな風が木々の葉を揺らしている。どこからか運ばれてくる花の香りに、自然と心が浮き立ち頬が緩む。

 大神殿は丘を南側に下って、真っ直ぐ行った先にあるという。一人で出掛けようとしていたわたしに、ディーレノールがどうしてもと付いてきたのだった。

 丘の下まで辿り着くと、大きな道路が現れた。平日の朝ということもあるのか、人も車の通りも多い。方向を見定めようときょろきょろしていると、いきなり強い力で左腕を捕まれた。一瞬ディーレノールかと思ったけれど、彼はこんな乱暴な真似はしない。

「渡るの? 行くよ」

 まだ若い男性の声が聞こえて、強引に引っ張られた。確かに道路を渡ろうとは思っていたが、声も掛けずに急に人の腕を掴むとは何と非礼な振る舞いだろう。親切心から出た行為だとしても、わたしにとっては許し難い。無言で腕を振り解くと、一人でさっさと歩き始めた。

「損切にしてやったのに、その態度は何だよ!」

 男性が吐き捨てるように言ったが、わたしは相手をするつもりはない。横断歩道を渡り切り、大神殿の方に向かう。

「こら、無視するなよ!」

 男性の声が近付いてきたので、わたしは足を早める。

「少しいいですか?」

 背後から聞き覚えのある声がして、わたしは後ろを向いた。

「何だよ!? 勝手に触るなよ!」

 ディーレノールが男性の肩を掴んでいた。

「さっきはあなたが目の不自由な女性の腕を、勝手に掴んで引っ張っていたように見えましたが?」

 ディーレノールの言葉は丁寧だったが、怒りが籠もっているのを感じた。

「あ? あんたには関係ないだろ?」

 男性は必死に身を捩っていたが、ディーレノールの腕からは逃げられなかった。

「実は私は神殿関係者でしてね、ちょうど今から大神殿に行くところだったので、一緒に行きましょう。目の不自由な方への接し方を一からレクチャーできる神官もいますから」

 ディーレノールは男性が抗議の声を上げても意に介さず、引きずるようにして連行し始めた。わたしの目の前を通る時、男性は大声を上げた。

「お前のせいだぞ! 覚えてろよ!」

 直後に鈍い音が聞こえ、男性が崩れ落ちた。

「ルーク、こいつを大神殿に運んで、神官の誰かに性根を叩き直させろ」

 見えないところにいたらしいディーレノールの護衛の一人が進み出て、男性を軽々と担ぎ上げて歩き去った。

「ダンブルは治安のいい方だけど、女が一人で歩くのは昼間でも危ないんだ。特に障害を持つ人は普通一人で出歩かない。さっきの奴はちょっと(たち)が悪かったけど、親切心からだと思う。ちゃんと対処するから、許してやってほしい」

 わたしはディーレノールが男性の代わりに謝ったことより、この街の治安の悪さに驚いた。エール島は西大陸の中でも特に治安がいいと本で読んだし、フレミアからもそう聞いていた。

「エール島って、もっと安全な場所だと思ってました……」

 わたしの呟きに、ディーレノールが重い溜め息を吐く。

「5年ほど前から、大陸全体の治安が急激に悪化したんだ。理由を調べてるんだけど、うまく掴めなくてな……。だからヒカルはおとなしく俺に誘導されてろ」

 わたしは諦めてディーレノールの肘を掴んで歩き出した。今知った事実にショックを受け、気持ちが落ち込む。

「俺たちが各地の領主や知事と協力して必ず治安を取り戻すから、そんな辛そうな顔をしないでくれ」

 ディーレノールの声は真剣で、決意に満ちているようだった。

「はい、神王家の皆さんのことは信じています」

 わたしは弱々しく笑った。一人であちこち出掛けるのを何よりも楽しみにしていたので、直ぐには立ち直れない。

 黙り込んだまま歩き続けるわたしに、ディーレノールが声を掛けた。

「ほら、あのオレンジ色の建物が大神殿だぞ」

 顔を上げて前を見ると、鮮やかなオレンジ色の平屋の建物があった。

「……これは誰の趣味ですか?」

 領主館(マナーハウス)といいこの大神殿といい、ダンブルには奇抜な建物が多いのだろうか。

「先々代の神官長の時代に老朽化で建て替えたらしいんだけど、当時の領主がオレンジがいいと言ったらしいぞ。それが何故採用されたのかは謎だけどな」

 わたしは溜め息を吐いた。

「個人的にはもっと落ち着いた色が好きなんですが、これはこれで個性的でいいですね」

 ディーレノールが苦笑する。

「ヒカル、全く感情が籠もってないぞ」

 わたしは笑ってごまかした。今はもう大神殿の目の前まできている。この辺りは住宅街のようで、人通りがほとんどない。

 白いドアを開いて二人で中に入ると、外観の派手さとは裏腹にゆったりとして落ち着いたロビーが広がっていた。わたしは目を数回瞬く。

 床には薄いグリーンのカーペットが敷かれ、暖かみのあるクリーム色の壁と天井がこの場を包んでいる。無造作に置かれたクリーム色のソファに座る人たちは、グループに分かれて和やかに談笑していた。

「爺さん婆さんに捕まると厄介だから、フェリーゼ様の部屋に行くぞ」

 ディーレノールは小声で言うと、迷いなくどんどん奥に進む。

 神殿のロビーは一般に解放されている場所が多いので、自然と地域住民の社交の場となる。訪れる人に年齢や性別の差はあまり見られないが、平日の午前中である今は仕事を引退して時間に余裕のある年寄りたちが多いのだろう。

「あ、ヒカルちゃん、と変態王子、いらっしゃい」

 ロビーを抜けて通路に入ったところで、白い神官服を着たフィルが待ち構えていた。

「ロビーに出ると目立ってしまうから、ここで待たせてもらったんだよ」

 フィルはにこやかに言う。

「変態とは何だ、この最弱神官!」

 ディーレノールは静かに怒鳴るという、器用な芸当をやってのけた。

「ヒカルちゃん、案内するね」

 フィルはわたしをディーレノールから剥がし、そのまま手を引いて歩き始めた。

「フィル様、よろしくお願いします」

 わたしも返事をして従う。

「ちょっと二人とも! 俺への態度が酷過ぎないか!?」

 ディーレノールの小声の怒鳴り声も、フィルは華麗にかわした。

「変態王子は、付いてこなくてもいいんだよ?」

 ディーレノールはとうとう大声で怒鳴った。

「行くに決まってるだろうが!」

 近くを歩いていた女性の神官が寄ってきて、鋭い声でディーレノールをたしなめた。

「お話は構いませんが、神殿内ではお静かに願います」

 ディーレノールが静かになったので振り向いてみると、膝に手を突いて下を向き、典型的な落ち込み姿勢だった。

「ディー様、早くしないと置いて行きますよ」

 わたしの言葉に、ディーレノールの肩ががくりと下がった。


「ヒカル、とディーレノールいらっしゃい」

 フェリーゼはわたしに駆け寄ると、ぎゅっと抱き締めた。最近頻繁に誰かに抱き締められているような気がする。

「私は負担と責任の重い上級祓い師の子たちを、敬意を込めて様付けで呼ぶことにしていますの。でもヒカルは昨日で祓いの任期が終わったので、これからは愛情を込めて呼び捨てにさせていただきますわ」

 ダンブル大神殿のトップであるフェリーゼに様付けで呼ばれて居心地が悪かったわたしは、呼び捨てにされてほっと胸を撫で下ろした。

「はい、ありがとうございます」

 フィルが全員に飲み物を配ると、フェリーゼはフィルを退出させた。

「ヒカルは【黒の宿命の子】について聞きにきたのでしょう? フィルには聞く権利がありませんから、他の用事を申し付けましたの。覚悟はできていますか?」

 わたしは大きく頷いた。祓いという負担がなくなった今、前に進むためにも真実を知っておきたい。

「分かりましたわ。途中で分かりにくいところがあったら、質問してくださって構いませんわ」

 わたしはゆっくり頷いた。全身が緊張する。隣に座るディーレノールが、安心させるようにわたしの手を握ってくれた。

「ヒカルも知っているように、ホムラ家の血筋のものは赤い髪と目を持っていますの。これは神が炎の色を、術の力と一緒にホムラ家の始祖に与えたからですわ」

 知っていることだったので、わたしは軽く頷いた。

「そしてそのホムラ家には、約100年に一度直系の血筋でありながら黒髪黒目の女の子が生まれますの」

 わたしははっとしてフェリーゼを見た。

「ホムラ家は女系の一族、代々の当主は全員が女性ですわ。……そう、ヒカルはホムラ家現当主アカリ様の長女ユウヒ様の娘なのです」

 わたしは目を剥いて固まった。自分がまさか直系の娘だとは、想像もできなかったのだ。記憶に残っていない母と祖母の名前を聞いて、どうしようもなく胸が苦しくなる。

「ヒカル、深呼吸してから少しジュースを飲め」

 ディーレノールがオレジジュースを手に取って渡してくれた。ゆっくり深呼吸をしてから、ストローに口を付ける。酸味の強い味が喉を駆け下り、少し気分がすっきりとした。

「大丈夫です。続きをお願いします」

 フェリーゼも持っていた紅茶のカップを下ろす。

「リューテ島の東の海上に、地図に載っていない忘れられた島がありますの。とても大きな島なのですが、島内には濃い瘴気が渦巻いていて、とても人の住める場所ではありませんわ。それに瘴気が外に漏れ出せば、世界中が魔物で溢れてしまいます。どうしても封印する必要がありましたの」

 フェリーゼはカップを手に取り、時間をかけて紅茶を飲んだ。わたしは身動ぎもできずにじっと言葉の続きを待つ。

「この世界ができてしばらく経った頃、一番封印術の得意な神王家の王子が現在では禁術とされている不老長寿の術を使って寿命を最大限に引き延ばしましたの。そしてその島に一人で赴き、島の内側から完全に封印を施し、今も術を維持するために島に住んでいますわ」

 わたしは強い衝撃を受けた。その王子の孤独を思うと胸が酷く痛む。想像を絶するほどの苦しみだろう。

「王子は孤独に耐えるために、一つだけ条件を出しましたの。それがホムラ家に黒髪黒目の娘が生まれたら、花嫁として王子に差し出すことだったのですわ。そしていつしかその黒髪の子を、【黒の宿命の子】と呼ぶようになりましたの」



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