本当に怖いのは
僕には生まれつき霊感がある。他人には見えない幽霊が、僕には見えるのだ。幽霊と言っても他の人間と同じように街中で暮らしていて、彼らは服も着てるし足だってちゃんとある。たまに怪我をしていたり痛々しい傷跡が剥き出しの幽霊もいるが、大抵の幽霊は僕らと姿形はなんら変わらず、誰にも気づかれることなくただそこに存在していた。
僕に霊感があると気がついたのは小学校に上がった時だ。ある朝僕が登校していると、校門の前に和服を着た一人の女性がいることに気がついた。女性と目が合ったので、帽子を取って挨拶を交わして通り過ぎた。僕は最初普通に生きている人間が立っていると思っていたのだ。
だけどよくよく観察してみると、登校してくる友達やほかの生徒たちがみんな和服の女性を素通りしていることに気がついた。彼らはその女性に全く気がついていなかったのだ。その時僕は、自分だけに見える存在がこの世にいることを知った。
小学校も中学年になると、僕は幽霊がいる生活にすっかり慣れきってしまった。霊感のない人には見えないというだけで、彼らが僕を夜な夜な脅かしたり、何らかの害を及ぼすということもない。そこで僕はある日幽霊に話しかけてみることにした。見えているのだから、話しかけられないハズはない。そう思っていた。
丁度僕の通う学校の屋上に、看護婦と車椅子の少女の幽霊がいつも居た。彼女たちはいつも隅っこの方で僕達がドッジボールをしたりして遊ぶのを眺めていた。僕は二人に話しかけてみることにした。
「こんにちは」
放課後の屋上で、彼女たちにわざと気がついてないフリをして近づき、真横に立っていきなり声をかけた。二人は驚いたように悲鳴をあげた。その驚き様を見て、僕は妙な満足感を覚えた。一般的に人を驚かせる存在であるはずの幽霊を、僕が逆に驚かせているのが愉快で堪らなかった。
「ごめんなさい、こんなに驚くなんて…。実は僕、貴方たちの姿が見えるんです。あの、いつもここにいるから、話しかけてみようと思って」
「まぁ…そうなの。嗚呼吃驚した…」
そう言って看護婦さんは胸を撫でおろした。車椅子の少女の幽霊は、まだ目を白黒させていた。よく見ると彼女は僕と同い年くらいで、とても可愛らしい顔立ちをしていた。少女の透き通るような青白い肌に、僕は不思議と胸が高鳴った。
「ねえ、君名前なんていうの?」
「…優希」
「へえ…」
「貴方は?」
「僕は…僕も佑樹っていうんだ。多分漢字が違うけど」
「なにそれ?へんなの…」
そう言って彼女はようやくそれまでの警戒心を解き、可笑しそうに笑ってくれた。それが彼女が僕に初めて見せてくれた笑顔だった。それから僕はその日暗くなるまで屋上で二人と話し込んだ。二人もしばらく誰かとこんなに話す機会などなかったようで、とても嬉しそうに色んなことを話してくれた。
だけど太陽がビルの向こうにその顔をほぼ埋めてしまった頃、看護婦さんが突然立ち上がり僕を引っ張り上げた。あまりに突然のことだったので、今度は僕が悲鳴を上げる番だった。
「な…なんだよ!?」
「いいから帰りなさい。太陽が完全に沈みきってしまう前に」
看護婦さんはさっきとはうってかわって、キツい口調で僕に話しかけた。本当はもっと優希ちゃんと一緒に居たかったけれど、その剣幕に僕は従わざるを得なかった。仕方なく僕は屋上の扉に手をかけた。
「吃驚したなぁもう…幽霊の世界に連れて行かれるんじゃないかと思ったよ」
「………」
帰り際、そう言って僕はおどけて見せたが、生憎返事はなかった。無表情で静かに僕を見つめる二人に、僕は初めて幽霊というものに寒気を覚えた。
「佑樹くん、最近よく屋上で変な動きしてるけど、アレ一体何してるの?」
友達の質問に、僕は笑って首を振るだけだった。彼らに見えていないものを説明するのは難しい。それは僕が霊感を持って感じたことだった。あれから僕はほぼ毎日、彼女たちに会いに屋上に上がっていた。二人も僕とすっかり仲良くなり、僕が顔を出すと笑顔を見せてくれるようにまでなった。ドッジボールの最中に誰もいない隅っこの方に手を振る僕を、同級生たちは怪訝そうに眺めた。
だからといって僕はみんなに自分には霊感があるだとか、あそこには看護婦さんと車椅子の少女の幽霊がいるんだと話すことは決してなかった。それが看護婦さんとの約束だったのだ。
「絶対に私たちのことを軽々しく口外してはいけません」
「なんで?」
「それは私たちが、普通の人には見えないからです。佑樹くんを守るためでもあるんですよ」
そう言って看護婦さんは僕に厳しい目を向けた。看護婦さんは普段は優しくて、僕はまるでお母さんのように感じていた。だけど時々本当に、お母さんのように僕に厳しく接する時がある。
その時、僕にはまだ看護婦さんの言葉の意味が良くわからなかった。霊感があるということで、時に白い目で見られたりするというのを知るのはまだ先の話だった。それでも約束を守ったのは、車椅子の少女…優希ちゃんの存在を僕だけの秘密にしたいという気持ちもちょっぴりあったからだ。その時、僕にはまだその気持ちの意味が良く分からなかったけれど。
そして中学に上がる時、とうとう僕は二人とお別れする時が来た。卒業式が終わると僕は真っ先に屋上へと向かった。看護婦さんも優希ちゃんも、おめでとう、と優しい笑顔を僕に向けてくれた。
僕はさっきまで何のためにわざわざ式をやるのかさえ分からなかったけれど、それだけで卒業して良かったと思った。お別れの時、優希ちゃんは最後に僕に飴玉をプレゼントしてくれた。彼女のひんやりとした手に触れた瞬間僕は顔が真っ赤になってしまって、看護婦さんはそれを見てクスクス笑っていた。
「また会いに来るよ!絶対!」
屋上から出て行く際、そう言って僕は振り返って二人に手を振った。生憎返事はなかった。だけど今度は、無表情じゃなかった。吹き荒れる三月の風に、僕は寒気を覚えてニヤニヤ笑った。
「おいちょっと…」
屋上をあとにして下にいた友達の輪に戻ると、そのうちの一人の田中が校舎の片隅に僕を引っ張り込んだ。田中は何やら神妙な面持ちでヒソヒソと僕に話しかけてきた。
「お前さっき、屋上で幽霊と話してたろ?」
「えっ?」
僕は驚いた。僕以外にも幽霊が見えるやつがいたなんて。田中はクラスでも屋上でも全然そんな素振りさえしてなかったはずだ。田中は眉を潜めた。
「あのな…幽霊が見えちゃマズイんだよ」
そう言って彼は言葉を濁した。
何故なら幽霊は、霊感のある人だけに見える特殊な存在…ではなくて、みんなにも見えてるんだけど敢えて見えないふりをされている人間なのだから、と。
「どういうこと?」
僕は田中の言葉の意味が分からなかった。田中にもうまく説明できないようだった。
「お前が屋上で車椅子の女の子と看護婦さんに話しかけてるのは知ってる。みんな目撃してる」
「だったら何で、気づいてないふりなんてしてたんだ?」
彼の告白に僕はまたしても驚いた。みんな目撃してるだって?誰も彼女たちを認識してなかったはずだ。まさか全員に見えていたなんて。まさかクラス全員が霊感の持ち主だったのか…?「そうじゃない」、と彼は目を逸らした。
そして聞かされた。要するに、街中で見えない「ふり」をされている人たちは幽霊なんかじゃなくて、何らかの理由で―…社会の規範を大きく乱したとか、輪の中に収まりきれない性格とか、生まれた土地柄とか…―敢えてこの街全員に村八分状態にされた、「生きた人間」だったという訳だ。
「じゃあ、彼らは生きてる…?」
混乱する頭の片隅で、僕は妙に納得した。道理で彼らは普通の人達と同じように見えていたわけだ。だってその正体は普通の人達だったんだから。
「もう幽霊と関わるなよ…?」
そう囁くと、田中は薄気味悪そうに僕を見て、逃げるようにみんなの元へと帰っていった。一人残された僕は友達のところに戻らず、急いで屋上へと走った。勢いよく扉を開けると、そこにはもう誰もいなかった。優しいお母さんのような看護婦さんも、車椅子の可愛らしい少女も、まるで幽霊みたいにそこから消えていた。
帰り道、僕は言いようもない寒気に襲われて、思わずポケットに手を突っ込んだ。右手に何か感触がある。取り出してみると、先ほどもらった飴玉だった。実態のある飴玉だ。僕はそれを口に放り込んだ。
お返しは何がいいだろうか?彼女にお礼を言わなくっちゃあ。たとえ彼女が幽霊で、他の誰にも見えなくっても、僕には生まれつき霊感がある。他人には見えない幽霊が、僕には見えるのだ。幽霊と言っても他の人間と同じように街中で暮らしていて、彼らは服も着てるし足だってちゃんとある。