純くんと約束したんです! 後編
ベッドに並んで座って、純くんとお話したんです。
彼の話によると、純くんは朝早くに登校し過ぎたらしいんです。朝っていうか、まだお日様も姿を見せていない真夜中に学校に忍び込んだ純くんは、私なんかを徹夜で待ってくれていて、みんなが登校する頃になって、机に思い切り顔面を激突させる形で倒れたらしいんです。
眠気を必死に我慢する彼をしきりに心配してくれる女子がいたそうですが、純くんはそれを鬱陶しく思っていたそうで、
「そういう手合いには、まやかとの約束があるのだと、自らの肉体に爪を立てながら言ってやったぞ。みろ、これが俺の左腕に刻まれし覚醒の刻印だ」
とのことでした。
見れば、彼の左腕には、三日月形の赤い爪痕がいっぱいありました。要するに、痛みによって眠らないように頑張っていたけど、限界を迎えて倒れたという話です。
そして、朝にクラスメイトの前で倒れた時には、まだ気分が悪かったそうなんですが、保健室で寝ているうちに、だいぶ良くなったというのです。もうほとんど治ったと思えるくらいの体調に戻ったのです。
その後、保健の先生が居ない隙をついて、残っていた減熱シートを全て使い、出来る限り体温を冷まそうとして、再びの睡眠に入っているところに私が来て、やかましく音を立てて安眠を妨げてしまった、というわけなんです。
「でもでも純くん。熱を冷ますシート、こんなに使っちゃって。無駄にしちゃいけないんですよ」
「何を言う。無駄などではないわ。まやかのために、一刻も早く治そうとしたのだぞ」
「そ、そんなにまでして、私を待っていてくれたんですか」
私は感激を隠せません。
「当然であろう。約束を守りたかったからな。しかし……」
純くんは言いながら俯き、自らの半開きの両手を見つめながら、続けて、
「このザマだ」
自らを責めるように、悔しそうな声を出しました。
私はそれを、見ていることしかできません。病を抱えてしまった今の私に、彼のハートを慰めることができるとは思えなかったからです。
「ときにまやか。どうしてこんな所に……? というか、ちょっと待て。よくよく見れば、顔色が悪いようだが……はっ、まさか……」
気付かれてしまったようでした。どう言えば良いのでしょう。どうすれば純くんが罪悪感をおぼえずに済むのでしょう。考えた結果、私は、純くんが口走りそうな言葉を発することにしたのです。
できるだけ明るく。自然に、平然と。彼を心配させないように。何とか誤魔化すように。
「あのあの純くん、実は、怒るかもしれないけど、私も一緒に戦いたいから。純くんと同じ邪悪なものを自ら取り込んでみたんです」
お見舞いに行った時の純くんと同じようなことを言えば、彼は責任を感じなくて済むんじゃないかなって、根拠薄く思ったんです。
だけど、目の前の純くんは、私から目を逸らし、がっくりと俯いて、言うんです。
「すまん、まやか」
耳にしたくない言葉でした。
だけど、この時の純くんは、おそらくどんな説明をしたところで、私に謝罪という名の爆弾をぶつけて来ただろうと思います。ともかく、この時の私は、彼を謝らせてしまったことで、胸にずきりとした痛みが走ったのを確かに感じたのです。覚悟はしていたつもりだったんですが、やっぱり痛いものは痛いのです。
「…………どうして、あやまるんですか?」
「最低だな、俺は」
「どうしてですか。何を言ってるんですか」
「昨晩、俺の見舞いに来たから、そのような身体になってしまったのであろう?」
「そうとは限らないです」
「それに、『教室で会う』という約束も、守れなかった」
「半分は守ってくれました。学校には来てくれてたんですから。それだけでも、すごく嬉しかったです」
「だが……」
くよくよしていました。私は、こんな純くんを見るのが、たまらなく苦しいんです。こんな純くんを好きになったんじゃないんです。
「だが、まやかをこんなことに巻き込んでしまうなんて、あまりにも劣悪だ。もはや、お前を守ることのできない瓦落多だ。失格の烙印を押されても仕方のない雑魚に成り下がっ――」
「大丈夫です」
彼の言葉を遮って、彼の手を両手でそっと包み込みました。
「まやか……?」
「感じます。いま、苦行によって新たな力を手にして復活した純くんの手から、邪悪なものを吹き飛ばすパワーが出てるのを感じます。だから、きっと私の身体も、すぐに治ると思うんです」
純くんは、真っ赤になって俯いています。
私は、咳を我慢しながら、続けます。
「体調が悪いのなんて一過性のものです。何日かすれば治ります。果たせなかった約束だって、新しい二人の約束で上書きしてしまえばいいんです。純くんには、そういう力が、宿っていないんですか?」
「新しい、約束……?」
「そうです。より大きくて、より素敵で、新しい約束です」
私は、手を握る両手に力を込めます。
「だから、純くん。約束を破ったかわりに、罰として、新しく約束を結びたいと思うんです。私が、心から望むような」
「まやかは、何を望むと言うのだ」
「どこか遠いところに、連れて行ってほしいんです」
何にしても、約束を破ったことは事実です。だから、つまり、全てを許すかわりにデートして欲しいということなんです。
「それは……」
「嫌、ですか?」
「いやいやいや、どうして嫌なことがあるものか。だがこれは罰というよりも、むしろご褒美なのではないか。しかし、俺とまやかは、互いに愛し合っているのだぞ。付き合っておるわけだし。というかむしろ思い返してみると今の今まで自転車で行けるような近場にしか行ってなかったわけで、二人で遠出をしたことが無かったという方が、おかしい状況ではないか。年頃の男としてこれは……」
心の声が、だだ漏れです。
「純くん」
「はいィ!?」
「今週の土曜日に、一緒に出かけましょう。そのために私は絶対に風邪を治します。純くんも色々とコンディションを整えておいてください」
「それが新しい約束……というわけか?」
「はい、約束です。絶対です」
そうして私は、彼と見つめ合います。
どうしてでしょう、なんだか、すごく良い雰囲気です。
あまりに良い雰囲気だったので、私は静かに目を閉じました。視界が真っ暗になります。
いま、新たな契約の証に――。
そんな時です、扉が開く音がしたのは!
「河上、いるかー?」
二人きりの甘美なひと時を打ち破った低い声の主は、それは、担任の伊藤先生だったんです。
なんと、驚くべきことに、先生は、いきなり私に謝罪してきました。
「ごめんな、河上」
「え、あのあの……どうしたんですか先生、珍しいです」
「取り込み中に邪魔したこともそうだが、何より、本当に調子悪かったんだな。てっきり、また嘘吐いてるのかと思って、さっきは、ひどいことを言って、すまなかった」
「あっ、ということは、今までの遅刻が全てチャラに――」
「なるかボケ」
「おのれ、俺の愛するまやかに向かって、ボケなどと!」
純くんは、私のために怒ってくれましたが、先生は、私の愛する人の怒りを無視して話を続けます。
「実はさっき、職員室に電話があったんだ。河上の母さんから、『ひどい熱なのに娘が学校へ行ったので心配だ』ってな内容でな。保健室で休んでるって伝えたら、『すぐ迎えに来る』って言ってたぞ」
「そうですか……もう少し純くんと一緒に居たかったのですが、割烹着をまとった怒神が来てしまうなら、逆らうわけにはいかないでしょう」
「くっ、行ってしまうというのか、我が子羊よ」
「ええ、ごめんなさい純くん……。ですが、悪いことばかりではないんです。聖なる子羊の寝台の上で、聖なるホワイトソフトライスを純白のレンゲでかき込み、念のため特別に処方された聖薬を服用し、しっかり安息を得ることができれば、邪悪なものなんて、たちどころに粉砕なんです!」
そこで、またしても先生が、空気を読まずに割って入ってきて、
「というか、ちょっと待てお前ら。今気付いたが、何でこんなに散らかしとるんだ!」
「ふっ、よく気付いたな、魔の眷属に魅せられし者の手先よ。聞いて驚け。それは俺の未完成の新技、檜恵避堕が暴発した結末だ。未完成でコレなのだぞ。すさまじい威力であろう」
嗚呼、純くん、私を、かばって……。
だけど、それは本当じゃありません。私が裁かれるべきなんです。この部屋をしっちゃかめっちゃかにした犯人は、私なのですから。
「ちがうんです、純くんは悪くないんです。ぜんぶ私がやったんです!」
「どっちでも良いから片付けろ!」
「ほう、貴様は、保健室で横たわっていた、いたいけな生徒に、掃除などという重労働を命じるのか」
「河上はともかく、池之端はもう元気そうじゃないか。掃除しろ」
「待ってください。だめです! 純くんだけに苦しいことさせるわけにはいけません」
そうして、二人でお片づけにとりかかったんです。
しゃがんで、散らばった書類を集める時に、同じ紙を同じタイミングで引っ張り合って、他にも紙はまだ沢山落ちていたのに一緒で。遠慮し合って手放して。どういうわけか私は恥ずかしくなって、二人して顔を真っ赤にして。そういう奇跡みたいな偶然の積み重なりが、とんでもなく尊いものに思えたんです。
私は、彼の耳元で囁きます。
「純くん。土曜日……。約束、ですよ」
「ああ。約束だ」
生まれたての大いなる約束に、心を躍らせたんです。




