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11 月影の塔

 畏怖の念に打たれて、わたしは数歩後退った。

「あの月影の塔が、ここに……。あれ? でも挑戦者以外中に入れない筈……」

 月影の塔は神が創世のときに作ったという伝説を持っている。魔導師や武闘派の神官にとっては、一度は挑戦したいと望む試練塔だ。

 内部では魔物を模して作られた幻魔(げんま)が挑戦者を待ち構え、容赦なく襲いかかるという。層が上がるにつれて幻魔が強くなるので、何層まで行けるかで力量が測れるのだ。

 塔は名前の通り夜は月光を受けて輝き、その威容で挑戦者以外を寄せ付けないと聞いていた。それがなぜこんなことになっているのか……。

「これはただの模型だ。ヒカルは今、本物の月影の塔の上に立ってるんだぞ」

 アレックスの言葉で自分のいる場所を思い出し、わたしはエントランスの床を見つめて愕然とした。月影の塔を踏み付けたりしていいのだろうか……。

「信心深い奴ほど、この状況に戸惑うんだよなあ」

 アレックスは呟くと、わたしの前にきて静かに言った。

「確かに10年ほど前までは、塔自体が神気(しんき)を放って、挑戦者以外は敷地にすら入れなかったらしい。でもその神気が失われた」

 わたしははっとして顔を上げた。

「偉い神官やら魔導師が押し掛けてきて色々調べたが、原因を突き止められなかった」

 わたしは信じられない思いでアレックスを見つめる。

「ただし、人の手を加えれば塔の維持は可能だと判断された」

 わたしは質問を口にした。

「どうしてこんな重要なことが、大っぴらになってないんですか?」

 アレックスはため息を吐いた。

「この大陸では特に秘密でも何でもないんだが、大々的に発表はされてない。なぜかと言えば……、神の加護がこの地から離れたと人々に思われて、絶対的な信仰、延いては神王家の威信が揺らぐ可能性があるからだ」

 わたしは唖然として言葉が出なかった。

「救いがあるとすれば、塔の内部が何も変わっていないことだ。しかし外側の守りを固めるために、結界の役割を果たすものが必要だった。それがこのピラミッドだ」

 わたしは思わず心の中をそのまま口にした。

「ああ、なるほど! 最初見たときは奇抜過ぎる変な建物にかなり引いてしまったんですが、ちゃんとした意味があったんですねー」

 アレックスから苦笑が漏れる。

「ヒカル、塔を踏んでいることより、その言葉の方が問題だと思うぞ?」

 アレックスはため息を吐くと先を続けた。

「このピラミッドは人が作ったものだが、強力な術が掛けられている。人の気持ちを清めて安らげ、その清浄な人々の気を増幅して取り込み、結界を作り出すんだ」

 わたしは口を開いた。

「それって……、神術なんじゃ……」

 アレックスは大きく頷いた。

「その通りだ。人が集まれば集まるほど結界の効果は上がる。だからピラミッドは住居とし、空いた部分をオフィスにした」

 わたしは気になったことを質問した。

「それならどうして、ここを管理してるのが神殿じゃないんですか?」

 アレックスは苦笑した。

「ま、当然の疑問だな。ここは元々神王国の直轄地なんだ。前は神官を一人置いて挑戦者の管理をさせてたんだが、結界のために人手が必要になった。でも最寄りのダンブル大神殿は忙しくて手を回せない。それじゃあ、領主に任せてしまえって感じになったらしい」

 わたしは言葉を失くした。

「俺たちは塔とピラミッドの管理をする代わりに、ここをすべて無料で使わせてもらってる」

 わたしは何度か瞬いた。

「前の領主館(マナーハウス)もオフィスもかなり古くて維持費が高かったから、母さんは喜んで引き受けたらしいぞ。もし元の結界が戻ってピラミッドが不要になったら、そのまま住居としてヴェルデ家に下賜してくださるんだとよ」

 神王家にとってもヴェルデ家にとっても都合がよかったというわけか。

「なるほど……。うう、今すぐ塔に挑戦したい!」

 いきなり叫んだわたしにアレックスは面食らったようだ。

「急に何なんだ!? 意味が分からん!」

 わたしは素直に謝ることにした。

「あ、すみません。塔の管理のことを理解したら、やっぱり興味は塔自体に向いて、魔導師として早く挑戦したくて血が騒ぐというか何というか……」

 アレックスは聞こえよがしなため息を吐いた。

「あのなあ、まだ話は終わってないんだよ! 聞いて驚け! そのダンジョン部分を管理する部署の責任者が俺だ!」

 アレックスは胸を反らした。わたしは思わず(ひざまづ)く。

「アレックス様、どうかわたしをすぐにでもダンジョンに入れてください!」

 思いを込めた瞳で上目遣いにアレックスを見る。わたしが隠れなければならないのは、マイアに会わないようにするためだ。でも神官でなくなったマイアがダンジョンにくることはないだろう。ダンジョンだけなら問題ないのではないか。

「あー、……だめだだめだ! ピラミッドの外には出してやれない」

 わたしはがっくりと項垂れ、両手を床に突いた。世界に名を轟かす月影の塔がこのすぐ真下にあるのに行けないなんて……。

「アレックス、何やってるのかな?」

 底冷えがするような低い声が聞こえた。一気に体感気温が下がる。

「あ、ユート、アレックスさんは別に何もしてくれてないから」

 わたしはゆっくり立ち上がり膝の埃を払った。更に冷気が漂う。

「ヒカル、全然フォローになってないぞ?」

 アレックスは慌てて言うとユートから全速力で離れ、ビルの模型の裏側に隠れた。隣にきたユートは心配そうにわたしに訊いた。

「ヒカル、大丈夫?」

 わたしは頷いて言った。

「アレックスさんがわたしのお願いを聞いてくれなくて、心に大ダメージを受けただけだから大丈夫」

 ユートから今度は炎が立ち上るのが見えたような気がした。

「ひっ……」

 模型の向こう側から悲鳴が聞こえた。

「ダンジョンに向かおうと思えば、必ず1階のエントランスを通らないといけないんだぞ? 日曜以降ならいくらでも融通してやるが、そもそも土曜日まで外に出られないのはヒカルの都合じゃないのか?」

 アレックスは早口で言い切った。今度はわたしが逃げる場所を探して辺りを見回した。

「ヒカル、アレックスに我が儘を言ったの?」

 ユートの言葉は限りなく甘いが、背筋が凍るような響きがあった。

「……わたしはアレックスさんにお願いしただけだよ? ちゃんと反省したから日曜までは我慢する」

 逃げ場はないと諦めて、わたしはじっとユートを見つめて言った。

 はあ、と大きなため息が聞こえた。

「ヒカル……、もういいよ」

 ユートは肩を落として言った。模型の影からアレックスが戻ってくる。

「ユート、この時間は会議じゃないのか?」

 すっかりいつもの口調に戻ったアレックスが言う。ユートはもう一度ため息を吐いた。

「そうだね、ちゃんと仕事するよ」

 ユートが立ち去っていく。その背中からなぜか哀愁が漂っている気がした。

「さてヒカル、俺の寿命を縮めた償いをしてもらおうか?」

 ユートが完全にエントランスから出ていってから、アレックスが言った。わたしは無駄と知りつつまた逃げ場を探す。

「ユートがどれだけ強いか、知ってるな?」

 わたしは頷いた。フジミヤ家は本来ホムラ家に護衛として仕える一族だ。男児が生まれると、幼少の頃から徹底的に護衛術を叩き込まれる。

 護衛とは単に強いだけではなく、主を守ることを最優先にしなければならない。そのため戦闘能力だけでなく幅広い知識と情報収集能力、いざというときの決断力も要求される。

 ユートは容姿がずば抜けてよく、細身で言葉遣いも柔らかいが、それらはすべて相手の油断を誘うためのトラップとして利用している。本気で怒らせれば笑いながら人を殺すこともできるだろうとわたしは思っている。

「それが分かってて、あいつを煽るようなことを言うとは人が悪過ぎるぞ」

 わたしはホムラ家の家名を名乗らなくても、フジミヤ家にとっては護衛対象になるらしい。友人としてユートが側に置かれていたのは、将来わたしの専属護衛になることが決定していたからだ。

 15歳でユートがいなくなったとき、わたしは彼が護衛から外されたのだと思い動揺して傷付いた。なので昨日再会したときは本当に驚いた。

「ごめんなさい」

 わたしは素直に謝った。アレックスはしばらく沈黙したあと、軽くため息を吐いた。

「……そんなに可愛らしく謝られたら、許すしかないだろ?」

 アレックスはゆっくりわたしに近付いた。何をされるのかと身構えていると、わたしの頭を両手でぐちゃぐちゃにかき混ぜた。

「……なっ、……

ちょ……!」

 必死の抵抗もむなしく、わたしの頭は見事に鳥の巣と化した。

「その髪型、なかなかいいじゃないか」

 アレックスが愉快そうに笑って言ったとき、出て行った筈のユートの声が響いた。

「緊急事態だよ! すぐに領主館の母さんの書斎に集合だって!」

 ユートはわたしのところまでくると、急に手を掴んで走り始めた。わたしは引きずられるようについていく。

「アレックスも呆けてる場合じゃないよ! ほら早く!」

 ユートは背後に声をかけた。


 書斎で待っていたのは、クレアと秘書のフロリアの二人だった。全員が揃うとクレアが口を開く。

「急に集まってもらって悪かったわね。実は午後に緊急の用件でどなたかは分からないのだけど、神王家の方がいらっしゃることになったの」

 誰も口を開かないが、周囲に動揺が走るのを感じた。

「ヒカル、あなた何かやらかした?」

 わたしは虚を衝かれて固まりかける。でも、領主一族でもないわたしが、この場に同席している意味は……。

「心当たりは全くありませ……ん?」

 言い切ろうとしたとき、わたしの脳裏に浮かんだのはレイのことだった。彼は神王家の血筋らしいが、それだけで神王家の人がわざわざ訪ねてくるだろうか。

「どっちなの?」

 クレアの言葉に苛立ちが混じる。さすが領主というべきか、声を荒げてもいないのに迫力があった。

 どう答えたものかと迷っていると、タイミングよくノックの音がした。

「ダンブル大神殿より、上級神官のフィル様が到着されました」

 黒髪の神官が入ってくると、わたしは神に深く感謝した。醸し出す雰囲気から考えても、昨日駅で別れたフィルに間違いないだろう。フィルは優雅に一礼した。

「今日の午後こちらにこられるのは、神王国王太子のミルフィオール様です」

 これには全員が驚愕のあまり息を呑んだ。



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