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土地神

お見苦しい点はあると思いますがよろしければお付き合い下さい。

 桜咲き誇る四月中旬の過ごしやすい放課後。真っ直ぐにのびた廊下の先を見据えて、ゆっくりと重たい息を吐き出した。

 新学期特有の何処か浮き足立った空気と、廊下の窓から風に乗って流れ込んでくる活気に満ちた部活生の声を聞きながら、どうしたものかとあまり役に立たない脳をフル回転させる。

 見なかったことにして走って逃げるか、それとも。これがもっと醜く、禍々しいものならば即後者をとったのだが、前方に居るそれは嫌な感じはしない上に小学校低学年くらいの小さな女の子だった。

 真っ黒な髪を耳の高さでツインテールにして不安げな、何処か焦りを滲ませた表情で辺りを見回している。

 迷いこんでしまったのだろうか。 転校してきてから初めて見かける子だった。

 かといって、見た目に騙されて痛い目を見るという経験も何度もしている。

 そういう理由もあって二つの選択肢を頭の中で巡らせていると、見詰めすぎたのか不意に女の子がこちらを見た。あ、と思った時にはもう遅い。

 かちり、と音がしそうなくらいしっかりと目が合ってしまった。

 ここで、女の子がいきなり迫ってきたりしたら間違いなく逃げ出していた。それもまた過去のトラウマからなのだが、女の子は一瞬だけその丸い瞳を大きく見開いて何か言いたげに口を開いた。

 しかし思いなおしたのか何度も瞬いて、私の視線を確かめるみたいににっこりと可愛らしく微笑む。

 結われた黒髪が揺れた。

 悪意も邪気も全く感じない。

 どうやら本当に良くないものではないみたいだ。

 そう判断してならば事情を聞こうと足を踏み出すと、途端に女の子はくるりと白いワンピースを翻して背を向けた。そのまま数歩進んで、私を振り返る。

 私がどうすべきか再び迷っていると、女の子は心底困った様な表情を浮かべ、綺麗な所作でお辞儀をする。そして次に小さく手招きをして見せた。

 来てほしい、ということだろう。

 普段なら霊や妖怪の類いに着いて行ったりはしない。人気のない場所に連れていかれてあわやあの世へ引きずり込まれそうになったこともあったからだ。

 只でさえそういう類に狙われやすい私はできるだけ警戒してはいる。

 いる、のだけれど。

 私も新学期特有の浮き足立った空気に触発されているのだろうか。

 僅かに香った桜の香りに面倒な思考が消えてしまっていた。



 そして、浅はかな自分を早速後悔することになった。

 女の子自体は本当に只何らかの未練で留まってしまっている可哀想な幽霊に違いは無かった。危害を加えるつもりも、脅かすつもりも無い様で、近くで見ると綺麗な緑色をした瞳で不安げに私の表情を伺っている。愛らしいとすら思ってしまう。

 問題は、目の前の仮面を被ったたっぷりとした白髭の老人である。

 恐らくはこれも人ではないだろう。

 次いで仮面越しに肌を焼く様な強い視線が送られたのがわかった。

 嫌な音をたてて鳴る心臓と金縛りにあった様に動かない体に今まで何度か体験したことのある危機を感じる。この老人も私の命を狙っているのか。

 幼い頃から“視えた”私は同時に妖怪や霊に憑かれやすく、更に命を狙われやすかった。

 妖怪に言わせると視える人の血肉は旨く、自分の力にもなるらしい。また霊にしてみれば私は自分の果たせなかった未練を果たさせる為に利用でき、性質の悪い霊は私の魂を喰らうことで力を得ることができるらしい。

 どれも忌々しくも毎日毎日何処から湧くんだというくらい湧いては追いかけてくる妖怪や霊の恐ろしい声から得た情報を整理した結果だから恐らくは正しいだろう。


「そう怯えるな。お主の血肉に興味はないし、魂もとる気はない」


 だったら動かない体をどうにかしてほしいと思うのだが、それを言う勇気は無かった。

 大物なのは明白だったからだ。

 妖怪や霊も力の差というものがある。走り去れば逃げ切れる程度のものから、人間の力なんてごみくず程度だと思い知らされる強い力を持っているもの。

 後者に目をつけられたら、終わりだ。


「貴方は、何、ですか?」



 私が漸く口に出したのはそれだ。

 相手が何であるのか。それは大分大切である。

 私には妖怪や霊を祓う力はない。しかし経験はあった。狙われ、襲われ、憑かれ、慣れることはないが、積み上がった経験から逃げ切れない場合の対処方法も習得していた。

 言葉を重ねて時間を稼ぐ。

 その心中を察したかの様に私の問いは完全に無視して老人が音もなく私へ近付く。


「頼みを聞いてくれればいいんじゃ」

「頼み?」


 思わず聞き返して見上げると老人の掌がひらりと目の前を舞う。

 と、同時に表現し難い激痛が額を襲った。


「っ、いっ」



 額に熱した鉄を押しあてられた様な痛みが真っ先に走り、意識が飛びそうになったところでまた額を鋭い刃先で貫かれる様な痛みが意識を繋ぎ止める。

 痛みに歪む視界に生理的な涙が流れ落ちていく。

 皺の刻まれた大きな掌は私が体勢を崩した後もひらりひらりと目の前を舞い続ける。その度に額だけだったはずが、侵食される様に様々な箇所に激痛が走る。 気を失うこともできず、制服に土がついて汚れることもわかっていながら、痛みに身悶えしながら転げまわるしかなかった。校舎裏とはいえ学園の中でこんな姿を晒している人間が居れば気でも狂ったか、と思われるだろう。

 その点に関しては今が放課後で良かったと思う。 助けを呼びたいと思わないわけではないが、それよりもこんな痛みに巻き込んでしまう方が恐ろしい。


「……こんなもので十分じゃろう」


 どのくらいの時間が経ったのだろうか。数時間かはたまた数十分か。少なくとも私にとってはとてつもなく長く感じた時間は老人によって止められた。

 全て錯覚だったのではないかと思えるくらいあっさりと身体中の痛みは消えていた。

 それでも暫くは呆然自失で地面の温度を感じたまま老人を見上げる私に女の子が心配げな表情を浮かべ、横に座り込んで小首を傾げる。大丈夫?とでも言いたげだ。それを無下にすることもできず、無理矢理口角を上げて笑って見せると女の子は安堵を浮かべた。

 女の子から視線をずらし、老人に向けると彼は白髭を自らの指で解きながら、笑う。自嘲混じりのそれに思わず訝しげな視線になる。

 人にあれだけのことをしておいて、笑うってどういうことだ。

 そう思ってしまうのも仕方ないだろう。与えられた激痛でなんだか全てどうでも良くなってきていた。

 半ば睨み上げている私に気付いたのか老人は仮面で覆っている顔を緩やかに傾けた。女の子の時と違って全く可愛くない。


「弱いのう、人の子よ。何故お主等は弱いというのに次々に湧いては儂の大切なものばかり奪っていくのか」


しゃがれた声で紡がれる言葉は深い悲哀を含んでいる。怒りと憤りを越えた諦めにも似た悲哀を。


「お主、儂が何かと聞いたな?儂はな、ここら一帯の土地神だったんじゃ」

「……だった?」

「儂の居た神社はもう何年も前に取り壊された。そうなれば儂が人間なんぞを守り続けてやる義理もないじゃろ。じゃからな、自由気ままに最後の瞬間まで生きるつもりじゃったんじゃが」


 聞いて、理解する。

 彼は人間によって力を奪われたのだ。途方もない程長い間この土地の人間を守り続けて、最後には人間に神の住処を壊された。

 ――神様はね、志織ちゃん。人間がお参りをやめてしまうとどんどん力が弱くなるのよ。だから人が寄り付かない様な神社にもちゃんとお参りにいきなさい。人間の身勝手で神様を蔑ろにすることは何よりもしてはいけないことなのよ

 誰かから聞いた言葉が脳裏を過った。

 神様の成れの果て。それはいったい何だろう。


「私に、どんな頼みがおありになるんですか?」


 同情に近い感情に心が動かされていた。激痛を与えられたことも忘れて、静かに聞くと土地神様は白髭を掻く。

 値踏みする様な視線が思案する様に私を巡り、漸く彼は口を開いた。


「この学園にある桜の木を、知っておるか」

「え、ええと」


 桜の木、と言ってもこの学園には至るところに植えられている。何でも学園の創設者が桜を好んでいたらしく、幾つも植えたのだという。

 転校してきたばかりの私が何故そんなことを知っているかといえば、今日の五限目の特別授業がちょうど学園の歴史及び創設者の人生についてだったからである。

 他の学校にしてみると変わった授業だと思われるだろう。現に私も変な授業だと思った。しかし小中高大と外部受験者も居るもののほとんどが一貫の八神学園の生徒達はそんな授業にも文句が出たことはないらしい。どころか、学園で強い権力を持っている生徒会長が推奨している授業らしく皆熱心に先生の話に耳を傾けていた。

 そんな私の思考を遮る様に土地神様は言う。


「中庭の奥の、一際大きな桜じゃ。知っているじゃろう」

「あ、はい。それなら知ってます」

 中庭の大きな桜、そう言われれば何も迷うことはなかった。

 公園かと思うくらい広い中庭には大きな噴水とベンチが並んでいる。誰が手入れをしているのか綺麗に彩られている花壇と、周りに咲き誇る木々が都会の喧騒から解放させてくれる穏やかな空間をつくっていた。 そこから少し進んでいくと奥まった場所に大木がある。今の時期に美しく咲き誇る桜の木。

 私も二度程見たことがあった。薄く淡い桃色の花弁と途方もない年月を生きてきたのだろうと思わせる巨木に時間も忘れて見惚れ、転校早々授業に遅れるという失態を犯したからよく覚えている。


「あれが、一週間後撤去されるんじゃ。忌々しいお主等人間の手で」

 憎悪の滲んだ口調に体が強張った。気のせいではなく、周りの木々が大きく音をたてる。

 責められているのだ。

 お前も同じ人間だろう、と。

 思わず唾液を飲み込むと土地神様が気を鎮める様に蓄えた髭を撫でるのが見えた。勇気を振り絞り、私は口を開く。


「あの、それで、ええと、土地神様?私にどうしろとおっしゃるんですか」

「もう儂は土地神ではないと言ったはずじゃ」

「え、じゃあ何と呼べばいいですか?」

「――お主、……いや、八神(ヤガミ)でよい」


 八神、と聞いて私は勝手に納得していた。ここら一帯の地名は八神市だ。恐らくは昔から八神という地名だったのだろう。

 土地神はその土地の名をそのまま自分の名前にしているのだ。そういえば学園の創設者も八神という名前だった。それ故にこの学園は八神学園というらしい。 この土地を心底愛していた人物だったと習った。


「お主には呪詛をかけた」

「……え?」


 呪詛とはつまり呪いのことだろうか。淡々とした口調で何の脈絡もなく告げられた随分物騒な言葉に思考が止まる。

 八神様は私の額を指差すと、帰ったら鏡を見るといい、と笑う。直ぐに触れた額は普段と変わらない感触しかしなかったが、不安は拭えない。


「怯えずとも、儂の頼みを訊いてくれたなら直に解ける。引き受けなかったり、失敗すれば直ぐに死んでしまうがな」

「……頼み、って何ですか」


 逃げ道は絶たれた。

 断る術を持ち合わせていない。私には祓う力はないし、元は神だったものを祓うことができる人間はそういない。

 そもそもが神に逆らう力を持っている人間なんて居はしない。

 どうやって断れると言うのだろう。――死まで引き合いに出されて。

 私が問うと、八神様が仮面の下で再び笑ったのがわかった。

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