あのあの池之端くん、ちがうんです
アザとーさん発の中二病男子と、
クロード発の遅刻高校生女子が運命の出会いを果たしました。
それは正義の具現として生まれた者の運命……危険に付きまとわれるのは常のことであったが最近とみに危機的状況に陥ることが多すぎる。
「む! 邪気!!」
軽やかに飛びのけようとした瞬間、激しい衝撃と共に大地に引き倒される。
「何事……ぐえ!」
さらに制服の上に車輪の跡を刻みつけて通過して行ったのは、何の変哲もないママチャリであった。
俺は相手を油断させるため、敢えて大地に伏したまま攻撃者を見上げる。
「貴様、誰に差し向けられた?」
ママチャリを止めて振り返った少女には見覚えがある。そうか、今まで大人しいクラスメートを装っていたこの少女……彼女は俺を斃すために送り込まれた間者であったのか!
「あ、えと。ち、ちがうんですー!」
ペダルを強く踏んで、彼女は瞬風のように走り去る。
俺は何事もなかったかのような涼しい顔で人差し指を構える。揺れながらママチャリを漕ぐその小さな背中に向けて見えない引き金を引き絞った。
「ふっ、今日のところは負けておいてやろう。だが次は、こうは行かんぞ」
未だ大地に伏したままなのは油断を誘うための作戦だ、もちろん!
「あのあの池之端くん、どうしたの。急に呼び出しなんかして」
「最近の行動を監視させてもらった。ここ放課後の教室に貴様を招いたのは、他でもない。単刀直入に言おう、貴様何者だ?」
「な、何者って言われても! まだ池之端くんのクラスメートってだけだと思うんです!!」
「ただのクラスメートだと? この俺の背後をとり、あまつさえ自転車で踏みつけてゆくなど、常人の為せる所業ではない!!」
「あっ! ちが、ちがうんです。わざとじゃないっていうか、あれは、私のせいじゃないんです。じゃじゃ馬な車輪が勝手に池之端くんに向かっていっちゃっただけなんです」
「それだけではない、貴様は事あるごとに俺を見ているだろう。先日などは俺の通視の能力をかいくぐり、我が家の前までたどりついていたようだな。その能力の高さは認めてやろう。だが、俺の能力はそれを上回る! 貴様の視線に気づかぬとでも思ったか!」
「ちがうんです! いえ、ちがうくないですけど、見てますけど……でも、それは偶然っていうか……。池之端くんの家に行ったのも、あの、それも私じゃなくてですね、私のじゃじゃ馬なママチャリが勝手に。ママチャリが勝手にやったことを私に言われてもどうにもならないっていうか……」
「なに! 目標に対する探索機能を付与されたママチャリだとっ? むう……夢魔の車輪……か、恐ろしい魔科学力だ……貴様はどこから送り込まれた? 言わないと、可哀想だがカラダに訊くことになるぞ」
「カラダに!? あわぁ、ちょっと待ってください、それは、まだ! 物事には順序があるじゃないですか。まさかそんなことを言われるとは……」
「カラダにと言うのはっ! その、そのその……そういう意味じゃないぞ。何を考えているんだ」
「あ、そういう……。あっ、恥ずかしい……」
「これだから魔性の者どもはっ!」
「あのあの、それでは本当のことを言いますけど、ママチャリの話は口をついて出たウソっぱちっていうか……そんな謎の力的なママチャリじゃないっていうか。だから、その、あの時、蟻の行列が続いていまして。蟻って、あの蟻ですよ、働き者の昆虫の。それがですね私の通行を妨げるように、列をなしていたんです。それで彼らを無慈悲なる車輪で轢殺しないよう、行列に沿って進んでいったら、偶然、池之端くんの家の前で行き止まりだったんです。ええ、しばらく悩みましたよ。どうにかして蟻を殺さないように進むことができないものかと。けれど、もう引き返すのもバカらしいじゃないですか。だから、そのままペダルを漕いでグシャリと通過した私を誰が責められましょう。罪無き健気な生き物、その命を奪ってしまった罪深い私です」
「ほう、惰弱にして微小な生命に慈悲を感じるその心根、心底までの魔性というわけではなさそうだ。この前も、俺の命を狙うがごとく体当たりを食らわせておきながら、刃の香りは纏っていなかった。まあ、貴様ごときが刃を手にしたところで、常人の数倍といわれる動体視力を持つ俺の敵ではないがな。なぜ俺を付けねらうのか、ちゃんと理由を話してみろ」
「……理由を言っても、怒りませんか?」
「俺は心も常人より広く、強く作られているのだ。恐れずに話せ」
「好きになってしまったんです」
「そうか、俺に隙が……ん、好き? って言ったか、今? あ、や、その……そっか……取り乱してすまなかったな。確認させてもらおう。隙ではなく、好きと言ったのだな?」
「はい、好きなんです。好きで好きで、仕方がないんです!」
「ふう、俺の魅力に気づくとは、只者じゃないな。だが俺は正義に身をささげる男。付き合えば必ず女を不幸にする男だ。何より、この魔眼で見つめた者を殺してしまいかねない」
「そうなんですよね。ずっと見ていたので知っています。池之端くんは正義の人なんです。私ごときが一緒に歩く時があるとしたら、まだ温かい上着を両腕に巻かれて逮捕される時くらいのものですよね……。どんなに私が好きでいても、あなたには相応しくないんですよね……。
池之端くんが転校の挨拶をしてる時、すごく素敵なポーズしてて、まっくろな黒板のはずなのに『ズキュゥゥゥン』っていう文字が浮かび上がって見えたんです。目をこすったら飛び出してくるような迫力ある文字は消えてしまったんですけど、たぶん、その瞬間に、私は恋に落ちたんだと思います。
その時から、気付いたらいつも池之端くんを見ていました。池之端くんが見えない何かと戦ってる姿とか、転校してきた時のおかしな挨拶にしてもそうですけど、はっきり言って変な人にしか見えませんでした。なんかいつも変テコなこと言ってるし。
どうして私がこんな人を好きになったのか、大いに疑問なんです。だけど、あなたを見ると、他の人を見る時とは違っていて、心拍数はうなぎのぼり。顔なんか暴走した電子機器みたいに熱くなって、なかなか冷めてくれないのです。それがラブで無くて、何だと言うのでしょう。
好きになった理由なんて、よくわからないのです。だけど、もしかしたら後付けの理由なのかもしれないんですけど、一つ挙げるとするなら、優しいところかなって思います。
もう白状してしまいます。極悪な私が偶然を装ってぶつかってしまったり、故意に轢いてしまった時にも、池之端くんは怒ったり怒鳴ったりしませんでした。何度やってもそうでした。普通の男の人は、変なことした時すぐ怒るのに、池之端くんは優しくて。
今だってそうです。私がどんなにおかしなことを言っても、優しくて……。
もう引き返せないところまで好きになってしまったんです。本当に、大好きに。激突した時の背中の感触や轢いてしまった時の車輪越しの感触すらも。姿も、声も、仕草も、何もかも。だけど、私は、あなたに好かれるようなことを何もしていないのです。それどころか……。
どうしてこんなことになってしまうのでしょうか。あなたをつけまわしたり、蟻を殺したり、あなたを轢いてしまったり、背中にぶつかってしまったり。あなたの机の中に手を突っ込んだこともありました。考えてみれば、私が史上最悪です。好きになってもらえる要素なんて一つもないですよね。
――ごめんなさい。
最低最悪の私ごときが池之端くんと熱い恋愛なんてできるわけないですよね。何を夢見ていたのでしょうか。あの時、簡素な手紙で呼び出された時、好きだって言ってもらえるんじゃないかとかって、一瞬でも浮かれた考えを抱いた私があまりにも愚かでした。
さよなら純くんごめんなさい。今まで本当にすみませんでした」
震えながらそろえて差し出された彼女の両手は思いのほか細く、哀れな咎人を思わせる。
……ここに無情の手枷をはめろというのだろうか。ならば望みどおり、捕えてくれようではないか……池之端は両の手でくるむように手首を捕え、彼女を引き寄せた。
彼もオトシゴロ、つい本音がこぼれる。
「付き合わないとは誰も言ってないし……」
皇女に捧げるように、彼女の指の節に近づく唇。
「え……」
「かなり予想外の告白ではあったが、よく解かった。いや、本当に予想外だったがな。まさか自転車で轢いたのも、壁際まで飛ばされるほどの体当たりも故意だったとは……しかし、その罪を認めたお前を、俺は救ってやりたいと思う。再び悪に染まらぬように、常に隣に在ってやろう」
「な……ここは現実世界なのでしょうか。最低な私の身にこんな素晴らしいことが起きて良いのでしょうか。私は何度も悪いことをしたのです。それなのにどうして……」
「言っただろう、俺も貴様を監視していたと。だから、良いところも心得ているぞ。嘔吐物に塗れながらご老人を病院へ送り届けたとも聞き及んでいる。それだけの善意を持ちながら悪に染まろうとするのがあまりに惜しくて、気になっていたのだ」
「いつも、おかしなことになるんです。善いことをしたいのに、結果的に悪いことをしてしまう。すぐに冷静じゃなくなって、おかしな選択をしてしまう。こんな私でも、本当に良いんですか? 本当に?」
「心配するな。今日からみっちりと正義について教えてやる。だから『貴様』ではなくて、なんと呼べばいい」
「まやかで良いです。まやかが良いです」
「いきなり名前を呼び捨てにしろとは、なかなかに大胆な女だ。では……こほん。ま や か 、俺と共に正義の道へ!」
「私、純くんとなら頑張れる気がします。正義の人になれる気がするんです。純くんが何と戦ってるのかさっぱりわからないけど、一緒に戦いたいと思うんです」
「その意気や良し! だが、何と戦っているかはハッキリとは言えぬな。ヤツらが簡単に真の正体を現すとは思えないのだ。だからこそ、俺を攻撃した子羊を放課後の教室に呼び出したわけなのだが……。この俺を倒した夢魔の車輪の威力、これから存分に見させてもらうぞ!」
「純くん!」
「まやかっ!」
まやかが抱きつく。池之端はその体を強く掻き抱いた。
運命とは数奇なものだな。かつて俺を屈服させかけた夢魔の車輪を、この俺の脚が動かすことになるとは。
背中に触れるは背徳の感触、社会という巨悪におびえる子羊の腕はか細いというのに俺の腹部をこれでもかというほど締め上げている。苦しい。
ママチャリは、黄昏の街を行く。
夕焼けに魔笛が鳴り響いた。
――くっ、まずい、敵に勘付かれたようだ!
「この邪気、半端ではない。まやか、しっかりつかまっていろ! 早くも本気を出す時が来たようだ!」
「え、え、でも……」
戸惑うのも無理はない。彼女は愛すべき迷える子羊なのだから。
「俺が、まやかを無事に送り届けるのだ!」
断続的に響く魔笛。「オイ、待てェ」という禍々しく野太き声も届いてくる。
迫る車輪、逃げる車輪……。
弛まぬ鍛錬を繰り返してきたこの俺の脚をもってしても引き離せないとは!
不意に、ブレーキがかけられた。俺の両手がレバーを引いていないにもかかわらずだ。
「なぜだ!」
まやかの靴が、地面を擦っていたのだ。火花が散るかのような摩擦で、自転車は止められた。まやかが荷台から飛び降りる。
「くそぉ! 俺は! 愛する子羊を無事に送り届けなければいけないのに!」
そして、魔笛を口から離した刺客は言うのだ。
「自転車の二人乗りは、やめようね、お嬢さん」
「あのあの、ちがうんです、おまわりさん」
「正義を阻む者よ、何故だ、なにゆえ俺の邪魔をするのだ! む、反省だと? 反省することなど一つも無い!」
こうして、いつもより華麗で危険な一日は、交番で日没を迎えることとなった。安穏と生きてきた刺客には、俺の正義が理解できないようだったな。わっはっは!
【あのあの池之端くん、ちがうんです おわり】
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