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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

結月神社の世迷言

シニグルイ

作者: 天夜ゆる
掲載日:2026/09/11


とある、世界に絶望した少女のお話。




――君が死んだ日のことを鮮明に覚えている。


あたりに充満していた、噎せ返るような鉄の匂い。親友の……光をもう映すことになくなってしまった瞳や、どんどん冷たくなっていく手のひら。自らの頬に当てられた手からは先程まで生きていたと信じることができないほど。そして、冷え固まっていく親友の体。どんどんと雫を抱えていった君のやけに白い頬。


周りの喧騒も、車のクラクションの音も。親友の最期の言葉でさえ。そのすべてが私の耳には聞こえなかった。


……たとえ、それが自らの望んだものだったとしても。



◇ ◇ ◇



――つんざめくような、雀の鳴き声が耳に入った。


あの日からずっと、締め切ったはずのカーテンから光が漏れ出ていて。それに目を覚まされたのかもしれない。なんて、小さく悪態をついた。


それでも、たしかに無事に目が覚めたことと、あれが夢であったことにひどく安堵してしまったのには変わりはない。たとえそれが……いつものように手の感覚があって、生温い血の触感がないことだったとしても。でも、事実とは相反するように、やけに早く刻んでいる"僕"の心臓。生温い血の触感も、手の感覚もあるはずなのに。…全部があの日に戻ったみたいでぞわり、と怖くなってしまう。あの日とは違って、雪が降り出しそうなほど曇っているわけでもなく。


ああ、今は秋だったと思いながら感じるのは、雪の幻覚とトラックのブレーキ音の幻聴。あと残された人だけが感じるであろう酷い喪失感。


死ぬって、大切な人を遺すってなんて身勝手なんだろうと思ったのは意外にも最近のことだった。なのに、あの子が生きた証をあいつなんかじゃなく、あいつよりも強く"僕"が残さなくては、と昔の私なら抱かないあろう生への執着。存在意義。身の丈に合ってすらいない――これらを探しているのが僕…流名(るな)だった。


このまま永遠に眠ってしまいたいという欲を打ち止め、自らを奮い立たせるかのように、作り笑顔を浮かべてみたけれど、何も気持ちとしては変わりなかった。ひとつ、ため息をついた時には既に表情はない、と言えるほど抜け落ちていて。あの日からずっと変わらないな、なんて鼻で笑った。


自室を降り、向かった先は自宅のリビング。そこには、既に両親はおらず、いたのはお世辞にも仲がいいと言えない"僕"の弟だけ。本人に聞こえないように吐いたため息は、どこへ行くこともせず、階段の下へと滑り込んでいった。


残された朝食は既に冷めきっていて。今日もなのか、と内心思いながらも冷めた味噌汁を啜る。……冷たいがために、塩分が沈殿でもしているのか、しょっぱくて。もう少し、早く起きる努力をすべきなのか、なんて自問自答した。どうにも、"僕"の存在をようやく視認したらしい弟は、こちらを少し睨めつけた後、自分用に淹れていたはずのコーヒーを当てつけのように渡してきた。



「…僕、ブラック飲めないんだけど?」



「淹れてあげた分だけ、感謝したら?」



「はぁ……ありがと、葉流(はる)」



「…どーいたしまして」



やはり、開口一番に喧嘩腰な時点で、姉弟仲は良好とは言えない。そもそも、最近まで"僕"がコーヒーが飲めなかったのを知っているはずなのに。葉流は自分自身が飲めるから、と厭味たらしくブラックを出してくる。それが嫌で、突っぱねて。何年も変化がないのは、きっと私の態度のせいなのではないかと思わずにはいられない。それがわかっているのに、やらないのだから……馬鹿げている。


食べ終えた朝食の食器を流し台へと持っていきながら、飲み切れなかったコーヒーは勿体ないけれど、一息で飲むこともできず、冷蔵庫へと仕舞った。…帰ってきたら飲もう、なんて馬鹿げたことを考えて。


もう、出てしまおうと思えば、葉流も家を出る準備をしていたようで。どうにも、同時に出るのが癪で。昨夜に用意しておいた荷物一式を抱えて家を出た。扉を閉めた時に目の前に偶然にいた葉流が何かを口にしていたのには…気づかないふりをした。



◇ ◇ ◇



憂鬱で、長い午前中を終えて、ようやく迎えた昼休み。いつものように誰もいない屋上へと足を運ぶ。ここならば、あれを…あいつを見なくても済むだろうと考えて、いつからか通い始めた。それもこれも、偶然、屋上への鍵が壊れていることに気づいたからなのだけれど。


階段を登り、扉を潜った先に広がるのは、嫌になるくらい晴れている空。この空の一部でしかない、自分一人じゃ何もできないことを思い知らされているようで目をそらした。現実から目を背けているのと何一つ変わらないじゃないか、なんて思いながら。


購買で昼食を買う気にもなれず、身一つでここに来たからか。身体は無駄に正直なせいで、空腹故の幻聴が聞こえる気もして。分からないけれど、どこかから……遠くから聞こえる生徒たちの声とは違う……聞き覚えのある何かが、聞こえるような気がして耳をすます。



『――ねぇ、結。…私ね、自分の首を絞めたことがあるの。生きたくないって、つい思っちゃって』



いつかの"僕"が突然言い出したこと。ただ、認められたかっただけなのか、言い出したその理由はすでに忘れてしまって、もう思い出すつもりもない。

ただ、この時の僕はせめてもと、話題が暗くならないようにと努めて笑って見せたのに。相対した結は"私"の手を引くと、何か言いづらそうにしていて。結の顔を覗き込むように引かれた手とは逆の手を伸ばした。



『どうしたの?体調わる…』



『死んじゃ、駄目だよ。るな。』



"私"の言葉を遮るようにして、声を上げた結に驚く。こんなに、結が感情を露骨に露わにしたことなんて、なかった。…なかったはずなのに……。と、重さのある言葉をただ、噛みしめる。

それでも、初めて見た結の一面とは裏腹に"私"は、まっすぐとこちらを見据えられることが気まずくて、目を逸らしたのだったか。



『生きて、生きて。幸せになって、僕と一緒にいてくれなきゃ怒るからね』



『……うん。ごめんね』



何に謝っているか、"私"自身…もう分からなかったけれど。その時の"私"は確かに嬉しく感じていた。ああ、もう一人じゃないんだ。結は"私"なんかと一緒にいてくれるんだって。

なんで、そう慢心したのか分からないけれど。あの時の"僕"がただ、縋れるような人を見つけられたのだと。唯一の逃げ場を見つけられた、と歓喜したからなのか。どちらにせよ、優しすぎる結に……"僕"なんかはもったいなさすぎた。



「…あのときの結、僕がこのまま飛び降りちゃうかも、って思ってたみたいなんだよね」



あとから本人に聞いた話を思い返しながら。ふらりと、落下防止のために設置されているフェンスへと近づく。最早、本能にも近いそれを"僕"自身は止める術を知らない。ならば、このまま見届けるのが常だろう、と考えていた行動を取りやめた。妙に俯瞰して見えるそれは、果たして"清水流名(しみずるな)"本人なのだろうか。


そんなことを内心思っていても、やはり周りには……屋上には誰もいない。…今なら君のところに逝けるかもしれない、と思ってフェンスにひとつ、足をかけたところで――目眩がした。



「――っ!」



ガシャン、とフェンスの金属同士が擦れて大きな音を立てる。命の警報を鳴らす、鼓膜の遠くで授業の開始を告げるチャイムが聞こえる。そんなこと、くだらないとばかりに目の焦点も、心臓の動悸も治まらない。むしろ、悪化している気さえする。どんどん視界が歪んで水平感覚を失っていく。苦しい。誰か助けて。そんなことを望んだところでその"誰か"はとっくにいないのに?

整理のつかない頭と自由を失った身体にひどく翻弄されてしまう。思ってもみなかった?いや、"私"はこれを知っている(・・・・・)。


……ああ、そうだった。


――これは、いつものことだった。僕が自ら命を捨てようとしたり、モノが壊れたりするのを見るたびに身体が拒否反応を起こしてしまって。でも、"私"の近くの――どこかで結がいる気がしてならなくて。"私"を守ってくれてるのかなって。少しだけ、自惚れてしまって。…でも……でも。


結、どうして――






「――"私"を置いて逝ったの…?」






…本当は分かってた。君が自分から望んで…死んでいないことくらい。


君の死因は、相手の信号無視。たしか……居眠り運転だったか。そんなものから私を庇おうとして、自分から犠牲になってしまった、結。私の周囲への不注意だとか、そういうものだったはずなのに、結は"私"を生かそうとして、突き飛ばした。あの日の背中への衝撃は未だ背中に残っていて。今朝方見た夢もそのせいか、なんて悪態をついて。


…つまり…自らを嫌悪していたるな(昔の私)は"私"を捨てて結に、"僕"になりきろうとした。


それはおかしいでしょ、って結なら笑うかもしれない。けれど、空想に手を伸ばしただけでは無駄なのだと、とっくに知っているから。人はなぜ、大切なものを喪ってから大切だったと、気づくのだろうか。


雫がぽたり、ぽたりと制服のスカートに痕跡を残していく。君がいた痕跡はすでに、なくなってしまったのに。こんな形でしか残せない"私"は馬鹿で、小さすぎる。それを分かっていたはずなのに、"僕"は"私"に悪態をつくように、吐き捨てる。


君の葬儀では泣けなかったくせに、なぜこういう時だけ僕は弱くなるのか。


と。いつも、いつも。結の気配を感じた気がした時は感情の収集がつかなくて、教室に戻ることができない。きっと、今日も無理なんだろう、そう思いながらポケットからハンカチを取り出した。風は、グラウンドからの生徒の喧騒を、既に運んでいなかった。




◇ ◇ ◇




「……どうしたの、立てる?」



誰かに声をかけられる。こんな辺鄙で、本来は入ってはいけない場所にくる私の同類なんかに、返事する気も起きなくて無視をしようとした……はずだった(・・・・・)。



「――るな。」



「……何なの?紡(つむぎ)」



「あは!やっぱり、るなちゃんにはバレるか!」



思わず返答してしまった癖して、こいつは一体何を考えているのか、なんて思いながら彼女を睨めつける。そうとは知らない本人は、貼り付けた笑みをただ"僕"に向けているだけだったけれど。


こいつ…もとい、紡は結の双子の妹だった。"私"からしてみれば、破天荒で何考えてるか分かんない子で。容姿と声は結と瓜二つなのに対して、言動や行動が似ても似つかない。元々、小学生のころに結が遠巻きにされてた原因でもある…こいつがシスコンだなんて考えただけでも嫌気が差す。それを引っ括めてもやっぱり――ほんっとに大嫌い、だということに変わりはなかった。



「大嫌いだなんて心外だな〜」



「――っ!?」



「自分で言ってたのになんで驚いてるのさ」



淡々とそう告げ、少し引き気味にこちらを覗いてくる彼女に、ペースを酷く壊されて、とにかく"僕"自身の調子が狂わされてしまう。


そういえば、ずっと……そうだった。昔から結の前では猫被り…はしてなかった気もするけれど、ずっとぴったりとくっついていて鬱陶しくて。紡には紡の友達がいるのにも関わらず、僕たちのところに遊びに来る。でも、結のお葬式で一番泣いていたのは紡だった。彼女達の母親は式にすら来なかったからか。結には、世界でたった一人の妹で。自身の片割れで。それは紡も変わらなかったのかもしれない、なんて思わなくてもなくて。"僕"自身が今、何を考えているのかバレたくなくて…うつむいたまま、唇を噛んだ。



「……あのさ、言いづらければいいんだけど…。さっきまで泣いてた?」



などと言って、手を差し伸べてくる。偽善のようにしか感じない僕の方が性格が悪いのかもしれないなんて自己嫌悪して。泣いてたなんて認めたくなくて…うつむいたまま、さらに顔を逸らした。



「まぁ…別にいいけど」



そう一言吐き捨てた紡は一体何をしたかったのかが、わからず。恐る恐る、紡の瞳に目を、合わせた。否、覗き見たと言った表現の方が正しいのかもしれない。なぜならば、本人が気づいていないから。分かりやすすぎる結の妹故か、否か。彼女自身も、どうやら遥かに鈍感らしい。



「…これは私の独り言だから聞かなくてもいいんだけど…。実は、今日の夢でお姉ちゃんが出てきたんだよね。で、るなちゃんに会ってきてって言われたの。…私としては迷惑なんだけど。でも、授業に出てないことが気にかかって、体調不良って偽って抜け出してきたら…多分泣いてたっぽいし?」



独り言にしては長すぎる気もしなくもないけれど。たしかに紡自身も僕のこと気にかけてるのかなって少し自惚れてしまいそうなのは事実で。今まで敵視していたくせに、少しばかり優しくされるだけで、コロリ、と態度を変える。本当は自分が一番苦手なのに、自分自身がそうなのだから……なんの因果か。それとも、ただの同族嫌悪か。もう、わからない。



「…とにかくさ…気にかけてくれてありがと」



「素直じゃないなぁ…」



でも、きっと。紡も、"僕"と同じで。今も結のことを夢に見ていて…ずっと苦しんでるのかもしれない。それくらい、結は"私"たちの光だったのだから。同じ境遇同士、少しくらいは心を開いてみてもいいのかもなって。強情な"僕"なりにそう思ってしまった。


"僕"自身も、彼女たちの家庭環境は、詳しく知らない。ただ、結が時折傷ついていることくらいしか、当時の"私"には分からなくて。今は紡自身は、近所の結月神社の宮司さんのお宅に住まわせていただいているようで。彼女たちの母親は…どんな人物だったのか、もう分からない。だからこそ、かもしれないけれど。紡なら、知っているかなと思って、ひとつ。



「…あのさ、紡。結が最期に言い残した言葉って知らない?」



ずっと心に引っかかっていたことを口にする。毎日見る羽目になっている死の間際も、その言葉だけはノイズがかかったように聞こえなくて。



「…私は知らないよ。それは一番近くにいたるなちゃんが知ってるでしょ」



拗ねたように呟いた紡にごめんね、と返しながらも、"僕"は結の最後の言葉をどうにか思い出せないかと思案していた。紡の悪態は、"僕"の心に響くことはなかった。




◇ ◇ ◇




冬休みや期末考査が終わって早数日。今日は結の三回忌だった。結が好きだったライラックや、白いスミレ、リンドウの花々たち。それと…"僕"たちのテスト週間を犠牲にしてまで作ったおそろいのキーホルダー。糸とか日頃使わないから、最初はやり方がわからなくて、随分と時間がかかってしまった。意外なことに紡は手先が器用で、何度教えてもらったかはもう覚えてない。それでも、唯一お互いが傷を舐めあえる相手だから、といった理由からか、今までの剣呑な雰囲気より遥かに、話しやすくはなったと思う。


――"私"ね、結がもう居なくても…やっていけるようになったよ。



「結、そっちで元気にやってる?"私"はね、元気にやってるよ。結に言われたように死のうとなんてもうしてないしね。結がずっと心配してた紡のことなんだけどね、ちょっとずつだけど"私"も紡と仲良く?はなってきてるんだ」



紡から掃除の許可をもらってきてるから、今回は私がするね。と言いつつ、バケツに水を汲みに行って。つい真冬だったことを忘れて手がすごい濡れてしまった。こんな日に限ってハンカチを忘れてきたんだから、運が悪いとしか言いようがない。いつもは入れていたはずなのに、なんてひとりごちる。


そういえば、このあと紡がお墓参りに来ると言っていた。すれ違う可能性も踏まえて、キーホルダーは置いていくべきだろうと考えて。ただ、持って帰ってもらうのを、忘れられないように一応、メッセージだけ入れておく。きっと、この墓地に置いておくだけだと、飛ばされてしまうから。それが、どうしても嫌だった。



「じゃあ…またくるね」



そう言ってお墓に向き直って少し手を振ったあと、バケツを返すためにお寺へと向かった。結の命は、三年前のあの日、たしかにあの交差点で尽きてしまった。血に塗れ、雪が降り始めていたのに、寒いとも思えなくて。ただ、確かに結の冷えていく体温だけは感じてしまって。嗚咽を飲み込んで、ただ結の名を叫び続けた。それが、無駄なことなんて、分かっているのに。馬鹿だったなぁ…と思ってしまう。スマホはポケットの中に入っていたくせに、充電がなくなっていて。救急車を呼ぶ、なんてことは頭から抜けていて。ヒトは、そんな場面に出くわすだけで理性もすべて、無に帰してしまう。


それは、なんて。馬鹿らしいのか。


そんなことを、ぐるぐると考えながら帰路につく。商店街にさしかかった瞬間、一つの違和感に襲われた。


…本来なら、人がたくさんいるような時間帯。商店街にはほとんどと言っていいほど人がいない。それに対して、おかしいな、なんて思いながらスマホを出してみたけれど、充電が切れていた。まるで、あの日のようだ、と"僕"の中の"私"が悪態をついた。


そんな時、前から誰かが走ってくるのが遠目で見えた。随分と前傾姿勢で走ってくるものだ、と頭の片隅で考えながらぼんやりとしていると、その人がどんどんとこちらに近づいてくる。その手元に…ナイフを持っていることに気づいてしまった。


――どうして。逃げなきゃ。結に言われたのに。


ぐるぐると思考だけが回り続けて身体が動かない。人って恐怖を感じると動けなくなるものなんだ、と今更思い知った。それが、遅いなんて、分かりきっていたのに。なのに、成す術のない僕は、また目眩が起こらないように、と強く目を瞑る。


じわり、とお腹のあたりが熱を帯びていく。あの日のようにツンとした鉄の匂いが鼻につく。いつになく鈍い痛みを感じる。まわらない思考で結もこんな気持ちだったのかな、と思いながら犯人を見据える。あぁ…でも、あの子は轢かれたのだから、"私"なんかより、絶対身体中が痛かっただろう、と妙に冷えた頭で考えた。それに付随して、犯人への眼差しは冷えたものへと、無意識のうちに変わっていった。


それに怯えたのか。私の視線に気づいたからかは分からない。けれど、犯人は刺したままだったナイフを抜き取り、走り去ってしまった。


でも、追いかける気力もなくて。こういう刺された時は…動いちゃ駄目って聞いたことある気がする。気がするだけであって、できるとは言い切れない。精神力の弱い"私"は無理だったけれど。



「ガッ…」



ごぽりと血が音を立てて喉からせり上がる。ああ、もうだめかもしれない。いつもならあったはずの目眩も吐き気も、もう何も感じない。


…そういえば…。あのね、結。今更だけど、私、遺言思い出したんだよ。『僕の分まで生きて』だっけ?もう"私"は無理そうだから紡に託すよ。きっと"私"がずっと羨望して毛嫌いしていたあの子なら。君の分までちゃんと生きてくれるはずだから。

そんな自分勝手な、ただの"僕"の独り言に呼応するかのように、いつかの記憶が聞こえる。



『――るな、知ってる?ライラックとか白いスミレ。あと、リンドウには花言葉があるんだよ』



本来なら、死ぬ時は聴力から失うらしいけれど。葉流や家族とのコミュニケーションも上手く取れなくて。結たちに縋りすぎてしまっていた"私"はどうやら、視覚から失うらしい。もう、何も見えないけれど。それでも商店街の人々の動揺の声に混じって…いつかの、結が言った言葉が聞こえる。……これが走馬灯っていうのだろうか。わたしには、わかんないや。



『例えば、ライラック。これは友情って意味があるの。白いスミレは謙虚とか乙女の死。これはちょっと怖いよね。それから、リンドウはあなたの悲しみに寄り添う…なんだって』



その時の"私"は笑って誤魔化したんだったか。もう覚えていないけれど。伏せられていた君の瞳に目を奪われながらも、私はただ、君の鈴のような声に耳を傾けていた。




『でもね、僕は全部好きなんだ』




その時の君は幸せそうに笑っていたはずなのに。最期に私がこの目で見た結は、ひどく泣きそうな顔をしていた気がした。



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