夜、一日が終わってしまうんです
道中は、晴れていました。頭上には暗雲とオレンジの二色があり、遠くに夕陽が見えます。
またすぐに雨が降り出しそうですが、しばらくは大丈夫そうなので、天気さんが崩れる前に目的地へと急ぎます。
私はアゴヒゲメガネエプロン男さん、通称アメオさんを、いきつけの交番に連れて来たんです。
「また君か」
いつの間にか、顔をおぼえられてしまったようでした。
「今日はどうしたんだ」
そんな風に、おまわりさんが訊いてきたので、そこで私は事情を説明したのです。
「あのあの、おまわりさん、かくかくしかじかなんです」
「なるほど、帰っていいよ」
「えっ? あのあの、おまわりさん、おかしいです。私が本棚を乱して、アメオさんは私を庇ったんですよ? おまわりさんという正義を担う人が、目の前に立つ二人もの罪人を、あっさり見逃すというんですか?」
「帰りなさい。迷惑だ。こっちは忙しいんだ」
締め出されました。背中を押されて外に出され、ピシャリと戸を閉められてしまいました。
そして、アメオさんが逃げるようにダッシュで去ったかわりに、雨粒が落ちてきました。
私は、正義というものが、よくわからなくなり、ひとり俯きます。そのまま、とぼとぼと歩くしかありません。
つらいです。どうしようもなく孤独です。
背中を丸めて駅に向かいます。街道を行く私の姿は、道行く人の目にどう映っているのでしょうか。
雨が強くなりました。すっかり濡れてしまった私です。
歩いているうちに空も、闇と暗雲によって、どす黒く塗りつぶされてしまいました。
おかしいです。正義に生きたいと願っているはずなのに、どうして結果が伴わないのでしょう。
いつもそうです。私は正しくありたいのに、誰にも迷惑をかけたくないのに、いつもおかしなことになるんです。
今日だって進行方向の違う電車に間違えて乗り込んだり。お弁当の発注ミスをかましたり、唐揚げをぶちまけたり。本棚を崩したり。迷惑かけまくりです。
私は、正しい気持ちで正しいことに取り組んで、正しい結果が欲しいのに。
虚しい。虚しいです。正義なんて、幻想なのでしょうか。正しさなんて本当は私の心に存在しないのではないでしょうか。そんな気がしてきました。そうに違いありません。もういいです。もういやです。正義の人になんか――。
「まやか?」
「え?」
私はびっくりして顔を上げました。
純くんでした。
「さがしたぞ、まやか」
池之端純くんも、私と同じように濡れていたのですが、私と違っていたのは、その手に傘を持っていることでした。
しかも、それは、レッドな私の傘でした。
なにゆえ傘があるのに差してないのでしょうか。純くん自身の傘はどうしたのでしょうか。
そして純くんは素敵なポーズを決めました。彼が転校してきた時に見せたような、とてもフリーダムな勇姿です。
街灯の下、薄暗い空の下、篠突く雨の雑音の中、純くんは変なポージングのまま語り始めます。
「聖装備、血塗られた雨傘が残っているのを偶然にも見つけてな。まさか無装備で帰途に着くような愚は犯すまいと、聖域内を探し回っていたのだ」
時々ポーズを変えながら。
「ところが、探しても探しても姿が見えない。そこで俺は三つ編みの女に、まやかの行方を訊ねたのだ。そうしたら、帰っていく子羊の背中を目の当たりにしたと言うではないか。その上、神の与えたもうた試練とでも言うべきか、窓の外に『天空の涙』が零れ落ちて来るのが見えたのだ」
クロスさせた腕。雨を表現するかのように、私の方に手の甲を見せて、十本の指は地面に向けています。
つまり、こういうことでしょう。純くんは、雨が降り出すのを見て、いてもたってもいられずに走り出し、私の赤い傘を持って外へ躍り出たのです。そして今、彼は見事に私を見つけ出し、私の目の前に立っているのです。
「まったく魔除けのブラッディアンブレラもなしに、このような邪神の溜まり場を歩くなど、正気の沙汰ではないぞ。俺の到着があと少し遅れていたら、魔に呑み込まれるところだ」
純くんが何を言ってるのか、よくわかりませんでした。けれど、私は、とてもとても感動したのです。
会いたい時に会いたい人に会えた。これがデスティニーでなくて何だと言うのでしょう。
「でもでも純くん、どうしてですか?」
「何がだ」
「傘、させば良かったのに」
「その……なんというか、もしもまやかが、いずこかで雨に打たれていたらと思ってな。それゆえ、まやかの傘を勝手に一人で使うのは、はばかられたのだ」
私なんかが、こんなにも想われていて良いのでしょうか。なんだかとても感動です。
「……あのあの純くん、大好きです」
すると、池之端純くんは強く抱きしめてくれました。
「よいか、まやか。先刻のような悲しそうな顔をするでないぞ。魔が寄って来てしまうからな」
「はい」
濡れた彼の制服から顔を離しました。
気付けばもう雨は上がっていて、二人ともそんなことには気付いていたのに、あえて相合傘で歩きます。
並んで二人、ずぶ濡れのまま、歩いていきます。
その時、私は決めたのです。純くんみたいな正義の人になれるように、思い切りよく誰かのために立ち上がれる人になれるように、明日も頑張ろうと。
そして、いつか頑張らなくても立ち向かえるようになるまで、明日も明後日もその先も、少しずつでも正しい人になっていこうと思うんです。
私は、傘を持つ彼の腕にしがみつきました。
「このまま、家まで歩きましょう」
「はっはっは、いいだろう、俺の導きによって、安寧を得るがよい」
本当に本当に、これでもかってくらいに素敵な一日だったんです。
【河上まやかの日常 完】