昼休み、唐揚げ弁当事件です
私は、昼休みにはお弁当をクラスメートに届けるという仕事をしています。お弁当係という役職なのです。
まず朝に、クラスメートから伝票を渡され、それを出張弁当屋さんに届けます。そして、昼休みに弁当の入ったケースを教室に運んでくるという簡単なお仕事です。
この日も私は重い思いをして、雨の日独特の匂いがする教室へとお弁当を運びました。教室で待っていた弁当を欲する人たち一人一人のところへ配って回ります。
そしたら、クラスメートから、こんな言葉を浴びせられたんです。
「おい、なんだよ河上」
「なんですかとはこっちの台詞です。あなたの不愉快そうな声や表情や態度に対して、こっちがイラつかざるをえません。私は弁当運び係としての職務をまっとうし、七箱もの伝説の宝箱をあなたのもとに届けてあげたのですから」
「いや、あのな、河上……」
「ええ、ただの軽量なプラスチックの箱だろう大袈裟だなと思うことでしょう。なぜならあなたはスポーツマンです。ラグビー部です。ムキムキです。私の腕力と比べたら月とすっぽん以上の差があります」
「待て待て、そういうことじゃなくてだな……」
「はあ……じゃあどういうことなんです?」
「頼んだの、唐揚げ弁当一個だけ」
「…………」
「七個も頼んでない。一個だけ」
「…………」
「おい、きいてるか、河上。河上まやか」
彼は、絶句する私の名を呼んで、目の前でブンブンと手を振って、意識があるかどうか確かめていました。
私は目の前で揺れる巨大なテノヒラを、ぼんやりとした眼差しで見つめていたように思います。
「…………」
やがて私は、頭を抱え、しゃがみこみました。
混乱しながらも解答は出ているのです。しかし、それを口に出したくはありませんでした。
かといって、いつまでも逃げてばかりも居られないとも思います。自らの大失態と向き合うならば早いほうが良いのです。
意を決して、私は声を出しました。
「ぁ……つまり、えっと、どういうことでしょうか? 確かに、私は伝票に『7』という文字が躍っていたのを確認したはずなんです。そもそもそこからが間違いで、伝票に書かれていたのは『1』だったというわけですかね」
「おそらく、そういうことだと思うぞ」
思い返してみれば、おかしいと思ったんです。伝票と引き換えに代金を受け取るのですが、その時に五百円玉いっこしか渡されていませんでした。もし七箱注文するなら、三千五百円を差し出すはずです。ですので、これはマヌケすぎる私の、初歩的でひどい、言い訳などできないような凄惨なミステイクということになります。
後で足りなくて立て替えておいた三千円をこの人に支払わせようなんて考えていた私は、あまりにも愚かです。うっかり偉い人にバレたら死刑にでもされそうなレベルの事態にも思えてきます。
「すみません、すみません、すみません! 私としたことが、何て大変なミスを!」
「どうすんだよ、こんなに唐揚げ弁当ばっかり……」
立ち上がった男の巨体。机に片手をついて私を見下ろしています。すごい威圧感です。巨人にハンマーを向けられた俎板の上の鯉といった心境です。
私はもう、涙目です。
ざわざわとクラスの皆が集まってきました。あっという間に人だかりができて、各々、「なんだなんだ」「どうしたどうした」と興味津々です。
「私が、いけないんです……」
なんと罪深いことをしてしまったのでしょうか。
このままでは、余った唐揚げ弁当群を廃棄せねばなりません。それは、つまり、鳥さんたちの死が無意味になるということ……と解釈することができます。果たしてそれは看過して良いことなのでしょうか。
「こうなれば、私が、責任を持って!」
私は唐揚げ弁当を一つ取り上げ、蓋を開けました。実を言うと、私は既に授業中にお弁当を食べ終えたばっかりで、おなかいっぱい状態です。ですが人間無理すれば満腹状態からでも油ものを食べられると思うんです。
私は私の責任を果たさないと気が済まないのです。唐揚げ弁当は全て私が食べ切ります。それが、お弁当係としての責任なのです。
ところが、私の行動を阻止する人間が現れました。
あるクラスメートの女子生徒です。ピチピチギャルです。プラスチックのお弁当箱を反対側から掴んできました。
箱を、両側から引っ張り合う形となります。
「河上ちゃん、落ち着いてょ」
「大丈夫です。食べられます。あと六箱くらい平気で入ります」
嘘です。正直なところ自信などというものは全く存在していません。しかし、もうこれしか始末をつける方法が無いのです。
「放してください、これは私の唐揚げ弁当です」
「お金払うからぁ。あたしら、おなか減ってるからぁ」
彼女はそう言ったものの、もう後には引けません。私は純くんに正義の人になると誓ったのです。正しく生きる第一歩は嘘を吐かないことでしょう。私は正義を履行するために、基本をおろそかにしたくはないのです。
女子たちが群がります。「あたしもあたしも」だとか、「唐揚げは別腹ナリ~」などと言って、私に小銭を渡そうと見せ付けてきます。
その時、私は思ったのです。これではまるでホームレスにでもなった気分であり、むしろ侮辱なのではないか、と。愚鈍な私のひどく愚かな失敗を見世物にして、その対価を小銭という形で支払う気に違いありません。
私は弁当箱を引いている腕に力を込めました。思い切り引っ張ってやりました。
瞬間、箱が割れました。
破け、裂ける弁当箱! 飛び散る中身!
二つに分かれて宙を舞う白米の塊。クラスメートたちの口はあんぐりと開きます。私は、引っ張った勢いそのままに、ラグビー部男子に激突します。
「あぁっ! 唐揚げがぁ!」
落ちた弁当、散乱する唐揚げたち。
しかも、よく見れば私が男子にぶつかった衝撃で机が倒れ、残り六つの唐揚げ弁当までもが落下アンド土砂崩れの憂き目に遭っているではありませんか!
「三びょ――」
「やめろ河上!」
私は、ものすごい力で羽交い絞めにされました。さすがラグビー部で鍛錬を重ねているだけのことはあります。
拘束された二の腕が痛いです。でも、鶏さんたちの方がもっと痛恨だったに違いないんです。何という罪深いことをしてしまったのでしょうか。
私は全身の力が抜けてしまいました、屈強な男子の腕をすり抜けて床に膝をつく形です。
そして、すぐさま人垣の最前列に居た学級委員の三つ編み女に向かって両手を差し出します。さぁどうぞ、ここに白銀に光る手錠を掛けてくださいと言わんばかりに。
やってしまいました。もうだめです。今朝の遅刻との合わせ技一本で、帰りのホームルームで吊るし上げられることが濃厚になってしまいました。
お弁当係でありながら、ありえない発注ミスをし、弁当箱を破損させ、罪無き衣まみれの油鶏さんたちを無駄死にさせてしまったのです。よくて解任、悪くて死刑。そのくらいの大罪です。七つの大罪に加えて八つ目の大罪にしたいくらいの悪行です。
もう私に明るい未来など、無いような気さえします。
「河上さん、大丈夫だから」
それはどういう意味なのでしょう学級委員様、私の存在が無くても大丈夫という意味でしょうか。きっとそうです。私はこれから小銭やら生卵やらをぶつけられて罵倒され、市中引き回しの刑に処せられ、やがて――。
「ぬぅ、なんだこれは、何の騒ぎだ。魔界の門でも開かれたのか」
遠くから、愛する人の声がきこえてきました。
「どけ、どかぬか魑魅魍魎どもめ」
くぐもった声は、だんだんと大きくなり、どよめく人垣を掻き分けて大好きな池之端純くんが姿を表しました。
「まやか!?」
彼は私の姿を認めるなり私の名前を呼んで、周囲をぐるんぐるんと見回しました。
私とラグビーの人を中心に人だかりができており、唐揚げや白米が散乱しています。唐揚げの匂いのする教室の、その床に、私は座り込んでいるのです。
「貴様ら、俺のまやかに何をした! 散乱した屍どもの中心で、死せる魚のような瞳になって膝をついているではないか」
彼の問いに答える人は居ませんでした。
「ふっ、そういうことか……」
純くんはそう言って、翼を広げて今にも飛びたとうとするような、ひどくイケてるポーズをキメました。かと思ったら次の瞬間に、こう叫んだのです。
「貴様ら! 俺のまやかに、油まみれの屍肉を投げつけていたのだな!」
「あのあの、純くん、ちがうんです」
おろおろと震えた涙声で言ったところで、純くんは頭上に掲げた両腕を下ろしてはくれませんでした。
「獰猛なハイエナどもめ、俺のまやかに手を出した以上、覚悟はできているのだろうな」
純くんはポーズを変えました。顔面の半分を手の平で隠しつつ、腰をぐにゃりと捻っています。
「よかろう。ちょうど新技の実験人形が欲しかったところだ。この『雁背葱負招来蹟』の最初の犠牲者になってもらおうか。貴様らごとき、この小指一本でたやすく葬り去ってくれるわ!」
右の小指を立てて、ラグビー男子に宣戦布告した純くん。
その時、私は感動してしまいました。
いつもどんな相手にでも、勝ち目なんかゼロであっても、私を守るために立ち向かってくれる純くんのことが、本当に大好きなんです。
私は勢いよく立ち上がり、唐揚げなんか踏み潰して彼に駆け寄り、いわゆる、指きりげんまんのようにして彼の小指に私の小指を絡ませました。
「ななな、何をしているのだ、まやか! こんな時に……」
私の大切な人は顔を真っ赤にして慌てます。
「純くん、どうか死なないでください」
「お、おう……」
「約束……ですからね……」
指を離し、背後にまわりこみ、愛する人の背中を押した私。
ムキムキを相手に、純くんは戦うのです。
「このラグビー野郎、貴様がこの事件の首謀者か」
「いや、原因は河上だ」と、冷静なラグビーさん。
「貴様……」
貴様、あくまで俺のまやかを侮辱する気か、とか、そういうことを言いたいのだと思われます。しかし、ラグビーさんの言ってることの方が正しく、私が最悪なのです。けれど純くんの背中を押してしまった手前、何だか止めるわけにもいかなくなってしまいました。
また自分の判断のまずさを全力で呪いたくなりましたが、もうこうなったら祈るしかありません。どうか、私の池之端純くんが死にませんようにと、両手を固く握って額に当て、目を閉じます。
その時、バチン、と手を叩く音がして、私はびっくりして音のした方へと顔を向けました。
皆が注目した先には、担任の伊藤先生の姿。
「こら、お前ら、何だこの唐揚げまみれの惨状は! 何の騒ぎだ!」
すると、普段はひどく真面目なはずの学級委員が三つ編みを撫でながら言ったのです。
「先生、唐揚げがひとりでに暴れ出すという事案が発生しました」
「嘘をつけ」
こうして、純くんの命は助かったのです。
「またお前らか」
いつものように二人で呼び出しをくらって叱られましたが……。
なお、ずいぶん後になって聞いた話ですが、この出来事は、『伝説の唐揚げ弁当事件』と呼ばれることになったらしいです。なんだかそのまんまですよね。




