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1 旅立ち

 疲れた。今、思うのはそれだけだ。

 わたしの今日の荷物はは次の通り。斜め掛けにした小さめのショルダーバッグ、左手にキャリーバッグ、背中にバイオリンケース、荷物ではないが右手には愛用の折り畳み式白杖。とにかく荷物が多くて大変なのだ。

 そんなわたしはかなり目立っていたらしく、自宅を出発してから何人もの人が声を掛けてくれた。

「お手伝いしましょうか?」

「荷物をお運びしましょうか?」

 わたしは笑顔で礼を言いつつ、すべてを断った。気持ちは大変ありがたいのだが、自分の荷物を見ず知らずの人に預けるのは正直に言って少し怖い。

 わたしは視力が弱いので相手の顔も表情もよく見えない。見た目でどういう人かを判断するのが難しいから、できるだけ頼らずにいたい。

 地下鉄を降りて慣れない駅のホームに立った。帰宅ラッシュのこの時間は混雑していて、車内では荷物の多いわたしはかなり邪魔だったと思う。申し訳ないとは感じるが、だからといって無理に押したり舌打ちしたり、こちらに聞こえるように文句を言うのはやめて欲しい。バイオリンケースとキャリーバッグを床に置いたわたしは、ほとんど身動きが取れなかったのだから。

『はぁ……』

 心の中で大きく息を吐くと、きょろきょろと辺りを見回した。大きい荷物が多いので、できればエレベーターを使いたい。

 エスカレーターしか見付けられなかったので、仕方がなくごろごろとキャリーバッグを引きずっていく。この両手が塞がった状態が実に歩きにくい。

 エスカレーターを降りたところで邪魔にならないように壁際に寄る。切符を取り出し杖と一緒に握り込んで自動改札に向かった。

『……』

 どうやって自動改札を通り抜けようかと悩んでいると、駅員がやって来て助けてくれた。こういう親切はとてもありがたい。

 改札を出て向かう方向を確かめ、人の流れに乗ったときだった。

「見えるのに、見えない振りをしないでください! 見えるのに、見えない振りをしないでください!」

 年配と思われる男性の声がわたしの左後方から聞こえた。周りにわざと知らせるように大声で、かつ面白がっているように感じられた。わたしが白杖を持っているのに、迷いなくすたすた歩いているのが気に食わなかったのだろうか。

「見えるのに、見えない振りをしないでください! 見えるのに、見えない振りをしないでください! 見えるのに、見えない振りをしないでください!」

 男性は繰り返す。

 わたしの体の熱がさーっと引いた。無視しようとしてもしつこく続く。

「見えるのに、見えない振りをしないでください! 見えるのに、見えない振りをしないでください! 見えるのに、見えない振りをしないでください!」

 引いていた熱が何倍にもなって一気に戻り、体温を急上昇させる。キャリーバッグを持つ左手をぎゅっと握り、怒りに震えた。熱いものも込み上げてくる。

「見えるのに、見えない振りをしないでください! 見えるのに、見えない振りをしないでください!」

 わたしはとうとう切れた。阿呆はスルーが一番だと分かってはいるが、これはあまりにも酷いと思う。

 わたしは左後方に顔を向けた。男性の位置が特定できたら何か言ってやろうとは思ったが、予想通りわたしの視力では確認できなかった。しかし取り敢えず口撃は止まった。

 わたしは左目が見えない。何の光も映さないその目は、目蓋が常にほぼ閉じた状態だ。男性は目が閉じているイコール目が見えないと思って止まったのだろう。

「見えてるように見えるのになぁ」

 という呟きが聞こえた。当然謝罪などない。

 確かにわたしの右目は見えている。でも男性の認識自体が間違っているのだ。白杖を持って歩くのは見えない人たちだけではない。わたしのように見えにくい人たちも全員ではないが持っている。

『何も知らないくせに…ふざけるな!』

 わたしは歯を食い縛り怒りに耐えた。込み上げてきた熱いものが溢れそうだ。男性と同じ場所にいたくなくて、足早に乗り換えの駅に向かった。



 駅のホームに辿り着いたわたしは、空いているベンチを見付けて座り込んだ。とてもすぐに満員電車に乗る気分ではない。

 ハンカチを目元に当てた。熱い涙となって零れ出た心の傷は、すぐには止まらなかった。


「ヒカル! 遅いので心配していたんですよ」

 ノックをしてドアを開けると優しい声が降ってきた。

 ここはリューテ島の大都市サイカにある大神殿の神官長室。出迎えてくれたのは、大神官でありここの神官長であるフレミア。金色の髪を長く伸ばして背中に流した美しい人(男性)だ。

 フレミアはわたしに近付くと至近距離から顔を覗き込んだ。

 あまりの近さに反射的に一歩後退る。背中がドアにぶつかった。

「いたたたた……」

 フレミアに会った安心感とぶつかった弾みで、引いていた筈の涙がつつっと流れた。慌てて涙を拭こうとしたが、すぐに手を押さえられた。

「どうしたんですか? 全部話してもらいますよ」


 それから小一時間、ソファに座らされたわたしは先程の男性のことをフレミアに話した。なぜか合間に細かいところまで質問されたが、分かる範囲で全部答えた。

「その男には必ず報いがあります。ヒカルがこれ以上気に病む必要はありません」

 冷えたフレミアの言葉に背中がぞくっとしたが、わたしは頷いた。どのみち泣こうが喚こうがどうなるものでもない。

「しかし、これくらいのことで泣いてどうするのですか? あなたはこれからたった一人で見知らぬ土地に旅立つのですよ?」

 なぜか説教が始まった。フレミアの話はとにかく長い。わたしは聞いている振りを装いつつ意識をよそに飛ばした。



 わたしはこのリューテ島で生まれ育った。物心がついたときには既に目に障害があり、今の状態に近かった。

 両親はわたしが生まれてすぐに離婚し、わたしは父に引き取られた。それ以来母に会ったことは一度もない。

 信仰心の篤い父の実家で育てられたわたしは、幼い頃から神話に親しみ基本的な教典も読んでいた。父に連れられて何度もフレミアのいる大神殿に行き、神官たちから色々なことを学んだ。

 誤解のないように言っておくが、神殿と近しくてもわたしはただの人間で、正しくありたいとは思っているものの清らかな心など持っていない。


 わたしが10歳になった頃、母方の親戚だという女性が訪ねてきた。父の言葉によると、わたしとそのヒナタという人は顔がとても似ているらしい。ヒナタは強引にわたしたちの家に居座り、特訓を開始した。

 わたしはホムラ家という炎の魔法を使う一族の血筋なのだという。魔力の暴発を防ぐために、ちゃんとした訓練を受けるまでは力を封印されていたらしい。

 ヒナタはわたしの封印を解き、魔術の基礎から徹底的に叩き込んでくれた。2年後にはわたしは一人前の上級魔導師だと認められた。

 ヒナタの訓練は厳しかったけれど、目の障害のせいでできないことが多かったわたしは素直に嬉しかった。でも18歳になるまでは訓練以外で魔法を使ってはいけないと言われて地味に悲しかった。


「ヒカル、聞いていますか?」

 フレミアの声でわたしは現実に引き戻された。

「はい、勿論です」

 ここで聞いていないなどと言おうものなら、確実に説教がもう一周する。

「……まぁ、いいでしょう」

 フレミアは軽く息を吐くと立ち上がった。

「今日はヒカルのせっかくの門出です。サイカ大神殿の神官全員で見送りますよ」

 わたしは目を見開いた。神官全員となると50人ほどになる。通常なら考えられない。

 驚いているわたしにフレミアは笑いを漏らした。

「あなたは私の大事な友人、フータ・フジミヤの一人娘。私にとっても娘のようなものです。それに数少ない上級祓いの術者、むしろ見送りが足りないくらいですよ」

 わたしは慌てて手を振った。

「もう祓いはしませんから術者とは言えません」

 わたしは15歳の頃、3ヶ月だけ祓いの仕事をした。祓いとはその名の通り魔物を祓う術。術者になるためには、神語の読み書きができるものが一定の修練を積まなくてはならない。神語とは神の言語、神の恵みを受けた少数の人たちだけが読み解ける一種の才能だ。術者はほとんどが10代の少年少女で、活動期間も短い。

 祓いを始めたのはフレミアの薦めがあったからだが、今では大事な思い出だ。

「18歳になったあなたは、ホムラ家に連なるものとして見聞を広めるため、他の大陸で魔導師としての経験を積まねばなりません。覚悟はできていますか?」

 わたしは立ち上がって背筋を伸ばし顔を引き締めた。

「はい!」

 

 リューテ島は東大陸の東端沿岸に浮かぶ大きな島だ。東大陸本土や沿岸の島々へは船で渡ることもできるが、強力な魔物がいる大洋は渡れない。大陸間の移動は神術を使った転位鏡という鏡を使う。

 転位の入り口となる発鏡(はっきょう)は大神殿にしかないが、出口となる着鏡(ちゃっきょう)は神殿であればどこにでもある。難点はこの転位鏡、年に一度か二度の天文条件が揃った日しか使えないことと、利用できるのが神官と光導師、上級以上の魔導師に限られることだ。

 わたしは転位の間に向かってフレミアと共に神殿の通路を歩く。ショルダーバッグと白杖以外の荷物はフレミアの助手が運んでくれている。

 広い通路の両脇には神官たちがずらりと並び行ってらっしゃいとか、お気を付けてとか、口々に声を掛けてくれる。

 わたしは目頭が熱くなった。まばたきを繰り返して涙を抑えつつ、感謝の笑顔を浮かべて歩いた。

 転位の間に入るとフレミアと二人きりになった。

「荷物はあなたの後から送るので、心配しないでください。それではヒカル・フジミヤ、あなたに神のご加護があらんことを」

 フレミアはわたしに近付きぎゅっと抱き締めた。我慢していた涙が流れ落ちる。

「あなた自身が選んだ行き先は西大陸の古都レティンソンです。間違いありませんね?」

 嗚咽で言葉が出なかったわたしはこくこくと頷いた。

「では行きなさい。鏡の中を真っ直ぐ進むのですよ」

 フレミアの力強い言葉と共に、わたしは光る鏡の中へと押し出された。

「フレミア様も……お元気で!」

 掠れながらも何とか声を絞り出した。わたしの声は届いただろうか……。



次回の更新は3月2日の予定です


ヒカルを傷つけフレミア様を怒らせた男性との遭遇シーンはほぼノンフィクションです

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