俺んちの幽霊がこんなに可愛いわけがない
世の中にはいる――人ならざるものが。
そいつらは時に人を脅かし、時に人を呪い、そして時には人を殺す。
昔から恐れられてきたために、無害な幽霊ですらも、清めの塩で払われたりもしたんじゃねえかな。まぁ実際うちの近くにある神社とか幽霊いすぎてヤバイ。近くに行くだけでうなされる。
「ユキ、ユキ」
……なんでうなされるんだよ、って?
もちろんそりゃ俺が見える人だからに決まってるだろ。
もうばっちりこれ以上ないくれー見えるぜ? おまけに触れるときてるし。
お前の後ろにいる、髪のながぁーい女の人とかな。……冗談。いねぇーよ。守護霊はついてるけどな。良かったじゃねえか、大事にしてやんな。一般ピーポーの目には見えなくとも、自分を常に守ってくれている存在なんだ、感謝を忘れちゃいけねぇ。
「ユキ、無視するつもりかしら?」
で、まぁ、何だ。
守護霊に感謝しろとは言ったけれども、別にそこら辺にいる幽霊には感謝しなくていいからな。
今俺の後ろにいるやかましいこいつとか。
「ユキ、私はお腹が空いたのだけれど。ご飯が食べたいのだけれど」
「うるせぇ黙ってろ! それと俺は雪って書いて【そそぎ】って読むんだよ! しかも雪は苗字だっつーの!」
「ふーん……?」
こうして反応すると、また小一時間くらいこいつとのお喋り(とは言っても俺は話を一方的に聞いているだけだが)に付き合わされるんだよなぁ。
「飯、作るか……つってもお前人間のは食えないだろ」
「だからユキの魂を頂くんでしょう?」
「うるせぇ盛り塩すんぞ」
言いながら立ち上がると、全身に鈍い痛みが走る。
最近はどうにも運動をしていないせいか、体がなまってきているのかもしれない。
「っ、とと……」
「大丈夫?」
俺の魂を喰うとか抜かす女郎が咄嗟に反応したので、そのまま体を支えてもらう。
「すまん、助かった」
「どういたしまして。……ふふ」
「ニヤケてんじゃねーよ……」
騒がしい毎日だが、俺はこいつのこと意外と嫌いじゃない。
まぁ口が裂けても本人には言わないつもりだけども、これでは俺は結構こいつのことを可愛がっていたりするのだ。一人暮らしというただでさえ寂しい環境に加え、高三にもなって彼女の一人もいないという経歴も原因していたりするのだろうが。
いけね、さっさと飯作るか。
「ユキ、早くしなさい」
「だーかーらー、俺は【そそぎ】だっつってんべや!」
フライパンに油を敷きながら、俺はこいつと出会ったあの日のことを静かに思い出す。
俺が両親を早くに事故で亡くして以来、俺はこのおんぼろアパートの中でも五指には入るおんぼろ部屋を借りて生活している。
母と父の遺産は莫大なものであったが、決してそれは俺を幸せにはしなかった。
むしろ、両親が亡くなったことに関しては、俺の中途半端な霊能力のせいで悪霊どもまで惹きつけてしまったこちらに非がある。
なにも、俺だけ生かさなくても良かったじゃないか。
当時の俺はそんなことばかりを考えていた。
とりあえず父と母との思い出が遺る一軒家には到底住めそうになかった(最初の方は頑張っていたのだが、夜中になると悪夢でうなされた)ので、親戚一同に無理を言ってこのアパートの一室を借りることにしたのだ。
安ければどこでも良いと思っていたから、詳しくその部屋のことなんて調べずに入居したのだ。
鍵を大家さんからもらい、玄関のドアを開けて、今日からここが俺の家か……! と柄にもなく感動しながら部屋を見て回り、そしてベランダに――この女幽霊こと、【詩】が体操座りで負のオーラを醸し出していた。
黒ロングで、見つめていると吸い込まれそうなほどの黒い瞳、通った鼻筋、白磁のように真っ白な肌。赤く濡れた唇。
そんな、深窓の令嬢という表現がぴったりである少女こと詩は俺を見るなり大泣きして、飛びついてきたのだ。
本人曰く、「寂しかったんだよ」とのこと。
ネットで調べてみると、すぐにヒットした。どうやらベランダから飛び降り自殺したそうで、亡くなった時に18歳だったそうだから、今の俺と同い年だ。ちなみに俺が入居したのは詩が亡くなってから二日後のことである。
入居した時は確か15だったから、詩のほうが年上だったんだっけな。
――それから、俺は二年と少しを詩と過ごした。一緒に過ごし始めてからの数週間は、もう死ななくてもいいというのに、こいつは何度も飛び降りていた。やはり死ねずに、俺にしか見えない赤い液体を撒き散らして地面に這いつくばる。そして何分か経つとまた飛び降りる。
終わりのない苦痛を、こいつは自分が死んだことすらよく理解せずに味わい続けていたのだった。
俺はそんな詩を説得し、説得し、説得し続けて、詩が4949回目の自殺(回数は本人談)を実行しようとした時に、ようやく詩を止めることに成功した。
もはや世界に絶望し、何もかもを投げ捨てていた詩を説得するのは困難を極めたが、俺は何とか根強く詩を説得して、自殺を止めさせたのだった。
その時に詩が言った、
「どうして? 私が死んでも何も困らないでしょ? あなたが私を必要とするの? 私の痛みを、辛さを、徒労を、不運を、罰を、偽善を、偽悪を、風評を、被害を――理解してくれるの?」
という言葉は、今でも目を瞑れば鮮明に思い出せる。
俺は何と言ったんだっけ。
思い出せないな。
まぁ、それは置いといて。
とにかく、俺が詩の自殺を止めたその日から、こいつは俺にべったりになってしまった。しかし、決して依存されているというわけではなく、離れろと言えば離れる(ゴネるが)。
そうして、そんな詩の姿に、両親を失って冷え切っていた俺の心も、だんだんと温められていったのだ。
今ではこうして一緒に過ごせることを嬉しくすら思う。
詩の笑顔を見ている時だけ、俺は霊を見ることが出来て良かったと、心の底から思える。
「どうしたの? ぼけーっとして。みっともなく口が開いているわ」
「お、おう。すまん」
いつの間にか横にいた詩に開口していることを注意される。
「全く。ぼーっとしてるとキスするわよ」
「うるせー」
何だか今日は機嫌がいいな。普段なら滅多にこんなこと言わないんだけど。
詩の言葉に少し怪しいものを感じつつ、俺はチャーハンを食卓に置く。
冷蔵庫から出したペットボトルのお茶を、コップに注ぎ、これもまた食卓に置く。コトリ、と音がいやに響く。
合掌して「いただきます」したあと、まずは一口チャーハンを食べる。我ながら美味し。
「……ねぇ、ユキ。知っているかしら」
「なにを」
「幽霊は、肉体がないだけで、きちんと魂は存在しているの。肉体さえあれば、また蘇ることも可能なんですって」
ほほお。
それは面白いことを聞いたな。でも、もう詩の遺体はとうに火葬されているはずだろうに。
「でも私には体がない」
脳裏に痛みがじわじわと広がっていく。真っ白なハンカチに一滴の血液を垂らしたかのように。
「だから、ユキ、体を貸して?
大丈夫よ、ユキの自我を消したりなんてしないわ。私と一つになりましょう?」
お前はなにを言っているんだ……?
そんなこと出来るわけないじゃないか。
「ふふ、何言ってるのかわからない、って顔してるわね――。
でもダメよ。ダメ。許さないわ。明日になればユキはまた学校に行って、数多の女の視線に晒されるのよね。人間社会で毒されたユキなんて見たくないわ。あいつらはクズ。ゴミ。幽霊になってようやく知ったの。私は自分しか殺さない。でもあのクズたちは生きるためだけにたくさんの動植物を殺すわ。時には同じ人間でさえ、自らのエゴのために殺すの。ユキにはそんな存在でいて欲しくないのよ。ユキが私以外の女と付き合うなんてことになったら、私、どうなってしまうかわからないの。……重いかしら? でも、そう思うんだったら――
詩は、そこで言葉を発するのを止めた。
驚きで動けなかった俺の体に抱きついてきて、詩は、俺に――キスをした。俺にしか触れられなくても、そこには確かに冷たい温もりが存在している。
「――私に惚れられたユキが悪いんだから、責任をとってもらうわ。ふふっ。このキスももう、4949回目ね。大好きよ。愛してる。ユキだけいればいいの」
何度も、何度も、耳許で愛を囁かれながら、抱きしめられる。
詩の愛の言葉は俺の心の深いところまで、まるで虫のようにするりと入り込んでできた。
体感したことがないほどの快楽を味わう一方で、体には痛みが走っている。
飯を作る前に感じた時のような、鈍い痛みだ。
あぁ、でも、もう、そんなこともわからないくらい俺の意識は混濁している。俺と詩が混じり合って、人間と幽霊としての境界線も快楽に流されて消え去る。
ずぶ、ずぶ。
詩の魂が、俺の体の中に入ってくる。体の中に、詩を感じる。
頭の中で、とろけそうになるくらいに甘い響きで、詩が語りかけてくる。
「ほら、私とユキは、ずーっと、ずーっと一緒よ。もう誰にも私たちの愛を邪魔することは出来ない。……ベランダに出ましょう?」
俺は、自分ではない誰かに体を操られるようにして立ち上がり、ベランダに向かって歩きだした。
「愛してる」
ベランダまであと四歩――体は恐ろしいほどに軽い。
「愛シテル」
ベランダまであと三歩――視界はもうまともではない。
「愛シテル」
ベランダまであと二歩――窓から見える人間どもはとても汚い。クズだ。
「愛死てる」
ベランダまであと一歩――こんな汚い人間どもと、俺は一緒に過ごしていたのか。
「愛死テル」
ベランダの窓を開けて、外に裸足のまま出る。
八月だというのに、夜風はとても涼しい。
「ユキ、こっちよ?」
見れば、ベランダの向こうで詩が手を降っている。危ねーぞ、そんなところにいたら。また落ちるんだぞ?
詩に右手を伸ばす。
「ありがとう、ユキ。すぐに地面まで落ちるわ――私、重い女だから。ふふっ」
伸ばした右手はそのまま、詩に引っ張られて、俺はベランダの向こうへと体を踊らせた。ダンスを踊っているみたいだった。
グシャリ。
「ふふ……あはははははははははははははははハハはははははははははハっははははははははははははははッハハハハハハハははははは!!」
世の中にはいる――人ならざるものが。
そいつらは時に人を脅かし、時に人を呪い、そして時には人を殺す。
昔から恐れられてきたために、無害な幽霊ですらも、清めの塩で払われたりもしたんじゃねえかな。まぁ実際うちの近くにある神社とか幽霊いすぎてヤバイ。近くに行くだけでうなされる。
「ユキ、ユキ」
……なんでうなされるんだよ、って?
もちろんそりゃ俺が見える人だからに決まってるだろ。
もうばっちりこれ以上ないくれー見えるぜ? おまけに触れるときてるし。
お前の後ろにいる、髪のながぁーい女の人とかな。……冗談。いねぇーよ。守護霊はついてるけどな。良かったじゃねえか、大事にしてやんな。一般ピーポーの目には見えなくとも、自分を常に守ってくれている存在なんだ、感謝を忘れちゃいけねぇ。
「ユキ、無視するつもりかしら?」
で、まぁ、何だ。
守護霊に感謝しろとは言ったけれども、別にそこら辺にいる幽霊には感謝しなくていいからな。
今俺の後ろにいるやかましいこいつとか。
「ユキ、私はお腹が空いたのだけれど。ご飯が食べたいのだけれど」
「うるせぇ黙ってろ! それと俺は雪って書いて【そそぎ】って読むんだよ! しかも雪は苗字だっつーの!」
「ふーん……?」
こうして反応すると、また小一時間くらいこいつとのお喋り(とは言っても俺は話を一方的に聞いているだけだが)に付き合わされるんだよなぁ。
「飯、作るか……つってもお前人間のは食えないだろ」
「だからユキの魂を頂くんでしょう?」
「うるせぇ盛り塩すんぞ」
言いながら立ち上がると、全身に鈍い痛みが走る。
最近はどうにも運動をしていないせいか、体がなまってきているのかもしれない。
「っ、とと……」
「大丈夫?」
俺の魂を喰うとか抜かす女郎が咄嗟に反応したので、そのまま体を支えてもらう。
「すまん、助かった」
「どういたしまして。……ふふ」
「ニヤケてんじゃねーよ……」
騒がしい毎日だが、俺はこいつのこと意外と嫌いじゃない。
まぁ口が裂けても本人には言わないつもりだけども、これでは俺は結構こいつのことを可愛がっていたりするのだ。一人暮らしというただでさえ寂しい環境に加え、高三にもなって彼女の一人もいないという経歴も原因していたりするのだろうが。
いけね、さっさと飯作るか。
「ユキ、早くしなさい」
「だーかーらー、俺は【そそぎ】だっつってんべや!」
フライパンに油を敷きながら、俺はこいつと出会ったあの日のことを静かに思い出す。
後ろで詩が艶やかな笑みを浮かべていることを、俺は未来永劫に知らない。