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17 浄化石のバングル

 祓いの当日目を覚ますと、また雨が降っていた。居間の窓から外を眺めても、完全に雲に覆われていて何も見えない。雨は窓に叩き付けるような横殴りの豪雨だった。

 祓いはどんな気象条件でも行われるし、舞台には屋根もない。重くなってしまう心を鼓舞して何とか笑顔を作った。

「今日は皆さん、よろしくお願いします」

 わたしの客室に集まっているのは支度を手伝ってくれるメイドたち、フェリーゼ、そしてクレアだった。まだパジャマ姿なので男性陣はこの場にいない。

「お天気が心配ですわね……、このままだと、祓いに支障が出てしまいそうですわ」

 フェリーゼが心配そうに言う。

「激しい雨というのは、大地の穢れを洗い流してくれるものです。神の恵みに感謝しましょう」

 祓い師本人が本番前に揺らいではいけない。わたしは穏やかに言った。

「その通りですわ。ヒカル様はずいぶん水曜日と雰囲気が変わりましたわね? それにその守り石……、レイフィニールが側にいるのも同じ、ヒカル様は心を強く持って祓いをしてくださいね」

 わたしはそっと耳に触れた。レイからもらった守り石は小さいものだが、身に着けているだけで心が穏やかになり優しく包まれているような感じがする。

「祓い師として舞台に立てるのは一人でも、ヒカルには私たち家族や大神殿の神官の皆さんが付いてるわ。ちょっと不謹慎な言い方かも知れないけれど、安心して思う存分暴れなさい」

 わたしはクレアの言葉に笑ってしまった。内心の不安と緊張がわずかに緩む。

「付き人のディーレノールが、何があっても全力でサポートしますわ」

 わたしは二人に頭を下げた。

「ありがとうございます。体を清めてきます」

 客室に付属するシャワールームで全身を洗う。使うのはクレアが特別に用意してくれた、薔薇の精油がふんだんに配合された高級なシャワージェルだ。浴室中が薔薇の芳香に満たされ、心が凪いでいく。

 バスローブ姿で寝室に戻ると、メイドたちが待ち構えていた。まずメイクから始まる。

「どんなに濡れても絶対に崩れないという、最強の化粧品をご用意しました。お化粧崩れの心配はご無用ですよ」

 美容師の資格を持つというメイドが手早くメイクを済ませる。仕上がりを確認するために大きな鏡を見せられたが、わたしの視力で細かなメイクテクニックを判別できるわけもない。

「綺麗に仕上げてくださって、ありがとうございます。まるで別人のようです」

 わたしがぺこりと頭を下げるとメイドに笑われた。

「ヒカル様はご自身を過小評価されてるようですが、元々とてもお美しいんですよ。私はその美しさをより引き立てるためのお手伝いをしているだけです」

 わたしは曖昧に笑った。嬉しいとは思うのに、実感がないのでどういう反応をしていいのか分からない。

「次に髪ですが、今日のお天気を考えてきっちりアップスタイルにしたいと思います」

 メイドは手早く髪をまとめ上げると、最後に青い薔薇を象った髪飾りを着けてくれた。

「では、衣装を着ましょう」

 先程まで衣装に問題がないか、入念に確認してくれていた別のメイドがわたしの前でドレスを広げる。光沢のある青い布地がわたしの目の前でさらさらと流れた。

「このドレス、ヒカル様のピアスと同じ色合いですね」

 衣装は青いミニのビスチェドレスに、ぴったりとした黒のパンツを合わせたものだ。腕と肩が露出しているので心許ないが、動きが邪魔されないのはいい。

「これはたまたまです。クレアさんに何色がいいか訊かれたとき、頭に浮かんだのが濃い青だったのでそのまま口にしたんです」

 実はそれがレイの瞳の色だったのだが、誰にも言う気はない。

「本当に素敵ですね。布も最上級のものですし、きっと着心地も抜群ですよ」

 わたしはメイドに手伝ってもらって衣装を纏った。腰までぴたりと肌に沿うドレスは、スカート部分が花びらのようにふわりと広がる。パンツも滑らかな生地で肌に馴染み、ステップを邪魔しない。

「とてもお可愛らしいです!」

 メイドが溜め息を吐いて言った。感情が籠もっていてとてもお世辞を言っているようには見えなかったので、素直に嬉しかった。

「ありがとうございます。では居間に行きましょう」

 わたしがメイドと共に居間に入ると、さっきより人が増えていた。ヴェルデ家の三兄弟とディーレノールのようだ。

「ヒカル、まるで青薔薇の妖精みたいで可愛いぞ」

 言ったのはわたしのドレスと同じ生地でできたシャツと、黒いパンツ姿のディーレノールだった。

「ディー様、今日はよろしくお願いします」

 わたしは頭を下げて言った。

「ヒカル様、そろそろ瞑想をお願いしますわ。これより先舞台に立つまで、付き人以外はヒカル様との接触を控えてください。ではヒカル様、後程お会いしましょう」

 フェリーゼが出て行くと、ディーレノールを除く全員がぞろぞろと後に続いた。

「コンディションはどうだ?」

 ディーレノールが気遣うように言葉をくれる。

「緊張してますが、それ以外は問題ありません」

 ディーレノールはそうかと頷くとわたしを寝室へと促した。

「瞑想してこい。俺はここで待ってるから」

 わたしは寝室に入り、ベッドに腰かけた。ゆっくりと目を閉じ意識を自分の内面に向ける。静かに呼吸をしながら心の波が収まるのを待っていると、守り石から柔らかい波動が伝わり全身に広がった。心が静かになる。瞑想が終わったので居間に戻った。

「よし、本番までまだ時間があるからゆっくり過ごそう」

 ディーレノールはわたしをソファに座らせると、水の入ったグラスを差し出した。祓いの当日は儀式が終わるまで、水以外を口にしてはいけないとされているのだ。

 水を含むと全身に染み渡るのが分かる。でも痛烈に空腹も感じて、わたしは無意識に腹部を撫でた。ディーレノールが笑う。

「ヒカル、腹が減ったのか? 終わったら俺が好きなものを食わせてやる。何がいい?」

 わたしは即答した。

「美味しいお寿司を、お腹一杯食べたいです」

 言ってしまってから、ここがリューテ島ではないのを思い出す。わたしは誕生日や何かの記念日には、いつも高級な寿司を食べさせてもらっていたのだ。だからご馳走として思い浮かぶものが他になかった。

「寿司ねえ……、ちょっと調べさせるから待っててくれ」

 ディーレノールは居間の電話を使ってどこかに指示を出した。数分で報告がくる。

「ヒカルごめん、今日中にここに手配できる腕のいい寿司職人はいないみたいだ。今日は他ので我慢してくれ」

 わたしは首を振った。

「いえいえ、無理を言ってすみません。それじゃあ、ディー様と二人で美味しいお酒の飲めるお店に行きたいです」

 ディーレノールがなぜか数拍固まった。そして怒られる。

「ヒカル、そんな台詞は好きな男にだけ言え! 俺じゃなかったら完全に勘違いしてたぞ!」

 わたしが顔に疑問符を浮かべていると、ディーレノールが溜め息を吐いた。

「そういう台詞を可愛い女が言うとだな、デートに誘ってるように聞こえるんだよ!」

 今度はわたしが固まる番だった。直ぐに頬に熱が集まる。

「す、すみません! わたし、その、えっと……」

 自分でも何を言っているのか分からずしどろもどろになっていると、ディーレノールが最高の笑顔を見せた。

「うまい酒とうまい料理がある店だな? 俺はダンブルは詳しくないけど、海を越えた本土のルルディならいい店を知ってる。そこでいいか?」

 わたしは嬉しくなって笑顔で頷いた。でも鼻先にディーレノールの指が突き付けられる。

「ただし、レイが戻ってくるまでは、たとえヴェルデ家の奴だとしても絶対に男と二人で飲みに行ったりするんじゃないぞ? 俺がいくらでも付き合ってやるからな」

 わたしは頭の中で首を傾げた。ディーレノールはもうすぐ神王国に戻るのではないのか。でもとりあえず気持ちは嬉しいので頷いておく。ディーレノールは安心したように息を吐いた。

「全く危なっかしい奴だな……。あー、でも困らせて悪かった。瞑想し直すか?」

 心の乱れを心配してくれているるようだが、わたしは首を振った。

「どんな会話をしても、さっきの瞑想で準備はできているので大丈夫です」

 ディーレノールは軽く頷くと、グラスの水を注ぎ足してくれた。


 祓いが始まる正午少し前、わたしは月影の塔一階のエントランスで待機していた。雨は止むどころか悪化しているようで、まるで夜のような暗い空に時折稲妻が走るのが見えた。

「雨の音で周りに歌が聞こえなかったとしても、ちゃんと祓いの効果はあるから怯むなよ」

 側にいるディーレノールが励ますようにぽんと肩を叩いた。わたしは安心させたくて笑顔を作って頷く。その時……。

「ヒカル様ー!」

 大きな声がエントランス中に響き、何事かと周囲の声が止む。

「……マイア!」

 わたしは一週間前に再会し、直ぐに離れることになってしまった元付き人の少女の名を呼んだ。

 マイアは息を乱しながら側まで駆けてくると、恭しく跪いた。

「ヒカル様、祓いの時にこれを身に着けていただけませんか?」

 マイアの手には黒い箱が載っていた。

「マイアというと、ヒカルの元付き人だな?」

 マイアは初めてディーレノールの存在に気付いたのか、ぴくりと体を震わせてから慌てて声の方を向いた。

「はい、あなたがヒカル様の今回の付き人ですね? 中身をお確かめください」

 付き人の氏名は一般的に公表されないし、ミルフィオール以外の王子の顔は世間に知られていない。しかしマイアは経験を元に、立ち位置から判断したらしい。黒い箱をディーレノールに向かってゆっくりと開いた。

 身を乗り出して箱の中を覗き込んでいたディーレノールは、ほうと深い息を吐いた。

「これは見事な浄化石だな」

 浄化石は薄い青色をした水のように揺らめいて光る希少な石で、強力な浄化力を持つことから神具に使われることが多い。

「はい。あたしの師匠が次にダンブルで祓いがあったら祓い師の方に差し上げようと、以前から用意していたものです。手に取ってお確かめください」

 ディーレノールが慎重な手付きで取り上げると、浄化石が照明を反射してきらりと光った。周囲から感嘆の溜め息が漏れる。

「浄化石なら守り石の力を邪魔しないし、これはかなり高品質なものだ。ありがたくいただこう。君の師匠には礼を言っておいてくれ」

 マイアは深々と礼をしてからわたしに向かって言った。

「ヒカル様、最前列で師匠と一緒に見守りますね」

 わたしは溢れてくる感情を飲み込んで言った。

「マイア、ほんとにありがとう。わたしの分もお師匠にお礼を言っておいてね」

 マイアがなぜ細工師を師匠と呼んでいるのか、訊きたいことはあったが時間がないので今は止めておく。

 マイアは立ち上がり笑顔を見せてから外に向かって歩き去った。

「ヒカル、左手を出せ」

 ディーレノールがわたしの手首にバングルを嵌めた。

「ヒカルを応援しているのは、街のものも同じだ。一人ではないということを心に刻め」

 バングルは金の土台に大粒の浄化石が嵌め込まれたデザインで、金の部分にも細かい文字がびっしりと刻まれていた。

 そっと浄化石に触れ、深呼吸をする。わたしはマイアや街の人たちの心を胸一杯に吸い込んだ。



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