草野球カップ2回戦・東根チェリーズ戦(後編)
「よし、よく無失点で凌いだ。あと3イニング、全力を尽くして戦いましょう」
「はい!」
「じゃーはい…、追加点とるぞ!!」
「おー!!」
「1ボールピッチ!」
「ボールバック! セカン行くで」
―この回は香夏から…。そうか、大将に廻るのか…。試合も後半戦に入ってきたし、代打でも良いかもしれん…。しかし大将は打撃が良いから代えるなら打たせて交代という手もある。ただこの状況で代えるべきか…。4回55球で来てるピッチャーを代えるわけにもいかんしな4点差だし…。ウチがあと2点、2桁得点を入れたら大将を5回で降ろすことも考えよう。
「兄貴」
「ん?」
「ランナー有りで廻すから…、一振りで試合決めちゃって良いよ」
「ああ…。だったらマサ、ちゃんと繋げよ」
「わかった」
3回裏の大将のメンタルを考えれば随分落ち着いている。もう感情的になる心配はない―錦は大将の落ち着きを見て、安心した。
「この回はまたアイツとの勝負や…」
「ああ…」
マウンド上ではNCバッテリーが2人揃って1塁側ベンチ前にいる錦を注視していた。
「何とか、ランナー無しで廻そな」
「うん。それと関川、度々注文して申し訳ないけど」
「えっ?」
『5回の表、東根チェリーズの攻撃は―8番 ショート 香夏』
『4点をリードする東根チェリーズはこの回は8番の香夏から。この回で確実に4巡目に入ります』
『残り3イニングですから、N'Carsとしては極力失点を抑えて反撃に繋げたいですね』
「プレイ!」
「さあ先頭出るよー!」
「守り良かったんだから繋げてこー!」
―ん?
パシッ。
―?
「ストライーク!」
『あっ…と、この回アンダースローから初球を投じました』
―え?
「いやいや甘い球なら振りなよ」
「フォームじゃなくてボールに集中しなよ」
錦と大将が続けざまに打席の香夏に指摘する。
『山下さんこれは…』
『多分目先を変えるためと思いますが…、前の回からカーブを使い始めたことといい、色々試行錯誤しているような感じです』
キィーン!
『2球目の甘い球をレフトへ!』
「俊和!」
―よしここ…、あっ!
『あっと目測を誤ったか!?』
ポーン!
―げ。
『抜かれたー!』
「やったぁ!」
「廻れ廻れー!」
『バッターランナーは1塁を蹴って2塁へ到達! ボールは中継の内野でストップ! 記録はツーベースヒット!!』
「香夏ナイスバッティング!!」
―よし…。希望通りの展開になった。
『レフトの桜場、定位置から左中間の後方へと追っていったんですが…』
『それ以上に打球が伸びましたかねぇ、目測を誤り抜かれてしまいました』
「俊和ドンマイ! 気にせんでええからな!」
「うん」
グローブを高く挙げてとりあえず返事。
『9番 ピッチャー 佐藤 大将』
『ラストバッターのエース・佐藤 大将。繋いで今日当たっている1・2番に廻せるか』
―ランナー2塁。進塁打でもOK。よし…。
―ランナー2塁でクイックも速くない。走らせるか…。ただ関川が強肩だし、左バッターじゃ難しいか。打撃の良い大将だし、打たせよう。
―コイツさバントはさせねな。5回で4点もリードしていて送りバントさせるまでもねぇ。バッティング良いっけし、自由に打たして後続さ廻したほうが良い。
『セットポジションから…、続けてアンダースローだ』
キィン!
『ファーストゴロ…』
バシッ!
「あっ」
『あっと前にこぼしたが…』
「間に合う間に合う!」
『大丈夫です。すぐに拾って、1塁を踏みます』
「アウト!」
『1アウト3塁。進塁打という形になってチャンスを広げました東根チェリーズです』
「約束通り兄貴の前にランナー有りで廻したからな、頼むぞ!」
「わかった。任しとけ」
『1番 レフト 佐藤 錦』
『さあこのチャンスに当たっている1・2番に廻ります』
『東根チェリーズにとっては期待のバッターが続きますから、ここで追加点を取れると大きいですよ』
「タイムを」
「タイム!」
『ここでキャッチャーの関川がマウンドに行きます』
『N'Carsとしてはここは大事な場面なのでね、より念入りに打ち合わせて抑えていこうということでしょう』
「この場面、打たせにいくっちぅても流石に危ないで…」
「ランナー3塁だしな…。シングルヒットでも点になるし拙い」
「この際捨ててもええで。次で初球打たしてゲッツーや」
「わかった」
「どうもすみません」
「さ、急いで戻って」
『関川が戻ります。このピンチの場面、入念に打ち合わせをした上で1番佐藤 錦との勝負に挑みます』
「1アウト3塁。プレイ!」
―捨てるで。
―うん。
『ん? キャッチャー立ち上がって、』
パシ。
「ボール!」
『まず1球外してボール。スクイズ警戒でしょうか?』
『どうでしょうか…、ただ外し方としては敬遠のようにも見えましたが』
―ん…?
パシ。
「ボールツー!」
『ああ、これ、敬遠ですね』
『そうですね』
『2球とも同じように大きく外しました。バッテリーは敬遠策をとるようです』
―歩かせるか…。
パシ。
「ボールスリー!」
『やはり勝負はしません。N'Carsバッテリー、この佐藤 錦を歩かせます』
『けどその後ですね。1・3塁でゲッツーはとりやすくなりますが、次が今日3打数3安打と当たっている高砂ですから…』
―次が錦より当たっているヤツなのに大丈夫か? まあ、その覚悟なんだろうけどさ。
パシ。
「ボールフォア!」
『佐藤 錦を歩かせて1アウト1塁3塁としました。さて、この後が大事という山下さんのお話でしたが』
『なんですよ…』
『2番 セカンド 高砂』
『彼が今日大技小技何でもできてそれを活かして3安打ですからね…。敬遠した後の次のバッターを抑えられるかなんですが、この成績だと佐藤 錦より怖いかもしれません』
『ご覧のように今日は3打数3安打。全て得点に絡むヒットです』
―次がクリーンアップ。コイツにしてみたら今日のアンタはカモかもしれへんけど、絶対抑えるで。
―うん…。で?
―内側。思い切り投げ込めや。バントでもヒッティングでも、ここやったらゴロでゲッツーとれるで。
―わかった。
『さあこのチャンスに東根チェリーズは何で追加点をとりにいくか』
―敬遠後の初球を狙う…。
『スクイズだっ!』
―何!?
『一転して今度はオーバースロー!』
ドスッ。
「あ゛っ…」
「あ…」
「うおっ…」
―やりやがった、コイツ…。
「ヒットバイピッチ!」
『あっ…と、左腰に当たってデッドボール! スクイズの構えから引いたところに内角の球が当たってしまいました』
『当たった左腰を痛そうに抑えている高砂ですが、大丈夫ですかね…?』
「大丈夫か?」
「すんませんぶつけてしもて…」
塚田球審と関川が共にマスクを外して心配そうに声を掛ける。そこに永田も脱帽して向かったが、
「ああ、大丈夫です」
ゆっくりと立ち上がると、そのまま高砂は1塁へ向かった。
―どうやら大丈夫そうだ。どうもすみませんでした。
―いや、良いよ。わざとじゃないだろうから。
脱帽したまま改めて詫びる永田に、高砂は左手で気にするなとのジェスチャーを交えて応えた。
「よく貰った!」
「ああ…、この後点になりゃ良いけど」
錦の声掛けに高砂は気丈に応えたが、一方で1塁ベース上でコーチャーからコールドスプレーを左腰にかけて貰っていた。
―ありゃぜってー痛ぇじゃん。コールドスプレー貰ってるからに。オレやっぱ意図しない形で悪いことしたかも…。
などと永田が思っていたら、
「ピッチャー気にしてたら試合にならないよー!」
ぶつけられた筈の高砂にこう言われた。
「ああ言うてはるんやし、もう気にするな」
「ああ」
関川は右手で永田の左肩をポンと叩く。
「それよか切り替えてな。1アウト満塁やで」
「うん」
『バッターは、3番 センター ジャボレー』
「1アウト満塁。プレイ!」
『デッドボールを受けた高砂ですが特に異常はないようです。しかしこれで1アウト満塁、チャンス更に広がりました東根チェリーズ』
―皆ガ打ッテ体ヲ張ッテ繋イデ作ッタちゃんすダ。大将ノ為ニモ、コノちゃんすヲ絶対活カス。
「来イ!」
―あれ、珍しく気合入れましたね。
『この満塁のチャンスに気合が入りますバッターのジャボレー』
『こういう勝負どころでは強い気持ちを持ったほうが結果が出せますのでね、お互い気持ちで負けないことですよ』
―今日は3の1。満塁やし尚更ゴロゲッツーが欲しいところ。全部センター方向に打っとるから理想は二遊間方向にゴロ。低めや。
『満塁での初球はお互い大事に行きたいところ』
キィーン!
『初球ちょっと甘く入って、センターに抜けたー!!』
「ヤッタ!」
―アカン。
「コーチャー廻せ!」
「瞬バックホームや!!」
『3塁ランナー還って、2塁ランナーもコーチャー廻して3塁を蹴った!』
「滑れ兄貴!」
『良いボールが返って来たーっ!!』
「タッチ!」
『クロスプレーは!?』
錦の足と関川のミットが、大砂塵を上げながら交錯する。その砂塵の中から、関川は白球が確りと収まったミットを塚田球審に見せる。
「アウトー!」
『タッチアウトー! 2塁ランナーは得点ならず! センター萩原、先程のダイビングキャッチに続き、今度はこの好返球!』
「良いぞセンター!」
「ナイスバックホーム!」
「良い肩してるぞー!」
『この好プレーに場内から拍手と歓声が沸き上がります』
『良いバックホームでした。1点は取られましたが2点目を与えない好プレーでした!』
『これはやはり1点だけの時と2点入った時とでは大分ムードも違いますか?』
『そうですね。守るN'Carsにとってはこれ以上突き放されるとその後の反撃がきつくなりますので、この場面を最少失点で止めたのは大きいですよ!』
「しゅーん」
「ん?」
「ナイスプレー!」
関川と萩原が、グーサインを交えてこうやりとりを交わした。
「皆、まだやぞ! まだ2アウトやで!」
「よーし、2アウト!」
「内野サードまでは近いところでええからな!」
「わかった!」
『4番 ファースト 紅』
『好プレーが出ましたが、しかし東根チェリーズチャンスは続きます。2アウトランナー1塁2塁で打席には今日初回にタイムリーヒットを打っている4番の紅』
『まだこの回が終わったわけではありませんので、お互い集中力を切らさないことですよ』
―向こうもチャンスに気合入れて臨んどる。絶対に気合で負けるな。思い切り来い。
『セットポジションから…、この回から見せているアンダースロー』
カキーン!
『初球攻撃は三遊間、』
バシッ!
『抜け…、いや弾かれた! ショートのグラブを弾いた!』
「やった!」
「まただぞ!」
「コーチャー廻せ!」
『外野まで転がった打球をレフトがカバー! しかしセカンドランナーは3塁を廻った!』
「俊和バックホームや!!」
『バックホーム!!』
―送球逸れた!
「高砂こっちだー! 廻り込んで滑れー!!」
『送球やや3塁方向へ逸れた! ランナーも廻り込んでベースタッチに行くーっ!!』
「タッチ!」
ズザアッ!
『ホームのタッチプレーは!?』
返球を捕るなり飛びついてタッチに行く関川。どうにか廻り込んでベースにタッチした高砂。際どい判定は。
「アウトー!」
『タッチアウトー! これも間一髪間に合いました!』
『これまたレフトの桜場が良いプレーを見せましたね。ナイスバックホームでした』
『ただ山下さん、先程の萩原といい今の桜場といい、2度ともバックホームがかなり際どいタイミングじゃなかったですか?』
『そうですね。特に今の桜場のバックホームですが、ショートが打球を弾いた分勢いが弱まっていました。当然これを見たランナーは3塁を廻るので、これだけでもタイミングとしては難しいところです。しかしこの弱まった打球を、定位置より若干前にいた彼は、ダッシュしながら素手で拾って素早くバックホームしたんです。そして、送球が若干3塁方向に逸れたので、当然キャッチャーの関川もこれを見て送球を確りと体の正面で捕れるように、3塁方向に移動します。するとキャッチャーのミットは当然ランナーの走路に逸れた分だけ入ってきますから、ランナーは自ずとそれをかわす必要が出てきます。次のバッターである黄川田は廻り込んで滑るようジェスチャー、指示を見たセカンドランナーの高砂はタッチをかわそうと指示された方向に廻り込もうとします。しかし廻り込みかけたところでボールが返り、捕った関川は廻り込みかけた高砂に素早くタッチした、というわけです。送球が逸れたことでタッチが難しくなりましたが、先の桜場の機転と、捕ったら素早くタッチするという基本に徹した関川のプレーがこの好プレーの要因でしょう』
『今のお話で捕手がランナーの走路に入るという部分がありましたが、これはコリジョン・ルールには影響ないですか?』
『はい。コリジョン・ルールというのは、本塁上での捕手と本塁突入を試みた走者の接触による負傷を防止するために作られたルールです。本項では、ボールを持たない捕手が、初めから走者の走路上に立って走者の進塁及び得点しようとする行為を妨げてはならない、つまりボールを持たないうちは走路を完全に空けなければならないと定められています。しかし、今回のように本塁へ返球されたボールが走路の方向に逸れてしまったためにやむを得ず捕りに行った結果走路に入ってしまった場合は、極力接触プレイを避けることを条件に入ることを認められています。ですので今回のは特に問題ありません』
『5回の表終了。この回は1アウト満塁から3番ジャボレーのセンター前へのタイムリーヒットで1点を追加。9対4とその差を再び5点に広げました。しかし、N'Carsのセンター萩原、レフト桜場の立て続けの好返球でこの回を逆に1点に止めることができたN'Carsです』
3塁側ベンチの前では、控え選手と監督が、好守の萩原と桜場を中心に、守備を終えたNCナインを出迎えていた。
「ナイスバックホームだったな、2人とも」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「しかしよ、凄ぇ試合さなってしまったな」
この発言に永田が左手でごめんと詫びる仕草を見せたが、誰も気にしていなかった。
「ああ、大丈夫だ。点差はまた5点さ開いたけどよ、あと3イニングある。それにこの回は打順も良いがら、ここで点をなるべくとっとけ。良いな皆!?」
「はい!」
「よし、この回…、取れるだけ点を取って、反撃しましょう」
「おし、いこう」
「いこう」
「反撃すっぞ!」
「おー!!」
「和義、浩介、頼むぞ!!」
「おう!」
「やったるで!!」
1塁側ベンチの前、グラウンドのギリギリに立つ東根チェリーズの南陽監督。
―うーむ…。前の攻撃で1点しか入らなかったことがどうでるか…。もう1点入ればこの回までだったが、次の回も投げさせることになるな…。それまで0で抑えれば良いが。
『5回の裏、N'Carsの攻撃は―4番 ファースト 三池』
『5点リードの東根チェリーズはこの回もエースの佐藤 大将が続投します。一方5点を追うN'Carsは今日2打数2安打2打点と好調の4番三池から』
「プレイ!」
「和義出ろよー!」
「先頭出るぞー!」
「大将、トップは切るぞ!」
―ストレートもカーブもコイツには駄目だ。初球から放れ。
―わかった。
『このバッターを抑えられるかどうかですよ。注目の3度目の対決です』
ボコッ!
『変化球に詰まってピッチャーゴロ!』
「よし!」
「ファースト!」
「ゆっくりで良いよー!」
『弱いゴロを確りと捕って、ゆっくり1塁へ投げます』
パン。
「アウト!」
『1アウトランナーがありません。好調の三池をピッチャーゴロに抑えました、東根チェリーズのエース・佐藤 大将です』
『良い縦のスライダーでしたね』
『あっ、縦のスライダーでしたか』
『はい。好調の4番バッターをあそこまで打ち崩せるのですから、かなりキレの良いボールでしたよ』
「はい、切り替えてこ!」
「浩介出塁だぞー!」
『5番 キャッチャー 関川』
『こちらも当たっている関川。先程は敬遠でしたが、第1打席ではレフト前ヒットを打っています』
―コイツにはまだ見せていない。癪かもしれんが怖いバッターであることを考えれば頭っからいったほうが良い。
『サインに頷きました。バッテリー、初球は何を選択したか』
―真っす…、いや、ちゃうな。
バシッ。
「ボール!」
『縦のスライダーから入ってきました。外に外れてボール』
―今ボールだったけど、ストライクなら振るかな?
―振るべ。コイツら積極的なバッティングしてくるもん。
「ナイ選ナイ選!」
「見えてるよ見えてるよー!」
―見えてても打てるか。さっきみたいなことあるし。
『2球目、キャッチャー先程より少し内側』
―もしスライダーやったら…、
―ここに来る筈や!!
「!」
カッ、
キィン!
『縦のスライダー捉えて、センター前!』
「やったぁ!」
「浩介ナイスバッティング!!」
―縦のスライダーの落ちるポイントに巧くバットを出せた。永田の為にも何とか1本出せて良かったわホンマ…。
「タイム!」
「タイム!」
『あっ、ここでキャッチャーの豊がマウンドに行きます。この試合こうして再三マウンドに足を運んでマウンド上のエースに声を掛ける豊です』
「片山、ちょっと」
「はい」
―何やねんこのタイミングで…。
『そしてN'Carsも、打席に行きかけた片山をベンチ前のネクストバッターズサークル付近に戻して、背番号18を着けた菅沢が徳山監督の指示を伝えます。こちらは今日1回目の攻撃のタイム』
「もしかして、縦スラ狙われてるかな…?」
「いや。狙われたとしても打ち取ってるし。現に」
「それはそうだけど…。ん。向こうもタイム取ってるのか」
「てことは何か仕掛けますね。仕掛けられたら嫌だべお前も? キャッチャーとして」
「まあな。だったら尚更続けたほうが良いか」
「うん」
「えっ!? ここでそれか」
「うん。何でも開次のバッティング能力を買ってのことらしい」
「ああそれで。しかしオモロい采配しはるなぁ監督」
「そういうことだから。頼んだぞ」
「わかった」
「どうもすみません」
「はい。速やかに戻って。あとN'Carsさんは攻撃のタイム1回」
「はい、1回です」
『バッターは 6番 ライト 片山』
「1アウト1塁。プレイ!」
『両チームの入念な話し合いが終わり、試合再開です。東根チェリーズは凌げるか。一方N'Carsはチャンスを活かせるか』
―ん…?
豊はあることに気づく。
―さっき伝令出してまたサイン? 何か変更点でもあったのか?
―いや、構わずぶち込む。
―うん、お前はそれで良い。
―作戦あってもやらせねぇぞ。
「走った!」
『1塁ランナースタート!!』
―やらせるか!!
カキーン!
『巧く打って、1・2塁間抜けたー!!』
「よっしゃ廻れ浩介!」
「真3塁に呼べ!」
「3つ来い3つ!」
―エンドランだったのか!
『1塁ランナー2塁を廻って3塁へ!』
「バックサード!」
「こっちだ!」
『良いボールがサードに送られるが…、』
「セーフ!」
『タッチはできない! N'Cars、ヒットエンドラン成功で1アウトランナー1塁3塁! チャンスを広げました!』
「良いぞ開次!!」
「ナイスバッティング!!」
―エンドラン!? 普通ランナー貯めるところじゃないのここ?
錦もこの作戦に驚きを隠せなかった。
『しかし山下さん、5点ビハインドという状況の中で仕掛けてきました』
『いやあー…、普通ならこれだけの点差だとランナーを貯めることが優先される筈なんですが…、よく決めましたね』
―よーし、良ぐやった。取れるだけ、返してぐぞ。
『7番 セカンド 梶原』
『1アウト1塁3塁で、今日は送りバントが1つありますがまだヒットはない梶原です』
『チャンスが広がりましたのでね、何とか活かして、1点でも返していきたいところです』
―この点差だが仕掛けるとすれば1塁3塁だからファーストランナーの単独スチール。しかし1塁ランナーはピッチャーか…、あ、違う。ライトだ今日。となれば走るかも。
―すると?
―変化球じゃ送球し辛い。だから…。
―わかった。
『内野、二遊間が詰めて下がっています。2塁経由のダブルプレーを狙う体勢』
―え?
『3塁ランナースタート! バットを寝かせた!』
コン。
『スクイズだー! 良いところに決まった!』
「やったぁ!」
「ナイスバント!」
―よっしゃ。
「ホームイン!」
『フィールディングの良い佐藤 大将ですが、これは1塁にだけ!』
パン。
「アウト!」
『1塁はアウト、しかし7番の梶原、初球でスクイズを成功させて1点を返しました! 9対5、点差を4点に縮めて尚も2アウト2塁とチャンスは続きます!』
『その前のヒットエンドランが効いた形ですね。よく決めました、ナイスバントです』
『8番 レフト 桜場』
『この勢いに乗れるか桜場。今日はバッティングでは2打数2三振ですが、守備では先程良いバックホームを見せました』
『1つ良いプレーをしていますから、この勢いで打撃でも結果を出して欲しいところですね』
―2打数2三振。とにかくやたらとブン回す。うん、はっきり言う。コイツにストライク要らね。
―よっしゃ。
―ちょっとボール球でも良いから。
―うん。
パァン!
「ストライーク!」
「アホ!! 何度同じこと言わせんねん!!」
―開次はまず塁上でキレるな。ピッチャー罵声言われた思てビビッてまうやろ。
「ブン回したかてしゃーないやろ俊和。ボールやったら捨ててええねんから」
―もー。浩介の手まで煩わせよって…。
『空振りでまず1ストライク』
『初球から振っていく姿勢は良いんですが…、もうちょっとボールをよく見て欲しいですね』
―でもボールを散らされるから中々オレも的絞れないんだよね。
パァン!
―うわきっついとこじゃん…。
「ストライクツー!」
『インコースの窮屈なところ。これも空振りで2ストライク』
『少々ボール気味の球ではありましたが、あれだけ体に近いとスイングしてもかなり窮屈です。このバッターの桜場は両腕のリーチが長いですから尚更窮屈に感じていると思いますよ』
―確かにリーチのあるアイツやったらそのコースは打つにはきついかもしれへんな。
『テンポ良く追い込んだバッテリー、3球目』
パァン!
「ストライクスリー! バッターアウト!」
『最後はややインハイのボールで空振り三振! 3アウトチェンジ、しかしこの回、スクイズで1点を返しました』
―1点で止まったか。
―1点返せだが。
『ランナーは2塁に残塁。9対5、今日の第4試合は5回を終わって東根チェリーズが公式戦初出場のN'Carsを4点リードしているという展開です。それではここまでの展開をハイライトで振り返りましょう』
『まず初回、サイレンが鳴り止まぬうちに東根チェリーズの1番・キャプテンの佐藤 錦』
キィーン!!
『この大会第5号の先頭打者ホームランからこの試合は幕を開けました。更に東根は今日N'Carsの先発の背番号9の永田を立ち上がりで一気に捉えます。ノーアウト1塁3塁から4番の紅が、』
キィン!
『レフト前にタイムリーヒットで2点目。この後ノーアウト満塁となって6番の北光』
キィン!
『ここで、今日ライトに入っているN'Carsのエース・片山がスーパープレーを見せます』
パシッ。
『捕って、この後の素晴らしいバックホームで、』
「アウトー!」
『一旦は追加点を防ぎます。これ以降N'Carsは再三のファインプレーを見せて幾多のピンチを切り抜けていきます。しかし2アウト1塁2塁で7番の豊』
カキーン!
『右中間への2点タイムリーツーベースヒットで一旦は取り損ねた追加点を挙げます。更に1・3塁のチャンスにラストバッターでエースの佐藤 大将』
キィン!
『自らもセンター前にタイムリーヒット。投げる前に打席が廻って来た中でのこの自らを援護するバッティングで早々に5点目を挙げます。そして2回には2番の高砂』
キィーン!
『この左中間への一発でこの時点で6対0と6点のリードを挙げます。しかしその裏N'Carsは4番の三池』
キィーン!
『前の試合でもホームランを打っている三池が、今日も打って2試合連続のホームラン。1点を返すと更に連打と送りバントなどで2アウト2塁3塁のチャンスにラストバッターの都筑』
カキーン!
『このライト前への2点タイムリーヒットで6対3と点差を縮めます。更に3回裏には1アウト3塁で再び三池』
カキーン!
『センターのフェンスにダイレクトで当たるタイムリーツーベースヒット。更にこの後満塁として一発長打で逆転という場面まで来ましたが、7番梶原と8番桜場を打ち取って、東根チェリーズの佐藤 大将がピンチを切り抜けます。4回にはエラーで7点目を挙げると、1アウト1・3塁で5番の黄川田』
キィン!
『ジャンプしたショートのグラブを弾くタイムリーヒット。これで再び4点差。その裏ランナー3塁のピンチを切り抜けると、5回には1アウト満塁で3番のジャボレー』
キィーン!
『センター前にタイムリーヒット。しかしここでセンターの萩原が見せます』
「アウトー!」
『このバックホームでこの回2点目を阻止。更にこの後桜場も、』
「アウトー!」
『素早いバックホームで追加点を与えません。その裏N'Carsはヒットエンドランを成功させるなどして1アウト1・3塁のチャンスに7番梶原』
コン。
『スクイズを成功させて5点目を挙げます。尚もランナー2塁のチャンスでしたがここは佐藤 大将が三振を奪って切り抜けます』
『…というここまでのハイライトでした』
―グラウンド整備そろそろだよな…。引き揚げ始めたら挨拶、か。
グラウンドの整備は水撒き作業をもう間もなく終えようとしている。永田はブルペンでキャッチボールをしながら、引き揚げるタイミングを見計らっていた。
―ホースから水が出ない。終わったな。
1球投げたところで、整備員が撤収作業に入った。
「じゃーまず挨拶。グラウンド整備、ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
「全員引き揚げたらグラウンドに」
「はい」
最後の1人がファールラインを越えたところで、
「よしいくぞ!」
「おー!!」
『これから6回の表、4点をリードする東根チェリーズの攻撃に入るところ。ここまでお互いに打ち合って5回を終えました。ヒットの数は東根チェリーズが16本、N'Carsも9本と決して劣っている数字とは言い難いここまでの成績ですが』
『試合前に私はN'Carsはバッティングのチームという印象があるとお話しましたが、まさにその通りですね。グラウンド整備を挟んだ後のこの後2イニングにも注目していきたいところです』
『6回の表、東根チェリーズの攻撃は―5番 ライト 黄川田』
『東根チェリーズはこれから下位打線へと向かいます。今日2安打と当たっている黄川田から』
「プレイ!」
―これ以上失点すると迷惑がかかる…。もう点はやらん!!
ガキン!
『初球攻撃はショート正面!』
「やっ…」
パン。
『あっとゴロを弾いて…、』
「やべ…」
『右手の近くに飛んだが握れない! 1塁セーフ、先頭バッターが出ました東根チェリーズ! 記録ショートのエラー、今日N'Carsはこれで3つ目のエラーです』
『ちょっと焦ってしまったでしょうか…。詰まらせて正面に飛んだゴロだけに勿体なかったですね』
「気にすんなよ涼!」
「うん」
「ほな、そこ2人でゲッツーいこー!」
「おー!!」
『6番 サード 北光』
『東根チェリーズはこれで6イニング連続で先頭バッターを出しました。今日ヒット1本と当たっている北光』
―ここまでコイツはバントの素振りは見せても実際にはせんかった。ヒッティングや。ゲッツー狙いに低めに来い。
―うん。
『二遊間を下げてゲッツー体勢のN'Cars。ランナーが出ると確りと仕事をします東根の各バッター』
「走った!」
『1塁ランナースタート!』
―足技か!
キィン!
『こちらもエンドラン、1・2塁間抜けたー!』
―待てよライトがアイツ…!?
「サードコーチャー止めろ!」
「ストップ…、ちょっと桃也、ストップだって!!」
『1塁ランナー一気に3塁へ! しかしライトは強肩の片山だ!』
―え!? 何か言った!?
「よし!」
―え!?
『良いボールがサードに送られたーっ!!』
「タッチー!」
『ああー…、こ、これは…、』
『完全にアウトですね』
「アウトー!」
『3塁タッチアウト! エンドラン失敗! ここでも片山素晴らしい返球でした』
『それはそうなんですが…、ちょっと1塁ランナーの黄川田、無理しましたかねぇ。3塁コーチャーも止めてたようなんですが…、聞こえなかったのか行ってしまいましたね』
『やはりこの大歓声で細かな指示とか、そういったものがうまく通らなかった、ということでしょうか?』
『はい。中々そういったものは実際に大きい声出したりしていても結構かき消されたりしていて指示通りにいかないことも多いんです。この辺りの難しさが出てしまいましたね』
「サードコーチャー止めてたの聞こえなかった?」
「何か言ってたようなんですけどもはっきりとは…」
「大声上げてたようだがなぁ…。聞こえなかったか。まぁエンドランだからそりゃ3塁狙うけど、そういう練習させてきたけど、ライト前に抜けたからって闇雲に行くのはどうかと。やっぱり自分でも打球判断しないとさ」
「はい…」
「デモモウ良イカラ。切リ替エテイコウ」
「よし、そうしよう!」
「豊頼むぞー!」
『7番 キャッチャー 豊』
『1アウトランナー1塁と変わって、今日2点タイムリーツーベースを打っている豊』
―懲りないとか思われるかもしれないけど、続けるぞ。
―はい。
『依然ゲッツー体勢のN'Carsです』
―強気で行こな。球は初回がウソのように走っとる。思い切り来い。
―打ち取るぞ。
『インコースだ!』
「走った!」
『また1塁ランナー走った!』
―またか!
ガキィ!
「涼!」
「ランナー止まれ!」
『これも詰まって、ショートの後方へ飛んだ!』
「涼捕れ!」
「俊和カバーしとけ!」
『外野まで下がるが…、どうだ!?』
トン!
「ノーキャッチ!」
『落ちた! ショートとレフトの間に落ちた! ランナーはハーフウェーから2塁へ!』
「とりあえず涼に返して!」
「ほれ、涼」
『ボールは先程まで背走していた小宮山に渡って、1塁ランナー2塁でストップ! 7番豊のレフト前ヒットで1アウトランナー1塁2塁、連打でチャンスメークをしました東根チェリーズです』
『今のもエンドランだったでしょうか…。ランナーが投球と同時にスタートを切っていました』
『偽走、ではなく?』
『おそらく偽走ではなく、本物のヒットエンドランだったと思います。しかし打球が一旦上がってしまった為にランナーは一度止まらざるを得ませんでした。理想は1・3塁にしたかったんでしょうが…、ただそれでもチャンスメークできましたね』
「永田勝ってる勝ってる! 仕事を半分しかさせんかっただけマシや!」
「あと2つ、きっちりといこ」
「うん」
『8番 ショート 香夏』
『1アウト1・2塁で今日長打1本を含む2安打と当たっている8番の香夏。このあとはエースの佐藤 大将が控えます』
「香夏続くよ続くよー!」
「もっと点取ってくよー!」
―エンドラン2つとも成功とは言い難いな…。今のもゴロを打って欲しかったが、内側の真っ直ぐを詰まらされたか…。
―エンドランを2つ続けたか。やたらとエンドランに拘るなぁ向こうの監督はん。ここも打ってくるで。
―低めに、でしょ?
―そや。思い切り来い。
『ランナー1塁2塁ですから、ここはじっくりとボールを見て打っていきたいですね』
「バッター打ち急ぐなよ…、あっ!!」
キィン!
『ピッチャーの足元のゴロ、センターに』
パン。
『いや、抜けない! ショートの小宮山、そのままグラブトス!』
「アウト!」
『セカンド梶原が素手で捕って2塁アウト!』
「ファーストや!!」
『1塁は!?』
パン!
「アウトー!」
『1塁もアウト、ダブルプレー! 3アウトチェンジ、この回東根チェリーズはチャンスを作りましたが無得点!』
―確かに積極的に仕掛けるのは大事だけどちょっと焦りすぎだ。まだ2イニングあるんだしそんなに勝ち急がなくて良いのに。
「よし! 良ぐ抑えた!」
「永田ナイスピッチ!」
「おう」
―あれ、今日そんな声掛けあったっけ?
「涼ナイスプレー!」
―だよな、そっちだよな。
「ナイスプレー二遊間!」
―うん。皆そっち褒めるよね。
「よし、ここ無失点さ抑えだし、打順もまた上位さ戻る。ムード良いがら、ここで何点か返してくべ」
「はい!」
「よし。あと4点だけどまず1点ずつな」
「ああ」
「よし」
「まず1点取って…、反撃すっぞ!!」
「おー!!」
「健、瞬、お前らで頼んだで!!」
「おっしゃ」
「わかった」
『これから6回の裏のマウンドに立つ東根チェリーズの先発エース・佐藤 大将。5回までを投げて打たれたヒットは9本、失点は5、与えた四死球は敬遠のフォアボールを1つ含めると3つです…、が、ただここまで球数が63球で来ています』
『打たれている割には少ないですね』
『はい。それから奪三振が僅か3つですから…、この数字を見てどうご覧になられますか?』
『確かに彼は好投手ですが決して今日のコンディションが悪いというわけではなく、N'Carsが積極的にバットを出してくるお陰で結果として球数も奪三振も少なくなっている、ということでしょう』
『それからもっと驚きなのがN'Carsの今日先発のマウンドに立っている背番号9の永田で、打たれたヒットはこの6回までに18本、失点は9、与えた四死球は敬遠のフォアボールを1つ含めて2つですが…、その割に球数はなんと51球です』
『えっ…。……、あ、すみません、思わず沈黙してしまいました。あれだけ打たれてこの少なさですか…』
『はい。そして奪った三振はまだありません』
『1回戦で登板したエースの片山投手とはタイプが違いますね。こちらは打たせて取るという印象です。立ち上がりこそ初登板という所為もあってか硬さが見られましたが、それ以降は初回と比べると段々安定してきています』
『6回の裏、N'Carsの攻撃は―9番 サード 都筑』
『4点を追うN'Carsはこの回はラストバッターの都筑から。こちらもこの回で打順が4巡目に入ります』
「プレイ!」
「健頼むで!!」
「先頭出ろよー!」
―クリーンアップの前で切る。三者凡退に抑えて次はオレから。早めに打たせて7回に行こう。
キィーン!
『初球攻撃は、三遊間破ったー!』
「やったぁ!」
「ナイスバッティング!!」
―あれ!?
『今日タイムリーを打っている都筑、2本目のヒットでノーアウトランナーが1塁! チャンスで上位打線に廻ります』
『1番 センター 萩原』
『4巡目、トップに返って萩原。今日は前の打席でフォアボールを選びましたがまだヒットはありません』
『打順の巡りが良いので、どんどん繋いでいきたいところですよ』
「内野ゲッツー!」
―初球低めに。打たせてゲッツー取って。
―わかってる。そのつもりでいた。
『セットポジションから、速いテンポで』
―え!?
カキーン!
『やや詰まったが、ショートの脇を抜けた!』
「良いぞ瞬!!」
「繋がったぞ!!」
「ナイスバッティング!!」
『萩原今日初ヒットはセンター前! ノーアウトランナーが1塁2塁としましたN'Cars!』
「涼続け! 永田を楽にしてやれ!!」
―? 皆さんちょっと…、どうした?
『2番 ショート 小宮山』
『立て続けにファーストストライクを狙っての積極的な攻撃で連打、チャンスを広げました!』
『ただ東根バッテリー、ちょっと勝負を急ぎ過ぎてますかね…。ちょっとテンポが速いように見えます』
―いかんな急ぎ過ぎだ。さっきの攻撃といい早く終わらせようと皆焦り気味だ。落ち着かせよう。
「タイムー!」
「タイム!」
『ここで東根チェリーズ守備のタイム。今日2回目』
『急いではなりません。落ち着かせる為にはこれで良いと思います』
「監督が皆焦り過ぎだ、って。ちょっと落ち着け、ってさ」
「えっ」
「うん。ちょっとバッテリーのテンポが速いからじゃないか? もう少しゆっくりでも良い。先のことより今のことだぞ」
「ああ…。いけね、何やってたんだ、また」
「そうそ。落ち着いて落ち着いて」
「お前のピッチングで勝ってきたんだから、オレらもだけどまず落ち着いて」
「4点差あるし、まずアウト1個な」
「ランナーは放っといても良いから。バッター1本に集中で」
「よし、じゃ皆さん、一旦深呼吸」
マウンド上に円陣を組んで集まった東根の内野6人は、伝令を先頭に深呼吸を始めた。
2、3度、段々ゆっくりと…。
深呼吸のテンポが1度経る毎に、ゆっくりと気分を静めた。
「よし、落ち着いて。いつも通りのプレーでいこ!」
「おー!!」
「はい。終わったら速やかに戻って」
「どうもすみませんでした。失礼しました」
『ナインが元の位置に戻ります。一斉に深呼吸をしましたが落ち着けるかどうか』
「東根チェリーズさん、守備のタイム2回」
「2回です」
『バッターは 小宮山』
「プレイ!」
『今日当たっている小宮山をランナー1・2塁のチャンスで迎えます。当たっているバッターで1本期待したいところ』
―内野は前に来ない。ならば尚更…。
「!」
『バントの構えだ!』
バシィ!
「ストライーク!」
『バットを引いて見送ってストライク。ファーストがダッシュをかけましたがここはバントせず』
―そうだ小宮山。ランナーはピッチャーの真後ろさいる。できるだけ今みでぇな感じで球数を稼いで、ピッチャーの前後からプレッシャーをかけるんだ。
―監督は送りバントのサインを出したけど、さすがに3人も続けて初球で打つってのもなぁ。これで何とか。
『6回裏4点差で送りバントですか。打っていきたいところですが、ただゲッツーよりはマシでしょうか』
『ここもバントの構えだ!』
バシィ!
「ストライクツー!」
『これも引いてストライク。ファーストの猛チャージにさすがにやりにくさを感じたか』
『でしょうね…。1塁2塁ですから、まして右ピッチャーですし3塁方向に転がすのがセオリーとはいえ、おそらく転がすつもりがないであろう方向からもこうしてチャージをかけられるとやり辛いと思います』
―どう見てもバントできそうな球なのに2球も続けて見送った。待球作戦か。コイツららしくない。大将、3球勝負で。
―オッケ。
『3球目。既に2ストライクと追い込まれています』
「何!?」
『スリーバントだ!』
コッ。
『3塁方向にキッチリと決めた! サードはベースに付いていて出られない!』
―またオレか。
「秀峰引け! そっちに投げる!!」
『ピッチャーの佐藤 大将がマウンドを降りて捕ります。3塁は無理』
「ファースト!!」
パシ。
「アウト!」
『1塁カバーのセカンド高砂に渡って1アウト、送りバント成功です!』
「ナイスバント!!」
「さあキャプテン頼むよ!!」
―うっ。
「4回裏の仕切り直しや思えばええかな…、とにかく何とかしたれや」
―えっ…、ん? でも。
『3番 ピッチャー 永田』
―皆が何とか、してるんだよな?
『1アウト2・3塁のチャンスに打席にはキャプテンの永田。今大会未だノーヒットですが、何とかこのチャンスで1本出るか』
『出て欲しいですねぇ。ピッチャーですからね今日は…。何とか1本打って楽にしたいところですが』
―だったらさ、
ガキッ!
「ファールボール!」
『初球から振っていきました。バックネット方向へのファール』
「良いぞ永田!!」
「タイミング合ってるよー!!」
「よし!」
―オレも何とかしなきゃじゃん。
―ストレートにタイミングが合ってる。ただいくらそうでもパワーがない、良くても内野ゴロ止まりだ。点差もあるし内野は下げなくて良いが、放っといてもアウト1個タダでくれるヤツだから、細かいことは気にせずに打ち取るか。
『良いですよこの姿勢。とにかく打てる球はどんどん振っていくことです』
―このまま負けるのも、…、このまま何もできないで終わるのも…、
『マウンド上の佐藤 大将は次で投球数70球目』
―どっちも嫌だ…!!
ガキン!
―! 転がった!
『ボテボテの当たりはセカンド前のゴロ! 弱い当たりでバックホーム…、』
「無理だ! ファースト!!」
―間に合わないか!
『は、できない! 高砂素手で捕ってこれは1塁へ!』
「ホームイン!」
パン。
「アウト!」
『3塁ランナー良いスタートを切っていました! トス気味の送球が1塁に渡ってバッターの永田はアウト! しかしこのセカンドゴロの間に3塁ランナーが還って6点目! 最低限の仕事をキャプテンが確りと決めてその差を3点としましたN'Carsです!』
「よしよし! 最低限最低限!」
「良ぐ仕事した!」
「ありがとうございます」
「まだチャンス続いてるよー!」
『4番 ファースト 三池』
『2塁ランナーも3塁へ行って、依然2アウト3塁とチャンスは続きます。今日3打数2安打2打点と好調の三池を迎えます』
「和義続くよー!」
「浩介に繋げ!」
―まだ3点ある。勝負か…。ただ今日コイツは打点を挙げてる手前下手に仕事させると拙いな。次のほうが怖いかもしれん…、が。
『このチャンスに当たっている4番が続くか…、ん?』
パン。
「ボール!」
『キャッチャー立ってます。これは敬遠…、でしょうか?』
―コイツに仕事させるとヤバい、ってことでの敬遠だよな。
―そう。さっきはスライダーを打ち損じたけど、彼らの順応性を考えたら2打席目で多分合わせてくる。
パン。
「ボールツー!」
『敬遠ですねこれは…。この終盤で勝負するのはきついと見たでしょうか』
―それにさっきのコイツの走塁、ピッチャーゴロとはいえ遅かった。あれだけ遅いなら走塁でアウトにすることもできる。
―1・3塁になるしそのほうが向こうも合理的だよな。で、オレらはそれを阻止する。
パン。
「ボールスリー!」
『1発で同点のリスクはあるわけですが…、しかし1・3塁ですのでフォースプレーを』
『そうですね。そのほうが取り易いと見たのでしょう』
―コイツは仕方ねな。だけんど敬遠した後だ。歩かせてもそれだけじゃ策の意味がねぇ。
パン。
「ボールフォア!」
『結局三池とは勝負しませんでした。2アウトランナー1塁3塁、1発が出れば同点という場面で当たっているバッターを迎えます』
『5番 キャッチャー 関川』
『こちらも今日2打数2安打と当たっています。何れもその後得点に結びつきました』
「浩介1発かましちまえ!」
「いや、1発よりまず1点。でかいの狙うより、コンパクトなスイングで単打を狙ったほうが良い」
「そうか、そっちのほうが…」
「うん」
「浩介コンパクトに!」
「シングルヒット1本でいこ!」
―元々そのつもりやろうてアイツは。
―走ってきたら高めに外すから。それまでは低めで。
―わかった。
―三池も足は大して速くねぇからな…。これだば打たせるしかねぇ。
キィーン!
「!?」
『初球からいった、打球はレフトに大きく上がったー!』
―ヤバい!
「兄貴!」
「錦捕れーっ!!」
『入れば同点3ラン! レフト佐藤 錦、フェンスまで下がって、どうだ!?』
「入れーっ!!」
「伸びろーっ!!」
パン!
「うっ…」
『フェンスの外に身を乗り出してまでグローブを差し出したが…、どうか』
「よっ」
フェンスからグラウンドに再び着地した錦は、左手のグラブを高く上げる。
「キャーッチ! キャーッチ! キャーッチ!」
『捕った―――! ホームランボールをダイレクトで捕りました―――!! レフト佐藤 錦、大ファインプレー!!』
『あれを捕りましたか…。いやーフェンスによじ登ってまで身を乗り出して捕るとは…、素晴らしいプレーです』
『場内はこのビッグプレーに大歓声、そして沢山の拍手で讃えます!!』
「あれ捕るの!? すげぇ」
「入ってるべあれ…、よく捕ったな」
「レフトナイスキャッチ!」
大歓声と沢山の拍手が鳴り止まない中、錦はボールを丁寧に内野へ返して1塁側ベンチに戻る。
『山下さん…、これはもう捕った佐藤 錦を褒め称えるしかありませんね』
『そうですね。勿論打った関川もあれだけの大飛球をかっ飛ばしたわけですから十分素晴らしいんですが…、それを上回るプレーが出てしまったわけですからねぇ。どっちも見応えのあるプレーで、佐藤 錦が1歩上回ったという感じです』
―よかった…。飛距離から言ってギリフェンスの向こうにグラブ出せば間に合うかなと思ったが…、先っぽだったか。危なかった。
「兄貴ナイスキャッチ! サンキュ」
「ああ。てか次オレらに廻るから準備して」
「うん。絶対繋ぐから」
「任せろ。還す」
『アピールした時に上げたグローブの白球の位置からすればおそらく先っぽで捕ったんでしょう。もう少しで…』
『そうですね…。それをよくあそこまで行って捕りましたね』
『3アウトチェンジ。ランナー2者残塁、この回N'Carsはキャプテンの永田のセカンドゴロの間に1点を返しましたが、その後は先程のビッグプレーもあり続かず1点止まり。しかし点差は9対6と3点差。東根チェリーズが3点をリードしたまま、最終回の7回表へと入っていきます』
「照明点灯!」
「全部ですか?」
「全部点けて! ナイトゲームだから! あと線審2人…」
「もう行ってます」
「あ、そ。どうも」
『只今より点灯試合となります。線審は、レフト 山部。レフト 山部。ライト 富浦。ライト 富浦。以上両氏審判でございます』
『時刻は午後5時35分。球場内の照明全てに灯が点りましたので、外野の両翼に線審が配置されます。レフトは山部さん、ライトは富浦さん。以上両氏審判が就いて6氏審判の体制となります。外野へ飛んだ打球判断は全てこの両氏審判の担当となります』
「まず落ち着いて。絶対に勝ち急がないこと。さっき伝令飛ばして落ち着かせたけど、平常心を持って最後まで戦って。良いな!?」
「はい!」
「1ボールピッチ!」
「ボールバック! セカン行くで!!」
「走ったっ!」
バシィ!
「ナイボール!」
『ここまでかなり打たれてはいますが…、6回を投げて球数51球の永田。この回もマウンドに立ちます。もうこれは最後まで永田で行く、ということでしょうか?』
『確かに内容は決して良いとは言えませんが球数が少ないですし、もうこのまま引っ張るでしょうね』
『一方東根チェリーズはこの回はラストバッター、エースの佐藤 大将から。尚東根チェリーズですが、この佐藤 大将にヒットが出ますと先発全員マルチ安打と…いうことになります』
『それだけ東根の各バッターが良く振れてるということですね。この回も継続できるか』
『7回の表、東根チェリーズの攻撃は―9番 ピッチャー 佐藤 大将』
―勝ってはいるけどお世辞にも良いピッチングとは言えなかったな今日は…。勝手なことやって皆に迷惑掛けたし。
「プレイ!」
―けどさ、そんなオレなのに皆ときたらあんなこと言ってさ。オレだけじゃなかったんだ、勝つ気でいたの。
「良いかマサ、わかってると思うけど甘い球は振ってけよ!」
―バックのほうが苦労してるかも。特に兄貴は…、
ガキィ!
「ファールボール!」
―長い付き合いだから何から何まで苦労してたかも…。チームのキャプテン背負ってこんな弟の為に手を煩わせて。
「良いぞ大将!」
「そのスイングそのスイング!」
―でも良かった。
ガキィ!
「ファールボール!」
―オレの兄貴が佐藤 錦ってヤツで。
『N'Carsバッテリー2球ストレートを続けてファール2球で2ストライクとバッターの佐藤 大将を追い込みました』
―ここは兄貴の為にも、仲間の為にも自分で1本…、
「後ろに繋げ!! オレがいる!」
―そっか…。そういやそんなこと言ったっけな…。ならば兄貴、
『追い込んでの3球目は何で来るか』
―決めてくれよ…。絶対に、
―廻すからな!!
キィーン!
『緩い変化球を捉えて右中間へ、どうだ!?』
「抜けろ―――っ!!」
ポー…ン!
『抜けたー!! 右中間の最深部に行った!』
「よしマサ廻れー!!」
「コーチャー廻せ!!」
『バッターランナーは1塁を蹴って2塁へ!』
―瞬や開次の肩でもこれはアカン。
「栄次カットに入れ! バックサードや!!」
「栄次そこ! こっちに廻して!」
『バッターランナー2塁から…、3塁を狙う!』
「えっ行くの!?」
「行くなら行っちゃえ! 止まるな!!」
『ライトから中継のセカンド、そしてサードに送られるーっ!!』
「タッチ!」
『良いボールが返ってきたが…!?』
「セーフ!!」
『間一髪、3塁ヘッドスライディングはセーフ! 右中間へのスリーベースヒットでノーアウトランナー3塁! エースのバットでチャンスを作りました東根チェリーズ!!』
「やったナイスバッティング!!」
「良いぞ大将!!」
―よーし廻したぞ兄貴…。1本で決めろ!!
『1番 レフト 佐藤 錦』
『今日1発を放っている1・2番にチャンスで廻ります。これでこの試合東根チェリーズは打順5巡目、キャプテンがこの試合5度目のバッターボックス』
「タイムを」
「タイム!」
『N'Cars、このピンチにキャッチャーの関川がタイムをかけてマウンドに行きます』
「カーブ甘く入っちゃった。ごめん」
「いや、それやないから。コイツとの対戦をどうするかで来たの」
「あ、何だ」
「さっき敬遠して…、その後痛い目に遭うたからな。もう1回歩かせても同じことの繰り返しや」
「…。1点もやりたくないしな」
「この際思い切って勝負や。怯まずに思い切って、ここに投げて来い。ええな!?」
「うん」
ドスッ。
「ん?」
「あ、栄次…」
『今セカンドの梶原がグローブで永田に檄を飛ばしました。この梶原も再三に亘る好プレーで永田を助けています』
「どうもすみません」
「うん。早く戻って」
『キャッチャーが戻ります。お互いバッテリーが試合中に入念な打ち合わせをすることが多い今日の第4試合』
『それだけ慎重になる場面が多いということでしょうね』
『バッターは 佐藤 錦』
「プレイ!」
『ノーアウト3塁のチャンス。キャプテンの一振りで決められるか』
「錦頼むぞ!!」
「決めろよキャプテン!!」
―思い切り来い。
―よーし行くぞ。
―マサが全力疾走にヘッスラまでして作ったチャンスだ…。1本、アイツを楽にする1本を…、何とか…。
『キャッチャーインコースだ!』
―いや、何とかじゃない。絶対に、
―打つ!!
キィーン!
「!」
『渾身のストレートをレフトへー!!』
―行け…。
『大きいぞ! 今日2本目か!?』
―伸びろ、入れ!!
―兄貴の1本だ、絶対に入る!!
『3塁ランナーホームランを確信したか、既に還っている!』
―捕れ…、
「俊和捕れーっ!!」
「桜場ぁ!」
タッ…!
―賑やかになった。入ったか?
「キャーッチ、キャーッチ、キャーッチ!!」
―え!?
『捕った―――! 今度はN'Carsのレフト桜場がホームランボールを捕ったー!!』
―やべ、やってねぇ!
「俊和バックサードや!!」
『そして3塁ランナーが慌てて戻る! タッチアップしていない!』
パシィ!
『ちょっと送球が逸れたが、今ベースを踏んで3塁は!?』
「ランナーアウト!」
『アウトだー! 3塁ランナーまたも頭から戻るが間に合わない!』
「やったぞ俊和!」
「見直したで!!」
―見直した、って。言うタイミング遅いような…。あ、でも遅くないか。
「こっちもレフトがやったぞ!」
「ナイスプレー!」
「良いプレー続いてるぞー!」
『今度はレフトの桜場に向けてでしょうか、大歓声と拍手が送られます』
―ウソだべ…!?
―捕れるボールなの…!?
『バッターの佐藤 錦、1・2塁間の真ん中付近で暫く呆然としてましたが…、いまゆっくりと戻ります。先程自らが見せたスーパープレー、今度はやられる側となってしまいました』
『しかしリーチ長いですね桜場。よく右腕を伸ばして捕りました』
『3塁に戻れなかった佐藤 大将も2度3度レフトの方向でしょうか、そちらを振り返ります。2人にとってはあの大飛球だけに余計悔しいプレーとなってしまいました』
『まあ、戻れなかったっていうのはちょっとあれですけども…、彼らにしてみれば確信があったんでしょうね』
『そうですね。もうあそこまで飛んでましたから』
『はい…。ただまだ2アウトですよ』
『そうです。どちらにとっても、この回がまだ終わったわけではありません』
『2番 セカンド 高砂』
『今日3安打猛打賞の高砂。東根チェリーズにとってはもう1回仕切り直しということですが』
『そうですね。まだ終わってませんから、彼から流れを作り直したいですね』
―さっき大将は全力疾走してるから、そのまま打っても拙いな。
―2つ取ったからな。けどこの1つも全力でな。
『バントの構えだ!』
バシィ!
「ストライーク!」
『見送ってストライク。バントの構えを見せました』
『そう、これで良いんです。焦りは禁物ですのでね、こうやってじっくり球を見て選んでいくことですよ』
―バント? でもやるんかなホンマに。
―さあ…?
『2球目、あっ、またバントの構え!』
バシィ!
「ストライクツー!」
『これも見送ってストライク。2ストライクとバッテリー2球で追い込みました』
『確かにテンポ良く追い込んでいますが、ここから勝負を急がないことですよ』
―バントやらんな。もうでけへんカウントになったし。けどもう1度寝かせたら同じの続けてええから。
―スリーバントって手もあるしな。わかった。
『追い込んで、またバントか』
―よし。
『いや引いた!』
―えっ、もう遅い…。
カッ!
「ファールボール!」
『バントの構えから打っていきました、バスターです』
―やっぱりな。
―そうやるしかあらへんもんな。
「バスターの利点はバントの構えからバットを引いてから打つことで打つ前のテイクバックを小さくして、」
カッ!
「ファールボール!」
「コンパクトなスイングをしやすくすることができる。その結果スイング自体も鋭くなり易い」
『ここもバスターでファール。そういえばこの高砂の3本目のヒットはバスターを成功させてのものでした』
『そうでしたね。こういう技の巧さこそ彼の持ち味だと思います』
「でも欠点もある。1度バントの構えを取るので、」
カッ!
「ファールボール!」
『ああこれもファール。追い込まれてから3球連続でファールで粘っています』
「引くタイミングが早かったり遅かったりすると当然ながらスイングも早まり、或いは遅れる」
『そして永田は今の投球で球数が60球となりました』
カッ!
「ファールボール!」
『これもバスターでファール。それにしてもずいぶん執拗ですね』
『はい。バッテリーとしますとこう球数を放られると厄介ですよ』
「そうなると当然打球も良くならない。けど、」
―まだ続けるか真っ直ぐ…、来た!!
カッ!
「ファールボール!」
『これもファール。いやあ、良く粘ります、バッターの高砂』
『本当に凄いですね…。中々根負けしません』
「アイツは結構それが巧い。バスターでも良いポイントで当ててくる。けどファールが続いてるって…」
「わざとファールにしてるんじゃないですか? 本人顔涼しそうにしてるし」
「そうか?」
「これ逆に巧くないとできない技ですよ。それにこれだけ長い時間粘ってくれるとマサも助かる」
「そうか…」
―錦の言う通りかもしれん。実際大将は全力疾走したばかりだから、ピッチングに影響が出ないように休息させたいところだ。
『さぁ8球目…、ん、プレートを外しました』
『間合いですね。ちょっとこのまま同じことを続けてもきりがないので…』
―うん、そう。ロージン取り直して…、ちょっと落ち着けて。
―それは良いけど…、何でそこに構えてんの?
―同じことを続けてもきりがないから。今まで真っ直ぐしか要求せんかったけど、球種も変える。次コイツが何をしてきても構わず散らせ。
―わかった。
『さぁプレートを踏んで、今度こそ8球目』
―ストレート…、違う、曲げてる!!
コッ!
『またバス、』
「ファールボール!」
『ター、ですが1塁線ファール。どうにか喰らいつきました』
―カーブだった…。
―どうにか喰らいついたな。
―外のカーブでも当てるか。
―外がアカンかったら、次逆行くで。
―OK。
『2ストライクから6球続けてファールで粘る高砂…、次が9球目』
「!」
バシィ!
『インコースストレート!』
「ボール!」
『っと、僅かに外れたか。バッターも腰を引いて避けましたが、外れて1ボール2ストライク』
『これは良いボールだったんですけどねぇ…、惜しかったですね』
―えー外れたの…。
―1球外れただけで追い込んでることに変わりないで。さっ、次のボール。
―これか。
『次で10球目』
パン!
『外のカーブだ!』
「ボールツー!」
『これも際どいが外れてボールツー。山下さんこれも良い球なんですけどね』
『そうですね。惜しいところなんですけども、良いボールが2球続けて行っているのは良いことですよ』
―またか…。
―うーん…。まあまだカウントが整っただけで、追い込んでるわけやからな…。
―大将はどうだ? 十分休めたか、ってアイツどこ行ってんだよ!?
カッ!
「うわ危ねぇ!」
「ファールボール!」
―おいおいそこまでして…。
―お前は休んでろ。感覚が維持し辛くなるのはわかるけどさ、キャッチボールにも行くな。休んでろよ、全力疾走したくせに。
―幸いやった…。向こうからファールにしてくれた。けど今のファール、どう見ても狙い打ちやんな?
―間合いはオレが取るから。疲れ取れるまで休め。
―…、アンダーシャツ替えるか。
「悪い、キャッチボールは待ってくれ」
―これで良いんだ大将。できるだけ長く休めよ…。
カッ!
「ファールボール!」
『11球目、12球目と立て続けにファール! 粘ります高砂』
『よく粘りますねぇ。今日の4回裏の萩原といい、凄いですよ』
『その4回裏には先程山下さんが仰ったN'Carsの萩原が14球も粘ってフォアボールを貰う場面がありました』
―ふぅ…。
カッ!
「ファールボール!」
―どんだけファールにしてんだこのバッター。
『13球目もファール。驚異的な粘りです』
『球数を稼ぐにしてもこれはちょっと稼ぎ過ぎな気がしますが…』
―よっぽど気合い入りよるな。
―どうする?
―辛抱や。こうなったら根競べやで。
―わかった。
カッ!
「ファールボール!」
『またしてもファール! 14球投げても決着がつきませんこの対決!」
―うわ…。スコアブックのボールカウント凄いことになってる…。
「何球投げた?」
「14球です」
「スコアブックがら溢れでだじゃ」
「さっきから殆どファールしか書いてないような…」
カッ!
「ファールボール!」
『これもファール! 15球投げても決まりません! 今ので永田はこの試合70球目ですが…、どうですか?』
『どうもこうもこれはもうバッターの高砂が凄いですよ。ここまで粘るとは。ただN'Carsもバッテリーがこの粘りにへこたれるような様子はないので…、寧ろ凄いのはこちらのほうかもしれません』
「すんごい粘り。追い込まれてからが尋常じゃない」
―こうまでするが…。大したもん持ってだなあのバッターよ。
『16球目』
パシィ!
―振らない! 入ったか!?
「ボールスリー!」
『あっ…、とっ…、これも低めの際どい球ですが僅かに外れたか、ボールスリー。これでフルカウントになりました』
『ここで漸くフルカウントですか。かなり球数を放っているだけに、その実感があまり沸きませんね』
「よく見たよく見た!」
「良いよー! 落ち着いてるよー!」
「ソノ調子ソノ調子! 塁ニ出ルコトダケ考エテ! 後ロニおれモイルカラ!」
カッ!
「ファールボール!」
『17球目もファール…、カクテル光線を浴びたグラウンドの下で壮絶な勝負が行われています』
―うわぁ…。決まりそうにないな…。けどこれで歩かせたらそっちのほうが碌なことないし、辛抱するしかないか。
『おそらくこの北郡球場にご来場くださったお客様も、テレビをご覧になられている視聴者の皆様も、この勝負に釘付けのことでしょう』
『手に汗握る対決になりましたね』
『ええ。次が18球目』
カッ!
「ファールボール!」
「良いぞ2人ともー!」
「どっちもへこたれんなよ!」
「2人とも負けんじゃねぇぞ!」
『18球目もファール。先程から1球毎に場内の拍手と歓声が聞こえるようになりました』
『それだけ見応えがあるということでしょうね。本当に凄い対決になりました』
―よし…、大将、ここまで粘ればもう十分だべ? そろそろ打つか。
『さあこれから何と19球目ですが…、高砂バントの構えをとりません』
―打つ!!
―打つ!!
―打ってくる!!
カキーン!
―!
『ピッチャーの足元を抜けるゴロ!』
「やった!」
『センター前に…、』
バシィ!
『いや、抜けない抜けない! セカンドダイビングキャッチ!』
「梶原!」
「栄次ファーストや!!」
『そのまま両足を踏ん張って1塁へ!』
パン!
「アウトー!」
『1塁は際どいが…、間一髪アウトー! ファーストの三池もよく体を目一杯伸ばして捕りました!』
「凄い対決だったぞ!」
「ナイスファイト2人とも!!」
「よくやったぞー!」
『しかし…、この19球にも及ぶ対決、結果自体はN'Carsの永田に軍配が上がりましたが、場内は大歓声と沢山の拍手で両者の健闘を讃えます! それだけの素晴らしい対決でした!』
『本当に素晴らしかったですね。最後にアウトを取った梶原のあのダイビングキャッチもそれを盛り立てる結果となりました!』
『壮絶な対決、最後は梶原のファインプレーもあってセカンドゴロ、3アウトチェンジ。ランナー3塁のピンチをバックの好守と自らの粘りで無失点に抑えた永田、決して出来は良いとは言えない今日の投球内容でしたがそれでも7イニングを投げてアウト21個を確りと取りきりました!』
「やった…。良かった…」
「ナイスピッチ! お疲れさん」
「うん」
「俊和、栄次、ナイスプレー!」
「しゃあ」
「ほい」
―冷めてんなー栄次は。まあそれも栄次らしいけど。
『グラブタッチを交わして好守を讃えますN'Carsナイン。7回の表は、この試合の初回裏以来の、東根チェリーズにとってはこの試合初めて3人で攻撃を終えたイニングでした』
―1点入ってればもっと楽にできたが…。今更それを言っても仕方ないか。こうなったら、このイニング、全力で投げきるか。
「よし、皆よぐここまで守ってきた。永田はよぐ投げきった」
「ありがとうございます」
「お疲れだがら、ゆっくり休んどけ」
「えっ…。まだ7回裏ありますけど」
「いや、良いんだ。後のことは皆さ任せでよ、おめはゲームセットまで休んどけ」
「はぁ…」
「どうにかこうにか、頑張ったヤツさ、皆で勝利をプレゼントしてやれ。良いな!?」
「はい!」
「よし、円陣」
「あ、ええから。オレがやる」
「え」
「後のことはオレらで決めたるからな。な、皆?」
「ああ」
「うん」
「よっしゃ、逆転するで!!」
「おー!!」
『この7回表まで両チーム合わせて実に30本ものヒットが飛び交いました。本数は東根チェリーズが19本。先発全員マルチ安打も達成しています。一方N'Carsも11本。4番三池の2試合連続ホームランなどで一時6点差あった試合が3点差にまで詰め寄りましたが、その3点ビハインドのまま最終回を迎えます。この回N'Carsは下位から始まります』
『7回の裏、N'Carsの攻撃は―6番 ライト 片山』
『今日ライトで戦況を見守ったエースの片山から始まります』
「プレイ!」
―よう投げたな。確かに酷い内容やったけど、ここまでよう頑張ったアンタに、
必ず白星付けたるで!!
キィーン!
「!」
『初球攻撃、右中間だー!!』
「抜けろーっ!!」
ポーン…!
『抜けたー! 真ん中を破った!』
「よっしゃ開次廻れーっ!!」
「3つだ! 3つ行ける!!」
―元々そのつもりや。言われんでも行ったる。
「中継入って! バックサードだ!!」
「こっちによこせ!」
『バッターランナー1塁から…、2塁も蹴った! 3塁へ向かう!!』
「サード!」
「滑れ滑れーっ!!」
『バックサードは…、』
「セーフ!」
『タッチできない! エース片山、スリーベースヒットでチャンスを作りました!』
「やったぞナイバッチ!! ナイラン!」
「よく打った!」
「皆これに続けー! キャプテンを助けたれやー!!」
『3塁にはヘッドスライディングで飛び込みました。こちらも気迫あるプレーを見せます』
『相手は格上なのですが、全く怯む気配がありません。それどころかずっと攻め続けています。こういう姿勢を続けていることは大事です。確かに今劣勢ですが、ここまで攻め続けた結果がこの善戦になっていると思います』
『7番 セカンド 梶原』
『ノーアウト3塁のチャンスに打席には今日まだノーヒットの梶原。しかし今日は守備で再三に亘る好プレーで永田を助けてきました』
『打つほうでも助けたいですね』
「栄次ー」
「ん?」
「もう後がないからな、どうせアカンかったら思い切り振って打てへんかった気分晴らせや」
―ああ。
―今日はノーヒットだが犠打2つ、さっきはスクイズを決めた。少なくとも最低限の仕事はできるヤツだ。点差も3点あるし、1点やっても良いからアウトを1つ取ろう。
―わかった。
―思い切り振って、まず1点。チームの為にも、
永田の為にもな!
キィン!
『これも初球攻撃、三遊間破ったー!!』
「やったぁ!」
「良いぞー栄次!」
「ナイスバッティング!!」
「ようやったで!!」
『3塁ランナーホームに還って9対7、その差2点! 7番梶原、今大会初ヒットは土壇場7回裏でのタイムリーヒット!』
―狙い通り1点はやったが、ランナーが残ったか…。1アウトを取るつもりが1つ違う結果になったか…。
「良いから今の1点は! それより切り替えて、ランナー1塁だからゲッツーシフト取れ!」
「はい!」
「内野ゲッツー!」
「バッテリー低めに放れ!! ゴロ狙いだ!」
「はい」
『8番 レフト 桜場』
「俊和続けよー!」
「永田かて栄次かて頑張ったんやからな、アンタも結果出したれや!!」
『N'Cars、この回連打で1点を返し尚もノーアウト1塁、1発が出れば同点の場面! ただ今日桜場は3打数3三振とバッティングでは良いところがありません』
「振り回さんかったらええ結果出るから!」
「そうそう。最低でもゴロでランナー進めて!」
『守備では好守もありましたのでね、ここで1本結果を出したいところですね』
―集中的に低めに集める。ボールになっても良い。間違っても高く放るとやられる。
―ああ。
パァン!
「ストライーク!」
「なあ皆、あのドアスイングでゴロ打ち期待できる思うか?」
「無理」
「無理」
「無理」
―せやろな。
『低めのボールを空振り、1ストライク』
『しかし闇雲に振ってますねえ。確かに1発で同点ですけど、もうちょっと落ち着いて打っていったほうが良いかと。あとスイングもコンパクトにすれば良い結果が出ると思いますが』
―同じところに。
―わかった。
パァン!
「ストライクツー!」
「だ~…」
―こりゃアカン。
「桜場、桜場、あんま大振りするごどねぇぞ! 短く持ってコンパクトに行け!」
「はい」
―言うて大丈夫かなアイツ…。
『同じところへ2球続けて空振りで2ストライクと追い込みました東根バッテリー』
―あれ、散らすと思ったのに。2球も同じとこに来て。集めるのか?
『3球目』
―よし!
ビシィ!
「ストライクスリー! バッターアウト!」
『縦のスライダー! ワンバウンドにさせて空振り三振! 投球がワンバウンドしましたがランナーが1塁にいました。ノーアウトか1アウトの場合は、スイングの時点で打者アウトとなります』
―よし!
―縦スラのキレは相変わらずだ。これならいける…、と言いたいが次が縦スラ打ってるヤツなんだよな。
「俊和ドンマイ!」
「まだ1アウトや、終わったんとちゃうで」
「そうそ! こっからこっから!」
『9番 サード 都筑』
『今日は左右に3打数2安打。第1打席は縦のスライダーを捉えて2点タイムリーヒットを放った都筑』
『この都筑も好守ともに今日は活躍。ここでも1本出せるか』
―この後の萩原も小宮山も当だっでる。1アウト1塁…、送りてぇとこだが2点ビハインドだがらな、打たせるしかねぇな。
―ゲッツーで締めよう。また上位に返ると色々厄介だ。
―わかった。当然低めだよな?
―ああ。
―ん…。
『マウンド上の佐藤 大将は先程の投球で球数が丁度80球目です。次が81球目』
「あっ」
『バントの構えだ!』
―何!?
コッ。
『プッシュ気味に1塁方向へ! 良いバントになった!』
「よし捕る!」
「任せた!」
「頼んだぞ…、あっ!」
「あっ!?」
「やった!」
『あーっと、1塁に誰もいない! 3人が一斉に打球を追ってしまった!』
「走れ健!」
「間に合うで!」
『慌ててセカンドが入るが…、』
「セーフ!」
『1塁ヘッドスライディングはセーフ! ファーストからトスを受けたセカンドが慌てて1塁ベースに入りましたが間に合わず!』
『これは珍しいですね…。こうしたところの連係プレーも確りしている印象の東根チェリーズとしては、らしくないミスですね』
『そうですね…。記録はバントヒット、都筑も今日猛打賞ということですが』
『ただこれ誰が捕るかで結構迷いがちな難しいポイントに転がったんですよ。1・2塁間とピッチャーの丁度真ん中ですので、3人とも捕れる範囲に転がっただけに返って起き易くなってしまったミスでしょう。記録はヒットということですけども、こういう見えない、記録に表れないミスが結構守ってるほうとすれば厄介なんですよねぇ』
『1アウトランナー1塁2塁。長打で1塁ランナー還れば同点、1発が出れば逆転サヨナラのピンチという東根チェリーズ』
―…ヤバいな…。三振取って一旦はムードを断ち切ったけど、今のバントヒットでまた戻った。更に押せ押せムードが加速してる…。土壇場のこの状況でこれでは…、大将でももたねぇかもしれん。
『場内はもうN'Carsの押せ押せムードですね』
『そうですね。ここを東根は耐えられるか。幸いなのは1塁2塁と3塁まではフォースプレーがとれる状況ですので、ゴロであればアウトは取り易いですよ』
―押せ押せムードちうても客が作ったもんやったらアカン。ここに居る人は作ってへんけど。試合しとるもんが、自分たちで作り出すんや。
『1番 センター 萩原』
―この状況でさせてもいないが…、代えるか。
「タイム!」
「タイム!」
「誰か、大将の野手用グラブと錦のピッチャー用のグラブ持ってってやれ!」
「はい!」
「伝令頼む」
「わかりました。ピッチャーとレフトの入れ替えですね?」
「うん。すぐ伝えて来い」
「はい!」
『ここでタイムがかかります。ちょっと慌しくなってきた東根のベンチ』
「審判、ピッチャーとレフトを入れ替えます」
「えっ、入れ替え?」
「はい。ピッチャーがレフトへ、レフトがピッチャーに行きます」
「わかった」
「ありがとうございます」
『これ交代ですかね…? ファールラインの前でグラブを2個持った控え選手が待機しています。エースの佐藤 大将が今その近くにいますが』
『あ、でもレフトの佐藤 錦がどこへ行くんでしょうか…? グラブを外してその待機場所に向かってるとしたら交代ですが』
―代えるのか?
「瞬、涼、代えるんやったら狙いどころやで。代わり端を打ち込め」
「わかった」
「よし。続くぞ」
『2人がグラブをそれぞれ代えます。ということは交代ですね』
「ピッチャーがレフトに、レフトがピッチャー」
「はい」
『東根チェリーズ、シートの変更をお知らせ致します。ピッチャーの佐藤 大将がレフト、レフトの佐藤 錦がピッチャー。1番 ピッチャー 佐藤 錦。9番 レフト 佐藤 大将。以上に変わります』
『ここでピッチャーを代えてきました東根チェリーズ。先程までレフトを守っていた佐藤 錦をこのピンチの場面で上げてきました』
『かなり大事なところでの登板ですから本人としては相当な重圧がかかると思いますが…』
『しかもこの佐藤 錦、試合中にブルペンには一度も行っていません。つまり投球練習を今ここでしている規定の練習以外に行っていない中での登板ですが』
『まあ彼は野手が本業ですから攻撃の合間でしかできないわけですけども、ブルペンに一度も行っていないということは元々の予定にはなかった可能性もあるかもしれません』
『そしてレフトに廻った佐藤 大将は6回と1/3イニングを投げて球数81、被安打14、失点と自責点は共に今のところ7、与えた四死球は敬遠2つを含めて4つ、奪三振4個で、ランナーを2人塁上に残した状況での降板となりました』
『リードこそ守っているものの本人としては決して良い数字とは言えないだけにちょっと不本意だったかもわかりません』
「1ボールピッチ!」
―限られた投球練習でのボールを見る限りはコイツも良いボール持ってそう。
―でも構わず打っていく。コイツを打たないと勝てない。アイツの努力も報われない。
「バッターラップ!」
『さあ投球練習が終わりました。1アウト1・2塁のピンチの場面で登板した佐藤 錦、今日3打数1安打と当たっている萩原との対決から始まります』
『バッターは 1番 センター 萩原』
「プレイ!」
―…、決めてくれ…。
「萩原、決めてくれ!」
―永田!! よし、お前の為に1本、
―打つ!!
カキーン!
『代わり端の初球は右中間へ上がった!』
「行けぇー、伸びろー!!」
『センター、ライト、下がるーっ!!』
ポー…ン!
『抜けたぁっ! さぁ長打コースになった!』
「廻れ廻れー!」
「栄次還って来い!」
「真廻せ!」
『2塁ランナーは3塁を廻った! 1塁ランナーも2塁を蹴って3塁へ!』
「1塁ランナーは3塁で止めろ! ホームに行ったらアウトにしろ!」
「バックホームだ!! 中継ホーム方向にカットに入って!」
『まず1人還って1点差! 1塁ランナーは…!?』
―来る!
『3塁コーチャーの沢中廻したー! 1塁ランナーもホームへ!』
「こっちに来た!」
「バックホームだ!!」
「健頭っからだ! 飛び込め!」
『ヘッドスライディングとバックホームの球がほぼ同時に来た! タッチはどうだ!?』
「健…」
ホームの様子が砂塵に隠れてすぐにはわからない。砂塵が晴れて、やっと判定がし易くなる。
―どうだ…!?
「セーフ! セーフ! セーフ!!」
『セーフだ―――!!! 1塁ランナーもホームイン、遂に土壇場で試合が振り出しに戻りました!!』
「やったぁー!!」
「瞬よく打った!!」
「ナイスバッティング!!」
「栄次、健、ナイラン!!」
―ふぅ…。良かった良かった…。
『ホーム僅かにタッチが間に合わず! ヘッドスライディングで伸ばした手が一瞬先にホームベースに触れました!』
『こうして今スローでリプレイを見てもかなりホームギリギリですね。この際どいタイミング、サードコーチャーの沢中よく廻しましたねー』
『N'Carsの1塁コーチャーは背番号16番の中津、3塁コーチャーは背番号12の沢中。その沢中の思い切った判断がこの同点打をアシストしました』
『打った萩原、ホームにギリギリのタイミングで滑り込んだ都筑、一か八かのタイミングで思い切った判断をした沢中。この3人が演出した素晴らしい一打でした』
『その萩原は3塁へ。記録は2点タイムリースリーベースヒット。よくここで結果が出ました!』
『2番 ショート 小宮山』
「さてと」
「ああ、永田は急ぐな。打席廻ってきても、ゆっくり行って良いから」
「はい」
『さあ1アウト3塁。サヨナラのランナーが3塁にいます』
『このランナーはどんな理由があっても絶対に還してはなりません』
『そうですね。この大ピンチで内外野は前に来ました』
『そうですね。もっとぐぐーっと前のほうに詰めて』
『これしか防ぐ策ないですか』
『ないですね。3塁ランナー還ればサヨナラなわけですから、外野を越えれば当然のことですし、当たり損ねの内野ゴロでもいけません』
「内外野もっと! ぐぐーっと前に詰めて!」
『3塁ランナーがいるのでベースについているサードの北光を除く全ての内外野が極端な前進守備を敷きました』
―兄貴抑えろ。
―凡打を期待するしかない。
「涼打て!」
「お疲れのキャプテン楽にしたれや!」
『敬遠しても次がクリーンアップですからこれしか策がありません東根チェリーズ』
―決めろ小宮山…、何とか1本、頼む!!
キィーン!
―…あっ!?
『大きい―――っ!!』
―まさか…!?
―待て、打球見てからスタートだ。
「マサぁ!」
―冗談じゃねぇ。
『前に来ていたレフト、下がる―――っ!!』
―終わらせて、
―たまるかぁ―――っ!!
ドン…!
―え…。
『フェンスに当たった! 今3塁ランナータッチアップからスタート!』
「やったぁー! 瞬ホームに還って来い!!」
―ちゃんとホームベース踏めよ瞬…。
『外野の遥か後方に打球が転がっていますが…、』
「はい」
「ホームイン! ゲームセット!」
『バックホームはできません! N'Cars、土壇場で見事、逆転サヨナラ勝ち!! 強豪東根チェリーズを10対9で下して3回戦進出ー!!』
『お見事お見事!』
『1塁を廻ったところでガッツポーズをした小宮山も今、その歓喜の輪に駆け寄ります』
「よっしゃよっしゃ!」
「やったぁ!」
「2つ勝ったぞ!」
「ちょっと皆さーん」
「涼ナイスバッティング!!」
「ちょっと皆さーん、聞こえてるー!?」
「ちょっと皆落ち着いて。キャプテンがお怒りや」
「いや、別に怒ってないんすけど」
「だったら何よ…」
「もうちょっとさあ、相手を気ぃ使ってやって」
「えっ」
永田の言う通りだった。総じて東根ナインはショックから肩を落としていた。ホームのバックアップに来ていた佐藤 錦は落ち込んだ表情を見せ、目の前でサヨナラのホームを踏まれた豊は暫くそのホームを見たままだった。それだけではない。内野陣は総じてマウンドより前には行けなかったし、外野に至っては…、特に左中間は重症だった。
―負けた…。オレが不甲斐ない所為で…、こんな無様な負け方を…。
レフトに廻ったエースの佐藤 大将は地面に突っ伏したまま動けない。最後は身を投げ出してまで捕りに行ったが、無情にもボールはフェンスへ。そのダイビングの時の姿勢のまま、動けなかった。
―終ワッタ…。あうと、取リキレナカッタ…。
センターのジャボレーもフェンスから跳ね返って転がったボールを右手に持ったまま、力なく立っている。ライトの黄川田も、その場にしゃがんだまま動けない。
「うん。もうやめとこ」
「あと早く整列して。審判も第4試合なのにこんな打ち合いになってさぞお疲れだろうから」
「ああ、どうもありがとう」
「どういたしまして。はい、1列1列真っ直ぐに」
「よし、こっちも並ぶぞ。早く皆来て」
『先にN'Carsが整列を始めて、続けて東根チェリーズの選手たちも整列を始めます。ショックからでしょうか、暫く立つこともままならなかった選手もいましたが…、続々とホームプレート前に整列します』
「誰かマサ連れてきて…、あっ」
―ジャボレーさんサンキューです。
「最後あの2人か」
「ウチの弟がすみません」
「えっ、弟?」
「うん。マサはオレの弟」
「あらぁ…、そうなんだ」
「ちょっと君たち」
「はい?」
「私語はできるだけ慎むこと」
「はい」
「すみません」
―全員並んだな。
「10対9で、N'Carsの勝ち。礼!」
「ありがとうございました!!」
カクテル光線が選手を照らす中、試合終了のサイレンが鳴る。一礼の後、両チームのナインはお互いに向かい合っている選手同士で、激励や労いの言葉をかけ、握手を交わす。
「勝って来い」
「ああ」
―向こうは良いヤツらばっかだったな。初戦もそうだったけど。
永田と錦は右手の拳で軽くタッチを交わすと、それぞれのベンチ前に戻っていった。
「じゃ応援団挨拶。速やかにやろう」
「よし、皆急ごう」
元々1番遅い日程になる第4試合。長丁場になったこともあり、試合後の行動もいつにもまして迅速だった。
「はい。真っ直ぐに…、うん。気を付け、礼! 応援ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
揃って一礼。一時大差がついた試合を土壇場で逆転サヨナラ勝ちしたためか興奮が冷めない中、彼らはいつものルーティンをいつも通りにこなした。
『試合開始は午後3時半。試合終了は午後6時3分。今日の第4試合、実に2時間33分に及ぶ打撃戦は公式戦初出場のN'Carsが最終回、7回裏の土壇場での逆転サヨナラでこの山形県内では強豪クラスと認知されています東根チェリーズを下したゲームでした』
「はい、急いで戻って片付けて! この後もてきぱきとやるよー!」
「ベンチ拭きは?」
「やる。雑巾持ってきた」
「2枚?」
「2枚ある。とにかく誰でも良いから手ぇ空いたヤツやってくれ」
「永田さん、アイシング…」
「えっ、あっ、そっか」
―チームの指揮で精一杯やったな。
「永田はアイシングしててええから。荷物は代わりに誰か…」
「オレがやるよ」
「祐希、やってくれるか」
「うん。どうせ物入れるだけだし。それに浩介もクールダウンのキャッチボールあるでしょ?」
「せやな。でも、一通り纏めてからのほうが…」
「だば、アイシングは後だな。先におめだづはクールダウンしててけろ」
「はい」
アイシングをしかかった永田と荷物を纏め終えようとしていた関川は、とりあえずクールダウンのキャッチボールをすることに。
『山下さん』
『はい』
『最後は逆転サヨナラで締め括ったこの試合でした。振り返って如何でしたか?』
『とにかくお互い打ち合ったというのが第1印象です。ホームランは両チーム合計3本出たわけですが、大味というよりは両チームとも好球必打に徹した結果が今日の打撃戦に繋がったと思います』
『ヒットの数ですが、東根チェリーズは19本、先発全員マルチ安打も達成しました』
『東根チェリーズは走攻守確りしているチームという印象だけに、ただ数を重ねたのではなく先程も言いました好球必打ですとか、そうした基本に徹した上での結果でしょう』
『特に1番のキャプテン・佐藤 錦は先頭打者ホームランを含む2安打、2番の高砂は大技小技を存分に見せ付けてメンバーの中で自らの1発を含め唯一の3安打猛打賞でした』
『この2人がN'Carsのバッテリーとすれば最後まで脅威だったかもわかりません。中々勝負するのが難しかったと思います』
『一方のN'Carsもヒット16本。相手は好投手のエース・佐藤 大将、そしてその佐藤 大将を救援した佐藤 錦も中々良いボールを投げていた中の結果ですが』
『そうなんですよねえ。ただ考えてみれば今日は最後までライトを守ったエースの片山投手がですね、1回戦で凄い良いボールを投げていたんですよ。140km/hを超える真っ直ぐをバンバン投げてましたからね』
『その片山の球を日頃から打ち慣れている分…』
『あまり対応には苦労しなかったと思います』
「こんなもんやろ」
「うん」
「よし、帰ってアイシングな」
「わかっ…、あっ」
「ベンチ掃除してたん?」
「うん。ベンチ拭きも終わったぞ」
「サンキュ。雑巾は?」
「バッグの上」
―せめて入れてくれよ…。オレの道具は一通り入れてくれてるのに。
雑巾を2枚バッグの中に入れたところで、後にしていたアイシングを始めた。右肩から右肘にかけて、アイスパッドが入ったサポーターを巻きつけるようにして固定する。
「よし。ありがとさん」
「うん。もう皆並んでるから」
「あら。ごめんなさい」
「まあ慌てねくて良いぞ。荷物全部纏めたし、ベンチの掃除も全部やったし、後おめが列さ加わるの待つだけ」
「はい…。並んだね」
アイシングの手伝いをしていたマネージャーの井手と永田が遅れて列に加わり、整列を終える。
「気を付け、礼! ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
『ただですね、勿論課題もあるんですよ。両チーム』
『課題、ですか?』
『あれだけの打ち合いなので当然打撃ですとか攻撃面の良さに目が行きがちですが、まず東根チェリーズは走塁面に課題を残しましたね』
『どんな課題ですか?』
『まず、19安打を放ちながら4併殺は粗い。走塁の判断ミスが絡んでの併殺もありましたので、先程走攻守確りしているという話をしたんですけども、今日はちょっと走塁ミスが多かったかな、と。後半、追われている状況で無茶した場面もあったのでもう少し冷静に判断できると本来の良さが出てくると思います』
『無理な進塁、ということですか?』
『そうです。徐々にらしさを欠いていってしまったのが勿体なかったですね』
『両チーム課題があるということでしたが、N'Carsは?』
『打線は今日のような粘り強さがあればこの後も良い戦いができるかと思いますが、守備が…。1回戦もそうでしたけど、失点に繋がるエラーが多い。今日も3失策、うち2つは失点に至りましたからね…』
『1回戦、N'Carsは4つのエラー全てが失点となってしまいました』
『その上今日の様子を見ると片山以外の他の投手陣が心配ですね。今日先発した永田は徐々に球は修正できたものの相手が格上とはいえ序盤で既に大量失点していますし、フィールディングもまだまだです。明日休養日ですけども、どこまで修正できるか、ですね』
『今お話があったように明日は休養日、試合は一切ありません。N'Carsは他に背番号10番の左の高峰、背番号11番で三塁手も兼ねます右の黒谷と2人控えピッチャーがいますが今大会この2人登板はまだありません。次以降の試合でこの2人が登板するのか、するとしたら先程山下さんが仰った課題面をどこまで修正できるかが重要です』
整備員がグラウンドを均している中、N'Carsの選手たちは順々に専用の通路を通り、ロッカールームへ向かう。昨日と同じく、ミーティングをしてから掃除をして帰るようだ。
―まあ、負けた手前、課題があるんだよな。その課題を直すまでは越したい壁も越せないわけか…。
同じくグラウンドから引き上げようとする東根チェリーズの選手たち。キャプテンの佐藤 錦は、一からの出直しを誓った。
『今、グラウンドでは整備員によるグラウンド整備が行われています。その中を、両チームの選手たちがそれぞれ一礼をしてからグラウンドを後にします。球場にご来場頂いていたお客様も続々とそれぞれの帰路につきます。1つ壮絶な試合を目の当たりにしただけに、どこか寂しいところもあるかと思いますが』
『時間は経っても1試合1試合の激闘というのは見た者、試合をした者、それに関わった者…、我々もなんですけども、それぞれの視点からそれぞれの形で記憶に残るものです。でも、そこで終わりではないんですよ。また次があるんです。勝ったN'Carsは次以降の試合もあることですし勿論のこと、敗れた東根チェリーズもこの試合で得たことはある筈ですから、この経験が後に活かされると良いですね』
『グラウンド整備によって、激闘が終わったことと、また新たな戦いの準備をしている様子。これこそがまさにそれを象徴していると思います。今日の第4試合は今大会初のナイトゲームの末、10対9、逆転サヨナラで公式戦初出場のN'Carsが強豪東根チェリーズを下した試合でした。この試合で大会3日目、2回戦の日程は全て終了しました。先程も申しましたが明日は休養日ですので試合は一切ありません。明後日4日目はこの2回戦を勝ち上がったチーム同士による3回戦が羽前球場と北前球場でそれぞれ4試合ずつ行われます。明々後日大会5日目はその3回戦を勝ち上がった8チーム同士による4回戦、即ち代表決定戦が行われます。この5日目で勝利した4チームが山形県代表として全国大会に出場します。その4チームは果たしてどこになるでしょうか。解説は高校、大学、そして社会人といずれもトップレベルの環境で野球を経験され現在も社会人チームの監督をされております山下さん、そして実況は私奥田で今日の北郡球場第4試合の模様をお送り致しました。山下さん本日はありがとうございました』
『はい、こちらこそありがとうございました』
『それではこの北郡球場から失礼します』
その頃、3塁側ロッカールーム
先程までの激闘を終えたN'Carsナインは、荷物と道具を持って全員ロッカールームにいた。
「では、これからミーティングを始めます。お願いします」
「お願いします」
「まず、勝ったね。相手格上だったけど、良ぐ勝ったな。内容は酷かったけど」
「すみません酷い大モトは私です」
「わがってんだば良い。前も言ったけどよ、あんま引き摺るな」
「はい」
―コイツちょっと思考がネガティブなんやろか…。昨日もこのミーティングで凹んでたし、ミスを大袈裟に捉えとるからなー。
「言うても、目に見える範囲では、の話やろ」
「そうそう。見えへんとこに課題あったりするからな」
「見えねぇとこが。どこだ? 今日で言うと」
「基本スコアブックに残らないとこがそうなんですが、例えば俊和」
「はい」
「スコアブック曰く、4打席全部3球三振で終わってんねんけど」
「はい」
「闇雲に振っとらんかったか?」
「あ」
―ほれ。出鱈目に振ってもアカン言うてるのに。
―その癖直らんかったらいつまでたっても三振メーカーやでお前。
「スコアブックやったら空振りで纏められてますけども、ボール球を振っても同じ記号になるんです。そのお陰で、『ボールを振った』いう解釈がスコアブック上から消えて、『ストライクを振った』いう解釈にもなり得るんです。見える範疇やったら見直せば思い出して改善に繋げられるんでしょうけども、見えへん範疇やったらスコアブックを見直しただけではすぐには細かいことまで出ぇへんから、何がもとでそうなったのかがわからへんのです。課題の根本がそういう見えへんところにあった場合、気づかずに日が過ぎてまうでしょ?」
「まあ、そりゃ」
「つまり、いつまでたっても課題の根本的な改善に繋がらへんのです。そこを直さん限りは。見える課題より見えへん課題のほうが、もっと厄介なんです。直すちぅたら見える課題もそうやねんけど、見えへん課題も見落とすな、こういうことですよ」
関川のこの説明で、ナインは一層考え出した。
―見えない課題ねぇ…。
―あったかな? どこか…。
「この先格上のチームといずれは当たるかもしれないから、今のうちに反省しとけ、ってことでしょ?」
「せやね」
「格上のチームって小さな隙も逃さないからな」
「ちょっとでもあったら一気に抉じ開けるで…。隙間を広げられたら、今日の初回ちゃうけど、ビッグイニングにもなり得る」
真剣な眼差しで今の台詞を言った関川。全国クラスの激戦区である地元・大阪の野球を何年も見てきているだけに、その怖さを知っている身からすれば、見えない課題の重要性は良く心得ていた。勿論それは同郷の片山も同じで、
「ミスなかったことになってもそんなん偶々や思え。ホンマやったら敗戦まっしぐらにもなり得るで」
こう言い放った。
「まぁ、すぐには出ぇへんかもしれん。試合のすぐ後やから。じーっくり思い出して、これがもとでアカンようになったいうのあったら、1個ずつでかまへんから直してこ」
「そうだべな。表面だけでなぐて、内面の部分も含めて課題だからよ、その部分を直さねといげねってことだ」
「監督ありがとうございます」
「今の関川の説明にもあったように、課題解決ってよ、内面の駄目なとこも直して初めて解決したことさなるんだ。それでいくと今日…は」
「まず私ですね」
「いや、おめは良いがら」
―自覚できでるのを態々ねぇ…。ネガティブが過ぎでる気がする。
「まずバッティングだな。確かに16安打10得点、皆良ぐ打ったと思うよ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「で、数値はともがく、昨日言った、スイングを逆方向さしましょう、ってヤツ。あれはできてたほうかな。ランナー進めたりとかで必要なとこはそれで良いとして、そうでねぇ時。ちょちょこって感じだったけんど、逆方向さ打とうっていう意識はこの後も大事だがらな」
「はい!」
「次に守備だなー…」
ここで監督も考え込む。ナインも苦笑がやっとという状態。2試合で合計7失策ではお世辞にも守備が良いとは言えない。
「うん…。数の上では1個減ってるがらまだ良い。それからエラーが得点さ絡まねがったのが1個あるが、エラーしても失点さ繋げねがった粘りは良かった。これは大事にしよう」
「はい!」
「で、あと2つ…。そのまま失点さなってしまった訳だが」
「はい」
「わかっております…」
「やや無茶したかな、というのが1つ。攻めるプレーをした上でのミスだがら完全には責めきれねぇけど」
「でもちょっと無理やったで。あれは間に合わんかったタイミングで強引にやってますからやっぱり無茶ですよ」
「いけると思ったのに…」
「だば無茶だな。で、もう1つは一見平凡に見えるけど、あれさもちゃんと理由がある。ボールを巧く掴みきれでねぇ」
「あれ、そうなの?」
「そう…。グローブのポケットかと思ったけど先っぽのほうに当たっちゃった…」
「うん。ファインプレーやれるようなプレーヤーでも、基礎は大事さ。他のヤツもだぞ、昨日も言ったけど、ここで確りと聴いたことが、次以降役立つ筈だがらな」
「はい!」
「で、簡潔に纏めると、さっきの関川の意見と監督の補足を合わせたあの見えない課題のヤツ。その見えない部分から見つけて1個ずつ直していくことと、守備はまず基礎を大事に。あとバッティングは、今日はできてることもあったけどそれでも逆方向と繋がりを徹底的にしていきましょう。では」
「以上だな」
「はい。これでミーティングを終わります。ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「では忘れ物ないように荷物纏めて、あと昨日と同じくこのロッカールームを掃除してから出ましょう」
「はい!」
「よし、掃除用具出して」
N'Carsナインは昨日と同じく、荷物を纏めるとロッカールームを長箒で掃いた。床にあった土を1箇所に纏めて塵取りに入れると、永田はその塵取りを片手にグラウンドに返すべく、ロッカールームを出た。
「おっ、待ってたよ」
「ありがとうございます」
昨日と同じ係員の方だった。3塁側ベンチ裏の待機場所では鍵を開けたまま、その係員が待っていた。
「昨日のことがあったからね」
「それはどうも…。色々とご迷惑をお掛けして」
「いやいや。折角自分たちで綺麗にしてくれてるんだから」
係員は永田から塵取りを受け取ると、扉を開けた。
「後のことはやっておくから」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
永田は礼を言うと、そのままロッカールームの前に戻った。
「塵取りは?」
「やってくださるって」
「また…」
「でもわかってたみたい。こっちが昨日みたく土入りの塵取りを持ってくるのが」
「せやろなー。あんなにすんなりいったから…」
「よし、もう日も暮れたし、早いとこ長井さ帰るべ」
「はい。ロッカールームの出入り口に1列に並んで」
昨日は少しゴタゴタしたが、今日は少しスムーズにいった。
「並んだな…。気をつけ、礼! ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「じゃ、出る時も」
このタイミングで、先程の係員が空になった塵取りを片手に戻ってきた。
「どうも、先程は」
「いえ、こちらこそ。次戦も…、って、あれ、次は確かウチではなかった筈…」
「そう…、ですね…。次北前だった筈…」
「北前球場ですよー次」
「お、真奈美ちゃんサンキュ」
「だとすると一旦…」
「えっ」
「私はここの専属だからね。他の球場ではないんだ。事前に係員は皆配属先が決まってて、その球場以外では働けないようになってる」
「そうでしたか…」
「だからこの大会からは一旦退くけど、今後の皆さんの活躍、期待しているよ」
―そうだったのか…。球場は複数で行うけど同じ大会だからてっきりスタッフもやる球場に移動してやるもんだと思ってた…。
「ありがとうございます。あと2日間、ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
ごく自然に出た台詞だった。ルーティンにはなかった。だが昨日今日とこうして色々携わってくださっただけに、言わずしては終われないと体が反応したのかもしれない。
「では、道中お気をつけて!」
「はい!」
最後まで良いお方だった…。2つ勝ったとはいえ初出場であまり何から何までわからないようなN'Carsを、こうして引っ張ってくださった。選手用の出入り口に出るまで、ずっとそのことで心がいっぱいだった。
出入り口に着いたところで、ナインは再び1列に並び直した。
「真っ直ぐだな…。気をつけ、礼! ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
「はい、今日はありがとうございました」
「よし、バスも待たせてるし、もう遅いから急ごう」
「今日もダッシュだな」
「よし、皆急げ!」
「急ぎ足でな、スピーディーに」
挨拶を終えたナインは、昨日に続いて荷物と道具を抱えてダッシュでバスに向かった。昨日よりは大人しくはなったが、マスコミは少数ながらもいた。
「N'Carsさん、取材にご協力お願いします」
「勝利の一言をどなたか」
「せめて何か一言」
「あっ、ちょっと、出ちゃ駄目ですよ」
「えっ…、あっ、そっか」
前もって用意したエリアからは、既に昨日の通達により出られない。彼らは処分の対象外のメディアではあったが、それでも取材対象を本能的に追いかけようとしていた。
「出たらアウトなんだよな…。何してくれてんのやあの記者」
「中々自由にとはいかないですね…」
「相手に拒否されたら仕方ないけど、こんな形で制約がかかるとは…」
1人の勝手な行動の所為で無実の彼らに皺寄せが来てしまった今回の問題。不満が出るのは当然だろう。同じようなことは全国各地でも起きていたようである。
「よし、全員いたかな。1、2、3、…、全員います」
「わがった。それじゃ、よろしくお願いします」
「はい。では安全運転で参りますので、よろしくお願いいたします」
N'Carsナインを乗せたバスは北郡球場を後にした。これから暗くなる中を、激戦の舞台となった新庄から彼らのホームグラウンドがある長井まで南下する。このバスだけでなくあらゆる車が皆白色電球入りだったりLED入りのヘッドライトを点灯させて走っている。唯一走行中に室内灯の点灯が認められている2ナンバーの車は、その室内灯を点灯させて周りが暗くなった国道13号を走り続ける。
―今頃夜の県内ニュースの時間かね。もう過ぎたか? 多分速報って形で入ってると思うけど、扱い小さいってオチもあるからな…。
今日熱投した背番号9は、ボーッとしたままそんなことを考えていた。既にアイシングは井手に外して貰っている。
―疲れた面やなー。まあ、それだけアイツにしてみりゃしんどかった試合やったんな…。
関川は、今日全球を受けた相手の表情を見ながらこう想像した。その後、一瞬後ろを見やった。
―あ、やっぱり。皆もか…。そらそうやろな、2時間33分も戦ったんやから…。
他のナインも疲れきった様子だった。中には既に寝ている者もいる。
―ま、長井までは長いから。ゆっくり休んだれや。
関川もリラックスした表情になり、そのままゆっくりと眠りに就いた。
―ん。マイクロバス…?
N'Carsを乗せたバスが信号待ちの為減速を始めた時、永田は右隣を走るマイクロバスに気づいた。室内灯が点いているので、おそらく誰か乗っている。
―誰だろう…?
先にそのバスが止まり、続けてNCナインが乗るバスも丁度その真横に止まった。
―えっ…!?
―あれ…!?
偶然にも、そのバスに乗っていたのは、先程までN'Carsを鎬を削り合っていた東根チェリーズのナインだった。東根チェリーズ側では、錦が真っ先にN'Carsのバスに気づいた。
―おう。
―何という偶然。
さすがにバス越しで対話するのは難しいので、アイコンタクトとジェスチャーで対話することにした。
―そっちもお疲れさんです。
―うん…。皆寝ちゃった。
錦はちょっと笑った後、
―オレんとこも。
と返した。
―凄かったなー今日。
―そっちもな。
―ナイスピッチ。
―ナイスバッティング。あ、ナイスピッチもか。
―投げるほうは良い仕事できなかったけど。打つほうはね…。
―あれでびびったわオレ。
―マジ?
―うん。ありゃ、青になっちゃった…。
交差点の信号が青に変わる。N'Carsナインのバスは南下を続けるが、東根チェリーズのバスはここで右折する。追い越し車線から右折レーンに入りかかるところで、
―じゃ、頑張れ。バイパスは広いけど周り暗いから気をつけろよー。
―そっちもな。市街地は明るいけど道狭いから気をつけて。
それぞれの主将は、それぞれのチームを乗せたバスに運ばれる形で帰路につく。この交差点を山形・米沢方面に向かうところから右折すると、東根市街に向かう。
―ふぅ…。暫くゆっくりするか…。
永田も再び寛ぎ始めた。音楽プレーヤーに挿したイヤホンから流れる音楽を聴きながら、疲れた体を癒していた。
―勝つことは勝ったけど、またオレの所為で点取られちゃった。明日休養日だけど、どうすっかなぁ…。
今日までの自らの内容を反省しながら明日のことを考えていたが、考えているうちに自然と体がリラックスしてしまったのか、途中で寝てしまった。
―んっ?
バスが減速して停車したような感覚が体に伝わり、永田は目が覚めた。
―着いたのか? …いや違うな、ここガソスタだ…。
国道348号線沿いのガソリンスタンド。ここが小滝峠に入る前の最終のガソリンスタンドということでか、バスは給油の為に停車したようだ。
―気づかんうちに随分南下したのな。しかし周り暗いなー。ここは明るいけど。
少なくとも今いるスタンド以外で、明かりが点いている場所はというと、この先の方角だと民家が数えられるくらいか。遠方に明かりがポツポツと見える以外は確かに周りは暗い。
―どうするかな…。
バスのエンジンがかかる。バスはこれから小滝峠を越えて長井に向かうという予定が既に決まっているが、永田はこの後着くまで何をすべきか考えていた。
―着くまでもうちょっと寝るか…? …いや、さっきまで寝ちゃったから無理かな…。でも起きた手前今日のこと暫く振り返っても良いかも。
というか寧ろそうしたほうが良いのだが。昨日に続いて今日も内容としてはどう考えても戦犯と言われかねないのだが。攻守ともに。
ガソリンスタンドの店員さんの誘導でバスはゆっくりと国道348号線に戻る。当然ながらバスの運転手さんも自分で左右と安全を確認してから出る。
「ありがとうございましたー」
ガソリンスタンドを出るバスに、店員が脱帽して一礼。
―疲れてる筈なのに良くルーティン崩さないよな。ガソスタ行く度に良く見る所作だけど、全くブレてない。余程体に染み付いてるんだろうな…。
店員の一連の行動に、ただただ感心していた永田だったが、そこで永田は考えた。
―待てよ…? 体に染み付いているってことは…、それだけ数多くの場をこなしたか、或いは相当練習したか、だよな…。そう考えると、一連の礼儀とかの所作はともかく、技術面全然ってこと? でなけりゃあんな酷い内容で足引っ張らないよな…。明日どうしよ。休養日だけど練習するか…、いや、オレ個人の為に周りを参加させるのも癪だから自主練習か…。
明日は休養日。この日はどう使おうが自由なのだが、N'Cars含め勝ち上がったチームにとってはその翌日以降も試合があるわけで、その意味では自由といっても色々考えさせられるものである。そもそも休養日というのはこれまでの練習や試合等で疲れた体を休ませることが第一に定義としてあるわけで、それを考えるとパフォーマンスの維持が最優先事項になる。
―うーん…。オレは休み返上でやるとして、あとの面々はそれぞれの判断に任せましょ。強制しないってことで。
おそらく休養日のことを含めてこの後監督から言われるとは思うが、とりあえず自分の予定は立てておいた。
「…い、おい」
―ん?
「もう着いたで」
「えっ」
―あれ、このくだり昨日もだったような…。
どうやら永田、予定を立てた後も考えごとをしていたらしく、そのまま寝落ちしてしまっていた。
「皆降りたの?」
「降りとるわ。荷物と道具纏めてバスの前にズラーと並んどるで」
―まーた1番最後に降りるのか。
「ありがとうございました」
バスを降りたところに立っていた運転手に個人で挨拶をして、整列した。
「はい、真っ直ぐ真っ直ぐ」
「仕切らんでも皆真っ直ぐに並んどるわ」
―はいはい。皆さん行動早いね。良いね自主性ある行動って。
―浩介も大変やなぁ。けど今日ばかりはわかる気がする。
「気をつけ、礼! ありがとうございました!!」
「ありがとうございました!!」
「はい、本日もありがとうございました」
―あ、バスの清…、掃はバス会社のほうでやってくださるんだっけ。
「清掃はこちらで行いますので」
―あ、やっぱり。
「明日…」
「は、休養日です」
「大変失礼いたしました。明後日も頑張ってください」
「はい!」
「じゃ昨日と同じく、道具片付けで、終わったらダウンと明日・明後日の連絡」
「はい。じゃ片付け始め!」
「はい!」
ナインは一斉に道具を片付け始めた。既に日も暮れて暗くなっているので、作業は内野の照明灯を数基点灯させて行われた。その傍ら、監督と井手が会話をしていた。
「明後日の3回戦、相手どこだ?」
「えーと明後日は…、最上ノーストップズです」
「最上ノーストップズ? 今日の相手どごだったっけ?」
「南陽サウスポジティブズですが、そこに今日延長10回まで縺れ込んで、3対1で勝ってます」
―はー。大したもんだな。皆南陽が勝つべって思ってだがら、これ聞いたら驚ぐべな。
「チームカラーとしてはそんなに派手だとか、今日の東根チェリーズみたいな地元中心の良い選手の集合チームというわけではないようです。至って地味ですけども、試合運び自体は堅実に行ってきます」
「地味が。今日みたいな派手な試合を勝った後だば結構危ねぇ相手さ当たったもんだな」
派手な展開の後、地味な展開の前に負けるということは良くある話である。N`Carsも昨日今日と点の取り合いを制しているだけに、「点を沢山取る」ことに自然と慣れてしまっている分、こういうタイプのチームにあっさりやられることは十分あり得る。徳山監督はここを警戒していたのだ。
―だとすっどこれ…、休養日返上が? …いや、それはやめとこう。パフォーマンス維持最優先だ。
「明後日の第4試合だな最上戦…。よし、決まりだ」
「道具全部入れたなー? 鍵閉めるぞ」
永田は倉庫のドアを閉めて、鍵をかけた。そのまま鍵を監督に返しに行ったが、この時永田はある種気になることがあった。
―ちょっと待てよ? 昨日は鍵を返すタイミングで監督に呼び止められて先発投手だと言い渡されたんだよな…。…まさか今日の不甲斐ないピッチングを見て懲罰の意味で明後日先発なんてオチじゃねぇだろうな。
「監督、はい。鍵です」
「ああ、どうも」
「?」
「良いがら、早ぐダウンして来い」
「えっ、あっ、はい」
監督からは特に何も言われず、アップに入るよう促されただけだった。
「じゃ、ダウン!」
「はい!」
―特に何も言われなかったけど、良いのか?
「今日は何も言いませんでしたね」
井手がこう声を掛けて、監督との会話が再び始まった。
「ああ。ま、さすがに公言したほうが良いかな、って。どちらにしたって永田ではねぇけどな」
―さすがに格上とはいえあれだけ取られちゃあね…。
「で、だ」
「はい」
「片山で行って、中2日、だな?」
「はい。休養日を含めれば…」
―中2日…。短期決戦だがらこのくらいの間隔は良くあることだが、中2日でどごまで戻せだがだな。とりあえずアタマは片山で、パフォーマンス次第ではあとの2人…、高峰と黒谷さも用意させて、か。
初戦の中山越ナローズ戦では片山は7回5失点ながら被安打1、自責点0、与四死球2、奪三振13の78球で完投している。今日2回戦の東根チェリーズ戦では7イニングフルでライトを守り、バッティングで先発完投した永田を援護した。長丁場の試合ではあったが、片山は登板していないのでスタミナは温存できている。
「よし…、明後日は片山だ」
「開次くんですか? また奪三振ショー…」
「いや」
井手が言いかけたところで徳山監督は両腕で×印を見せて否定した。
「さっきオレがチラッと言ったこと、覚えでるが?」
「えっ?」
「派手な試合を勝った後だば結構危ねぇ相手さ当たったもんだな、って。今否定した奪三振ショーといい、昨日今日の大量点といい、そういうのが続くと、自然と攻守ともに雑になってくもんだ。だがらここいらで一度リズムを作り直す。基礎をもう一度見直して、明後日の3回戦に臨むんだ」
「確かに基礎は大事です…、けど、どうやって…?」
「それを後で説明する」
「集合!」
「はい!」
ナイン全員がクールダウンを終え、監督の元に円陣を作って集合した。
「お願いします!」
「お願いします!」
「じゃ、まず今日の試合お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたー」
「昨日の反省を活かして今日戦ってくれたと思うんだけども、今日もまた新たな課題が出たと思うので、そこをもう一度振り返って、明後日の試合に備えましょう」
「はい!」
「で明後日は、最上ノーストップズとの対戦です」
「えっ?」
「南陽じゃなく?」
「嘘だべ? 何があった?」
「さぁ…」
やはり皆驚いた。しかしこれは既に予想していた通りだった。監督は更に続けた。
「そして明後日は、先発片山で行きます」
「開次か」
―オレか。
「でそれに当たって、皆さんに忠告があります」
「何でしょう?」
「彼は明後日三振取りません」
「は!?」
―こら監督はん、何で勝手に三振取らんと決め付けてはるんですか。三振かて野球の一部やろ、勝つための手段やろ!? それを何で封じなアカンのですか。
「バッテリーには後でもう少し詳しく説明するけど、全21のアウトを君らで取って貰うことになります」
―え、それってあなた…。
―守備悪いの知っててやんの? 無謀ですけど。
「皆さん驚いてらっしゃるようだけど、つまりは打たせて取ります。そうすると君らが1球に集中できているかが問われます。集中できていると、取れるアウトはちゃんと取れます。1球に集中して、1個のアウトを確実に、丁寧に取りましょう」
―あ、打たせて取るのか。
「守備のほうは良いな!?」
「はい!」
「で次にバッティングなんだけど、大量点は狙わないでください」
―?
「こっちも守備と同じく、1点を確実に取っていってください。1球に集中して、進塁打やバントは確実に転がして、ゴロやライナーを意識する感じで、長打は狙わないこと。いつも練習でやってるトスバッティングの要領で、単打を1本狙う感じで。良いな!?」
「はい!」
―つまりフライはなしと。
―トスバッティング、要するにセンターに真っ直ぐ返すバッティングね。
「でその確認の意味を込めた練習時間を取りたいので、明後日の休養日はそのままとして、明後日。第4試合に入ってるけど、場所が北前球場ということもあって、今日より集合時間を早めに取ります」
「何時頃?」
「午前8時。このグラウンド集合で」
「はい!」
「じゃあ、片山と関川はこの後」
「はい」
「オレからは以上です」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「整列!」
「はい!」
ナインは一斉にグラウンドに向かって整列した。
「気を付け、礼! ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
カクテル光線が夜暗くなったグラウンドを明るく照らして、そこに元気な挨拶の声が響いた。
「よし、皆暗ぐなっだがらな、気をつけで帰れよ!」
「はい!」
「皆車で来たと思うけど、ヘッドライトちゃんと点けてね?」
「ああ」
「点けるよそりゃ」
「そういう永田は?」
「歩きだよ今日」
―良いなー皆。夜中に自分の車でカクテル光線を道路に照らしながらかっ飛んで帰るんだもんな。
かっ飛びはしない。さすがに夜中ではライトを点けていようが飛ばすのは危ない。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
ナインが続々とグラウンドに一礼して、各自の家に帰る。
「監督、照明は?」
「あ、いい。オレ点けだがらオレが消してぐ」
「わかりました。ありがとうございました」
「はい。気をつけで」
「ありがとうございました!」
永田も監督に確認と挨拶をした後で、グラウンドに一礼してから出た。
駐車場からナインが各自の車のヘッドライトを点けて続々と帰っていく。偶々同じタイミングになった沢中と松浪が会話していた。
「明日どうする?」
「実家帰るわ」
「実家? お前仕事は?」
「大会参加用の公認の欠勤届出したから。てか皆そうでしょ?」
「…あ、オレもそれ出したんだったわ」
N`Carsのメンバーは選手とマネージャーが全員21歳。監督は教師を今年定年退職されたばかりの60代というチーム。メンバーは現役の学生や社会人ばかりなので、当然ながらそのような出欠にも影響してくる。この為サンドロッドベースボール連盟では、草野球チームに所属する学生や社会人が大会に参加しやすいように、大会参加用の公認の欠席或いは欠勤の届出用紙を発行して、各学校や会社でその届出を受理できるように毎年定期的に促している。用紙自体はホームページからでもダウンロードできるので、用紙が手元にない場合はここからダウンロードして、印刷することになる。
「明日は瞬と健と釣りに行くけど、お前は?」
「え、オレはいいや…」
―だって川釣りで精一杯なんだもん。響が釣りっていったら大体海釣りだもん。
「瞬と健は?」
「もうさっさと帰ったよ。明日朝早いから、って」
「あ、そう」
「何やってんのお二方?」
「あっ」
2人が会話しているところに、永田が居合わせた。
「萩原と都筑がどうのこうの言ってたから、何だろなー、って」
「ああ、釣り行くって話」
「大したことじゃないよ」
「ならよかった。とにかく早く帰ってね、旧車と庄内ナンバー」
「き…、おい」
「お前こそ早く帰れや」
「歩きなら時間食うだろ」
―や、近場なんですけど。
「ああ、わかったわかった。とにかく気をつけて」
冗談がある程度絡んだ会話を交わして、まず先に永田が土手から国道に出る。
―あのヒョロヒョロキャプテン、試合前と後で精神状態変わり過ぎでしょ。試合前ピリついてたのに、今あんな冗談言いやがって。
―そりゃオレのホームタウンは酒田だけどいくらメンバーで唯一の庄内出身だからってさぁ…。
「早いとこ帰るべ。長いけど気をつけてな」
「ああそっちも」
続いて沢中と松浪が土手から国道に出る。
因みに先程冗談絡みの会話を交わした永田だったが…、
―庄内ってことはこっからでも遠いよね? 大丈夫かな…。
心配していた様子。
彼らが会話を交わしている間、徳山監督と片山と関川が会話をしていた。どうやら先程の話の細かな指示らしい。
「三振なしで打たせて取る、言うてはりましたけど、つまりは低めにボールを集めてゴロを打たせるピッチングですか?」
「そう。セオリーだがら聞くまでもねぇど思うけどよ、おめだづだば高めはホームランゾーンだべ?」
「はい」
「中途半端な高めやったら…」
「な。威力あればともかく、今回打たせて取るわけだがら、コントロール重視のピッチングさなるわけだ。そうすると球威が前面さ出てこねぇがら、その状態で高めさ放ったら打たれるよな」
「はい。そうするとストレートの球威を抑えろ、ってことですか?」
「まあそうだな。ただ、それもそうなんだけど、多分相手はウチの試合に関してはテレビとか録画したのとかで見てると思うんだわ。2戦もやってる上に全試合テレビ・ラジオで中継するとあっては」
「まぁ、ストレートの球威はイメージできているでしょうねぇ…」
「けどストレートの球威を抑えただけでは無理だ。メディアとかを介して視る片山は確かに怖い存在のように思えるけど、そこで得たものとリアルタイムで得るものは違う。打席さ立って、いざ見たストレートが球威を抑えたものだば、アイツらは照準をもっと高く設定しているわけだがら打ち頃の球さなっちまう」
「けど照準高いんやったら低いものに中々合わせられへんと思いますけど」
「それは高いもんと低いもんの差が余程やないと…」
「そこでだ。ストレートをあまり前面さ出さねぇ配球しろ」
「すると、変化球中心ですか?」
「そう。変化球を中心に低めにボールを集めて、打たせて取る。球威あるあのストレートでバンバン三振を取ってくのがおめだづのスタイルかもしれねぇが、それが通用しない時もある。そういう時に変化球とバックの野手は貴重な武器になる。同時に1人よがりにならずチームで戦うことを再認識させて、ウィニングショットに頼らないピッチングを覚えることで変な拘りを持たねぇでアウトを取れる、つまり勝てる策が増える、ってわけ」
「成る程…、わかりました」
「おめだづだばこの作戦はできる。今の内容を絶対に忘れるな」
「はい。ありがとうございました!」
「はい。おめだづも気をつけで帰れよ。ヘッドライト点けろよ」
「はい!」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
徳山監督との確認作業を終えて、片山と関川も続けてグラウンドに一礼して、各自の家に帰る。
徳山監督も忘れ物がないか確認した後、点けていた照明を全て消灯して、鍵一式を持って車で帰った。
出て暫くは沢中の後ろにつく形で1人実家のある酒田へと向かっていた松浪だが、沢中が自分の家に向かう為違うルートに入ってからは単独での帰路となった。
―こりゃ家着くの遅くなるぞ。親には一応夜遅くなるとは言ったけどさ。
山形県Y市 国道348号線 長谷堂交差点
縦型の信号機が青になるまでの間、松浪は暫く考えごとをしていた。よく考えれば、このルートはさっきバスで通ったばかりである。
―何でこう二度手間さなんだべ。皆さん車あんだから直接現地集合とかってできないのかなぁ…? 練習はともかくとして、外での試合の時とか…。そういう時にこうすればだいぶありがたいのに。
確かにそのほうが効率的ではある。次の試合は地元・酒田の北前球場だから尚更それで良い筈である。この際監督に申し出るか…、と言いたいところだが練習してから試合に行くから無理か…。
などと考えていたら、
「あ、いけね」
青信号が灯っていた。松浪はクラッチを切ったまま素早くシフトレバーをニュートラルから1速に入れて、ブレーキペダルから右足を素早くアクセルペダルに乗せ換えて、クラッチペダルから左足を徐々に離すと同時にアクセルペダルを右足でゆっくりと踏み込む、すなわち半クラッチの状態からゆっくりと発進させた。
考えごとに更け入るあたり、やはり控えといえども往復の移動の連続と、遅い時間帯まで試合が長引いたことで疲れているのだろうか。
―…高速? あ、違う。あれは東北中央道の看板だった。
松浪が見たのは「東北中央道 7 山形中央」と書かれたインターチェンジの案内看板だった。正方形の看板に高速道路用の緑地に白文字の組み合わせで表記されたその看板を、疲労からかうっかり見誤ってしまった。まだその看板が東北中央自動車道の高架下の前に設置されていたことと、インターチェンジ自体がもっと先だったので早く気づけたからまだ良いが。
尚、漢字表記の下には‘TOUHOKU-CHUO EXPWY’‘YAMAGATA-CHUO’と確りと英語表記も為されている。どこの看板も基本的にはそうなのだが。
―仕方ない、コンビニ寄ろう…。
疲労回復の意味を込めて、松浪は国道沿いのコンビニで休憩することにした。
―本当ならそこだったけど今もうやってないんだよな…。
途中、看板が外されて駐車場がカラーコーン等で塞がれているコンビニの跡を通った。建物はまだ残っているが、テナントを募集している様子もない。
―あそこそのまんまなのかね? あのままにしておくのも勿体ない気がするが。
山形県Y市 某コンビニ
松浪は休憩とちょっとした買い物ということで、ペットボトルの温かい緑茶を買った。コーヒーが良かったらしいが、トイレ問題を考慮して敢えて控えた。それに温かい物ならば、体にも良い。
―しかしそうだったのか…。あそこ閉めちゃった理由。
松浪は車の運転席で先程のペットボトルの温かい緑茶を飲むべく、蓋を開けた。
系列の違うコンビニに立ち寄ったので駄目元ではあったが、緑茶を買う時に先程の元コンビニについて尋ねたところ、運良くある程度ではあるが情報を知っているという店員がいたので詳しく聞いた。すると、コンビニの会社自体が前の年に大手コンビニチェーンの会社に吸収合併されて、それに伴う全国の店舗の整理・統廃合に伴うものではないか、ということだった。
そうだったのか、と聞いた本人は納得していたが、その際にその店員がこんなことを言っていた。
「競争の激化や会社そのものの経営上の理由で整理や統廃合せざるを得ないのは仕方ないけど、どこに行っても似たり寄ったりの看板だらけじゃ、せっかく出掛けても馴染みが深過ぎてねぇ…。少数でも良いから、そこにしかないコンビニのチェーン店があってこそそこ独自の、或いはその土地独自の雰囲気を味わえるのに。皆似たり寄ったりじゃ個性が出ないんだよ、ちょっとでも良いから違うところがあれば、その個性を理解して貰えるかもしれないんだよ」
―? 確かに。それは一理あるけど。
だが良く考えてみれば…、それは寧ろ自分に当てはまるのでは。メンバーただ1人の庄内出身で、現在は就職した関係で長井でアパート暮らしだが、酒田と内陸を往復する度に必ず朝日連峰を通過する。高速インフラが他地域と比べて朝日連峰の地盤の軟弱さも影響してか発達しておらず、高速を通して欲しいところは必ずうねった山道を抜けなければならない。けど、その連邦を越えられるからN`Carsというチームに所属できている。庄内と内陸の交流も同一チーム間とはいえできる。釣りに誘ってOK貰えるなんて、連峰を越せなければできない話だ。
そう考えると、少しだが誇らしくなった。考えてみれば永田も岩手から山形に来てN`Carsに入団したわけだから、似たような境遇だったのか。だからこそ帰り際の庄内ナンバーなんて台詞、初めから親しみを込めて言ってたのかもな。
―そういうことか岩手人。お前わざとこれ狙ったな? 親しみ持ってますよアピールだなさっきの、え?
顔はにこやか、というより、にやけていた。何か心の中に永田に対するものを隠し持ったのだろうか…。
―明後日アイツに会ったら、早速仕掛けますか。
何か意図してそうな表情のまま、松浪はエンジンをかけた。
―真ちゃんにLINEで相談すっか…。へっへ…。
緑茶をある程度冷ましながらある程度飲んだ後、表情を変えずにクラッチを切ったままシフトレバーをR、すなわちバックに入れて、サイドブレーキを解除して半クラッチでゆっくりと後退させた。車が完全に駐車スペースから出たところで、ハンドルを目一杯左に切って更に後退を続ける。
「よし」
車が90度向きを変えたところで、ブレーキを右足で、クラッチを左足で踏み、シフトレバーをRから1速に入れ直す。駐車場から国道に出る為、今度はハンドルを目一杯右に切って半クラッチでゆっくりと国道の前まで出る。そこで左ウインカーを上げた。
―夜なのに結構交通量多いなここ…。暫くかかるか? …あ、そうでもなかった。
ベストタイミングを見つけるや、素早く半クラッチに切り替えて左折した。…とすぐに右車線に進路変更した。
―こっちのほうが右折しやすいもんね。
この先の県道17号線と国道286号線の交差点。酒田の実家に帰るには、この交差点で右折しなければならない。その為にすかさず右折しやすいように右車線に入ったのだ。
―あそこは絶対混、ん…、で…た…。
松浪の目前には右折待ちの車列があった。その最後尾に、松浪も並んだ。
―フッ…、やっぱりか…。
右ウインカーを出して、青信号で車列が前に進むのを待った。
―色々改善策を施しているみたいだけど、実のところ右折の流れが若干スムーズになったことと歩道橋が付いたことぐらいか…? 交通量まではどんなに策を施しても抑えきれないか。そりゃ2車線と2車線の交差点じゃあ…。
国道と県道の交差点とはいえ、片側2車線と片側2車線の交差点ということは、それだけ主要な道路同士が交わっているので、交通量が増えてしまうのは必然的である。ただその流れをより円滑にすることはできるので、寧ろそちらの策というべきだろう。
信号が青に変わり、車列が少し交差点の中のほうに前進した。
―でもここで暫く待つのよね。向こうも車列作って待ってたんだから。
案の定、対向車線にも長い車列ができており、全て通過するまで待機する為、松浪がいる車列は結局少し前進しただけで一旦停まった。
この手の交差点で右折待ちをする時は、その時の交通量にも寄るが大抵は信号が変わる辺りまで、下手すればもう1、2回赤信号で待たされることになる。矢印があればその辺りの不満はある程度解消されるが、それでも抑えきれなかったりする。
事実、ここは矢印の他に歩道橋の設置により右折と横断歩道の利用者待ちという二重の混雑要因をある程度解消できている。少し前までは横断歩道があったので右折車が更にそこで待たされて、渋滞を長引かせる元となっていた。
―お、ちょっとずつ行くぞ。これ行けるか?
右折待ちをしていた車列が、対向車線の直進車と左折車の列が途切れた途端堰を切ったように次々と国道286号線へと右折していく。
―間に合う!
信号が青から黄へ、そして右矢印を灯した上で赤に変わる。すぐ前の車に続く形で松浪も右折した。
―良かった今日は早くて…。もういっぺん待たされそうな雰囲気あったから…。
国道286号線は、先程の交差点から山形自動車道の山形蔵王インターチェンジのランプウェイの交差点前までは引き続き片側2車線である。道路の両側にはありとあらゆる建物があり、全国規模のチェーン店からローカルの店舗、更には山形蔵王インターチェンジ側に進めば進むほど、山形県庁など県の主要機関が入った建物も見えてくる。3桁国道ではあるが市のみならず県の主要エリアを通過するだけに、ここも交通量が多い。最近舗装が新しくなったようで、アスファルトの色が濃く見えるが、夜間、ライトに照らされた状態ではそこまで細かく見るのは困難である。
―やれやれ、相変わらずですね…。夜だから少しマシになってるだけで、多いことに変わりなしか。
両側の建物から漏れている照明の光と周囲の車のヘッドライトのお陰である程度明るいのでまだマシだが、それらの明かりがないと本当に頼れるのは自車のヘッドライトの明かりのみである。この夜間に視覚情報を得る上では寧ろ交通量が多いほうがありがたかったりもする。既に帰宅ラッシュも過ぎており、そこに比べればある程度抑えられてはいるものの、やはり主要道路だけに無数のヘッドライトの光を浴びる環境にあることに変わりはない。
―ガソリンスタンド…、開いてるところに寄るか…。高速乗っても着いた時にはどうせやってねえべから。
夜間に車を使う問題点として、視覚情報が不足することの他にもう1つある。給油所が営業しているかどうか。早めに、それも昼間のうちに入れろと言いたくなるかもしれないが、彼は昼間はチームとしての活動に関わっており、練習グラウンドと球場の往復の移動はバスでの移動だった。かと言ってグラウンドに着く前に入れると、試合後に改めて入れ直したとしても、長井から小滝峠を越えて山形に入るまでにいくら燃費が良くてもある程度使ってしまう。その上高速道路を使うわけだから、ガス欠で停車を余儀なくされるという、非常に最悪で、下手すれば道路交通法違反にもなりかねない事態は避けたかった。その為、できるだけインターチェンジの最寄のガソリンスタンドで給油したかったのである。
―やってたらそこに飛び込んで満タンにして貰って…、ついでにタイヤの空気圧見てもらうか。峠走ってこれから高速走るから。
高い空気圧のまま高速走行をすると、ブレーキをかけた時に適正値の時よりタイヤと路面の接地面積が小さい状態でのブレーキングになる為、制動力がまともに伝わらず危険である。低ければ今度はタイヤが凹んだような状態での走行、所謂スタンディングウェーブ現象を引き起こして、やがてはタイヤのバーストにも繋がる為危険である。これから高速走行をする時こそ確りと見ておくべきポイントである。
山形県Y市 国道286号線 鉄砲町交差点
今走っている国道286号線と、国道13号線・112号線が立体交差する交差点の進行方向のレーンを確認しながら、松浪は赤信号でゆっくりと停止した。
豪雪地帯の山形県では縦型の信号機が主流にある中で、ここは国道13号線・112号線から高架を降りて国道286号線と接続するランプウェイは縦型だが、国道286号線側、つまり高架下を通る側は矢印のも含めて横型である。高架橋に直接信号機を設置しているので、限られたスペース内にきっちり納めた結果である。
その交差点に2つある直進レーンのうち左側の直進レーンに、松浪は停まっていた。
―下手にレーン間違えたら大変だからな。
況して交差点の少し手前から黄色い線が引かれて車線を跨げないようになるので、その前に見極めねばならない。
信号は赤のままだったが、下に設置された矢印信号が左折と直進を灯した為、半クラッチからゆっくりと発進した。交差点を抜けてすぐに、緩やかに長いS字カーブがある。その後も、場所によって信号機があったりなかったりと異なるものの、幾つかの交差点を抜けた。信号機があれば、きちんと青信号かどうかを確認している。
―インターはもうすぐだけど、ガソスタはやってるのか?
そう、今の松浪にとって重要なことは、これから向かう山形自動車道の山形蔵王インターチェンジの少し手前にあるガソリンスタンドが開いているのかどうかだった。その前にも幾つかガソリンスタンド自体はあったのだが、できるだけ満タンにした状態で高速道路に乗りたかった為、敢えて入らなかったのだ。
平面Y字、急な角度ながらも左折できるレーンを含めてみればある意味A字型とも取れる交差点。赤信号で停まりかかったが、完全に停まる前に青信号に変わった為、再び左足は半クラッチのままアクセルを踏み直した。直進、といっても構造上ストレートに抜けるというよりは一旦左に曲がってからすぐ右へ曲がって抜ける、いわば道なりに直進と言ったほうが正しい。ここを左折した場合は山形駅など山形市街へ抜ける。直進する場合は同交差点において2つ信号機を見ることになる。1つは停車位置に、もう1つは右に曲がるところに設置されていて、円形の青地に「右に曲がりながら進め」と言わんばかりの白い矢印が描かれた指定方向以外通行禁止の標識がそのすぐ右側に設置されている。
ここを抜けると、これまでより見通しが良いストレートに出る。そして県庁が近いせいなのか、どうも改まった雰囲気を感じる。
―この先、もうちょっとなんだが…。
松浪の視野に、明るく光っている看板が見えた。近くの屋根も照明を灯して下を明るく照らしている。
―あった! やってる!!
お目当てのガソリンスタンドは、まだ営業時間内であった。無事に給油も空気圧の点検も行って貰えそうだが、すぐ前に交差点があった為、あまり安堵してもいられず、赤信号が灯るやすぐにブレーキペダルを踏んで、クラッチペダルも踏んでシフトレバーを1速まで下げて停車した。
―折角あっても最後の最後でやらかしたら元も子もないからな…。
青信号に変わると、松浪は半クラッチのままゆっくりと発進させて、左ウインカーを出してガソリンスタンドの構内に左折した。
ガソリンスタンドの店員に案内されて、給油ブースと自分の車の給油口が向かい合うようにゆっくりと車を停めた。
「ハイオク満タンで…」
「かしこまりました。あとお客様、給油の際はエンジンを停めて頂けますでしょうか」
「はい…、あ、でもこの車、ターボなんで…、もうちょっと待ってもらえますか? クールダウンさせないと車に悪いんで…」
「あ…、はい」
「一旦ブース外れたほう良いすかね? 他にいないのと、給油機の前でアイドリングってのは…」
「あ~…、そうですね」
と、思ったが、
―あでもそしたらまたクールダウンやり直さないと…。
「やっぱ良いっすわ。ごめんなさい」
松浪はジェスチャーを交えながら、店員に謝った。そうこうやり取りをしているうちに、ターボ車には良く付いているブースト圧を指し示すブーストメーターの数値が下がった。
「あ、もう大丈夫です。クールダウン終わりました」
「わかりました。ではエンジンを…」
「はい」
松浪がエンジンを停めたところで、
「ハイオク満タン、入りまーす」
店員の元気な声が店中に響き渡った。同時にハイオク用の給油ノズルが車の給油口に確りと挿し込まれて、愈々給油が始まった。
「こちら、車内のダッシュボードとハンドル周りの清掃をお願いします。灰皿は大丈夫でしょうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
―N`Carsの皆煙草吸わないからこの手の質問まず確実にこれなんだけどね。
松浪が注文する際に窓を開けた為、開いた窓越しに今のやり取りが行われた。除菌用のアルコールで湿った布巾でダッシュボードとハンドル周りを丁寧に拭くと、もう一度布巾を畳み直して、
「ありがとうございました」
「はい」
車の外側を拭いていた店員に布巾を返した。
―作業中だったから癪だったかもしれないけど、オレ他にもやることあるから…。
というのは、この後高速で酒田に帰るので、まずETCカードの確認がある。松浪はETCカードの車載器から一旦カードを抜き取ると、有効期限を確りと確認して、再び挿し込んだ。
次にタイヤの空気圧のチェック。ハイオクを注文した際に小滝峠を走ったのに言いそびれてしまった為、給油が終わったらチェックして貰うつもりで店員に注文した。
「かしこまりました」
「よろしくお願いします」
店員は快く引き受け、その1分後に給油が終わった。店員が給油ノズルを丁寧に慎重に抜き取り、車の給油口の中栓と外蓋を確りと閉めると、タイヤの空気圧チェックに移った。
―どうだ…?
「ちょっと高いですね」
「やっぱり」
「ここに来られる前、どこか走られましたか?」
「そこ。小滝峠です」
松浪は小滝峠があるほうを指差しながら言った。
「あ~…、ですとやっぱり高めに出ますね。タイヤの空気圧は左右均一でないといけませんが、計りましたところ特に差がついていたわけではありませんので…」
「問題ないと?」
「そうですね。普通の走行では差し支えないと思います」
タイヤの空気圧そのものと、左右のタイヤの空気圧の話だったが、総合的に見て支障ないということだった。
松浪がエンジンをかけ、お会計に移った。が…、
―げ、結構高い…。そりゃそうか、元々リッターあたりの単価が高いハイオクだし無理ないか…。
次からカード支払いにするか…。でもどっちにしたってお金取られるしどうしようかな…、などと考えつつ、料金を支払った。
「レシートのお返しです」
そのレシートを見ても、今回の支出金額に改めて高い買い物をしてしまった、しなければならなかったこととはいえ…、と深く考え込む松浪だった。
「ありがとうございましたー」
店員が脱帽の上、元気に挨拶してお客様を見送る一方、見送られたお客様は車内で気落ちしたままガソリンスタンドを後にした。
―でもこんなんで文句言っちゃ駄目だよな…。うちのメンバーに遠方から、それも県外から来てるの3人もいるわけだから、そのお三方の出費に比べたらオレはまだマシなほうなんだよな…。
松浪も酒田出身だが、同じ遠方といっても県内でのお互い遠くにあるエリア同士を行き来しているより、県を越えたところから来るほうが大変であるというのはそのお三方―永田、関川、片山を毎日見ていればわかる―とつくづく実感していた。自分も大変な思いをしているけど、それよりも大変な思いをしている者がいる―実は結構な出費で苦労しているかもしれないのに、自分だけ贅沢を言えない―社会人になって最初の年に長井に来た時からそれを現に目の当たりにしていたからなのだ。
―それ考えたら、仕返しはやめだな。永田のは悪意あったわけじゃないのに、こっちがそれ持ってどうすんだ…。オレよか相当な苦労人だってのに。
色々考えているうちに、真っ直ぐと山形自動車道の山形蔵王インターチェンジの手前まで来ていた。「4 山形蔵王」と書かれた看板のその下、一番左端にある「ETC専用」と書かれたブースを見つけた松浪は、そのブースに減速しながら近づき、巧みなペダル操作とシフト操作で1速にまで減速すると、時速20km/hで半クラッチを保ったままブースに入った。
―…よし。
ETCのバーが開き、同時に右の電光掲示板が「↑ 通行可」と表示された。松浪はブースを通過すると、少しずつ速度を回復させながら酒田方面のランプウェイに入った。
―しかし暗いな…。夜だから仕方ないけど。交通量も多くはなさそうとはいえ、慎重に。
レフトターンしているランプウェイを登りながら、合流車線の手前まで差し掛かると、一瞬右後方を見やり、安全確認をした。
そして合流車線に入るなりシフトをトップにまで入れて一気にアクセルを踏み込み、再度右後方を見やり安全確認をすると、右ウインカーを出して走行車線に進路変更した。
既に夜間なのでヘッドライトを点灯させている為、結果的に労せず済んでいるが、この山形蔵王インターチェンジ、上下線ともに本線車道に合流した後すぐにトンネルがある。入って間もないうちにトンネル情報の案内をしてくれる電光表示板があるのでわかりやすいが、これが昼間であれば、合流して、すぐにヘッドライトを点灯させないとトンネル入り口まで間に合わない。おまけにどちらも真っ直ぐではなく曲がりながらトンネルに進むので、合流の時点からコーナーに沿うような形で走ることとなる。
その頃、松浪が言うお三方の1人である永田は、既に自宅に帰り、夕食と入浴まで済ませていた。1人パソコンと向き合いながら、頭の中ではあらゆることを考えていた。
―皆さん無事着いたかな…? 松浪は庄内ナンバーだったからまだ時間かかるかも…。
途中まで一緒だった沢中も既に帰っており、自宅の寝室で横になって雑誌を読んでいた。
―…そろそろシャワー浴びるかな…。
そう思い立った沢中は、雑誌を閉じると腹筋する要領で起き上がり、支度を始めた。
―あ、やっぱ駄目か。良かった入る前に入れといて…。
その頃松浪は山形自動車道の下り線を酒田方面に向かいながら、一瞬車内にある時計を見やった。時計の表示で既に午後8時を回っており、山形道唯一のガスステーションは本日の営業を終えている時間だった。
その唯一のガスステーションというのが、寒河江サービスエリアにあるガスステーションだ。上下線集約型のサービスエリアで、上下線ともにここが唯一のガスステーションだが、24時間営業ではないので、時間外に走るとなると下道で入れることになる。松浪はまだ寒河江サービスエリアから少し遠い位置を走っていたが、この時点で確定した。
この山形自動車道、山形蔵王インターチェンジの辺りまでは山の近くを走っていることもありカーブやトンネルが多く、更には高架橋で結ぶ区間も多いが、それが段々落ち着いてきて、山形北インターチェンジの辺りになるとだいぶ開けてくる。しかし、その辺りまでだとまだ大丈夫だが、暫くすると今度は片側1車線の対面通行、則ち対面2車線の区間が始まる。しかもセンターラインを引いて、そこに沿うようにセンターポールが真っ直ぐ縦に固定されただけの簡易な中央分離帯という構造なので、これまでとは違う雰囲気の山形自動車道を走ることになる。
東北中央自動車道と分岐・交差する山形ジャンクションを真っ直ぐ通過して、その2車線区間に入る。寒河江インターチェンジから再び4車線に戻り、寒河江サービスエリアから再び2車線に戻る。
その寒河江サービスエリアに入る手前の案内標識を松浪はチラッと見やった。やはりガスステーションはあるが、朝の7時から夜8時までの営業であり、完全に閉まっていた。その上、下道でコンビニに立ち寄り、山形蔵王インターチェンジ手前のガソリンスタンドにも立ち寄って休憩も済ませている。則ち、どちらにしたって寄る理由がなかったのだ。
―寄るなら月山湖パーキングエリアだな。
松浪は寒河江サービスエリアのランプウェイに進路を変えることもなく、そのまま通過した。
この辺りになると、中々車も多くは走っていない。空いている制限速度70km/hの2車線区間を、ただひたすらに走り続ける。開けた暗闇の中を、ただ自分の車のヘッドライトを頼りに走り続ける。それ以外あまり目印となるようなものがないので、これでひたすら進むしかないのだ。時折トンネルこそあるものの、それ以外はほぼ真っ暗闇という区間である。
西川インターチェンジのすぐ側に、西川トールバリア、則ち本線料金所がある。山形自動車道の内陸側はその先の月山インターチェンジで一旦終着点になるので、下り線で西川インターチェンジから先に向かう場合はここで月山インターチェンジまでの料金を支払い、上り線で同じく西川インターチェンジから先に向かう場合はここでETCで通過するか、発券機から発券される通行券を受け取る。ETC支払いの場合は機械で読み取ったカードのデータを基に利用した区間分の支払いが自動的に行われる。ETCユーザーである松浪は、当然ながらETCのレーンを選び、そのブースを時速20km/h以下にまで下げてゆっくり確実に通過した。
―はい、やっぱり取られますね、それなりのお値段。
ブースの出口横にある電光掲示板には、「普通車 1,430円」と表示されていた。深夜でも休日でもなかったので特に割引は適用されていない。
ブースをゆっくり確実に通過した松浪は、後方を確認して再び対面2車線の本線車道に入る。月山インターチェンジまで約16km、月山湖パーキングエリアまで約14km。それまでは再び自分の車のヘッドライト以外は暗闇という区間を走り続けることになるが、それでも松浪は至って確実な運転で、ここも本線車道に入るや時速70km/hにまで速度を上げて走り続ける。
すれ違うのは数えられる程の台数だが、それでも暗闇の中を対面2車線で、お互い時速70km/h同士で自分のヘッドライトだけを頼りに走っているのであれば、孤独感の中にある種の光のような、すれ違うという一瞬の出来事ながら出会いという心の安らぎがある程度それを緩和させる。勿論お互いにヘッドライトを点けている以外は夜なのでほぼ何も見えないが、暗闇の中に僅かながらでも光が差し込めば結構気持ちが落ち着くものである。
月山湖パーキングエリアまで残り2kmの案内標識が見えた。この後酒田方面へはその先の月山インターチェンジで酒田方面に下りて、国道112号線の月山花笠ラインを通過してから、湯殿山インターチェンジで再び山形自動車道に入り、幾つかの本線料金所を経ながら酒田まで向かう。
―停まろ。
松浪は迷わず月山湖パーキングエリアに入ることを決めた。この先の国道112号線・月山花笠ラインを越すまで用足しができないことを考えれば、ここで済ませたほうが早いと考えたのだ。
駐車場以外にあるのはトイレと自動販売機だけで、その駐車場も含めて決して大きくはないパーキングエリアだが、内陸から庄内へ抜ける上では寧ろ必要なパーキングエリアなのだ。
松浪は左ウインカーを出すと、左後方を確認してから車をパーキングエリアへと続くランプウェイに減速しながら車線変更した。ブレーキを踏みながらクラッチを踏んでシフトレバーをどんどん低速ギアに下げて、駐車スペースを見つけるとその方向にゆっくりと向かい、微調整しながら前向きに駐車した。そしてハンドブレーキを引いて、シフトレバーをニュートラルに持ってくると、両足をフリーな状態にしてからヘッドライトを消灯してエンジンを停めた。
「ん…っ」
目一杯両腕を上に挙げ、背伸びをすると、シフトレバーに目が行った。
―あ、忘れてた。
シフトレバーはエンジンを停めた後もニュートラルに入れたままだった。本当はここでニュートラルからリバース、則ちバックギアに入れるべきところを失念していたのだ。松浪はすぐにクラッチを踏んでシフトレバーをリバースに入れると、シートベルトを外してドアを開け、外に出た。
―んしょ…っ、しかしスカスカだな。
周りには停まっている車が殆どいない。時間が時間とはいえ、ここまで来るのに対面通行になってからかなり車の数が減っており、無理もない光景である。
「やっ…くっ」
ドアを閉めて鍵を掛けると、今度は両腕を後ろに回して状態をやや後方に逸らしながら背伸びをして、ストレッチ。一通りストレッチを終えて体を解した後で、ここに来た本来の目的である用足しを済ませようと、トイレに入った。
周りには殆ど灯りがない。あっても駐車場を照らす照明とトイレの中と、外に設置されている自動販売機だけで、それ以外は真っ暗闇という状態だ。何しろ規模が大きくはないパーキングエリアで、周りも山が多く連なるところなので、この情景は無理もないところ。しかし名前が示すように、この月山湖パーキングエリア、近くには出羽三山の1つ、月山を望み、こことは反対側の上り線側からは月山湖ダムが望めるという、一種観光スポットの役割を果たしているパーキングエリアでもあるのだ。
「えっ、そうなんですか!?」
松浪が用足しを終えて出てきた。しかしその横にもう1人、別の男性がいる。トイレで偶々鉢合ったようだが、誰だろうか。
「遠いところ、お疲れ様です」
「君も試合お疲れ様。明日もかな?」
「いや、明日は休みで…、明後日です。巻さんは?」
「明日は午後から」
「…、お疲れ様です。半日ですもんねぇ…」
「やー、半日でも休めるだけで有り難い有り難い。十分なくらいよ」
―いや、半日でも結構酷だろ。十分に疲労取れんのか?
この巻という男性、どうやら松浪とは偶々鉢合わせになったようだ。そのわけは、
―だってこの人新潟から来てるんだもんねぇ…。ああ豪語しているけどこっからじゃ新潟はまだまだ遠いぜ?
巻の車は新潟ナンバーで、本人も新潟出身だという。片や松浪は車も自分も庄内ナンバー・庄内出身なので、ここで会うまでは全くの赤の他人だったからだ。
「じゃオレは帰るわ。…っつっても、途中までは一緒だもんな」
「あはは、ま、そうですね」
「松浪 響くん…、だっけ?」
「はい。巻 裕真さんでしたね?」
「ああ。LINE交換する?」
「はい喜んで。ついでにメアドも良いすか?」
「ああ良いよ」
2人はそれぞれ自分のスマートフォンを取り出して、お互いにLINEとメールアドレスを交換した。単に会ったからというのでなく、いつでもお互い連絡が取り合えるようにという意味での交換だ。
「じゃあ頑張れよ」
巻はそう言うと、右手を松浪の左肩にポンと乗せて、今後の活躍を激励した。
しかしその手をポンと置かれた時、松浪は巻の右腕の太さに気を取られた。巻は上背はそれ程あるほうではないが、その腕っ節を含めて太くがっしりとした体格で、今の檄を受けてどこか大きな安心感があったのだ。
―すげぇなあの体格にあの良い腕っ節…、ってそうじゃねぇ。
結果としてワンテンポ遅れてしまったが、
「あ、はい、こちらこそ。巻さん今日はありがとうございました」
松浪もやや焦り気味ながらも巻を激励して、礼を述べた。巻はその言葉に右手を挙げて応えると、車に乗り込んだ。
「まつなみ…、ひびき…、と」
巻は自分の車の中で、先程松浪から貰ったメールアドレスの振り仮名の確認をした。シートベルトをしようとした時、別の車のエンジン音が聴こえた。何かと思って左を見ると、松浪の車からだった。
―妙に凄いエンジン音だな。結構凝った造りになってるっぽいな。
松浪もまた、巻と同じことを自分の車内でしていた。ターボ車なのでアイドリングによるウォームアップをするため乗ってすぐにエンジンを掛けたが、先程巻から頂いたメールアドレスの振り仮名を確認していた。
「まき ゆうしん…、か」
―てか良いなぁリトラ…。あれ見ただけで惚れ惚れするなぁ…。ってそれじゃコイツに悪いか。
松浪は車種を見ただけですぐに巻の車がリトラクタブルライトの車とわかった。主に安全面の問題から現在は日本だけでなく世界中のどの自動車メーカーもリトラクタブルライトの車は製造されていないというのもあるが、それ以前に彼がリトラクタブルライトの車に関心を寄せる理由は、
―おー開いた開いた。これなんだよなぁリトラの良いところ。
リトラクタブルライトがライトを点灯させる前の開く動作、そして消灯した後の閉じる動作にあった。確りとライトが点灯したところまで見ると、松浪もシートベルトを装着してスマートフォンをスリープ状態にしてから、車を後退…、させかけたところで止まった。
―あれ、ETC挿してるよな?
ETCカードがきちんと車載器に挿さってあるか気になり、念の為車を停めて確認した。
―あ、良かった。ちゃんと挿してある。
自分の目で確りとETCカードが車載器に挿されてあることを確かめると、改めて車を後退させた。既に巻は松浪よりワンテンポ早く車を後退させ、本線車道のランプウェイに向かっている。松浪も巻に続くようにシフトレバーをリバースから1速、則ちローギアに入れて同じく本線車道のランプウェイに向かった。
山形自動車道の下り線はこの後2km先の月山インターチェンジで一旦国道112号線の月山花笠ラインと接続して、暫く走ったところでその次の湯殿山インターチェンジと接続して、再び山形自動車道の下り線に入る。この両者の間が未だ開通していないので、車で内陸と庄内を行き来するには現状ではこれが最短の方法である。巻も松浪もこの方法で朝日連峰を越えるつもりだが、それでもやっぱり山道を越える以上はどうしても距離が長くなりがちである。
また、この先の月山インターチェンジは、ここで一旦山形自動車道が途切れるという理由から、その前の西川トールバリアで月山インターチェンジまでの料金を徴収した為、料金所はインターチェンジ内にない。従って、次に彼らが通る料金所は湯殿山インターチェンジということになる。
だが、念には念を入れてということと、なるべくスムーズに事を成したいこと、この後湯殿山インターチェンジまでの間に停まる場所がないことから、先程松浪は月山湖パーキングエリアでETCカードがきちんと車載器に挿入されているか確認したのだ。
本線車道がガラガラとはいえ、シフトレバーをトップまで上げてアクセルを思い切り踏み込んで加速したら、バックミラーと目視で後方確認の後、右ウインカーを出して合流車線から本線車道に車線変更する。勿論夜なのでヘッドライトは点けて行うが、それ以前にこの基本動作をたとえこれから走る道路が今回のようにガラガラだったとしてもきっちり行う。
月山インターチェンジの少し手前にある月山沢トンネルが見えた。出羽三山の月山とインターチェンジの名前はどちらも「がっさん」だが、このトンネルは「つきやまさわ」と読む。下り線の内陸側最後のトンネルで、全長は400m足らずと決して長くないが、このトンネルを抜けると内陸側終点の月山インターチェンジと、それに伴う「速度落せ 9 終点」の看板と同時に40km/hの速度制限が促される。
なぜインターチェンジの名前でなくこの表記なのか。これは本線車道がそれ以上続かずに、ランプウェイを介して速度制限が低くなる一般道路に直結するからで、どの高速道路でも暫定的なものや今回のようにインターチェンジとインターチェンジの間が未だ開通していないような場合も含めて一旦そこで高速道路が終わるという場合はその最終のインターチェンジの案内標識は必ずこのような表記になっている。
その指示に従って、巻も松浪も時速70km/hから40km/hにまで減速して真っ直ぐに繋がっているランプウェイに入った。
速度制限があるとはいえ、先程までと比べるとゆっくりとしたペースでランプウェイを下っていく2人。この先のインターチェンジ出口で分岐を予告する看板はまだ緑だったが、立体交差下を抜けた先の分岐点ではそのまま真っ直ぐ一般国道112号線に直結するということもあり、青の案内標識が出ていた。
2人は迷わず酒田方面を指し示す左側の青の案内標識に従い左のランプウェイに進んだ。
そのランプウェイを抜ければ、一般国道112号線 月山花笠ラインである。一般国道なのだが、先の道路と地盤の事情もあり、この区間を高規格道路にして、先程まで通った高速道路に等しい道路環境にしてある。だがそれゆえ、
―いつ通っても不思議な感覚なんだよな…。
一般国道なのに、なぜか高速道路の雰囲気がいつもするのだ。内陸と庄内を行き来する時は必ずここを通っている松浪でさえこの感想なので、如何にこの区間が朝日連峰を越える上で重要な高速インフラの役割を果たしているかがわかる。
そして当然ながら山あいなので、トンネルも多い。平地ではないので高架橋でつないでいる区間も多い。何より高速インフラに準拠しているとはいえ、カーブも多い…。ただ贅沢は言ってられない。山あいでそれを越えるのが今より難しかった昔の道路事情に比べれば、だいぶ恵まれ、改善されているほうなのだ。道があるだけでも有難い―当時の方々の苦労を思えば、自然と自分もそう思えるのだ。
月山インターチェンジから合流して最初のトンネルは全長535mの志津トンネル。入口のコンクリートの雰囲気とかを見ると、年期を感じる造りになっている。舗装はコンクリートで、アスファルトと比べると色が白いので一目でわかる。コンクリートの舗装は中々見る機会が多くはないが、軟弱な地盤など、アスファルトでは難しいような区間を通す場合はこの方法で通している。
志津トンネルを抜けた先は、月山を眺めながら登…る、と言いたいところだが何しろ時間はもう夜。周りが暗いのではヘッドライト等で照らさない限り中々臨場感を味わえない。進路方向は確かに月山があるほうに向かっているが。
その証拠に、月山第一トンネル直前の田代沢橋のところで標高が728mと、結構上がっている。豪雪地帯を通るうえでこの高さは、雪が降ったら大変だと思わせてしまうが、そのあたりの対策もさぞ万全にやっていることだろう。そうでなければ、この道路は年中毎日利用できるということにはならないのだ。
そして迎え撃つは全長2,620mの月山第一トンネル。この月山花笠ラインで最も長いトンネルで、英訳も” Gassan No.1 Tunnel L=2620m ” と、親切に長さまで表記されているが、注目すべきはこの ”No.1” という表記。「最初」という意味合いなのだが、最も長いトンネルでもあるため、結果としてその2つの意味が掛け合わさったような形になった。どちらにしたってNo.1である。
入り口坑口にドンと構える縦に長い大きな建物、これはトンネルの換気塔である。トンネルの入り口にこれがあることで、その壮大感と威厳さをまざまざと見せつける。トンネルの中を通る途中、幾つかの大きなファンがある。これはジェットファンと呼ばれる大きな換気扇で、その物凄い風圧で中に溜まった排気ガスなどの空気を外に排出して、外から新しい空気を取り入れる役目を持つ。
恐らくは先程入り口にあった換気塔と組み合わせて空気の循環を行うのだろうが、昔は天井板をトンネル上部に取り付け、同じく換気塔と組み合わせて空気の循環を行っていた。数年前の工事により、天井板からジェットファンに替わったが、トンネルの中の空気を如何に循環させるか、というのは今も昔も変わらない。
先程の志津トンネル同様、この月山第一トンネルでもAMラジオが聴ける。交通情報が主体とはいえ、聴けるだけでも有難い。しかし松浪はAMラジオを聴かなかった、いや、聴けなかった。なぜなら今は運転中。その最中にラジオを聴くべく左手をオーディオチューナーに伸ばすことなどできなかったからである。
2.62km走って漸く出口。しかし相変わらず周りは暗く、ヘッドライトも消せなかった。だが家に着くまでは辛抱―その一心で、巻も松浪もハンドルを握り続けた。
湯殿山へと続く分岐が見えた。ここは迷わず真っ直ぐだが、仮に分岐の方向に進むと、その道は有料道路の湯殿山道路で、途中で料金所でお金を払い、湯殿山神社までを結ぶ道となっている。
分岐を真っ直ぐに通過して、すぐの立体交差の下を下りながら潜って通過した。…とすぐそこに合流車線が左側に見えた。そう、この立体交差はインターチェンジのような構造でできており、今度は湯殿山道路から下りてきた車が合流してくるかもしれないのだ。その前から下り坂が続いていることもあり、思わず飛ばしそうになりがちだが、分岐を予告する案内板には確りと合流注意の予告までしてある。つまりそれだけ細心の注意を払わなければならないということだ。
合流車がいなかったのでここはペースは落としたものの特別なことをせずに通過した。山形の出羽三山のうちの月山と湯殿山を傍に眺めながら通過するこの道路、立体交差を通過した次に現れるのは全長665mの湯殿山トンネル。どうやら路肩が狭くなるらしく、入り口の手前には自動車専用の規制標識の上に幅員減少の警戒標識が付いている。それほど長くはないトンネルだが、このトンネルを過ぎると、次は上り坂になる。上った先にある月山第二トンネルに繋がる上り坂だ。
その月山第二トンネルもまた、堂々と聳え立つ大きな換気塔が出迎える。少し手前から舗装がアスファルトからコンクリートに替わり、そのコンクリート舗装で1,530mを通過する構造だ。しかし先程同様幅員減少の警戒標識があるので路肩が狭くなるのはわかるが、どうやら古い造りなのか中の道まで狭いらしく、実は一番神経を使うトンネルかもしれない。
尤も、この狭さはこの区間が月山花笠ラインの中でも先にできた、則ち昔のほうにできており、着工当時の規格がその寸法であったため、今の規格からするとどうしても狭く感じる。しかしこれだけ路肩をぎりぎりまで狭めて大丈夫なのだろうか。確かに自動車専用道路である手前その割り切り―歩行者・軽車両・排気量125cc以下の原動機付自転車一種・二種のような常時歩道や道路の端を通るような人や乗り物は通らないので思い切って削って良い―があったかもしれないが、路肩があそこまで狭い以上避けるべき時に避けられないのではないかという気もする。
1.53kmに及ぶ長いトンネルを通過した後、次に待っているのは下り坂。しかしその橋桁の端の部分、言うなれば渡ったと同時に、こんな看板がある。
『自動車専用道路 ここまで』
おかしい。湯殿山インターチェンジはその先の筈。何で? 初めて通った人は皆そう思うかもしれない。しかも自動車専用の標識の上に親切に小さめながらも唯一の丸い補助標識である終わりの補助標識まで付いている。その先の道路環境はこれまでと変わらない。その左にある酒田と鶴岡までのそれぞれの距離を示す案内看板よりも、更にその左上にある国道112号線の標識よりも、左端の支柱にある駐車可、則ち駐車場があることを示す標識よりもこの看板に目が行くだろう。
実はこの月山花笠ライン、今松浪と巻が走っている区間、則ち先程潜り抜けた湯殿山道路に続く分岐と立体交差から湯殿山インターチェンジの先の旧国道112号線と接続する鶴岡の田麦俣字清水尻という場所までが部分開通したところから始まっているが、この疑問の残る看板が十座沢橋を渡ってすぐにあるのは部分開通した当時のまま設置されている、とも考えることができるが、実際のところはどうだろうか。湯殿山インターチェンジの開通前に仮称時代の月山沢インターチェンジと田麦俣インターチェンジ、則ち現在のそれぞれ月山インターチェンジと湯殿山インターチェンジの区間が一般国道自動車専用道路に指定されたのが山形自動車道が全線開通する少し前だが、その20年近く前に先程の最初の区間は開通済みの事実を踏まえれば、ひょっとしたら当初はここにインターチェンジを作る計画だったのではないか―それであの看板もあの位置に設置されている―と考えると先程よりもしっくりとくるが…、実際のところがわからない以上、推測はできても正しいことはわからない。
下り坂は長く続き、途中からは他のルートに分岐する関係もあって2+1、或いは1+2の合計3車線の道幅になる。湯殿山道路と接続する立体交差の次の立体交差は中台。分岐する左車線に入り、そのまま行くと、湯殿山スキー場とサンチュアパークというキャンプ場に行けるそうだ。巻と松浪は構わず元の車線のまま通過したが、ここも看板がある通り下り坂+左カーブ+立体交差を潜った先に合流車線がある、という構図なので合流に注意しなければならない。
中台の立体交差から湯殿山インターチェンジまでは3.3kmと近く、それ程走らないうちに『山形自動車道 10 湯殿山 1km 』、英訳 “ YAMAGATA EXPWY Yudonosan” も下に確りと表記された上が白で下が緑の四角い看板が見えた。もう間もなく山形自動車道が見える。
月山湖パーキングエリアから出ようとしたタイミングでETCカードがETC車載器に挿入されているか確認したので、松浪はただひたすら湯殿山インターチェンジの料金所に真っ直ぐ向かうことに割り切ることができた。しかし松浪には1つ気になることが。
―巻さんどうするのかな?
前を走っている巻が、どのようなルートで新潟まで帰るか、である。湯殿山インターチェンジから山形自動車道、途中一般道路を挟み日本海東北自動車道、再び一般道路で新潟まで南下するのか、それとも最初から一般道路で新潟まで向かうのか…。
―早ければ次の分岐だしな…。遅くても鶴岡までか…。
どちらに向かうかわからないまま、分岐に差し掛かったので、松浪はウインカーのレバーに手を掛けた…、とそれより一瞬早く、巻の車の左ウインカーが点滅した。
―あ、巻さんも高速使うんだ…。ホッ…。
安堵した松浪も左ウインカーを点滅させて、山形自動車道 湯殿山インターチェンジに向かう分岐に車線変更した。
先程まで通った国道112号線 月山道路をランプウェイの高架で通過して、「10 湯殿山」と書かれた料金所のブースが見えた…、とここで、巻の車のブレーキランプが点灯した。
―え、あれ? 巻さんETCじゃないの?
湯殿山インターチェンジは入口・出口ともにETC専用レーンと一般レーンが1つずつの2レーン、全部で4レーンある料金所である。そのうちの緑の看板に白字で書かれた一般レーンに巻は減速しながら進む。
―あー…、でも本当にETCじゃなさそうだな。間違ったら割とすぐに気付く筈だから…。
レーン内のブース横に確りと車を停めて、料金を支払っている巻を一瞬ながら横目に見つつ、松浪も紫の看板に白字で書かれたETC専用レーンを、時速20km/hにまで減速しながら通過した。結果として、先程までと前後が入れ替わった。
料金所の一般レーンは、現金やETCカード以外のカードで支払う時に利用する。一般レーンのうち、看板の下にある緑ランプ、則ち青と赤の2灯式信号の青が灯っているレーンを選んで入る。入口では通行券が発券される自動発券機の横に車を停めて、発券機から発券された通行券を受け取る。出口では係員のいるブースまたは料金を自動で精算してくれる自動精算機の横に車を停めて、その通行券と、走った区間毎に決められた料金を現金またはカードで支払う。
しかし湯殿山インターチェンジ等の庄内地方の区間を走る山形自動車道、及び日本海東北自動車道のうち有料区間のインターチェンジのように、料金所集約などの関係で特殊なパターンになっている場合もある。その場合は、ある一定の区間までの料金を特定の料金所で支払うこととなる。例えばこの湯殿山インターチェンジでは、次の庄内あさひインターチェンジが料金所を設置していない代わりに、この湯殿山インターチェンジで庄内あさひインターチェンジまでの料金を支払う。インターチェンジの入口にも拘らず、巻が一般レーンで料金を支払っていたのはこの為である。勿論ETC専用レーンを利用しても、自動で湯殿山―庄内あさひまでの料金が徴収される。巻と松浪は下り線を走っているのでインターチェンジに入ってすぐ徴収されたが、上り線の場合は料金所がない庄内あさひインターチェンジからそのまま入り、本線車道を走り終えてからここで初めて支払う。
このパターンが庄内地方の全区間をフル走行した場合あと何回か繰り返されるが、料金所を集約することで建設コストを抑えられて、通行料金も比較的割安にできる。通常のパターン、則ち入口で車両区分とナンバープレートを確認して入ったインターチェンジの場所を証明するものを受け取り、出口でその情報を基に料金を支払うという方法に慣れている人からすれば最初は感覚が違うので「ん?」と思うかもしれないが、段々慣れてくればそれも気にせずに行けるのと同時に、その合理性の良さに気付く。
本線車道に入ってすぐは制限速度が時速40km/hだが、やがて70km/hにまで上がる。その後に全長約1.9kmの田麦俣トンネルが見えるが、ここまで来ると最大のスポットである朝日山脈越えももう少しだ。なぜならここからは庄内あさひインターチェンジまではまだトンネルラッシュだが、その区間も含めて庄内平野に向かっていくにつれて下り坂が長く続くからだ。これがどういうことを意味しているかといえば、山を下って再び平地に戻るという意味なのだ。
庄内あさひインターチェンジの出口を案内する看板が見えた。ここからは周りが開けて、昼間は比較的走り易くなるが、夜は開けているがゆえにまだ走り難さがある。それでも山をだいぶ過ぎたのと、比較的ストレートも増え始めるので、先程までと比べれば幾分かは走り易い。近くにバスストップもあり、高速路線バスのシェアもある。