その8:俺の、敵と言われていた男
(8:俺の、敵と言われていた男)
ピンポーン
閑静な住宅街の一角で、これまた何のへんてつもない一軒家の前で俺は手元にあるチャイムを押した。
ピンポーン
表札には達筆な文字で【上白垣】と掘られている。
栞の家だ。
俺はその家の前で確かにチャイムを押した。
しかし、反応はない。
ピンポーン
もう一度押した。
ピンポーン
更にもう一度押した。
ピンポー『あぁぁぁもう!わかったわよ!?今出るからちょっと待って!』
呼び出しボタンのマイクから、栞の苛立ったような声が聞こえてくる。
あぁ、やっぱり居留守使っていやがったか。
俺は小さくため息をつくと、ドタドタと激しい足音を響かせる栞の家に目をやりながら、かばんの中からケータイを取り出した。
新着、ナシ。
俺は先程、栞に今から家に行くとメールした。
なのに返事もナシ。
家に行けば居留守を使う。
まったく、アイツは……。
俺は勢いよく開いた扉を前に不機嫌な顔をわざと作ってやると、勢いよく先生から手渡されたプリントを突き出した。
「ズル休みなんかしてんじゃねーよ。受験生の癖に」
「あんたこそ、ピンポンピンポン子供みたいにチャイム連打してんじゃないわよ。善のせいで負けちゃったじゃない。これで5回の連敗よ」
上下中学のジャージを着て、しかも目にはガッツリレンズの厚いメガネをかけた女を前に、俺はまた深いため息をつく。
これが、休日の上白垣 栞の姿。
学校では美少女と謳われ、男子からは常に憧れの対象であり、女子からは嫉妬の眼差しを向けられる。
あの、上白垣 栞だ。
多分、いや絶対、インフルエンザと言うのも嘘だ。
髪の毛はぼさぼさで、顔色も余り良くないが、これは風邪やインフルエンザのようなウイルスで患ったものではない。
これは……
「お前、また徹夜でゲームしてたろ」
「そーだけど、悪い?予約してたゲームの新作がやっと出たの。学校なんか行ってる場合と違うわ」
「……お前、仮にも受験するんだろ?勉強しろよ」
「あんたって本当に、真面目。ガリ勉。先生みたい。めんどくさい。なのに、ちょいちょい天然入って考え方ズレてるから更にめんどくさい」
ひどい言われようだ。
ゲームでの連戦のせいだろうか。
そして、それによる睡眠不足のせいだろうか。
栞は荒んだような目で俺を睨んでくると、イライラしたように俺に文句をぶつけてきた。
栞は根っからのゲーマーだ。
ゆくゆくは廃人になりやしないかと、俺は密かに心配している。
「お前、ちょっと寝た方がいいぞ。スゲェ顔」
「いいわよ。1週間は休む予定だから。それまでに全クリしてみせるから」
「………うーわ」
どこか自信に満ちた栞の顔に、俺はうんざりすると、少しだけ肌寒くなってきた夕刻に肩を震わせた。
「メール見たか。これ、先生に届けるように言われたから、持ってきた。彼氏が持ってけって」
「あら。まーだ先生知らないんだ。私らの事。私、けっこう最近まで一にべったりだったつもりだったんだけどなぁ」
一。
そう、当たり前のように口にする栞に、俺は眉間に皺が寄るのを抑えられなかった。
そんな俺の表情を、栞はどう受け取ったのか、ニヤリとどこか魔女のような不気味な笑顔をつくると、俺からプリントを受け取った。
「なに、嫉妬?善もそうゆう、ヤキモチとか焼く人だったの?付き合ってる時は大して焼いてくれなかったのに」
「バカ言え……こっちはお前のせいで女子に呼び出されて怖かった」
「あっは!やっぱりそうなった?あー、絶対私か善に行くだろうなぁとは思ってたんだー!」
そう言ってカラカラ笑う栞に、俺はどこか気持ちが沸々とするのを抑えられなかった。
いや、栞があぁなって欲しかったわけじゃないが、こんな風に軽く言われると……どうにも、こうにも……。
一言で言えばすっげームカつく!
「すっげー、怖かったんだからな!俺が池田を苛めてるみたいに言われてさ!あれ、絶対お前への嫉妬を俺にぶつけてるぞ!めちゃ怖かったぞマジで!」
俺はあの時の状況を思い出し、また小さく肩を震わせた。
それは、寒さからくるものでは一切ない。
「ごめん、ごめーん。多分、私にどうこう言うのは女のプライドが許さなかったのね。あからさまに嫉妬してますってゆうの、なんだか格好悪いもん」
「そのプライドが俺に猛威をふるった。怖かった」
「あっは。見たかったそれー」
そう言って、また笑う栞に、俺はもう何も言わなかった。
言っても栞には(笑)程度の気分しか与えられない事は、もう十分わかったし。
俺はもう用は済んだと、栞に背を向けようとすると、栞はその前に、今までとは少しだけ違った真面目な声で俺に向かって声をかけてきた。
「一、どうしてる?他の女子がべったり?」
「まぁ……お前の予想通りだよ。栞が居なくなってから、これはチャンスと女子共は皆であいつに群がってる。ハイエナみたいだ」
「ねぇ、善は?」
「は?」
「だーから、善は?一と何か話したりした?」
突然、話しの方向が俺に向いた事に、俺は一瞬意味がわからず、無言のまま栞を見ていた。
そんな俺を、栞はどこかお見通しというような、面白いものでも見つけたような目で見つめていた。
「善さ、転校初日からずっと一の事気にしてたでしょ?転校生だ、凄いなーカッコイイなー、話しかけてみたいなーって小学生みたいな事思ってたでしょ?」
「……思ってない」
お見事、思ってました。
俺はガッツリ栞に気持ちを見透かされてしまっていたが、それを肯定するのも癪だったので、栞から目を逸らして首を振った。
その言い方が、自分でどこかガキっぽいと思ってしまって、恥ずかしい気分に拍車をかけたのは自業自得だろうか。
「思ってる。あんた、ずーっと一の事見てたしね。でも女子がいつも周り固めてるから話しかけられなかったのよねぇ?」
「……………栞は……栞はいいのかよ」
「何が?」
「せっかく、アイツ……池田と仲良くなってあんなにスゲェのが彼氏にできるかもしれなかった時に、こんな休んでゲームなんかしてて」
俺は自分の耳が徐々に熱を持つのを誤魔化す様に、話題を変えた。
何だよ、俺、そんなに栞にバレるくらいアイツの事見てたのか。
……やらかした。
恥ずかしいったらない。
「別に。私、一と付き合いたいとか思ってないし」
「……は?」
予想外の栞の言葉に、俺は思わず上ずった声を上げてしまった。
だって、そうだろう。
あの、ミーハーな栞が、アイツと付き合う事を目的とせず、ただ単純に池田にあんなに親しくする筈ない。
ましてや弁当など、あり得ない、あり得ない。
「…………ムカつく目ねぇ」
そんな俺の思考が伝わったのだろう。
栞はどこか心外そうな表情で俺を見てくると、手に持って居たプリントをクシャリと音がする位力を入れた。
プリントはもうグシャグシャだ。
「ばっか。だいたいねぇ、もうすぐ高校生活も終わるってのに、今さら彼氏なんか作ってどうすんのよ。そんな足枷作ったら、新しいとこ行って、もっと良い男見つけた時に、素早く次の行動に移れないでしょうが」
「………は、はぁ」
「私もあんたと同じ。転校生だし、結構カッコ良かったし、最近つまんなかったし、刺激欲しかったし、ちょーっと話しかけたいなって思ってただけ。今はゲームって刺激があるし、十分ね」
「……そっか」
俺はそんなつもりで話しかけたかったわけじゃない。
お前みたいなハイエナ女と一緒にすんな。
………なんて。
上下ジャージで瓶底メガネを装備した寝不足の勇者に、そんなツッコミを入れられるわけもなく。
俺はやっぱこれが栞だよなぁと、女子に囲まれた時とはまた違った怖さを感じていた。
「向こうも、そんなにこっちと仲良くなりたそうでもなかったしね。別にもういいのよ」
「ふーん」
そう言った栞の言葉に、俺は瞬間的にアイツの栞やそのほかの女子へ見せていた、あの困ったような愛想笑いを思い出した。
やっぱり、栞は気付いていたようだ。
あれがアイツの本気の表情ではないと言う事に。
「でもさ、一がね。唯一、自分から話に乗ってきてくれた話題もあったんだよ」
「へぇ、どんな?」
へぇ。
そっか、アイツも何か特別な話題だと話に乗ってくれたりするんだ。
「どんな話題だと思う?」
「わかんね」
俺が本気で何なのか分からず考え込んでいると、栞は耐えきれないようにクツクツと口を押さえて笑い始めた。
何だ、栞のヤツ。
「おい、栞。なんだよ」
「あんたの……善の話」
「………は?」
「あのね、私が善の話をする時だけは、けっこう盛り上がってくれたんだー」
「……っは!?」
何だ、それ?
つか、何だ栞。
お前は俺の何について話したんだ。
「おい、一応聞くが、一体、俺の何を話したんだ?」
「あはっ、丁度いいし、一本人に聞いてみれば?」
「本人って何だよ!」
「本人は本人よ。さっき、さっき私のとこにメール来てたし、焦ってもうすぐコッチに来るんじゃないかなぁ」
「ちょっ!栞!お前、何をどうしたんだよ!?」
俺が一人焦っていると、栞はグシャグシャになった進路調査のプリントを持ったまま、俺にむかって背中を向けた。
俺の質問に答えるつもりは毛頭ないらしい。
「おいっ!栞!」
「っあ、そうだ」
そして、思い出したようにもう一度俺の方を振り返ると楽しそうに笑いながら俺に向かって口を開いた。
「一もね、あんたと話しがしてみたいって、ずっと言ってたよ。良かったねぇ。両思いで。この際だから、二人仲良くなってみれば?」
「はぁ?」
俺が本格的にわけがわからないと栞の背中に手を伸ばした時だった。
「さっ、坂本くん!」
背後から突然、俺の名前を呼ぶ、聞き慣れない声が俺の耳に届いた。
「じゃーね、善」
「って、おい!」
栞は無情にもヒラヒラと手を振り、家の中へと入って行く。
そんな栞の背中に向かって、俺は、ただ意味がわからず茫然とする事しかできなかった。
え、何。
一体、今、俺は何がどうなっている。
茫然とたたずむ俺の傍。
そこには、今まで教室でしかまともに見た事がなかった、あのカリスマ転校生が居る。
しかも、俺の腕をガッシリ掴んで。
精霊与えられた、特別なヤツの顔。
その顔は、今現在、俺に向かって後悔やら、悲しさやら、苦痛やらが入り混じったような、なんとも形容し難い顔をしていた。
俺とアイツ。
アイツ、池田 一。
今ここには、教室で与えられる俺達の、勝手に決められた関係性はない。
俺と……そうだな、池田くんは今初めて他人が作った関係とゆう籠の外に居るのだ。
「っ坂本くん!」
「はい!」
俺は眉を寄せて、息を切らす池田くんを見ながら、相手につられて思わず大きな声で返事をしていた。
えっと、何故、池田くんはこんなに苦しそうなのだろう。
はぁ、はぁ。
そう、小さく息を切らしながら、どうにか言葉を紡ぎだそうとする池田くんを俺は静かに待った。
ここには空気の読めない体育教師は居ない。
だから、俺は待つ。
池田くんが話してくれるのを。
「坂本くん……誤解、なんだ。俺と栞は付き合ってないし、俺は付き合うつもりもない」
「うん」
「俺、知らなかったんだ。栞と坂本くんが付き合ってたなんて。なのに、俺、そんな事も知らないで、栞と無神経に仲良くして」
「うん」
「さっき、クラスの女の子たちから聞いたんだ。俺が転校してきてから、二人は別れたんだって。でも、俺、そういうの全然知らなくて……坂本くんは男子に人気あるし、ずっと喋ってみたいと思ってたんだけど、なんとなく、俺は男子からは嫌われてるのに気付いていたし、どうしても話しかけづらくて。そしたら栞が坂本くんの話しをいろいろ教えてくれて、やっぱり仲良くなりたいと思ったんだけど………」
眉間に皺をよせながら、どこか苦しそうに言葉を紡ぐ池田くん。
そんな池田くんの顔に、こんな顔もするのかぁと、どこか妙に冷静な頭で池田くんの話に頷いていた。
その間も、俺の腕はがっしりと池田くんに掴まれたままだった。
「他の女の子達からは、何でか、あんまり坂本くんには近付かない方がいいよとか言われるし。そんな事言われて、やっぱり俺、どうしていいかわからなくて。でも、俺とは違って、坂本くんは俺に挨拶してくれたり、目が合ったら頭下げてくれたり。スゲェよくしてくれたのに。えっと、挨拶してくれた時も、かなり嬉しかったんだ。なのに俺は……本当に無神経な事ばっかして……ごめん。マジで俺、要領悪くて」
なんとなく、勢いで話してくれているんだろうな、と言う感じを俺は池田くんの声を聞きながらひしひしと感じていた。
その時、俺が感じていたのは目の前で、本当に申し訳なさそうに俺を見つめる池田くんが、やはり神がかったカッコよさを持っているなぁと言う事だけだった。
そして、やっぱり池田くんはいいヤツなんだろうなぁと思った。
「池田くん」
「っな、何だ……?」
不安そうに俺を見てくる池田くんに俺は、なんとも間抜けな事を聞いていた。
「俺達って、えっと……仲、悪くないよな?」
「……っ!」
思わず放っていた、少しばかり不安そうな俺の言葉に、
池田くんは一瞬大きく目を見開くと、いつもみたいに笑って頷いてくれた。
「うん。ぜんぜん。俺達は、仲、悪くない」
あぁ。
誰だよ、俺達が仲悪いなんて言ったヤツ。
俺達、仲いいじゃんか。