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桜の下

 麗らかな春の陽射しを身に受けながら私の背後をとことこと着いてくる女の子に曖昧な笑みを浮かべる。すると彼女は緑色の瞳を嬉しげに細めて笑うのだが、八神様に命じられたらしい私の監視は続行する気らしく立ち止まっている私に小首を傾げた。

 彼女の名前は、ミヤビというらしい。字はわからない。八神様が彼女をそう呼んだから知れたまでだ。可愛らしい容姿に名前は美しく、きっと生きていたならば引く手あまたの美少女に育っていたことだろう。

 彼女は口が聞けないのか私が何を問うても笑うか困った様な表情を浮かべるかしかしない。緑色の瞳でこちらを時折熱心に見詰めるものだから、何か言いたいことがあるのかと思ったがそうではない様で私が視線を合わせてやっただけで満足げに笑う。そんな霊も、珍しくはない。只人に認識されたいと、寂しいと訴えてくる者も多く居る。しかしそういう霊は自らの未練が何か見失っている場合が多く、憑き纏われるととても厄介だ。

 ミヤビちゃんがそれに当てはまるとは言わないが、少なくとも今は厄介である。きちんと頼まれ事を達成する為に動かなければ直ぐにでも呪詛を発動させるぞという八神様の牽制なのだろう。彼女がそれを理解しているのかもわからないが。

 溜め息しか出ない。

けれど、逃げられるわけもない。

 退屈な古典の授業を抜け出してミヤビちゃんと私が向かったのは件の桜の木の元だ。

 八神様に呪詛をかけられ、帰宅した私は鏡を見て驚愕した。今は前髪で隠しているが私の額の中央には青黒い痣が広がっていたのである。よくある壁の染みを連想させる、しかしそれよりも濃い歪な形をした痣に覚悟はしていたものの思わずひっと声を上げていた。 そうして本当なのだと理解すると、じわじわと焦りに侵食された。こうなれば頼まれ事を達成するしかない。その為にどうすべきか。ほとんど寝ずに考えたが、芳しい案は浮かばなかった。

 誰だってそうだと思う。決定している一週間後の桜の木の撤去を覆せ、などと。しかも私は此処へ転校してきて未だ二ヶ月しか経っていない。学園自体の情報にも乏しく、気を遣って話しかけてくれるクラスメイトは居るが、友人と呼べる人は残念ながらいない。

 だから学園の決定を覆す方法など知るはずもなく、とりあえず何もしないよりはと思い全ての理由である桜の木の元へ来てみたのだ。何か収穫があるとは思えなかったが、命がかかっている。退屈な授業くらいさぼってしまっても罰は当たらないだろう。

 件の桜の木はやはり見惚れてしまう程美しく、頼まれ事でなくとも撤去されるのは惜しく思えた。周りを囲む他の木々とは全く比にならない圧巻の迫力に気圧され、目的も忘れて暫し惚けた様に桃色の花弁を咲かせる巨木を見上げていた。 それを遮ったのは掌を引くひんやりとした冷たい感触だった。指先から身の毛がよだつ感覚は広がり、思わず背筋がぞくりとする。振り返れば緑色の瞳が真っ直ぐに見上げてきていて、幾ら可愛らしくても霊は霊だなあと何とも言い難い気持ちになる。

 彼女が何を言いたいのかはわかっていたので苦笑してから巨木に近付いた。一層強く鼻腔を擽る桜の仄かな甘い薫りに包まれる。穏やかな陽射しと舞い落ちる桜。甘やかな薫り。

 幻想的ともいえるその光景の中、私が考えるべきはこれを存続させる為に何をするか、だ。

 私が両手を広げても足りるか足りないか程の大きさの幹に掌を押し当てる。樹皮が指先の痛覚を刺激するが、構わず触れた。

 表面的には立派な大木に見えるが、撤去するということは中が傷んでいたりするのだろうか。

 専門的な知識はないがこんな綺麗な桜を撤去するというなら何か大きな理由があるのだろうと思ったのだ。

 触れた掌からは脈々と続いてきた命の鼓動が聞こえてくる、様な気がする。あくまでも気がする程度だ。霊感があっても木の声とか鼓動とかは未だかつて聞こえたことはない。というよりこれ以上そんな変わった能力要らない。霊感だって、本当は全く必要ない。こうやって厄介事に巻き込まれることも一度や二度ではないからだ。

 愚痴愚痴と思考がネガティブ方面に飛びそうで、仕方なく幹に背を預けて地べたに足を放り出した。学校指定の灰色のスカートが汚れることも構わずに座り込むと、いつの間にか横にちょこんと体育座りをしたミヤビちゃんがパタパタと足を動かした。

 それを横目で見ながら私は今後どうすべきか考える。此処へ来れば何かわかるかもしれないと思っていたが、無収穫に終わりそうだ。

 やっぱり、クラスメイトに情報収集するしかないのか。憂鬱である。人と話すのは、とても。


「ミヤビちゃん、」


 名前を呼ぶと彼女が顔をこちらに向けたのがわかる。


「この呪詛ってさ、どんな死に方しちゃうのかわかる?」


 気になるところだった。呪詛というくらいだから楽な死に方はできないとは思うが、前もって知っておけば心構えが違う。

 そう思って訊いたのだが、ミヤビちゃんはただ困った様に眉を下げるだけだった。


「……死ぬの?」


 代わりに、別の場所から響いた声に私は思わず肩を揺らす。幹から勢い良く起き上がり、声の根源を探すとどうやら大木の反対側から聞こえた様だ。

 何故気付かなかったのか。確かに誰かの気配がした。人か人ではないものか。先ずはそこから警戒しなければならない自分の力が嫌になるが、そのままでいるわけにもいかず幹を挟んだまま声を絞り出した。


「死ぬ、つもりはないよ。ただ不可抗力で死ぬかもしれないけど」

「……そう……大変……だね」


 静かな口調と何処か甘い美声が単語単語の間に無意味な間を取って返答を返してきた。綺麗な声、というよりも空気と混じりあいそうな透明感のある声は不思議と警戒心をほどいていく。こんなに美しい声を聴いたことがあっただろうか。 人ではない者なのかもしれない。妖怪や霊の中には人を魅了する美しさを纏う者もいる。魅入らせ、捕らえ、食らう。全く自慢にはならないがそういうのにも何度か引っ掛かっている。 そしてそういう奴等は皆一様に力が強い。


「貴方は、何?」

「……俺? 何……人間……だと……思う」


 だと思うって何だ。つっこまなかった私を褒めて欲しい。

 もしも妖怪や霊の類いなら相当の間抜けである。何?という問いに人間だと思うという答えを返す人間は余程の変人くらいしかいないだろう。

 私が逃げる態勢を整えていると「ねえ、」と呼びかけられる。


「……何?」

「生きてれば……いい……こと……あるよ」


 まるで慰めるみたいな発言に目を丸くした。悪いもの、ではないのだろうか。確かに邪気や悪意は感じない。それとも、もしかして本当に人間だったりするのだろうか。だとしたら、自殺をする気だとでも思われたのか。

 不思議な調子の雰囲気にあまり旺盛ではないと思っていた好奇心がむくりと頭をもたげた。逃げる態勢を崩して、幹の反対側を覗き込もうと樹皮を掴んで回り込む。足音に気付いているはずだが気配が動く様子は無かった。 

 ――息を呑む。

 咲き誇る桜を背景にして、つい先程までの私と似た体勢で背中を幹に預けている人物は確かに人に見えたが、その美しさは人とは思えなかった。

 太陽の輝きを凝縮した様な黄金色と茶色が混じりあう髪が彼がこちらを見上げる動きに合わせて流れ、半分眠気を押し殺す様な気だるげな瞳は海の色をしている。

 ミヤビちゃんの緑色の瞳も日本人としては珍しいと思っていたが、彼の場合その高い鼻や透き通りそうな白い肌から外国の血が入っているのだろうと推測できた。

 いや、やはり人ではないのだろうか。

 

「……何……?」


 怪訝な眼差しにはっとする。よく見れば、彼は学園の制服を着ている。指定のシャツに指定の濃緑のブレザー。薄いチェックの入ったズボンも。

 校章の横に付けてあるバッジは銅色だった。一年生の学年章だったと思う。

 何だ。本当に人間らしい。

 安堵して息を落とす。人じゃないかもしれないと思って警戒していたなんて言えるわけもなく、罪悪感も手伝ってひきつった笑みを浮かべた。


「さぼり?」

「……休憩」


 不自然じゃない質問をしたと思ったのだが返ってきた返答はまた掴み所の無いものだった。今は紛れもなく授業中である。だからこそ中庭も静まり返っていて私が桜の木を調べていても不審に思われないと思ったのだ。

 しかしさぼり――もとい休憩をしている生徒がいるとは思わなかった。

 この八神学園は由緒正しい進学校である。全て含めればピンきりだが、基本的には家柄の良い人達か庶民でもそれなりに勉強ができる人間が入学する。つまり割りと真面目な人間が多いのだ。


「一年生が早速さぼり、あー休憩してもいいの?」

「ん、……今日……あったかい……から」


 まさかさぼりの理由がそれなのか。随分と美しい見目なのに随分と不思議な子の様だ。

 男とは思えないくらい長い睫毛を緩やかに揺らしながら彼は不意に視線を私へ向けて、それから僅かに頭を傾ける。


「銀色……なら……先輩……敬語……使う?」


 いちいち単語を区切らなければ話せないのだろうか。多分この容姿だから許されている気がする。人間中身だというが、やはり見た目も重要だ。

 こちらに視線を向けていたのは学年章を確認したのか。まじまじと綺麗な顔に見据えられると少し緊張するので理由が判明して良かった。


「いいよ。使わなくて」


 どうせこんなに広い学園内で再び会うことは無いだろう。それになんとなくだが彼がまともな敬語を使えるとも思えなかった。


「ん……じゃ……先輩……誰?……俺……見たこと……ない」

「最近、転校してきたから。内部進学者じゃないし知らなくて当然だと思う」

「……そう」


 言葉を選ぶ。最低限の情報だけで会話を成立させるのは割りと難しい。特に私は他人と話すことがあまり得意ではないし、深く探られることも苦手だからだ。 しかし彼の興味があるのか無いのかよくわからない不思議な空気がそんな私の抵抗を消した。空気の様な透明感が彼の容姿故の存在感を曖昧にしている。それが楽だった。

 彼に訊いてみようか。  情報収集は誰にしても同じだろう。多くの情報を得れれば、何かきっかけもつかめるかもしれない。


「この桜、もうすぐ撤去されるんだってね」

「……ん」

「綺麗なのに勿体無い」

「……ん」


 相槌程度の返答に直接的に訊かなければ難しいか、と思考を巡らせる。おっとりとしている様だし特に不審に思われる心配も無さそうに思えた。


「何で撤去されるか知ってる?」

「ん、……会長……決定……だから」


 要領を得ない返答だったが、思わぬ収穫を得た。

 会長決定、会長というのは学園の生徒会長だろう。名前は知らないが、随分と生徒達に支持されていると聞く。少なくとも彼が決定に関わっているのは確定だ。そこから糸口が見えないだろうか。


「会長決定って、覆ること無いの?」

「さあ……知ら……ない」


 彼の声が段々と重たくなっていく。視線を向けると長い睫毛に縁取られた瞼が震えている。そのまま今にも閉じられてしまいそうだ。眠たいらしい。もう少し話しやすい彼から何か情報を得られないかと思ったが、無理な様だ。

 完全に閉じられた瞼に苦笑して、今度こそ本当にクラスメイトに訊かなければと意気込む。生徒会長の決定が関わっているなら、女子生徒の方が情報には精通しているだろう。

 すやすやと寝息までたてて眠りだした綺麗な男子生徒を起こさない様にと、少しだけ先程よりは前向きな心持ちで校舎へと足を進めた。




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