12 王太子と白い猫
フィルは周囲の動揺を顧みずに言葉を続ける。
「ミルフィオール殿下は、ヒカルちゃんと二人だけでの会談を希望されています。そのための場所の準備をお願いします」
フロリアが静かに部屋を出て行った。わたしは読めない状況に混乱する。
「僕も殿下に詳しい内容までは聞かされてませんが、ヒカルちゃんに頼み事がしたいとおっしゃっていました」
場に満ちていた緊張がわずかに緩む。
「よかったわ、ヒカルが何かやらかしたのかと思って心配したもの」
クレアの言葉を聞いてフィルは笑った。
「何か問題を起こしたのであれば、わざわざ神王家の方が出向いてくるわけがないでしょう? それにヒカルちゃんは信仰心がとても篤い。問題を起こす筈がありません」
言い切ってみせたフィルに、ユートが絡む。
「随分自信があるんですね? それに何だか親し気だ」
フィルは平然と答えた。
「ユート、帰ってたんだね。ヒカルちゃんと僕は、二人っきりで旅をした仲だからね」
「なっ……」
ユートは絶句した。
「殿下がこられるのは午後1時です。準備を始めた方がよくはありませんか?」
フィルはユートを完全に無視して、クレアに向かってのんびりと言った。現在の時刻は午前11時過ぎだ。
「ヒカル、すぐに部屋に戻ってちょうだい。メイドたちに準備を手伝わせるわ」
わたしは王太子殿下に会うというだけで頭が一杯で、冷静に物事を考えられない。
「母さん、ヒカルに殿下との会談にふさわしい服の手配をお願いします。ヒカルのことは俺が何とかしますから、ユートが暴走して会談を邪魔しないようにしてください」
アレックスがてきぱきと指示をする。クレアからの了承の言葉を聞くと、わたしの手を引いて書斎を出た。
「あー、王太子殿下からの頼み事なら断れないだろうが、ヒカルは何も心配しなくていいからな? 堂々としてればいいんだ。王太子なんて滅多に会えないんだから、イケメン王子を鑑賞してやる、ってくらいのつもりでいろ」
アレックスはわたしの緊張をほぐそうとしてくれているようだった。その優しさで胸が温かくなる。
「同席はできなくても、部屋の外で待っていてやるからな」
ちょうど部屋の前に到着し、アレックスはぽんぽんと軽くわたしの頭を叩いた。
「俺が崩した髪型もメイドに綺麗に整えてもらえるし、高級な服も着れそうだし、イケメン王子にも会えるしいいこと尽くめじゃないか?」
わたしは思わず笑ってしまった。神王家は神から神術を授けられた一族だ。神の色を示す金色の髪と目を持ち、皆例外なく美しいという。
「ちょっと気持ちが楽になりました。ありがとうございます」
わたしは心から頭を下げた。
「俺は妹ができたみたいで嬉しいんだ。これからも何かあったら、頼ってくれていいからな?」
アレックスはドアを開いてわたしを押し込むと、そのまま歩き去った。
部屋の中には3人のメイドが待ち構えていた。
「さあヒカル様、お支度致しましょう」
1時間半後、鏡に映っていたのは見たこともないような美少女だった。これが自分だとは全く信じられない。領主館のメイドの腕のよさに感嘆した。
「何とか間に合ってよかったけれど、これは……」
仕上がりを確認しにきたクレアが語尾を濁した。
「あー、今からやり直させる時間もないしなー」
クレアと一緒にきたアレックスも言った。ちなみにユートは自室に軟禁されているらしい。
わたしの格好はどこかおかしいのだろうか。首を傾げているとクレアが苦笑した。
「ヒカル、とっても綺麗よ、……でも綺麗過ぎるのよ」
わたしはますます困惑する。手放しで誉められるのは嬉しいが、ただ単にメイドたちが優秀なのだと思う。
「俺たちが心配してるのは、王太子殿下が噂通りの高潔な人物かどうかってことなんだ」
アレックスの言葉を受けてクレアが続ける。
「分かりやすく言えば、ヒカルがめちゃくちゃ可愛いから殿下にその場で迫られたり、お持ち帰りされたりしないかってこと」
わたしはびっくりし過ぎて座っていた椅子から落ちそうになった。
「そんなわけないでしょう!? 王太子殿下ですよ!?」
わたしの必死の言葉も二人には響かないようだ。
「神王家の王太子殿下といっても、男には違いないんだぞ?」
アレックスの指摘に一瞬口ごもるが言い返した。
「じゃ……、じゃあアレックスさんは、今のわたしをどうこうしたいって思うんですか?」
アレックスはしばらく間を置いてから言い切った。
「ヒカルは俺の好みじゃないから、思わない」
クレアが噛み付くように言う。
「そこは嘘でも、今すぐ押し倒したいほど綺麗だとか言うところでしょう!? ……あ」
わたしはにっこり笑って言った。
「ほら、わたし程度の女の子ならどこにでもいるってことですよ。それに殿下はきっと、外面に惑わされるような方ではないと思います」
二人の言う意味は正直よく分からなかったが、お陰でだいぶ緊張が解けた。
「……」
二人はまだ何か言いたそうな雰囲気がだったが、ノックの音が響いて空気が変わった。
「もう大丈夫? もうすぐ殿下がこられるけど、って……ええ!? ヒカルちゃん可愛過ぎるよ!」
わたしの目の前まで走ってくるとフィルは足を止めた。
「うわー、可愛いなあ」
声がとても嬉しそうだ。わたしは居た堪れなくなった。
「そろそろ、時間ですよね?」
わたしが言うと、フィルははっとしたようだった。
「あ、ごめんごめん。クレアさんとアレックスは1階エントランスで殿下のお出迎えをお願いします。僕はヒカルちゃんと領主館のエントランスで待つことにします」
緊張して待っていると、1階に殿下が到着したという連絡が入った。待つこと暫し、1階から領主館への直通エレベーターから降りてきたのは金色の髪の青年だった。
「殿下、こちらがヒカル・フジミヤ。ヒカルちゃん、こちらが神王国王太子ミルフィオール殿下だよ」
フィルの紹介を聞いてわたしは慌てて跪こうとした。が、すぐに押し止められる。
「公式な訪問ではないので、正式な礼など必要ないよ」
男性にしては高めの柔らかい声の主はミルフィオールだった。ミルフィオールは自然な動作でわたしの手を取ると、そのまま歩き出した。振り解くこともできず、緊張したままついていった。
フィルが先頭に立ち、わたしたちの後ろにクレア、アレックス、ミルフィオールの側近が続く。
「それでは領主、ヒカルさんをお借りしますよ。おかしな真似はしませんから、ご心配なく」
部屋に到着するとミルフィオールが言った。クレアとアレックスが一礼し一歩下がると、側近の一人が進み出てミルフィオールに小さな箱を渡した。
ミルフィオールはわたしを室内へと導いた。部屋は小さな会議室で、重厚な会議用テーブルが置かれ壁には緑の丘の絵が掛かっている。
先に入室していたフィルは、わたしたちの前に紅茶を置くと一礼して出て行った。
静かにドアが閉まるとミルフィオールが口を開いた。
「私が王太子だからと言って、儀礼的な挨拶や気負った物言いは必要ないよ。自然体で気楽に話してくれればいいから」
これで緊張が緩むわけではないが、優しく言われて少し気持ちが楽になった。
「はい、そう言っていただけると助かります」
わたしの言葉を聞くと向かいに座っていたミルフィオールが立ち上がり、わたしの隣の席に移動した。体が無意識に強張ってしまう。
「何もしないから安心してね。ヒカルさんに贈り物がしたいだけなんだよ」
ミルフィオールは先程の箱を持ち上げた。そっとテーブルに置き直すとゆっくりと箱を開ける。中から出てきたのは真っ白でふわふわとしたものだった。
「手を出して」
両手に載せられたものは軽くて柔らかくて温かみがあった。わたしは恐る恐る両手を顔に近付ける。猫だと分かった瞬間取り落としそうになり、慌ててテーブルに置いた。
白猫は前肢を突っ張って伸びをしたあとわたしの方を見上げた。
「ミャー」
甲高く小さな鳴き声に、わたしは完全に落ちた。ゆっくりと手を近付けるとぺろぺろと指を舐められる。この可愛い生き物はいったい何なのだろう。
「この子は、猫の姿をした神獣の子供だよ」
わたしはびくっとして手を引っ込めた。
神獣とは神王国を守護する白い獣たちのことで、通常国外に出ることはない筈なのだが……。
「大丈夫だよ、普段は普通の猫と変わらない……、いや、普通の猫より扱いやすいから」
ミルフィオールは言うと猫をそっと抱き上げた。
「でもわたし、普通の猫にも触ったことがなくて……」
わたしの言葉に少し驚いたようだが、ミルフィオールは言った。
「大きな神獣はあなたも知ってるように、神王国の周囲にいて守護してくれてるんだけど、小さな神獣は主を持ってその人を守護するんだよ」
ミルフィオールは猫をテーブルに下ろした。猫は小さな足でちょこちょこと歩いてくるとわたしの前で止まった。
「ミャー、ミャー」
何かを訴えてくるような鳴き声に、わたしは両手を近付けて猫を恐る恐る抱き上げた。ふわふわの柔らかさに癒される。
「可愛いですね」
猫はわたしの腕の中におとなしく収まり、金色の目を閉じている。
「気に入ったなら、名前を付けてあげてくれるかな?」
わたしはミルフィオールを見た。
「とっても可愛いですが、いただくわけにはいきません」
わたしの言葉を聞いても、ミルフィオールは微笑を浮かべたまま言った。
「ごめんね。ヒカルさんに拒否権はないんだよ。私が授けると決めた時点で、もうあなたのものなんだ」
わたしは猫とミルフィオールを交互に見た。
「そんなに難しく考える必要はないんだよ。躾も餌も必要ないしね」
わたしは目を見張った。
「とても軽いでしょう? それは神獣が大昔に神術によって作り出されたもので、生き物じゃないからなんだよ」
わたしは猫をテーブルに載せて、背中をゆっくりと撫でた。
「本当にいただいてもいいんですか?」
すっかりこの猫に心を奪われていたが、確認せずにはいられなかった。
「もちろんだよ。そうだ、餌は必要ないって言ったけど、与えれば食べるよ。完全に体内に取り込んで力に変えてしまうから、排泄はしないけどね」
わたしは目を丸くする。
「あなたがしなければいけないのは、ただ誠実に愛情を持ってこの子と接することだけだよ」
わたしは心を決めて口を開いた。
「分かりました。この子のお母さんになります」
ミルフィオールの笑みが広がった。
「それはよかった。では、この子に名前を付けてくれる?」
わたしはしばらく考えたが、いいものが浮かばない。もう分かりやすいものにしてしまおう。
「この子は今からシロです」
わたしが付けた名前が気に入ったのか、シロは返事をするように一声鳴いた。
「……シロね……、シロは私の一番下の弟の神獣の兄弟だから、可愛がってあげてね」
その弟というのは誰なのだろう。わたしは首を傾げてミルフィオールを見たが、これ以上話すつもりはないようだった。
「では、本題のお願いなんだけど……、ヒカルさんに祓いをしてもらいたぃんだ」




