マジックりんか!
空中であたしを見下ろす敵から火の玉が撃たれる。
ぽぽうぽぽう、とまったく恐怖を感じさせない音をさせて周囲に着弾する。そして火柱。あたしの移動範囲を制限するための牽制だ。
簡単すぎる。ぼぼぼう、と立ち上げる数本の火柱をひっつかむと1つにまとめて槍のようにして投げ返した。ぼぼぼぼぼう。猟犬のような低い音をさせて戻っていく。
ぱりぃん。炎の槍は砕け散った。元は敵の魔法なのだから存在管理は自在だ。しかしその処理のために続く魔法が止まっている。それだけで十分だ。
あたしは相手を視る。分解能を限界まで引き上げ、その姿を記憶に焼き付ける。視覚野に敵の位置情報が次から次へと表示されては消えていく。微動だにしないように見えてもその姿勢は数瞬ごとに移動し続ける。なぜなら地球上に存在し続ける限り、その広域座標は移動し続けるからだ。
あたしは脳内に魔法実行命令を投入する。迅雷。
ばりばりばりばり!
身体すべてが稲妻へと変化する。電離する大気。飛散する存在。一直線に敵へと向かうあたし。視界は真っ白になり、音はない。光の速さとなるためすべてが静止したかのように知覚される。その静止した世界の一瞬なら相手の座標は固定される。相互影響をおよぼすすべての力学は沈黙する一瞬。それは数式で表現される静止する一瞬だ。
再び光と音と力学が回復した。あたしの座標は敵の背後だ。そこに存在が回復される。拡張された知覚野が力を失い墜落していく敵の姿をとらえた。地上367メートルからの自由落下。地上にいたあたしの座標からは直線距離にして898メートル。稲妻の移動時間は0.000034秒に過ぎない。その程度の一瞬なら現実はモデル化された演算式で扱えるのだ。もちろん人間には知覚できない時間だ。
だがあたしはその時間を理解できる。認識できる。
いや、あたし「たち」はその引き伸ばされた時間を生きるのだ。
魔法の力で。
物理法則が支える魔法で。
今日も勝利した。
意識を肉体に戻す。あたしは自室の椅子に腰かけていた。師走に入ると日はますます短くなった。今の時刻、19時過ぎではもう真っ暗だ。明かりをつけない自室は緊張感のある暗闇に満たされていた。次次と表示される情報が風景に重なる。
「ふうぅぅぅ」
大きく息を吐き出す。
両耳あたりに手を伸ばす。頭に装着したマジックリンカを外す。延髄を覆うブリッジでつながったフルカバードヘッドフォンに見えるその装置は、魔法を使えるようにあたしの現実を拡張する。あたしのすべてを魔力で覆われたもう一つの世界へとつなげる。
その世界では魔法が存在し、この世界と同じ物理法則も存在する。ふたつの強い力が矛盾なく存在した世界だ。マジックリンカを使う者たちは、現実世界と魔法世界を行き来できる。
なんて言うとかっこいいけど、単なる無線ネットワークデバイスに過ぎない。認識互換型のネットワーク接続型コンソール。それがマジックリンカの正体だ。このデバイスが提供する娯楽は魔法が使える世界でのマルチプレイヤー型オンラインゲームとなる。
「魔法終了」
もう一度脳内に終了命令を実行する。ゆっくり目を開ける。先ほどまでの情報の洪水は消え去り、やっと暗い、見慣れた自室の風景が戻ってくる。
そっとデバイスを机に置く。まっくろなそれはもう闇になじんでしまっている。
あたしはたちあがり部屋を出た。
晩御飯は昨日から用意したそぼろだ。
「りんかちゃーん!」
翌朝。県立宮高等学校の昇降口で名前を呼ばれた。誰なのかは判っている。
「おはよう、高橋さん」
あたしは彼女に微笑む。高橋あやめさんが笑っているのだから、当然あたしも笑うべきだからだ。めがね越しに見る彼女。
「うん、おはよう、りんかちゃん!」
あっははは、ばんばんとあたしの背中を叩く。毎朝のことなのだけれど意味は未だに判らない。ブレザー越しとはいえ痛いものは痛い。
「いたいよ、高橋さん」
「ここまでいつもどおり!」
ばちーん、と上履きを床にたたきつけてから履くのもいつもの高橋さんだ。彼女は力の制御が苦手なのだろう、と理解している。
「さあさ、いそいで教室まで行くのだー」
背中の中ほどまでの長い黒髪が彼女の行動の名残を見せる。きらきらと雪がすべるみたいだ。左右に揺れる髪を見ながら教室へと向かう。昇降口から上がって右に曲がり、すぐの階段を2階に上がれば教室だ。その短い道のりでもすれ違う人たちほとんどに声をかけて、ばんばんどこかを叩く。やめてよー、寒いから痛いよー、力加減してよー、とか苦情ばかりが聞こえるがそんなものは届かない。言うほうも期待していないと知っているのだ、あたしは。
そうやってむくむくと毎日が始まる。
夕暮れ。
大勢に混じって学校を後にする。だんだんと人が減っていき、ついにはあたし一人で帰路を歩く。学校を出るころにはすまし顔でしずしず沈んでいく夕陽だったが、もうそれも終わってあたりは藍色だった。
行く先に一人の女の子がいた。短い髪に細くした目、横に伸ばした口。なにかにつけて自信があるのだろう。真っ赤なジャンパー、黒のスキニージーンズ。攻撃性は抜群だ。
今も腕を組み、道路の真ん中に立っている。普通なら車が通るのでそんなことはしない。
つまり、彼女は普通ではないのだ。
「春川先生の墓守ね?」
それはあたしを本気にさせる合言葉だった。
あたしは彼女を見つめる。逃がさないように。その合言葉を口にしたからには逃がすわけにはいかない。
「返事しなさい、墓守」
「そうよ。春川先生はもういない」
「当然よ」
「そうね、教えてくれてありがとう」
彼女は鼻から息を抜いた。
「勝負よ」
自信ありそうに彼女が言う。
「……そうね、当然だわ」
あたしは答える。
「魔法開始!」
魔法はゲームのなかの話ではない。実際に存在する。こうして力ある者たちは位相を書き換え現実を拡張する。彼女とあたしのアドホック通信が確立し、あたしたちだけの世界が見える。
開始の命令すらあたしには要らない。いつだって魔法が見えているのだから、あたしにとっては魔法が現実だ。ぐるぐると目を回す現実だ。
「おせえよ、墓守」
彼女はもうあたしの前にいた。ひどい前傾姿勢。怒った紅い目、口端から見える牙。彼女は彼女を魔法で書き換える。より強い自分へと書き換える。本当の自分をねじ伏せる。
振りかぶった右手が見える。そらした指が見える。彼女の眼にはあたしの座標情報が目にもとまらぬ速さで流れているのだろう。
「お前のほうが遅い」
あたしの声は聞こえただろうか。お互い音速は越えているはずだ。ならば空気が重いはずだ。しかし魔法があるから問題がない。
顔をめがけてハイキックを放つ。それに対して防御魔法。あたしは強化魔法をこれでもかと重ねる。ばっかんばっかん目の前が点滅を繰り返す。
相手は身を沈めてやり過ごそうとした。だから遅いのだ。全力で蹴りを振りぬくとそのまま一回転し、もう一度下段蹴りを繰り出す。加速! 加速! 加速! ぶううううううん! 大気中の塵が足との摩擦熱で瞬時に燃え尽きる。
見事敵のほほにふくらはぎがめり込んだ。
「んがあぁぁぁっぁぁぁぁぁ!」
踏み出した利き足ですべての荷重を受けきるつもりだ。そうしてこらえたまま、伸ばし切った右手をあたしに伸ばす。いびつに曲がった指が、その先の爪が見える。
止まって見えるのだ。
大気中で動く物体などあたしには遅すぎるのだよ。
必殺だったのだろう右手はあたしにはとどかない。ヒットした足を蹴りぬくほうが早いから当然だ。真横に敵がふっとんでいく。その先はブロック塀だ。この短距離を高速で撃ちつけられては命はないだろう。
「あらよっとぉ!」
重力制御、慣性制御。魔法としてはそれだろう。空中で姿勢を入れ替え、足からブロック塀に着地すると、顎を挙げてあたしを見た。その顔はまさに暴力のみ。紅く腫れたほほが痛ましい。さっきまであんなにかわいかったのに。燃えるゴミの日に捨てられたお気に入りのクマのぬいぐるみのようだ。
ゆっくりと鼻血が垂れる。それは青い。
魔法使用者に特有の人でなし要素だ。なにから作られたのかは想像しようもないが、まともな手段ではないだろう。人の血が青いのだから。
「勝った気になんなよぉ!」
今度はぎゅううんんと両手を振りかぶった。そして彼女の手が伸びた。なにで出来た肉体なのだろうか。それとも魔法なのか。
よけるのは面倒だった。当てる気があれば当たるだろう。顔の前で腕を交差させた姿勢で攻撃を待つ。
びちちいいいいいいいいいん!
直ぐに衝撃が到着した。思ったより痛い。
あたしは魔法を使う。
ばりばりばりばり!
自分の体を稲妻に変換する。相手とつながったまま。それを伝って彼女の中を縦横無尽に蹂躙する。彼女が何から作られた魔法使いなのかは知らない。しかし、稲妻が体中を駆け抜けて無事でいられるはずはない。
彼女を突き抜け、ブロック塀を破壊し、あたしは元に戻った。電離する大気のにおいが鼻を衝く。
あたりにはブロック塀の破片が散乱している。その中に黒く焼けた彼女の姿が見えた。何かが焼けたにおいが鼻を刺激する。
もう何も言わない。
さようなら、あたしに負けた人。
最後に魔法でブロック塀をぽこぽこと元に戻して、彼女をぶちぶちと徹底的に分解して、戦いは終わった。
「魔法終了」
そう言ってあたしはその場を後にした。
住宅街を抜けた先に広い地所がある。それがあたしの自宅だ。ただしくは春川先生の自宅だ。あたしの名前は春川りんか。だからここに住んでいてもおかしくはない。
春川先生はなにの先生なのかは知らない。でも魔法に関係あるのは絶対だ。
あたしを作ったのは春川先生だから。なにからあたしを作ったのかは知らない。なにも教えてくれないまま、先生はいなくなったからだ。生きているのかもわからない。
ただ、時々、先生の遺産を狙う敵が現れる。どういう仕組みなのだ知らないが、どうやらあたしと戦って勝てばいいらしい。3年もやっていればそれくらいは判る。
あたしは思う。
もしあたしに勝ったら、遺産は手に入らないだろう。どう考えてみても、先生の遺産とはあたしなのだから。
これまで倒してきた89人の敵がそれに気づいていないのだろうか。だとしたら相当知性に問題がある。
魔法は実在するのだ。それだけは知っている。
今日の晩御飯は鯖を焼こう。
<了>




