9 箱入り娘
結局予定されていたこの日の夕食会は中止になった。わたしの腫れた目とユートの赤い鼻を見てクレアが決めたのだ。
わたしの部屋に3人分の夕食を運んでもらい、クレアとユートと共に夕食を食べる。食事は豪華だけれど、ユートと再会してから頭が混乱してあまり味が分からなかった。
「まだ15歳のリアンならともかく、あなたがそんなに考えなしだとは思わなかったわ」
クレアの言葉に、ユートは黙ったまま答えない。鼻血は止まったようだが、鼻には絆創膏が貼られていた。
「ヒカル、最初にユートのことを話さなくてごめんなさいね。いくらなんでも、こんなに早く帰ってくるとは思わなかったのよ」
クレアの説明によると、今回の転位でわたしが西大陸に渡ることを知っていたユートは、各方面に網を張り巡らせ最終的にわたしが領主館に行き着くように仕組んだのだという。当然ヴェルデ家の人たちには最初から話が回っていて、初対面のわたしを何の躊躇もなく受け入れてくれたという次第だ。
「ユートはヒカルのことを婚約者だって言ってたのよ。でもキスで泣かれるなんて、絶対に違うわよね?」
わたしは即答した。
「違います! ユートはわたしと仲良くしてくれたたった一人の友達です」
父のフータはフジミヤ家の長男で、わたしはフジミヤ本家で暮らしていた。敷地が広くいくつもの建物があったが、わたしはその中で一番奥まった場所にある離れに住んでいた。親戚の集まりがあっても参加を許されず、いとこたちに会うこともなかった。
そんな中わたしが8歳か9歳の頃、父が突然ユートを連れてきた。でも同じ年頃の子供と遊んだ経験がなかったわたしは戸惑った。どうせなら女の子の方がいいと我が儘も言った。
ユートは同じ年齢なのにそんなわたしに腹を立てず、いつも優しく接してくれた。単純なものでわたしはすぐにユートを好きになったが、ユートはわたしとの間に一線を引いているように感じることもあり少し寂しかった。
年に数回ユートに会えるのがとても楽しみだった。15歳の時突然ユートはもう会いにこないと聞かされて、小さい子供のように大泣きした。たった一人の友達が別れも告げずにいなくなって深く傷付いた。
「……」
クレアは食事の手を止めてわたしを見た後、少し考えるように下を向いた。
「ほんと、ヒカルは箱入り娘だよね。最低限の使用人と家族以外は、絶対に近付けないようになってたんだから」
食事を始めてから初めてユートが口を開いた。わたしは驚いてユートを見る。
「それ、どういう意味?」
ユートは深々とため息を吐いた。
「フータおじさんも本家の人たちも、ヒカルが危険な目に遭わないように接触する人物を厳しくチェックしてたんだよ」
わたしは呆然とした。ずっと不要な外出を禁じられていたのは、わたしがフジミヤ家の人たちに疎まれているからだと思っていた。でもユートの言葉が正しければ全く反対の意味になる。
「それ、ほんと?」
わたしは半信半疑で訊ねた。ユートの言葉を信じたいが長年の思い込みはそう簡単に覆せない。
「もちろんほんとだよ。どうしてそこまでしないといけないのか、みんなその理由を話せなかったから何も言わずにただヒカルを囲い込むしかなかったんだ」
わたしは激しく動揺した。祓いをしていたときを除いて、神殿通い以外の外出はほとんど許されなかった。神殿には一人で行くこともあったが、見えないところに監視兼護衛係が複数いると聞いていた。それほど危険なのだとしたら一体わたしは何なのだろう。
「ヒカル、そんな真っ青な顔しないで。俺からもちゃんとした理由は話せないけど、一つだけ言っていいって言われてることがある」
ユートは優しい口調で言った。
「ヒカルはね、お姫様なんだよ」
ますます意味が分からなくてわたしは混乱する。何度か呼吸を繰り返す間に何とか気持ちを落ち着けて訊いた。
「わたしが守られていた本当の理由を、いつか教えてもらえるの?」
不安でいつの間にか顔を伏せていた。せり上がってくる涙をこらえて、ぐっと両手を握り締める。
と、温かいものが体を包んだ。いつの間にか隣に移動してきたクレアに、ふわりと抱き締められていたのだ。胸が熱くなり、また涙腺の危機が訪れる。
「ヒカルが一人前の魔導師になったら、ホムラ家の人が教えてくれる筈だよ。それからこの西大陸では、フジミヤ家の人たちが警戒していた危険はないと思う。18歳になったら他大陸で経験を積まないといけない、って言うのはヒカルを危険な東大陸から遠ざけるための嘘だからね」
わたしは驚いて顔を上げた。
「ヒカルのおじいさんやおばあさんは、不自由な生活をさせているのをとても心苦しく思ってたんだよ」
わたしの胸に温かいものが広がり、凍り付いた心の一部を解かしていった。嫌われていると思い込んでいた自分の浅はかさが嫌になる。
「ヒカルはもう私の家族よ。何かあったらいつでも頼ってちょうだい」
わたしを抱き締めたままクレアは言った。
「ありがとうございます。魔導師として頑張る前に、最初はこの街や島について勉強します」
ユートはくすりと笑った。
「ヒカルは真面目だね。自由になったんだから、まずは好きなだけ遊べばいいのに……って1週間は外出禁止なんだって?」
わたしは頷いた。
「うん、理由は話せないけどね」
ユートは深く追及してはこなかった。
「ふうん……気になるけど仕方ないかな。じゃあ、明日俺がピラミッド部分を案内してあげるよ」
わたしが返事をしようとすると、クレアが先に口を開いた。
「だめよ、ヒカルの案内係はアレックスに任せてあるもの。ユートにはぴったりの仕事を用意してあるから、そっちをよろしくね」
クレアはそっとわたしを離した。
「それじゃあ、わたしたちは行くわね。明日の朝8時にアレックスにここにこさせるから、用意して待っててね。おやすみ」
クレアはユートを引きずって出て行った。
「おやすみなさい」
わたしは二人の背中に向かって言った。
静かになった部屋には、二人の余韻が残っていた。ローテーブルの上には、まだ食べかけの食事が並んでいる。
クレアはわたしが一人になれるように、気を配ってくれたのだと思う。クレアに抱き締められて、母親の温もりというものを垣間見た気がした。
寝室に入りパジャマに着替えてベッドに横になる。柔らか過ぎない快適なベッドは、心までほぐしてくれそうだった。
「おやすみなさい……」
誰もいない空間に声を投げて、わたしは静かに目を閉じた。
ディーンドーン、ディーンドーン……。
わたしは大音響で飛び起きた。鐘の音のようだが、大き過ぎて建物ごと振動しているように感じる。ベッドサイドに置いた腕時計を見ると、ちょうど午前7時だった。音の正体が知りたくて、居間からバルコニーに足を踏み出した。
「おわっ!」
一面真っ白な世界だった。水音がすることから雨が降っているのが分かる。わたしはバルコニーの柵から右手を出して白いものをかき混ぜた。
しっとりした感覚の合間に、時折ぽつぽつと雨が当たる。わたしは納得して手を引っ込めた。
想像を絶するほど高い建物なので、雲にすっぽりと覆われているのだ。下を覗いてみたが何も見えなかった。
「……」
先程の鐘の音は外からは聞こえないが、開け放たれた窓の内側でまだ続いていた。
「あれ? おはよう」
明るく声を掛けられて振り向くと、そこにいたのはリアンだった。昨日のうちに領主一家の声と雰囲気は脳内に刻み付けたので間違いない。白い雲の中に浮かぶ銀髪の少年は、妖精のように見えた。
「リアンさん、おはようございます。あの、どこからきたんですか?」
リアンは制服のようなものを着て鞄を持っている。
「ここのバルコニーは、仕切りなしでぐるっと一周できるんだよ。俺は今から学校に行くから、外に出てきたんだ」
昨日の風術での移動を思い出し、わたしは一歩下がった。
「ええと……昨日はごめんね。もう急にはしないから、安心して?」
リアンの軽い口調が、何だか安心できなかった。わたしは居間に向かって移動する。
「ええっと、学校行ってらっしゃい」
わたしは部屋に入ると窓をぴしゃりと閉めた。リアンが何か言っているのが窓越しに聞こえたが、カーテンも閉めて視界を塞いだ。
鐘の音はもう止まっていた。わたしはソファに座り一息吐く。昨夜ローテーブルに並んでいた食事はいつの間にか綺麗に片付けられていた。
立ち上がって大きく伸びをする。気を取り直して朝の支度を始めた。
8時ちょうどにわたしの部屋にやってきたアレックスは、開口一番にこう訊いた。
「おはよう、鐘の音、びっくりしなかったか?」
アレックスによると、あの鐘はエール地方庁職員寮と領主館で平日の朝7時に鳴り響く起床用の鐘だそうだ。
「びっくりしましたけど、おかげで完全に目が覚めましたよ?」
わたしが不満を込めて言うと、アレックスは笑い飛ばした。
「そのうち慣れるから諦めろ。それより食事に行くぞ」
アレックスに連れられてきたのは、職員寮にある大きな食堂だった。テーブルが延々と並び、壁際の棚には花がふんだんに飾られている。
「普段は領主館の小食堂で食べるんだが、今日はセレモニーがあるから特別だ」
たくさん食べ物の大皿が並べられた場所にきた。ここはビュッフェ形式のようだ。美味しそうな匂いが空腹を刺激する。よく考えてみれば、昨日はあまり夕食を食べていないのだ。
「好きなものを好きなだけ取っていいぞ」
アレックスは言った。わたしはトレイに仕切りの付いたプレートを載せて、料理を覗き込んでみる。
いくつか見て回って、肩を落とした。何の料理があるのか分からないのだ。黄色いもの、緑の野菜っぽいもの、赤いもの、分かるのはそれくらいだ。
「どうした? 遠慮しなくていいんだぞ」
プレートの上にたくさん料理を載せたアレックスが戻ってきた。
「すみません。何の料理なのかが見えにくくて分からないんです……」
アレックスが息を呑んだ。
「悪い、一緒に回ってやるから許してくれ」
アレックスは近くにいた食堂スタッフに自分のトレイを預けると、わたしのトレイを持ってくれた。
「初めてだから、全部の料理を説明してやるぞ。さあ、行こう」
アレックスはなぜか嬉しそうに、わたしの前に立って歩き始めた。




