あのあの純くん、別れましょう 後編
あのあの純くん、わかれましょう。
私は、あれから、お腹をつままれそうになったあの日から色々考えたんです。その結果、私は純くんとお別れすることが最善であると判断したんです。何がいけなかったのかなんて、そんなの自分で考えて欲しいんです。もしかしたら、こういう運命だったのかもしれませんし、そうじゃないのかもしれません。
この放課後の空き教室に呼び出したのは他でもありません。この話を切り出すためだったんです。
もしかしたら池之端純とかいう人は、私の隣にいるには相応しくないんです。というか、純くんの隣に私ごときが居座るのが相応しくないかもしれなくて……。何が言いたいかというと、とにかく別れましょうってことなんです!
ハァ、と私は溜息を吐きました。積もりに積もった教室の埃を全て巻き上げてしまいそうなくらい勢いをもった、深い溜息です。
頭の中で何度も練習をして演技に備えてみても、憂鬱であることに変わりはありません。
私はこれから、演技とはいえ、純くんに別れを告げるのです。
どうしてこんなことになったんでしょうか。
それは今朝のこと、ギャルさんは私を誰もいない女子トイレに連れ込んで、言いました。
「こなぃだ言ってたゃつ、ゃろぅょ」
「何ですか?」
「ほらぁ、池ぴょんに『別れる』って言うゃつだょ。駆け引きだょ」
「でも……」
「だまされたと思って、ゃってみょぅょ」
「そうは言っても……」
決心のつかない臆病な私です。
「実は、もぅね、呼び出しておぃたから」
「は? どういうことでしょう」
「『河上ちゃんがぁ、お話あるってょ』って言って、池ぴょんを呼び出しておぃたのょ」
なんと強引なギャルでしょう。
といったわけで、私は純くんがやって来るのを待っているわけなのです。
くしくも、別れ話ごっこの場所がこの空き教室だなんて、なんだか皮肉です。ここは、私が純くんに告白をした場所。はじめて抱きしめられた場所なんです。それを知ってか知らずか、ギャルはこの場所を指定したというのです。
今まで、私の勇気の源は池之端純くんでした。彼とのかけがえのない時間が、私を強くしてくれていたと思っています。そんな彼に、別れ話をする? そんなことをしたら、私はどうなってしまうのでしょうか。純くんとケンカを、しかも下らない原因によるケンカをしているだけで、こんなに不安定なのに。この上、さらに関係が悪化してしまったら、どうなってしまうのでしょう。どれだけ運動しても気が紛れないくらいに落ち込んでしまうことは火を見るよりも明らかだと思うんです。
だけど、確かめたい気持ちもあります。純くんと私がお互いを好きでいて、絶対に別れたくない、別れるなんて考えられないということを、あらためて確認したいんです。
私は黒板の上にかけられた時計を確認します。使われていない教室だというのに、他と同じように時計の針は進んでいるようです。誰も見ていないのに頑張って時を刻んでいるんだとすると、あの時計さんがとても素敵な人のように思えてきますが、今は、むしろ時を止めていてほしかった。
引き戸が勢いよく開きます。私も勢いよく振り向きます。
「待たせたな。我が子羊よ」
池之端純くんでした。今にもフハハハと笑い出しそうな、魔王にでもなったかのようなポーズ。手のひらを上に向けて、十本の指の第一関節から先を曲げています。さらに上体を反らしながら不敵な笑みを浮かべてもいます。とてもかっこいいです。
「俺に話があるそうだな。しかし、用があるのなら直接言ってくればよいものを、使い魔をよこして呼び出すとは、良い度胸だ。さすがは我が子羊といったところか」
ちがうんです。ギャルが勝手にやったことなんです。
「あ、あのあの、純くん……」
さあ確かめるんです。別れましょうって言えば、純くんが私のことをどう思ってるかわかるんです。他ならぬ恋愛玄人のギャルさんが、そう言っていたんです。言うんです。わかれましょうって言うんです。
私は、「わ」と言いました。次に「か」と言いました。純くんが「む?」と言いました。それで何もいえなくなりました。
「わか……」
もうだめです。次の言葉が出てこないんです。頭の中だけで予行演習していたせいでしょうか。あれだけ準備したのに、口に出そうとすると全然だめなんです。
演技すればいいんです。嘘をつけばいいんです。普段はどこからが嘘でどこまでが真実なのかわからないと言われるくらいに嘘がポンポン出てくるくせに、どうしてダメなんですか。でも、そう自分に言い聞かせても、できないものはできないんです。
「わか……」
「何をもじもじしておるのだ。言いたいことがあるのなら、はっきり言うがよいぞ」
「わか、いですね。若いですね。今日も」
「ふん、貴様の目は節穴か。これでも五億三千万年以上生きておるのだ。人類の繁栄など、我が生涯に比べれば刹那の煌きに過ぎぬわ」
また新しい設定でしょうか。もしかして、私とケンカしたことによって、さらに魔力が上がったのかもしれません。いえ、そんなことはどうでもいいんです。言うんです。別れましょうって言うんです。
「わか、め」
「ん?」
「わかめと昆布だったら、どっちが好きですか?」
「どちらも、我が眷属よ」
知りませんでした。とても意外です。たしかに海草っていうのは、見ようによっては禍々しいものが多いです。魔のものっぽいです。
「若乃花と貴乃花だったら、どっちが好きですか?」
「はっ、その程度、どちらも我の敵ではないわ」
「わか……わかばやしくんと、わかしまづくんだったら、どっちが好きですか?」
「そやつらが束になろうとも、我が魔弾は止められぬ」
「ワカモレって何でしたっけ」
「ふん、よく知らぬが、何かの技の名前であろう」
「わか……わか……」
ああ、だめです。どうしても言えません。
「ぬぅ、一体どうしたのだ、まやか。かような戯言を交わすために、俺を呼び出したわけではなかろう。何か、言いたいことがあるのではないか?」
純くんはどういうわけか自信満々です。偉そうです。これから別れを告げられるとは、夢にも思っていないのでしょう。もしかしたら、仲直りのために呼び出されたのだと考えているのかもしれません。
わか、わか……やっぱり、何度試みても、わかれましょうが言えませんでした。
だめなんです。言いたくないんです。嘘でも言いたくないことなんです。演技だとしても、彼にお別れを切り出すなんて、嫌なんです。また明日って、何度も何度も死ぬまでずっと、何度も言いたいんです。これがラブでなくて、何だと言うのでしょう。
私は純くんが好きです。ちょっと変なところ含めて純くんのことが全部好きなんです。
これだけは、このことだけは、嘘を吐きたくないんです。ぜったいに。
嫌な言葉を口にするかわりに、私は、いつかのように、彼の胸に飛び込みました。そして、しっかりと、抱きしめます。
「なっ、ま、まやか? 何を……」
急に抱きついたからでしょうか。彼は驚いていました。
「知ってるはずです。私は、純くんが大好きなんです」
純くんの気持ちを確かめるのに、果たして、言葉だけにこだわる必要があるでしょうか。そんな法律は無いんです。だから私は、強く強く、まわした腕に力を込めるんです。
「まやか!」
彼は私の耳元で囁いて、この体を掻き抱いてくれました。
「純くん!」
私は全力で叫びます。彼の鼓膜に音の波をぶつけてやったんです。
――正義の人になる。
あの日、純くんに告白した日に、私は心に誓いました。だから、正義に反することはしたくないんです。嘘を吐くなんていうのは、泥棒のはじまりだって言われるくらいに、正義に反する行為なんです。
「あの日から、少しは正義に近づけたでしょうか」
私はそう言ったのですが、純くんからの返事はありませんでした。鼓膜にダメージを負ってきこえなかったせいでしょう。でも、いいんです。まだまだだって、自分でもわかっています。そのうち、またききましょう。これから天に召されるまで、時間はたっぷりあるんです。
★
ところで、結局のところ、ギャルさんの思惑は何だったんでしょうか。
仲直りの後、純くんから詳しく話をきいたんです。
「あの使い魔から事前に打ち合わせていた展開とは違っていた」と彼は言いました。「まず使い魔は、『河上ちゃんは、仲直りしたがってるょ』と言ってきた。そうとなれば話は早いが、しかし、俺にも帝王のプライドというものがある。俺も本当は仲直りはしたかったが、きっかけが見当たらなかった。そんな時に、使い魔が『ぅちに任せてぉきなょ』と胸を叩いたのだ。これに乗らない手はあるまい。俺は使い魔と手を組んだのだ」
「ギャルさんの行動の目的は、何だったんでしょうか」
「実はだな、使い魔は、まやかの反応を見るのが目的だったのだ。まず、まやかが嘘の別れ話を切り出して、俺が演技でじゃあ別れようと言う。その時、まやかは、俺が演技していることを知らぬ。その時、まやかがどのようなリアクションを取るのか。それを見て楽しみたかったんだそうだ」
なんという悪趣味。さすが使い魔といったところでしょうか。魔なるものの手下は考えることが違います。聖なる私には考えつきもしないことでした。
「俺としては、結果としてまやかと仲直りできるし、口をきいてもらえなかった仕返しができるから、使い魔と手を組むことにしたんだ」
早い話が、純くんは、ドッキリの仕掛け人だったんです。
「あ、それで……。なるほど、私が何を言うのかわかってたから、あんなに余裕たっぷりだったんですね」
「すまない、まやか」
「いえいえ純くん、私こそ。くだらないことで怒ってしまってごめんなさい」
「まやかは、今のままでも最高にカワイイぞ。少し痩せても、最高にカワイイと思うがな」
それでも私は、痩せたいので、これからも、自称ダイエット中を継続していこうと思うんです。
てなわけで、私は、ギャルさんに結果を報告に行ったんです。
正直に、「わかれましょうなんて言えなかったけど、純くんの気持ちを確かめることができて、仲直りもしました」と言って、「ありがとうございました」お礼を言ったんです。そこに続けて、「ギャルさんには、すっかりだまされました。私たちで遊んでいたんですか」といった内容のことを、奥歯にものが挟まったような言い方で伝えました。
ギャルさんの返答によっては、思いっきり怒ってやろうと思ったんです。でも、ギャルさんは、
「ぅん。ドッキリ企画みたぃなゃつだょ。こないだテレビでドッキリ番組見て、ぉもしろくてぇ。河上ちゃんにドッキリ仕掛けたら、面白そぅだなって思いついてぇ。ごめんょ」
と言いました。とてもあっさりと、ギャルは自分の非を認めたんです。
★
あのあの先生、ちがうんです。準備不足なんかじゃないんです。
だって考えてみてください。今日は秋の社会科見学です。教室での授業ではないんです。だから新宿の、今、私たちが今乗っているこのバスへと至る道を、当然、下調べしてくるものだと思います。私でさえ調べたのだから、皆さんだってきっとそうだったと思うんです。
だから、待ってください。話をきいてください。座席に行く前に、少しだけでいいので、遅れた理由をきいてほしいんです!
まず、私は昨日、パソコンを使って、地図を調べました。そして路上の画像が表示される、ストリート何とかという機能を使って、道順をしっかりと表示させたんです。
目印になる建物の外観をチェックして、プリントアウトまでして、これで準備万端と思って、布団に飛び込んだんです。ええ、認めます。ワクワクしてなかなか寝付けなかったことは認めざるをえませんが、決して寝坊したわけではないんです。だから、寝坊による遅刻ではありません。
今朝になって起き上がった私は、あろうことかプリントアウトした書類を全て忘れて家を出ました。それでも、心のノートには、しっかりと外観が記憶されていたと自信を持って言えます。
――もう、慌てないで下さい。そうやって結論を急ぐから、先生は飼い猫にも逃げられるんです。
それでですね、えーっと、どこまで話しましたっけ。書類を忘れて家を出て、バス乗り場のある駅に着いたところでした、そうでした。
私は、意気揚々と歩き出しました。目印となる建物を見つけるたびに足取りも軽やかになります。次々と角を曲がっていきます。しかし、四個目のチェックポイントが、どうしても見つからなかったんです。
どういうことなんだろう、おかしい。
私は、戸惑いながらも歩き続けました。
ぐるぐるぐるぐる、同じところを歩き回ったり、地下道が目的地に繋がっているのではないかと思い、洞窟ダンジョンに潜ったりしてみたんです。
そのうちに、全然わからなくなりました。前日に蓄えた記憶も薄れ、ごみのような人の群れに飲み込まれ、流されたんです。
どうしよう、これでは一人だけ社会科見学ができない。社会科見学ができなければ、単位がもらえず、留年。下手をすれば、停学や退学になってしまうかもしれないのです。
背に腹はかえられません。私は、勇気を出して、交番に立っているおまわりさんにきいたんです。両手の甲を差し出しながら、私はどこに行けばいいんですかって。
あっ、誤解なきように言っておきますけど、別に泣いてないですよ。私も、もう高校生。道に迷ったくらいで涙するような軟弱な子供とは一緒にしないでほしいんです。
おまわりさんは、罪深い私の両腕にピカピカの手錠をかけることなく、とてもわかりやすく道を教えてくれました。あれは、そこそこ素敵なおまわりさんでした。
私は、おまわりさんに、目印にしようとしていた建物の名前を告げました。そしたら、そのビルは取り壊されたと告げられました。さすが新宿。大都会の店舗の入れ替わりは激しいようです。つまり私は、インターネットで古い情報を掴まされ、まんまと踊らされたというわけなんです。
今回もまた、愚かな行為をしてしまったことで、皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったかと思います。本来なら、おまわりさんに道をきいた時に、遅刻した罪で逮捕してもらえばよかったんです。でも、今日は、せっかくの社会科見学なんです。慣れない土地での狼藉ということもあり、何とか見逃していただけるよう、お願い申し上げたいんです。
「なるほど。早い話が、道に迷っていたんだな……。まったく、河上のせいで、皆の出発が遅れたんだぞ。帰ったら、社会科見学の感想文の他に、河上だけ反省文も提出させるからな」
その時でした。バスの狭い通路に池之端純くんが躍り出て、いかしたポーズをキメたのは。
純くんは、低い声で、「待て!」と言いました。皆の視線が、彼に集中します。
そして私の恋人は、私と先生の間に割り込んできました。私をかばってくれているのです。
「そこの教師、いや、魔の眷属に魅せられし者の手先よ。さっきから黙ってきいておれば、貴様、俺のまやかに向かって、随分な口のききかたをしてくれるではないか」
「純くん、あぶない!」
愛する人に襲い掛かる黒くて四角い魔剣! でも!
「ガシッ」純くんは、しっかりと受け止めてダメージゼロです。「……ククク、もうその攻撃は我に通じぬわ。出席簿で殴ろうなどとは教師の風上にも置けぬ輩よ。とにかくだな、だいたいにして、もとはといえば、魔界屈指のダンジョンと名高い、この新宿を、集合場所なんぞに選んだ貴様の失策ではないか」
「純くんっ」
熱視線とともに、私は彼の名前を呼びます。
「何だ、お前ら、仲直りしたのか」
先生は、安心したような調子で言いました。
「我が子羊の力をもってすれば、仲直りなど容易いことよ。はっはっは」
「では、純くん。今日は、いつもと違う形をした、聖なる子羊の玉座に、私を導いてほしいんです」
「まかせておけ」
かっこいい声を出した純くんは、私の手を握り、バスの座席までエスコートしてくれます。
窓側の席に向かう途中、あのギャルが立ち上がって、私たちに手を振っていました。
「仲、良ぃね!」
とても嬉しそうな顔をしているギャルさんなのでした。
私も、全力の笑顔を見せ付けます。
今日も、素敵な一日になりそうです。
そして走り出したバスの中、私たちは、肩を寄せ合って熟睡したんです。
【あのあの純くん、別れましょう おわり】




