苦しいよ…
『間も無く、1番のりばに大阪環状線の内回り西九条・弁天町方面天王寺行きの列車が入線いたします』
ホームの左側、京橋方面から電車がスローダウンして入線して来る。大阪-西九条間は環状線上にあるので隣の外回り2番線ホームからでも行けなくは無いが、時間の上では内回りのほうが約10分で行ける。
電車が停まって、扉が開く。降りるお客さんが全員掃けてから、N`Cars含む乗客も全員乗る。先程と同じく永田と関川は乗った後ホーム側を向いて吊り革に掴まって、2人横並びに立った。
が…、扉が閉まらない。あれ…? おかしいな、という表情で永田は関川を見遣る。
「どないしたん?」
「いや…、扉閉まらないから…」
「ここ停車時間3分やねん。停車時間1分にずーっと慣れとったから、そらそう思うわな」
始発駅は兎も角、途中駅で停車時間3分というのは中々無い経験だった。
―地元にもそういう駅や列車はあるけど、これとて他の路線への乗り入れが主な目的だからなあ…。
なんて考えてたら、
『間も無く1番のりば、大阪環状線の内回り西九条・弁天町方面天王寺行きの列車が発車いたします。閉まるドアにご注意ください』
あっという間に発車の時間に。このアナウンスの直後、遠く立つ車掌さんから笛の音が聞こえた。が、
「アカンアカン!」
「次乗りぃや次」
まさにドアが閉まり始めたタイミングで、エスカレーターを全速力で駆け降りて電車に飛び乗ろうとする者が数名いた。それをとっさに他の駅員が制止する。
それで一瞬ドアが停まったが、制止している駅員が運転席のほうを向いてジェスチャーを交えながら何かサインを送ったらしく、恐らく早よ行きや、という意味だったのだろう、すぐにドアは再び閉まった。
この為発車が10秒程遅れたが、どうにか発車。列車後方の車両に乗っていた、N`Carsとは無関係の乗客数名によれば、飛び乗ろうとした乗客数名はその後全員ホームの真ん中に集められて厳重注意されていたという。
『ご乗車頂きありがとうございます。この列車は、大阪環状線の内回り西九条・弁天町方面天王寺行きです。次は福島、福島です』
福島と言っても、大阪の福島駅である。
だが…、ここから雰囲気がおかしくなる。
『お客様にお願い申し上げます。先程大阪駅にて、発車直前の列車に飛び乗ろうとする危険行為が見られました。駆け込み乗車はお客様ご自身の怪我に繋がるだけで無く、当該列車の運行の遅れ、ダイヤの乱れ、当該事案に巻き込まれた他のお客様だけで無く他の路線を利用されている大勢のお客様がスケジュール変更を余儀無くされる等の重大な危険且つ迷惑行為です。絶対に止めましょう』
ここまでは良くあるアナウンス。しかしどこか怒り口調だった。
『…こやって毎日毎日口酸っぱく呼び掛けたりアナウンスしとるのに、皆様の1人1人のご協力をお願いします言うとるのに、何で誰も守れへんのですか! 何で皆平気でそないなこと繰り返してるんですか! 自分勝手やろホンマに!? 迷惑やろ人様をそない困らせて…。…昨日も一昨日も一昨々日もそやった…。この3日で計5回も駆け込み乗車あってその度に注意したのに誰も止めへんかった…。そんで注意したらしたで今度はお前らがこの時間に運行させるほうが悪いんや言うてわけのわからへんクレームつけて来て…。自分で調整すればええやろ時間くらい…。お前たちの勝手やったことの皺寄せが、全部鉄道会社に来とんねん! 列車は…、公共交通機関は皆の為のものやぞ!? 折角皆の為にダイヤ組んで列車動かしとるのに…、皆でマナーを守って気持ち良う乗りましょう言うて呼び掛けとるのに…、何でそないなことがわからへんのや乗客共は!!』
明らかに運転士さんの声だった。しかしその声は、
―こらヤバいで…。感情が爆発して精神制御ができてへん…。
―最初は怒り、途中から怒りと涙が混じった様な声だったな…。
関川と永田がこう思うような声だった。
特に最後の2文は、一体何オクターブ上げたんや…、と皆が思う程の大きな声で、車両に搭載されている全部のスピーカーに亀裂が入る寸前だった。
車内は、それからしんと静まり返った。しかし運転士さんの感情は静まり返らなかった。
『そこのスマホカチャカチャいじっとるヤツ、見えてたで! どうせまた運転士さん怖いとか、運転士さん要らんアナウンスしとる言うて小馬鹿にしてSNSに書いてはるんやろうけど、自分たちのこと棚に上げて要らんこと抜かすな!! 抑々こんだけ混んどる車内でスマホ使うの自体、マナー違反やろ!?』
どうやら運転席近くのミラーからスマートフォンを操作している男女のペアが見えたらしく、そのペアは2人とも揃って慌ててスマートフォンを閉まった。
先程の2文と同じトーンの声でアナウンスした為に、車内の雰囲気は、静寂から気落ちに至る者までいた。
「ママー、今日の運転士さん怖いー」
母娘連れが乗っていたが、大音量且つ怒り口調のアナウンスを繰り返したが為に、娘が怯えて母が守っていた。
静寂な車内だった為にそれも聞こえてしまったらしく、
『そうか怖いか。けどなお嬢ちゃん、こんなんして危ないことしたり他のお客さんに迷惑掛けはったんならな、誰かて怒りとうなるわ。抑々な、列車って誰が動かしとる思てんねん。人間やぞ!? 沢山の人間が、1本の列車動かすのにどれだけの努力と苦労と協力を重ねて来たかて考えたらな、そうみすみす踏み躙ることでけへんやん。こうやって安全に運行する為に、こうして危ないことにはビシーッと注意するのも1つの仕事やねん。そしてな、運転士かて人間や。ロボットとちゃうねんで!? …これまでずうーっと我慢して来たけど、ホンマは今日位に怒りたいねん…。…お嬢ちゃんもよう覚えときや。危ないことしたり迷惑掛けはったら、どんなに優しい人でも怒るっちゅうことをな』
最後のほうでは、またも涙が混じったような声だった…。
大阪駅から福島駅まで2分。しかしその2分間の大半を説教に費やしてしまったが為に、本来アナウンスすべき内容ができなくなってしまった。もう既に、福島駅のプラットホームの端まで100mを切っている。
『…ご乗車頂きありがとうございます。間も無く福島、福島です。お出口は右側です。お降りの際はお忘れ物、落とし物なさいません様ご注意ください』
…と思ったら、無事にアナウンスし切った。大阪環状線の福島駅はここから直接乗り換えできる路線が他に無いこと、そして体が本能で電車が停止するためのスローダウンポイントを正確に覚えていたことで、どうやら事無きを得た。
あれだけの説教で、感情が大きく乱されながら、列車は無事オーバーランせずに決められた停車位置に停まった。
しかし…、先程のアナウンスにもまだ涙声が若干混じっていた。
…もし、仕事とプライベートの垣根を越えられていたら、そっと寄り添っていただろう…。
距離があったので見えにくいが、N`Carsは皆、運転席のほうを向いて瞠目していた。
―苦しいよ…。
心の底から、運転士さんがそう叫んでいる気がしてならなかった。
ドアが閉まる。今度は飛び乗る乗客はいなかった様だ。
ゆっくりと発車した。車内アナウンスも、自動に戻った。
次は、野田駅だ。




