16 祓いの準備3
わたしが流れる汗を手の甲で拭っていると、ディーレノールがタオルを差し出してくれた。
「お疲れ、歌はそうでもないけど、舞の雰囲気がレイに似てるな」
わたしはレイの舞を見たことがないので、何とも言いようがない。
「歌は特に直すところはありませんわ。祓いをしていなくても、練習を続けていたようですわね?」
フェリーゼが柔らかく言った。
「はい、東大陸には有能な上級祓い師が複数いましたが、万一に備えて自宅で毎日1時間自主練していました」
少しずつでも練習しておいてよかったとしみじみと思う。
「歌は合格点ですが、舞は全くなっていませんわ。手足の動きが美しくありませんし、キレもありません。何より魔物を討ち滅ぼそうとする気概が足りませんわ」
人を持ち上げてから叩き落とすのはフレミアと同じだ。懐かしさに和んでいると、鋭い声が飛んだ。
「ヒカル様、何を笑っているんですの!? ディーレノール、注意点を言いますから、全部メモしてヒカル様をしっかり指導なさい!」
ディーレノールが溜め息を吐きながらフェリーゼに近寄ると、二人は小声で話し始めた。少し様子を見ていたが、長くなりそうなので休憩することにした。
小部屋ではユートが新聞を広げて読んでいた。わたしは冷蔵庫の中からアイスミントティーを取りだ出し、グラスに注いで飲む。突き抜けるペパーミントの香りで身が引き締まる。
「休憩かな? ほら、甘いものもあるよ」
ユートがテーブルの上の菓子皿から何かを摘まみ上げて立ち上がる。
「はい、口を開けて」
わたしは口ではなく手のひらをユートの前で開いた。
「ヒカル、照れなくていいからあーんして」
ユートが摘まんでいるのはチョコレートのようだった。菓子皿を見ると、まだたくさんあるように見える。わたしはユートから離れ、菓子皿からチョコレートらしきものを取って口に入れた。
「美味しい!」
甘過ぎないこくのあるチョコレートが、口の中でほろほろと溶けていく。
「ヒカル、ちょっとくらい俺に懐いてくれてもいいと思うんだけど」
ユートが元いた席に座ると、持っていたチョコレートがぽとりと新聞の上に落ちた。
「ミャー」
シロがいつの間にかテーブルの上にいて、新聞の上のチョコレートを食べた。一心に食べていたかと思うと、満足したのか一度伸びをしてから丸くなる。
「シロの方がヒカルより可愛いな……」
力ないユートの言葉に反応したのか、シロは立ち上がってちょこちょことユートに近付くと、テーブルの上に載っていた手を舐めた。
「シロに懐かれてよかったね」
平板なわたしの言葉に応じたのはフェリーゼの声だった。
「ヒカル様が命じれば、シロはユートとしばらく一緒にいられますわよ? 命じなければヒカル様が防音室に入った時点で見えなくなりますが」
わたしは寂しげにしているユートを少し哀れに思い命じた。
「シロ、わたしが練習している間、ユートと遊んであげてね」
ユートの肩ががくりと揺れたように見えたのは、気のせいに違いない。
「ヒカル様、私はこれで失礼しますわ。本番までもうここにはこられませんが、仕上がりを楽しみにしていますわね」
わたしは深く頭を下げた。
「フェリーゼ様、色々とありがとうございました。気を付けてお帰りください」
フェリーゼが小部屋から出て行くと、わたしも防音室に戻った。
「ディー様、ご指導よろしくお願いします」
わたしが頭を下げると、ディーレノールは溜め息を吐いた。
「俺としては様なしで呼び捨てにしてくれていいんだけど、ヒカルには無理なんだろうなあ」
わたしはにっこりと笑って言った。
「はい、王子様を呼び捨てなんてとんでもありませんから。それより、時間は限られてます。早く練習しましょう」
ディーレノールはもう一度溜め息を吐くと、わたしに近付いてきた。
「フェリーゼ様は厳しく言ってたけど、俺はそんなに悪くないと思う。でも基本的な動きから、徹底的に鍛え直すぞ」
わたしは勢いよく返事をした。
「はいっ!」
それから土曜日までの4日間、ディーレノールによる熱血指導は続いた。一見軽い調子で薄っぺらい人物に見えるディーレノールだが、本気になるととても頼りになった。
的確で分かりやすいアドバイス、細やかな動きの修正、わたしがだれてきたときの喝の入れ方、どの部分を取っても素晴らしい指導者と言えた。ただ指導中に何度も頭を撫でられるのが少し嫌だった。
木曜日と金曜日は酷い筋肉痛になり、マッサージの資格を持つ領主館のメイドに全身を揉み解してもらった。
土曜日にはディーレノールの指導の効果がようやく現れてきたが、自分で満足できる水準ではなかった。
わたしは視力が弱いため、自分の動きを視覚的にイメージすることが難しい。体をぴたりと止めたときのポーズが、どうしても決まらないのだ。
「ヒカルの舞は優雅というより勇壮なんだ。女としては微妙に感じるかも知れないけど、祓いの舞としては向いてると思う。だから美しく踊ろうとするんじゃなくて、気迫を叩き付けるようにステップを踏め」
土曜日の午後になってからのディーレノールの言葉に、目から鱗が落ちる思いがした。祓いの目的は美や芸術ではなく魔物退治なのだ。観衆によりよく見せようと思う必要はない。わたしは自分にできる形で舞えばいいのだ。以降の舞は気迫と気概を込めることを意識して踊った。
「短期間でよく頑張ったな。最後は俺が恐怖を感じるほどの迫力だったぞ」
ディーレノールが笑いながら言った。わたしは言い返す。
「ディー様を退治するつもりで踊ったんだから、当然です」
ディーレノールはふんと鼻で笑った。
「そんな可愛気のないことを言う奴には、お仕置きだ」
わたしはいきなり正面から抱き締められた。抵抗しようとしてもなぜか体が全く動かない。
「神王家の人間は強い治癒の力がある。それは病気や怪我を治すだけじゃなく、触れた相手の動きを完全にコントロールできるんだ」
ディーレノールが耳許で囁く。低く掠れた声が心臓に悪い。
「ヒカルは俺が嫌いか?」
甘い声で囁かれ、心臓が跳ねる。
「嫌い、ではないです……」
わたしは弱々しい声で返事をした。こういう状況には慣れていないので勘弁してほしい。
「嫌いじゃないなら、俺と付き合え。俺はヒカルが可愛くて仕方ない」
ディーレノールの言葉は甘く蕩けるようで、わたしの冷静な部分を侵食する。
「いやいや、ないない! ディー様はわたしをペットみたいに可愛がってくれてるだけじゃないですか!」
ディーレノールはことあるごとにわたしを抱き締めて頭を撫でた。そこに男女の緊張感はなかったと思う。
「はは……、ばれてたか。確かに可愛がってるけど、ペットとは違うぞ? それにヒカルが素直に付き合うって言ってくれたら、レイと血で血を洗う戦いをしてもいいと思う程度には大切に思ってるぞ」
ディーレノールは抱擁を解いた。ようやく体が自由になる。
「前から皆さん、レイとわたしの関係を決定事項みたいに言ってますが、一緒にいた時間は1時間にもならないんですよ? お互いに宿命を背負ってるのかもしれませんが、伴侶、とか意味が分かりません」
わたしは頬が熱くなるのを感じた。きっと赤くなっているだろう。
「これくらいで頬を染めるとは、ヒカルはうぶだなあ。言っとくけど、運命ってのは一瞬でも変わるんだ。それにレイは宿命の子云々関係なく、間違いなくヒカルが好きだぞ?」
わたしは驚いてディーレノールの顔を見上げた。
「治癒の力ってのは、自由にコントロールできるんだ。体の表面にできた軽い傷を治すだけなら、とても簡単だ。でもレイがヒカルに施した治癒は、そんなに簡単なものじゃない。手で触れてできる一番深い治癒の痕跡が、ヒカルの中にある。普通初対面の相手に対して、しないことだ。特にレイは、治癒の力を使うのがあまり好きじゃない。これは一目でヒカルをかなり気に入ったことの証だ」
わたしはどうしていいのか分からず視線を泳がせた。
「それにヒカルは、レイが王子だと分かった後でも様付けしていない。伴侶云々の話を聞いたときも戸惑ってはいたみたいだけど、嫌な顔は全くしてなかった。けっこうレイのことが気に入ってるんじゃないのか?」
わたしの体中の熱が急上昇した。居た堪れなくて逃げようとしたが直ぐに捕まった。
「やっぱりヒカルは可愛いなあ。レイになんて渡したくないけど、頑張ってる奴にはご褒美をやらないとな」
ディーレノールはわたしを解放し、少し屈んで視線を合わせた。
「いいことを教えてやる。兄弟の神獣には特別な絆があるって言ったよな? シロとクロはどんなに離れていても、物ならやり取りできるんだ」
わたしが理解できなくて首を傾げると、ディーレノールが補足してくれた。
「シロが咥えられるものなら、レイと物のやり取りができるってことだ。例えば手紙、とかな」
わたしは大きく目を見張った。レイに手紙が書ける! わたしは頬がどうしようもなく緩むのを感じた。
「で、早速なんだけど、俺が書いた手紙をレイに渡してほしいんだ。頼めるか?」
わたしは深く考えずに返事をした。
「ずいぶん準備がいいんですね。もちろんいいですよ」
わたしは手紙を受け取ると、シロを呼んだ。
「シロ、クロのご主人様のレイに手紙を届けてほしいんだけど、できる?」
シロはミャーと一声鳴くと、手紙を咥えてどこかに消えた。
「ええっと……、どういう原理なんでしょう?」
わたしはシロが消えた辺りを見ながら言った。
「転位と同じようなものだと思うけど、よくは分からないな」
ディーレノールが困ったように言う。
転位と同じように一瞬で移動できるなら直ぐに戻ってきてもおかしくはないが、シロは10分経っても戻ってこなかった。
どこかで迷子にでもなったのかと心配し始めた頃、シロが目の前の床に突然現れた。何か小さな布袋を咥えている。
布袋の中には濃い青色の石が付いたピアスと、[ヒカルへ レイより]とだけ書かれた紙切れが入っていた。
「ほんとに届いたみたいですよ! でもどうしてディー様に返事がないんでしょう?」
ディーレノールは紙切れとピアスをじっくり眺めた。
「手紙にはヒカルが宿命の子であることと、明日ヒカルが祓いをすることとその経緯、俺が付き人をすることも書いた。レイは今頃頭を抱えて踞ってるだろうから、手紙を書く余裕なんてないだろうよ」
ディーレノールはピアスをわたしの手のひらに載せた。
「これは守り石といって、水晶を光術で染めたものだ。術者の瞳と同じ色になる。強い守護の力があるから、肌身離さず着けているといい」
わたしはピアスを持ち上げて目の前にかざした。澄んだ青が心に染みて涙が溢れる。
「おい、何で泣く!?」
ディーレノールが慌てたように言った。
「だって……、こんな、に……嬉、しいプ、レゼントは初めて……、なんです」
泣き続けるわたしに、ディーレノールはそっとハンカチを渡してくれた。




