18 祓い
雨が降り止まないまま、正午を迎えた。わたしはディーレノールに導かれて月影の塔から一歩外に出る。
実に一週間ぶりの外の空気を吸う。雨で冷やされた空気は、わたしの気持ちを引き締めてくれた。豪雨の壁の手前で、ディーレノールが一度立ち止まる。
「ヒカル、今だけでいいから完全に俺を信じてくれ! 俺が何としても、この祓いを成功させてやる!」
雨に負けないように叫ばれた言葉に叫び返す。
「もう信じています!」
ディーレノールは一つ頷くと雨の中に踏み出した。途端に大粒の雨がつぶてのように全身を打つ。一瞬でずぶ濡れとなり、体が冷えて震えがくる。まるで滝の中にいるような状況で、目を開けているのも辛い。
不安になり始めた時、心の中に突然声が響いた。
『ヒカルーーー!!』
直ぐにここにはいない筈のレイの声だと分かった。豪雨は続いているのに、わたしに当たる雨が弱くなり全身が温まる。ふと自分の体を見下ろすと淡く光っているのが分かった。
「……なっ!?」
動揺しかけたわたしをディーレノールが抑えた。
「動じるな! これはレイが守り石を通して力を送ってるんだ!」
わたしは目を見開いた後、速くなった鼓動が落ち着いてから周囲を見回した。ディーレノールも同じように光っているが、他は雨の壁に遮られてよく見えない。
雨の中を歩いて行くと、短い階段を上り舞台の上に出た。ディーレノールは所定の位置にわたしを立たせると腕を離す。
わたしは意識を集中してから両手を目の高さに上げた。両方の人差し指から出る光の線で、複雑な魔法陣を編んでいく。数分かけて上から下へと編み上げた魔法陣を下から軽く押すと、真っ直ぐにわたしの頭上へと浮かび上がった。
「では皆様、神に祈りを捧げ、祓いの許しを乞いましょう」
術で増幅されたフェリーゼの声が響き、わたしは跪いて心の中で祈りを捧げた。そして立ち上がると、ディーレノールの方を向きながら祓い用のリングを外す。
「ディー様がいいと思うタイミングで、始めてください」
リングを渡しながら言うと、ディーレノールが軽くわたしを抱き締めた。
「頑張れよ」
神からの返事を待つために、数分は待機しなければならない。目を閉じ、いつ音楽が流れてもいいように耳に意識を集中した。
どれほどの時間が経ったのだろうか……、耳に馴染んだ曲のイントロが流れてきた。思いが空を越えて遠くまで届くようにという歌詞の、静かだが力強い歌だ。
わたしがリングに記録している曲は全部で62曲だが、その内舞は10曲もない。それがランダムに再生されるのだから、儀式の時に舞が全くない場合もある。歌だけでも祓いの効果が薄れるわけではないので、今日のような天候の場合は舞ができるだけ少ない方が安全だ。
イントロが終わり、歌い始める。歌詞の意味を噛み締めながら、丁寧に正確に歌うことを心掛ける。声は問題なく出ているが、ちゃんと周囲に届いているかは分からなかった。
歌いながら閉じていた目をゆっくりと開く。さっき壁のように見えていた雨が和らぎ、人の影がうっすらと見えるようになっていた。わたしは一人ではないのだと改めて思い知る。こんな雨の中でも集まってくれたことに、深く感謝の気持ちを捧げた。
一曲目が終わり、二曲目が始まる。テンポの速い激しい曲調の歌だった。自分自身で気持ちを持ち上げながら、声を叩き付けるように歌う。体が次第に祓いの雰囲気に呑まれ、独特の高揚した精神状態に至る。
二曲目を歌い切った時、わたしを覆っていた光が消えレイからの力がゆっくりと消えた。いつの間にか雨は小雨となり、空も随分明るさを取り戻していた。激しい雨から守ってくれたレイに、心の中でありがとうと言った。
三曲目は舞の曲だったので、一瞬不安がよぎった。でも四日間の練習を思い出し、臆する必要はないのだと自分に言い聞かせる。
ポーズを取り踊り始めた。
「っ!」
一歩ステップを踏み込んだところで足を滑らせた。思っていた以上に舞台上がつるつるだ。衝撃を覚悟した次の瞬間、ディーレノールに抱き止められていた。なぜか観客から拍手が沸く。
ディーレノールが流れるような自然な動作でわたしの体を起き上がらせると、わたしはステップの続きを踏む。躊躇していると一歩も動けなくなりそうなので、ディーレノールを信じて力強く舞台にリズムを刻み込む。
何度も滑ってしまったがその度にディーレノールが体を支え、時にはターンしながらわたしを立たせてくれた。
この時ようやく拍手の意味を理解した。祓いに詳しくない人から見れば、ディーレノールのサポートも一種の演出に見えるのだろう。見映えがいい王子なので絵にもなりそうだ。
四曲目が始まった頃、また少し雨が強くなった。歌だったので胸を撫で下ろす。わたしはこの時ようやく周囲の様子を確認できた。わたしの視界一杯に人が溢れている。ほとんどの人が傘を差していたが、舞台に近い人は雨の中濡れた地面に跪いているようだった。
「……」
集まってくれた人たちのためにも、中途半端な祓いはできない。わたしは気合いを入れ直して歌い始めた。
この曲は元気に前に進んでいこうという歌詞の、明るい曲調だ。魔物だけでなく、人々の心の憂いも祓いたいと声を張る。雨なので喉が乾燥することはないけれど、顔に降り注ぐ雨粒で歌いにくい。
四曲目を終えると、体の冷えが気になり始めた。ずぶ濡れの衣装が重く体に張り付く。体が冷えて震えてしまったら声も震えてしまう。
五曲目は舞だった。それも記録されている中で一番激しいステップダンスだ。心を落ち着けて踊り出す。
大地を穿つように天高く響くように、気迫を込めて舞台を打つ。舞というよりは自分が打楽器になったような心地がした。
奇跡的に足を滑らせることなく、最後まで踊り切った。
音が止むと同時に幕が上がるように雨が止み、雲間から差し込む光が舞台を照らし出した。雨に濡れた世界がきらきらと光る。
何かの気配を感じて左手を見ると、浄化石のバングルから光る文字のようなものが紡がれて頭上の魔法陣の方に消えた。魔法陣が強い光を放つ。
「っ!?」
一瞬動揺するものの、ディーレノールがわたしに身を寄せて囁いた。
「魔法陣に十分力が満ちた。次で最後の曲だ」
わたしは軽く頷いた。一度大きく深呼吸をする。
最後の曲も舞だった。今回の祓いは舞の比率が大きい。ランダムに再生されるのは神が聴きたい曲を選んでいるのだと言われているが、実際のところはよく分からない。
最後の舞は今までの力強いステップダンスとは違って、女性らしく軽やかで弾むような曲だった。どちらかというとわたしには向かないが、元がどんな曲であろうと、自分流に踊ればいいのだと開き直る。最後の曲なのですべての思いを込めて踊る。
『大陸中の魔物よ滅びろ! 悪しきものよ去れ!』
心の中で叫びながら足を踏み鳴らし、手で空気を打つ。
全部の曲が終わった時、わたしは一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった。全てを出し切って力が抜ける。体が傾いでいくのは分かったけれど、なす術はなかった。
ディーレノールは離れた場所にいたのか、仰向けに倒れるわたしの頭が舞台に打ち付けられる直前に、足を滑り込ませて庇ってくれた。わたしの頭はディーレノールの膝の上に載っている。
キャーと悲鳴のような歓声のような声が聞こえた後、万雷の拍手が沸き起こった。
まだ、祓いは終わっていない。舞台を囲むように跪く人たちは微動だにしていなかった。上空の魔法陣を見ると、白く強烈な光を放つ塊となっている。
わたしはディーレノールの手を借りて立ち上がり、空を抱くように大きく両手を広げた。
「祓いの力を解放せよ!」
叫ぶと同時に白い光が月影の塔に飲み込まれてしまった。塔を見ると、元々黄色い建物が下から上へと徐々に白く輝き出した。直ぐにピラミッドまで到達した光は、先端から放出されて四方に広がる。空も地上も白く塗り潰され、眩しさに目を開けていられない……。
「ヒカル、よく頑張ったな」
優しい声が耳を打った。
「よく頑張ったじゃないでしょ! 早くこっちに帰ってきて!」
「やっぱり可愛気のない女だな。分かった、できるだけ早く戻る」
優しい気配がそっと体に触れ、ふっと消えていった。
「うっ……」
わたしは嗚咽を堪えながら涙を流した。祓いが無事に終わった。
「ヒカル、どこか苦しいのか? 俺が癒しを……」
気付けばわたしはエントランスのソファに座っていた。白い光以降の記憶がない。
ディーレノールがわたしに触れようとすると、ぱちんと音がして激しい火花が散った。
「痛っ!」
わたしは何も感じなかったが、ディーレノールが慌てて手を引っ込めた。
「レイの奴、他の人間がヒカルを癒すのを弾いてるみたいだ。器の小さい奴め」
呆れたように言うディーレノールにわたしは笑顔で言った。
「大丈夫ですよ。酷い疲労感以外は異状ないですから」
ディーレノールは困ったように笑った。
「その疲労感も取り除いてやれるんだけど、仕方ないか」
ディーレノールはわたしの隣にどかりと座った。
「ヒカル様、座ったままでいいので、少し話してもよろしいですか?」
顔を上げるとフェリーゼと神官一行が近付いてくるところだった。今は動ける状態ではないので静かに頷く。
「各地と連絡を取り合って、祓いの効果を確認しましたの。まだ情報が完全にまとまってはいませんが、効果範囲は西大陸全域、とリューテ島」
わたしは目を見張った。わたしが生まれ育ったリューテ島はエール島のはるか西、大洋を越えた先にある。まさか東大陸の端にまで効果が及ぶとは思わなかった。フェリーゼの声は続く。
「中級までのすべての魔物が消滅、そして一部の上級魔物が一時的に弱体化の模様、とのことですわ」
フェリーゼの声が届く範囲にいた地方庁の職員たちがどっと沸いた。続いて大きな拍手が起こる。
「ヒカル様、素晴らしい祓いを見せていただきましたわ」
フェリーゼは優雅に礼をすると、神官たちを引き連れて去って行った。
「ヒカル、これは記念に持っていろ」
ディーレノールがヒカルの手のひらに載せたのは、真っ二つに割れた祓い用の記録リングだった。これの意味するところは、祓いの力の消失だ。
修行を経て祓い師となったものは、数回力を使うとある日突然リングが割れて力を失う。20代以上の祓い師がほとんどいないのは、そういう理由からだ。
わたしは喪失感よりも、もう祓いをしなくていいという安心感で気持ちが楽になった。
「ディー様、ありがとうございました。これで神王国に戻れますね」
ディーレノールはにやりと大きく口角を上げた。
「父上からの命令で、レイが戻るまで俺がヒカルの面倒を見ることになった。これで離れられると思ったら、大間違いだぞ?」
わたしは大声を上げた。
「ええーーーっ!?」
どうやらわたしはこれからも、神王家と深く関わることになりそうだった……。




