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The Baseball Novel  作者: N'Cars


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癒される気持ちと甦る記憶

 どうにかやるべきことを終えて、自宅に帰って来た永田。プレッシャーから解放されて、全身の力が抜けたような表情で永田は胡坐をかいて座り込んでいた。


五輪(オリンピック)と言い盛り上がり過ぎなんだよな皆…。次の五輪自国開催だけど皆やる前から盛り上がり過ぎてるよ…。こっちも全国大会控えているけど、あんなの選手や関係者からしたらプレッシャーよ?




 今朝の天気予報の通り、県内の南から順に雨が降り始めて、昼過ぎには県内全域で雨が降り始めた。

―山沿いの連中大丈夫かな…。大雨にはならなそうだけど…。

 雨音が室内にまで響く家の中から、窓越しに東側の山々を見つめた。




山形県K市 梶原の自宅




 国道348号線から少し外れた一本道沿いに、梶原の自宅がある。社会人になったと同時に親元を離れて独立している彼だが、この自宅は一見小ぢんまりとした一軒家に見えて、実は貸家。職場から近いということで、就職以来この家に住んでいる。

―ああ…、雨かぁ…。こりゃランメニュー変更だな。

 窓越しに雨とその降り方を見て、午後に予定していたランメニューを変えた。と、スマートフォンの着信音が鳴る。


「はい?」

『オレだよー充』

―何だコイツか…。

「どしたのー?」

『いや、午後どうすんのかな、って』

「ランメニューやろうと思ったけど変えたわ…」

『ふうん…。てか仕事は良いの?』

「今日はOFFで明日だよ。てかそっちこそ良いの?」

『休憩中だから良い』

「あっそ。これ以上付き合うと邪魔になりそうだから切るわ」

『おう』


 電話の主である菅沢がどちらかと言うと快活的に話し掛けていたのに対して、梶原は終始テンションが低めだった。ただ両者とも、これが正常なトーンである。

 梶原はそう言うと、LINE電話を切った。会話中、時折スマートフォンの向こうからティーカップかコーヒーカップの音がしていたが、どうやら何か飲みながらだった様なので、本当に休憩中だった様だ。

 梶原が普段ランメニューに使っているコースは、ここから国道348号線を南下して、棚林トンネル・境小滝トンネル・白鷹トンネルの3つのトンネルを通過して、白鷹トンネルを抜けて最初に細い道と分岐するT字路…、と言うよりほぼほぼY字路に近いT字路まで来たら折り返して、元の道を戻る。ガッツリと小滝峠を通るルートだが、途中の区間は連続雨量が150㎜を超えるとバリケードで塞がれてしまうので、行っている途中でそうなってしまったら帰れなくなってしまうのである。


 梶原は立ち上がって、ランニングマシンのスイッチを入れに行った、と、

「あらーそこで座ってんのー…」

1匹の猫が、ランニングマシンのベルトの上に座っていた。どうやらこっちを見てずっと待っていた様だ。


―そーいや(さかえ)の爪暫く切ってなかったな…。2週間前だっけ切ったの…。良いや今切ろう…。

 梶原は猫用の爪切りを用意すると、現飼い猫の栄を両手で招き入れて、爪切りを始めた。






 栄は元々、捨て猫だった。N`Carsがチームとして活動開始して間も無い時期の2年前、梶原が練習を終えて長井から上山の現在の自宅へ帰ろうと小滝峠を走行中に、道路脇に段ボールらしきものを見つけた。

 カーブの真ん中付近に置かれていたので、梶原はカーブを抜けてからハザードランプを点灯させて道路脇に停車、シフトレバーをニュートラルに入れてハンドブレーキを引いてから車を降りて段ボールの元へと走った。


「え…?」


 段ボールの中に、子猫が1匹入っていた。最初は平静だった梶原だったが、段々と血相が変わった。


「これやべーじゃん!!」


 その日は今日と同じ雨。いや…、もしかしたら今日より強かったかもしれない。段ボールごと雨曝しになっている子猫を見て、とてもあれこれ考える余裕は無かった。

 子猫が入った段ボールを持って梶原は車に駆け込み、バッグに入っていた未使用のタオルをありったけ使って子猫の体を拭き、練習の時に着るかもしれなかった替えのシャツ数枚を使って子猫を保温させ、すぐさまエンジンを掛けた。それから僅か数秒の間に、兎に角子猫を保温すべくエアコンを暖房のMAXに入れて、左手でシフトレバーを1速に、右手でウインカーレバーを右側が点灯する様に叩き込み、後方を確かめてから発車、すぐにウインカーを消灯した。


 それからは、子猫を助けようとすることだけで頭がいっぱいだった。アクセルは床まで踏み込み、シフトレバーも5速(オーバートップ)にまで入っていた。


 気付けば、ワイパーもHIモードで動いていた。今日よりは強かったかもしれないが、連続雨量の規定を超える程降ってはいなかったので小滝峠の途中の区間も塞がれていなかったが、緊急事態ということもあってあまりのハイスピードで雨の中を疾走したので、フロントの窓ガラスに雨粒が豪雨並みに叩きつけていたのである。


 動物病院とその駐車場を見つけると、梶原はサイドターンで飛び込み、左方向に360°回転させて、見事駐車マスにピッタリと車を停めた。だがそんなことに気を掛ける余裕も無く、梶原は子猫が入った段ボールを抱えて車から降りると、そのまま駆け足で動物病院の入口の扉を突き破る様に入って行った。


「急患だ! すぐに診てくれ!!」

「はい、ではこちらへ」

 やべー環境に曝されてたんだよ…、と言うのは言わずもして、動物病院のスタッフにすぐに伝わった。

 梶原はスタッフの案内で、子猫を段ボールごと診察室に連れて行った。



 それから、暫くの時間が経った。血相は落ち着き呼吸も整って来た梶原だったが、それと同時に子猫を心配する気持ちが段々と顕れて来た。子猫が診察室で一通りの検診を受けている間、梶原は問診票を書いて保険証と一緒にスタッフに渡した以外は、診察室前の長椅子に時折項垂れつつ座って待っていた。


「梶原さん」

 項垂れた姿勢からスタッフの声がしたほうに目を向けると、梶原はそのまま立ち上がって診察室の中へと入って行った。


「どうぞお掛けになって」

「はい、失礼します」

 ここの動物病院の院長でもある高橋獣医に促されるまま、梶原は丸椅子に座った。すぐに、梶原が連れて来た子猫の話に入った。


「こちらの子猫ちゃんですが、恐らく生後数か月…、3か月いってない位の子だと思われます。そして一通り検査しまして、異常は見つかりませんでした。しかしながら雨に曝されていたということもありまして、体力としてはやや弱っている様です。今ウェットタイプのキャットフードと水をそれぞれ少しずつ摂ってくれている様ですけど…」

 診察台のほうを見ると、その上に用意されていたウェットタイプのキャットフードと水を、少しずつながら子猫は摂っていた。しかしながら、同じ位の月齢の子猫と比べると摂るペースがやや遅いこともまた事実だった。


「体力の消耗が影響していることは否めないので、これ以上体力を消耗させずに回復させていくこと、そのうえでまず食事としてキャットフードを水を、特に水分は子猫ちゃんにとっても大変重要な物ですので兎に角摂らせてあげて下さい」

「…摂らせ方は?」

「ここでの様子を見る限り、皿に用意されたものを自分で少しずつ摂っているので、特に難しく考えずに、お皿によそったものを少しずつ、で良いと思います。無理は絶対禁物ですのでくれぐれもご注意を」

「はい」

「それから処方薬ですね。ノミ・ダニの駆除は行いましたが長くいた環境を考慮して、虫下しの薬と、それから点鼻薬、目薬も処方しておきます。処方時の手引きもお渡ししますので、合わせてお使いください」

「はい、ありがとうございます」


 そう言って、梶原は丸椅子から立ち上がろうとした。…と、ここであることを思い出した。


「そう言えば、この子拾い猫なんだけど、何か連絡したほうが良いとかありますか?」

「来院された時に段ボールに入ったままであったこと、首輪やマイクロチップが付いていなかったことから、恐らく迷い猫では無く捨て猫であった可能性が高いです。警察や動物愛護センターにも問い合わせてみますがもし迷い猫で無かった場合は…」


 そのまま引き取るか、里親を探すかの2択になるだろうとのことだった。しかしこの質問をしなければ、自分があわや、というような事態になっていたのである。



 それから、動物病院で出された食事を水を一通り摂り終えた子猫を引き続き温めつつ、この子猫をどうするかということを考え始めた。捨て猫であった可能性が高いとは言われていたが、もし本当の飼い主さんがいたら、その人に帰すまでこの子の世話はきっちりやってあげなければならない。仮にいなかったとしても自分が拾った以上、自分で面倒を見るのは勿論、里親になるという方に引き渡すという展開になってもそれまでは最後まできっちり面倒を見るのが務めだろう…。


 梶原の頭の中は、2択、いや、3択に分かれていた。自分で引き取るのか、或いは本当の飼い主か里親に引き渡すのか…。只いずれにせよ、この子の身元がはっきりするまでは自分で世話をすることは決まっている。


 数多くの検査をしたことや、薬が処方されたこともあって医療費は高くついた。しかし梶原は、そんなことは気にならなかった。気にしている暇が無かっただけなのかもしれない。


 時折、子猫がもぞもぞと動いて、保温の為に(くる)まっていた数枚のシャツの中から段ボールの外へ出ようとしたが、

「雨だから」

と、再び段ボールのシャツの中へと戻された。


 雨は引き続き降っていた。梶原は動物病院で処方された薬と子猫が入った段ボールを抱えて駆け足で車に戻ったが、来院する前と比べれば、この雨で涼しくなった空気の様に気持ちも落ち着いていた。


 子猫ちゃんを保温するには温かい飲み物が入ったペットボトルをタオルに包んで、湯たんぽ代わりにするとよりお薦めですよ、とも言われていた。そこで帰りに最も近いコンビニに寄って、温かいペットボトルの飲み物とタオルを買うことにした。手持ちのタオルは子猫を拭く時に全て使ったので、使おうにも濡れていて使えなかったのである。



 こうして、引き続き行っている保温方法に即席の湯たんぽを追加して、保温状態を万全にして自宅に帰って来た。それから、子猫の世話をしつつ動物病院の御協力を得ながら本当の飼い主を数日探したが、この子猫は迷い猫では無いことがはっきりと判明した。


 それから数日考えた。里親に引き渡すべきか、自分で世話をするか…。只、この子がいた環境を考えるとこれ以上環境を変えたり身寄りになる人間を変えてこの子の幸せを手放すようなことがあれば、それはあってはならないことである。となれば自分しかいない…。


 そう考えた梶原。かくてこの子猫は、正式に梶原家の一員として暮らすことになった。栄という名は、この時に自らの名前である栄次(えいじ)から1字取って名付けたものである。






「…あ」

 気が付くと、梶原は栄の4本の足全ての爪を切り終えていた。爪切りの為に栄を抱いたまま、雨音を聴きながら本能で爪を切りつつ、またしても2年前の回想にボーッと甦らせてしまっていた。


 梶原は切った栄の爪を掃除すると、猫用の爪切りを片付けてから改めてランニングマシンのスイッチを入れた。

 ベルトの上に乗って、ランニング開始。…と、同じベルトの上に、栄が乗ってランニングし始めていた。

 だが梶原は気に留めなかった。栄が来た当初は2、3度ベルトの上に乗って来たのを下ろしていたが、めげずに乗って来たので取り敢えず付き合うことにした。最初はすぐバテたのか早々にベルトから降りていたが、段々とその距離は長くなって、気付けばランニングコースと同じ距離を付き合うまでになっていた。

 思えば爪切りもそうだった。最初はお互いに手こずっていた。だが段々と慣れていき、気付けばお互いがリラックスムードのまま爪切りを熟せるまでになっていた。


 ランニングコースと同じ距離を走り終えて、梶原はランニングマシンのスイッチを止めた。

―全国大会行っている間は栄も大家さんに預けないとだな…。

 梶原の家は貸家なので、大家さんがいる。梶原が留守にする時は、このように栄を大家さんに預けて貰う。栄を家に迎え入れた当初から大家さんに話は通していて、大家さんもそれを理解してくださっていた。


全国大会の会場がある大阪に出発するまであと数日。雨で心を癒しつつトレーニングに励んで、心身共に全国大会へ向けての調整が各自続いた。出発する日は、順当に進めば北海道の代表が全て決まる日と同じ日である。


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