変われる希望
これは、僕自身が感じた思いをありのままに綴った自問自答の物語です。
中学三年生になってから少しずつ、僕は気付き始めた。
自分が人の邪魔ばかりしていると。
人の会話に割り込む。 自分が好きな話ばかりする。 偉そうな口調で話すことがある。
これらは他人にとって不快だし、自分にとっても大変不快だ。
しかし、そんなことを自分はしている。
そのことに気付いた僕は、自分が大嫌いになった。いわゆる自己嫌悪だ。
何もしていない時、無意識に自分で自分を苦しめている。
それと同時に、もう一つのことに気付く。
自分が二人いるのだ。
自分の心の中では、善意の僕と悪意の僕がいつも互いに争っている。
例えば、誰かに怒られたとき、反省する自分と、めんどくせえなぁって思う自分がいる。
その度、考えていることが複雑になり、それぞれの思いが激しく絡まって、解けない。
いらいらする。自分が持つストレスの原因は8割方僕にある。
自分に腹が立つと共に、対人関係について考えるようになる。
自分は、他人にとって邪魔でしかないんじゃないか?
僕の周りの人は、僕のことを嫌っているんじゃないか?
そんな焦燥感に駆られた僕は、自分から人に話しかけに行くことを大幅に減らした。
向こうから話しかけにきたら明るく振舞ってやればいい。
そんな思いで、日々を過ごした。
誰にも心配されないよう、明るい、否、明るく見える自分は持ち続けた。
そしてそのまま、僕は卒業し、春休みを迎えた。
考えてみた。高校ではどんな人間を演じようかと。
中学校では明るくお調子者な人間を演じた。
勉強が出来て走るのも速いほうだった僕は人気があった。
しかし、高校では同じ手は使えない。
中学校で演じた人間は他人にとって不快であることに気付いたのだから。
決めた。大人しい人を演じよう。
そして場合に合わせてテンションを変えて、内気とは思われないようにする。
他人に優しくし、いい人であると振舞う。
悪く言えば偽善者だ。
でも仕方ない。
悲しいけど自分の性格を自分自身で変えるのは不可能に近い。
それに、誰かが手を貸してくれるはずもない。
だから、偽善者でもいい。それでいいから、いい人になろう。
自己制御のなかった面倒くさい中学校の自分よりマシだ。
旧友から変に思われてもいい。僕は一生そんな人間を確立する。そう心に決めたのだ。
悲しい決断だけど、以前よりは希望を持てた気がする。
本当のいい人間に変われる希望というものを・・・