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13 王太子の頼みごと

 わたしの全身から、血の気が引いていくのが分かった。急に寒さを感じて体が震え出す。止めようと思っても止められない。

 シロがわたしの膝に飛び乗ってそのままよじ登ってこようとする。シロの行動は認識しているのに、体がうまく動かせない。3年前の記憶に押し潰されそうになる。

 様子をじっと見ていたミルフィオールはそっとわたしの手を取った。

「ヒカルさんが祓いをやめた理由を知ってるから、本当は無理強いしたくないんだけど時間がないんだ。今西大陸で私たちが望む上級祓いができるのは、ヒカルさんしかいないんだよ」

 ミルフィオールの真剣な言葉にわたしは少し冷静になった。ゆっくりと深呼吸をし気持ちを落ち着けようとする。空いている方の手でシロを撫でた。

「少し落ち着いたかな?」

 ミルフィオールに問われ、わたしはゆっくりと頷いた。

「少し前に神王国に敵対するテロ組織が、魔物を大量に繁殖させて各地に放つという事件があって、大陸本土は大混乱に陥ったんだ。でも魔物をいくら叩いても、どんどん繁殖されたらきりがないでしょう? それで必死の捜索の結果、魔物繁殖工場を見付け出して完全に殲滅したんだ。でも繁殖した魔物たちは多過ぎて、神官や魔導師たちだけでは手に負えなくなってきたんだ。だから……」

 ミルフィオールが濁した言葉をわたしが引き継いだ。

「上級祓いで魔物を葬り去ろうというわけですね……」

 一般的な祓いは、地面に神語を組み込んだ平面的な魔法陣を描く。それに対して上級祓いは空中に立体的な魔法陣を描く。その後行われる儀式は同じだが、上級祓いの影響範囲は一般的な祓いなど比較にならないほどの凄まじさとなる。

 上級祓いには強大な力が必要なため、術者は極めて少なく多少増減はあるものの各大陸に数名程度と聞く。

「あの、この大陸にも祓い師はいる筈ですよね?」

 わたしの質問にミルフィオールは深いため息で答えた。

「一番力のある祓い師が、あろうことか黙って一昨日の転位で東大陸に行ってしまったんだよ」

 わたしはぽかんとミルフィオールを見た。上級祓い師は貴重だ。大陸間を移動するときは大神殿の許可がいる。祓いを休業中のわたしでさえ、フレミアの許可をもらって転位したのだ。

「他の祓い師もいるにはいるけど、ぎりぎり上級って言える子たちで今回の祓いには厳しいと思うんだよね」

 わたしは恐る恐る訊ねた。

「今回の祓いの目標は、どのくらいですか?」

 ミルフィオールは数秒置いてから答えた。

「影響範囲は大陸全体、効果は最低でも下級魔物の殲滅」

 わたしは頭を抱えた。上級ぎりぎりのレベルではかなり難しい要求だ。

 以前のわたしならできただろう。でも今は自信がない。顔を上げたとき、わたしの目には涙が浮かんでいた。

「魔導師として魔物狩りをお手伝いするのでは、だめですよね?」

 祓いは効果範囲内の魔物を殲滅する。どの程度の魔物まで殲滅できるかは術者の力量に左右される。わたしは以前東大陸全体の中級までの魔物を殲滅させたことがある。

 魔導師として闘うより、効果が高いことは十分分かっている。でも聞かずにはいられなかったのだ。

 ミルフィオールはシロをテーブルの上に置くと、わたしの前に膝をついた。

「ごめんね、すごく辛いんだね……、でも祓いでないと焼け石に水なんだよ。このままだと一般の人に被害が出てもおかしくない。協力してもらえないかな?」

 心の籠もったとても優しい声に余計泣きたくなった。わたしは両手を握りしめ、目を瞑って感情の波をやり過ごそうとする。

 その両手にミルフィオールの手が重ねられた。わたしと同じ血の通った人の温もり。目を開くと涙が一筋流れ落ちた。

「ヒカルさんが望むなら、祓いはこれで最後にしてもいいよ。二度と無理強いはしない。……それから……、そうだ、創世記を読みたがってるって聞いたけど、私からもできるだけ早く読めるように口添えするよ」

 過去に引きずられていた心が、現実に引き戻された。

「創世記の件、ほんとですか!?」

 わたしの食い付きにやや体を仰け反らせながら、ミルフィオールは言った。

「も、もちろんだよ」

 笑顔が引きつっているように見えるのは気のせいだろうか。

 わたしは息を落ち着け瞑目して意識を集中し、意思の力で辛い思い出に蓋をした。効果は一過性だが祓いが終わるまで持てばいい。ようやく冷静になり目を開く。

 どのくらい時間が経ったのか、ミルフィオールはそのままの姿勢で待っていてくれた。

「す、すみません! 殿下に膝をつかせるなんて……」

 わたしが慌てて椅子から降りようとするのを止めて、ミルフィオールが立ち上がった。今度はわたしも立とうとする。

「ふふ……、ヒカルさんは面白いね」

 ミルフィオールは笑いながら最初にいた向かいの席に戻った。

「では、結論を聞かせてくれるかな?」

 わたしは一度ぎゅっと目をつぶり、ゆっくりと開いた。立ち上がり真っ直ぐにミルフィオールの方を見る。

「祓いを、させていただきます。ですから創世記の件、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げた。

「創世記はそんなに愉快な内容ではないのに、ずいぶんと熱心なんだね……、もちろん約束は守るよ。それから祓いは次の日曜日に、この塔の前の広場で執り行おうと思うんだけどいいかな?」

 わたしは同意しかけて止まった。準備期間は短いが何とかなると思う。しかし祓いの効果は円形に均等に広がる。一方にだけ効果を伸ばしたりはできないのだ。

「大陸の地理的な中心部で行った方が、よくはありませんか?」

 ミルフィオールは笑んだまま答えた。

「このピラミッドは力を増幅する。それは祓いに関しても同じだよ。それにここで行えば、ヒカルさんは効率的に練習ができるし、一番いいと思うんだ」

 わたしは頭を下げた。

「分かりました。よろしくお願いします」

 ミルフィオールも立ち上がった。

「会場の設営や具体的な段取りに関しては、大神殿とエール地方庁の人たちに任せて、ヒカルさんは歌と舞の練習に専念してね。当日私はこられないけど、直ぐ下の弟のディーレノールがくるから、何か分からないことや不安があったら、相談してみるといいよ」

 本当に至れり尽くせりだ。わたしは笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます」


 部屋を出るとアレックスとフィルが待っていた。

「殿下、お話は終わりましたか?」

 フィルが訊ねる。

「うん、ヒカルさんに承諾してもらったよ。その件で早急に地方庁と大神殿の主要メンバーを集めて会議をしたいんだけど……」

 ただごとでない状況を察したのか、アレックスが息を呑んだのが分かった。

「直ぐに手配します。でもヒカルは……」

 アレックスは立ち去りがたいようにわたしを見た。ミルフィオールがくすりと笑う。

「アレックス、ヒカルさんを部屋に送ってから手配を頼むよ。ヒカルさん、今日はゆっくり休んで、明日から練習してね」

 わたしはぎくっとして反射的に体が揺れた。少しでも早く勘を取り戻すために、今日から練習しようと思っていたのだ。楽しそうに笑うミルフィオールに挨拶してわたしとアレックスは歩き始めた。

 客室内には誰もいなかったが、居間のローテーブルには軽食が置かれていた。朝食以来何も食べていないので、くうと小さくお腹が鳴った。

「ヒカルは飯でも食ってのんびりしてろ。ところで、そのぬいぐるみはどうした?」

 わたしがアレックスの言葉に首を傾げると、頭の上からシロが飛び降りた。

「ミャー」

 アレックスに向かって一声鳴く。

「この子はミルフィオール殿下にいただいた、猫の神獣のシロです」

 アレックスは驚きの声を上げる。

「神獣だと!? 神獣を授けられることの意味が、分かってるのか!?」

 わたしは首を振る。アレックスは自分の頭をがしがしとかき混ぜると、やけくそのように言った。

「ああもう! ……今は忙しいから、後で説明してやる。この部屋から出るなよ」

 アレックスは何やらぶつぶつと呟きながら出て行った。シロはわたしに向き直るとローテーブルに向かって駆け出した。わたしも後を追う。

「ミャー?」

 シロはソファに乗り、じっとローテーブルを見ている。

 軽食はポテトサラダとサンドイッチだった。

「これ、食べたい?」

 訊いてはみたものの、シロはソファの背もたれを飛び越えてどこかに行ってしまった。

 わたしは冷蔵庫からオレンジジュースを持ってきて、食事を始めた。サンドイッチはボリュームのあるカツサンドで、空腹のわたしも大満足だった。ポテトサラダもじゃがいものほくほく感がこくのあるマヨネーズと合わさり、絶妙なハーモニーを奏でていた。

 ふう、満足の吐息を漏らしながら背もたれに体を預ける。

「ミャー」

 シロがどこからともなく現れて、わたしの膝に飛び乗るとそのまま丸くなった。ゆっくりとその背中を撫でていると、睡魔がわたしを蝕み始めた。抵抗もむなしくわたしは魔の手に落ちた。


 目が覚めたとき、窓から見える空は茜色に染まっていた。ゆるゆると時計を確認すると、午後5時過ぎだった。腕を伸ばし、うーんと伸びをする。

 シロはわたしの膝の上で、まだ気持ちよさそうに眠っていた。わたしはそっとシロを持ち上げ、寝室のベッドまで運んだ。ベッドで眠るシロをしばらく見つめたあと居間に戻った。

 ローテーブルの上の食器類をトレイに載せて、冷蔵庫の上に置く。冷蔵庫を開けると美味しそうなケーキが入っていたので、躊躇なく取り出した。ミネラルウォーターのボトルと一緒にローテーブルに運ぶ。祓いが終わるまで、食事や間食に関して我慢する気は一切ないのだ。

 ケーキを食べ終えた頃、茜色の空は陰りを帯び始めていた。ここからなら、夜は綺麗に星が見えるだろうか。

 わたしがバルコニーに出てみようと立ち上がったとき、ノックの音に続いてドアが開いた。

「ヒカル、会議が終わったぞ。ミルフィオール殿下を見送りに行こう」

 アレックスが疲労のにじむ声でわたしに声を掛けた。



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