オクリビト
オクリビト
オリジナル小説を書いてみました。亡くなった後も、未練を残して現世に残る死者の魂を幽世(あの世)へと送り届ける″オクリビト″たちの物語を描きました。
(※死ネタ、流血シーンなどあります)
……死んだらどこへ行くのか。
有名なのは天国と地獄。つまり、幽世。
閻魔様が判決を下す。
じゃあ、幽世に行くには、どうやって行ったらいい?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯
濃い霧に包まれた山中。長い階段をひたすら登った先にある二つの大きな門。
そのうちの一つの扉が開かれた。
「あなたの来世が、幸せなものでありますように。」
そう言って、死者が幽世の門を通っていくのを見送る。
バタンッ……。と門が閉まった。
「さて、次の死者情報は……。」
そう言って死者リストを取り出し、ペラリと紙をめくった。
すると横から情けない声が耳を通っていく。
「ちょっとせんぱーい!少し休憩しましょうよ〜」
「そうだな、あと1件やったら休憩にするか」
「もう少し後輩を労って貰えませんか!?」
そう話すのは、後輩で新人の 灰原 星矢。
「ほんと真面目なんですから〜、ちょ、先輩?久遠せんぱーい!」
「はぁ……」
久遠先輩と呼ばれたその者は、呆れたように深くため息を着いた。
久遠 零。
灰原と同じ部署に所属している。
二人は幽世の門を後にし、ゆっくりと歩き出した。
「それにしても、今回の子もかなり残酷でしたね〜。まさか元恋人に絞め殺された後、死体を山奥に捨てられるなんて。」
灰原は、両手を頭の後ろで組みながら話した。
「ストーカー化したやつに理不尽に殺されるとはな……本当に居た堪れないな。」
2人は先程見送った死者の話をしながらゆっくりと階段を降りていく。
「そりゃあ未練が残って、現世に留まっちゃう訳ですね。」
「あぁ。俺たち″オクリビト″は、あぁやって現世を彷徨う死者の魂を、無事に幽世へ送り届けることだ。ほら、さっさと次の仕事に行くぞ」
「は〜い」
オクリビト。
彼らは言わば、死者の案内人。死神と呼べなくもない存在だ。
現世で亡くなった人が、全員すんなりとあの世へ行く訳ではない。
未練を残し、現世に留まる魂は少なくない。
そんな魂たちを迎えに行き、幽世へ繋がる門へ連れていく。それが彼らの仕事だった。
_____________________
しばらくして二人は、とある住宅街にあるマンションにやってきていた。
「この近くにいるんですよね?」
灰原は近くに死者がいないか見渡す。サラリーマン、OL、高齢者など様々な人が行き交うごく一般的な歩道。けれど、死者らしき者は見当たらない。
道行く人たちは不審な動きで辺りを見渡す灰原たちには目も向けずに、平然と歩いていく。
「あぁ、約3ヶ月前このマンションから突き落とされた30代男性がいるはずなんだが」
「けどどこにも…」
と、灰原が振り返ったその時、自転車が灰原達に向かって走ってきた。
そのまま自転車は灰原たちをすり抜けていった。
「うわぁっ!?…あーびっくりした。ちょっとお兄さーん、危ないっすよー!!」
「やめとけ、どうせ聞こえない」
オクリビトは生者には見ることも、その声を聞くことも出来ない。オバケと同じだ。
注意したところで意味が無い。
すると、久遠はすぐ近くに置かれている花束に気づいた。
「……どうやら、俺たちが探している死者への供え物だな」
その場には花束の他に、コンビニで売られている焼酎も供えられていた。
二人はその場を後にし、マンションへと入っていった。
マンションへ入ろうとしたその時、一人の住民が出てきたが、二人に気づくことはなかった。
二人はそのまま壁をすり抜けて入っていく。
階段をのぼり、屋上へと上がっていく。
このマンションは10階建て。男性は9階の部屋から突き落とされたらしい。
屋上へ着いた二人は、先に居た人物に声をかけた。
「こんにちは、お迎えに上がりました。オクリビトです。『佐藤 秀樹』さんで間違いありませんか?」
男性は脱力したまま、ゆっくりと振り返った。光りなき眼をこちらに向ける。
「………はい」
ぽそりと呟くように返事をする男性の顔は、右半分が潰れていた。
佐藤秀樹……30代男性。
約3ヶ月前に、このマンションの9階から突き落とされ、病院に搬送されたが、その後死亡が確認された。
犯人は、彼の妻の不倫相手だった。
「佐藤さん、我々があなたを幽世へとお連れします。ついてきていただけますか?」
「…………」
男性は答えない。そのまま下を俯いてしまった。
久遠は一息置き、ゆっくりと問いかけた。
「では、質問を変えます。
佐藤さん、あなたがここに残る理由は……なんですか?」
その質問に反応した佐藤さんが、顔を上げた。
久遠の目は、ジッと静かに……男性の目を捉えていた。
飛行機が空を割いていく音、信号の音、行き交う人々の足音と話し声、車の走行音、工事の音、鳥の鳴き声など様々な音が屋上へと届いてきていた。
久遠は様々な音が響く中でも、男性の声にそっと耳を傾けていた。
男性は、重い口を開き、ゆっくりと語り始めた。
「⎯⎯⎯10年…付き添ってきたんです。なのに……」
◇◇◇
この日、秀樹はいつも通り会社へ出勤しようと、スーツに身をつつみ、少しくたびれた革靴を履いて、玄関のドアへ手をかけ、最愛の妻へ声をかけた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
と、リビングから声が聞こえた。
秀樹は少し寂しげな表情を浮かべ、玄関の扉を開け、外へ足を踏み入れた。
満員電車に乗り、人混みにのまれながら会社へと足を運んでいく。
(数年前は、玄関まで見送ってくれたんだけどな……)
そんなことを考えながら、秀樹は朝の妻の声を思い出していた。
数年前までは、二人で出かけたり、一緒に食事をしたりしていた。『行ってらっしゃい』と玄関まで見送ってくれていた。ほんとに、充実した毎日を送っていた。彼女のためにと、より仕事にも熱意が入るようになった。
いつからだろうか、一緒に出かけることも、食事をすることも減ってしまった。『行ってらっしゃ』と、返事は返してくれるものの、玄関までの見送りはなくなってしまった。休みの日に出かけようと誘っても、素っ気なく断られるようになってしまった。
「はぁ……」
秀樹は、パソコンに向かって深くため息をついてしまった。
「どうしましたか?なにかトラブルですか?」
同僚が、秀樹の様子に気づき、声をかけた。
「あぁ、いや。……最近妻が素っ気ないなと感じてね」
「あ〜、分かります分かります。愛想つかされたのかなーって感じますよねー」
「俺この前体臭キツイって言われて、めっちゃ凹みました……」
「え、お風呂入ってないんですか?……不潔ですよー」
「入ってるよ!!」
「あはは……」
話を聞いていた同僚たちが笑わせてくれ、少しだけ気がそれた。
けれど、秀樹は妻に対しての怒りなどは感じていなかった。それどころか、妻に寂しい思いをさせてしまっていることの後悔や、今まで甘えてしまっていたことの反省をしていた。
「喧嘩なら、早めに謝るのが一番ですよ!」
「今日は早めに帰って、二人でゆっくり過ごしたらどうですか?」
「……あぁ、そうするよ」
秀樹は、同僚たちの好意に甘えることにした。
(帰って少し、二人で話ができるといいな)
そんなことを考えながら、秀樹は残りの仕事に集中した。
そしてこの日、秀樹はいつもより1時間ほど早く上がらせてもらった。
近くで話を聞いていた上司が機転を利かせてくれ、残りの仕事を引き継いでくれたのだ。
(今度お礼しなくちゃな……)
帰路につきながら、暖かな職場と同僚たちに感謝を感じつつ、早歩きで自宅へと足を運んでいた。
マンションに着き、上を見上げると、部屋の明かりがついていることに気づいた。
秀樹は、そのままエレベーターに乗り、9階のボタンを押した。
今度二人でどこか出かけようか、何か欲しいものはあるか……秀樹は二人で何を話そうか考えながら、部屋へ足を運んでいく。
ドアに手をかけ、ゆっくりと開けた。
「ただいまー」
妻に声をかけるが、返事がない。
「………?おーい。」
(寝てるのか?……こんな時間に?)
不審に思いつつ、秀樹は部屋に入る。
そして、玄関に脱ぎ捨てられていた靴に気づいた。
「…………」
男物の靴。秀樹の靴ではなかった。
嫌な汗が流れた。
秀樹は急いで靴を脱ぎ、部屋へ入っていく。
バンッ……!!
勢いよくリビングのドアを開けた。
秀樹の目が大きく見開く。
目の前には、ソファーに腰をおろし、映画を鑑賞していた妻と、知らない男。
妻は、秀樹の顔を見た瞬間、引き攣った表情を浮かべる。
「え、なんで……」
「…………」
信じたくない光景に言葉が出なかった。
けれど、目の前の知らない男が妻の肩に手を置いているのを見た途端、怒りに包まれてしまった。
「なにしてんだ………。俺の……俺の妻から手を離せ!!!」
秀樹は男につかみかかった。
「なんだっ!!てめ……離せっ!!」
「出てけ!!出ていけ!!」
喧嘩などしたことが無い。人を殴ったこともない秀樹が、その男に殴りかかった。
「やめて!!やめてっ!!!」
妻が必死に秀樹を止めようとするが、秀樹の耳に、その声は届いていなかった。
秀樹は続けて、男性に襲いかかる。
「誰なんだよ!!ここは俺の家だぞ!!」
秀樹は男の胸ぐらを掴み、必死に訴える。
妻に目を向けようとはしなかった。真実を……現実を見たくないがために、怒りをその男にぶつけていた。
「…っ!!こんの!!」
胸ぐらを掴まれた不倫相手も必死に抵抗する。
「やめ……」
妻が必死に止めるが、力の差もあり、止めることが出来なかった。
揉み合いになった2人は夜風が入ってきていた窓に近づいていき、そのまま、網戸になっていたベランダへ出ていく。
ガシャーンッ……!と大きな物音と共に網戸が外れた。
「……離せっ!!」
「誰なんだ!!妻に何を言ったんだ!!?」
秀樹は男性を壁に押付けながら大声で問いただす。
妻が必死に止めようとする声も、姿も彼の耳には一切入っていなかった。
「………っ!!離せって……言ってんだろ!!」
と不倫相手の男が秀樹を勢いよく振り払った。
「なっ……!!」
「やめっ……ハッ!!」
視界が上下逆さまになった。ふわりと体が浮き、力が抜けた。
「………っ」
……あ、落ちる。
そう思ったのは一瞬。妻の顔が目に映った。
青ざめ、焦ったような表情を浮かべていた。
秀樹の脳内に、妻のとこれまでの思い出が、川に流れる水のようによぎっていった。
(あぁ……これが走馬灯か。……もっと話をしていればこんなことにならなかったのだろうか)
そんなことを考えていた。彼は最後に、妻を目に焼き付けようと、視線を妻に集中させた。
けれど、最後に見た妻の顔は……
「……………」
うっすらと……笑っていた。
ゴシャッ……!!!
と、鈍い音が鳴った。
次の瞬間、体が熱くなった。痛い…より、熱かった。
体に力が入らない。
右側の感覚がない。
周りの人達の叫ぶ声が聞こえてくるが、何を言っているのか分からなかった。
声が出せない。
段々と、意識が薄れていく。
秀樹の脳裏には、最後に見た妻の笑みが焼き付いて離れなかった。
なぜ笑ったのか。聞きたかった、でも…怖かった。
これまでのものを、今までの全てを、自分を否定される気がしたから。
全てが壊れる気がしたから。
秀樹は、最後に思い出した。
(…………あぁ、そういえば……)
(まだ……『おかえり』って………言われてないな)
彼の意識は、そこで途切れた⎯⎯⎯⎯⎯。
◇◇◇
そこまで話し終えた秀樹は、下を俯きながら、手を強く握った。
「………なぜ、妻が笑ったのか。私は、それが知りたいのかもしれません。」
秀樹の声は震えていた。知りたいと言いつつ、真実を知るのが怖いのだ。
「……………」
久遠は、ジッと秀樹を見つめていた。
(「……先輩、どうしますか?」)
何も言わないままの久遠に、灰原がそっと耳打ちした。
このまま強引に連れていくこともできるが、彼の未練が残ったまま連れていけば、無事に転生出来るとは限らない。
なにより、未練が残った場所から離れれば魂が不安定になり、門まで持つか分からないのだ。
消えた魂はそのまま消滅し、未来永劫、転生することはない。
そのため、死者の魂が消滅しないようにすることも、オクリビトの仕事のひとつなのだ。
久遠はしばらく考え、口を開いた。
「……佐藤さん」
名前を呼ばれた秀樹は、顔を上げた。
生気を失い、今にも消え入りそうな顔。涙のひとつもない。永遠と滴り落ちる血は床に落ちることなく塵のように消えていく。
「……真実に目を向ける覚悟があるならば、お教えします。けれど、あなたはその真実に、耐えなくてはならない。どんな結末であれ、あなたが悪霊となったその時、我々はあなたを……始末しなくてはならない。」
久遠と灰原は、静かに秀樹を見据える。
「…………」
たとえ無惨な死を遂げた者だとしても、完全なる被害者なのだとしても、悪霊となり生者に害をなす様であれば、それ相応の対処が必要になる。
「………我々は、貴方の未練を無くし、無事に幽世へとお連れする。」
「それが我々、オクリビト……″事件部″の役目です。」
カラスが空へ飛んでいく。
バサバサと羽音が聞こえくる。
風が優しく、屋上に見えないもの達の髪を撫でるように吹いて行った。
「…………お願いします」
長い沈黙の後、秀樹が決心したように答えた。
どうしても、知りたかった。
何故、笑ったのか。……どうして、裏切ったのか。
自分が死ぬ瞬間、何を考えたのか。
「…………分かりました。」
久遠は灰原に目配せをした。灰原は頷き、1歩前に出た。
「……ついてきていただけますか?このマンションの入口に。あなたが落ちた、あの場所に。」
_____________________
しばらくして3人は、あの花束が供えられていた場所へと向かった。
男性はじっと、その花束を見つめていた。
「…………」
「……いまから見せるのは、あなたが死んだあとの記憶。そこにある1本の木に残された記憶です。」
「この木の……記憶?」
「………えぇ、僕は、物や植物などが見た記憶を見ることが出来るんです。それを他人に見せることも。」
「そんなことが」
「まぁ、全部は無理ですけど……」
と、灰原は自信なさげに答える。
オクリビトにはそれぞれ、各自ひとつの能力を持っている。彼らはその力を駆使して、死者の未練を消すのを手伝っている。
そして彼らの持つ能力はどれも、殺傷能力は0に等しく、記憶に関連したものが多い。
「………灰原」
「はい」
久遠に促され、灰原はそっと木に手をかざした。
『Memorial』
灰原が唱えた途端、眩い光に包まれる。
「………っ!」
秀樹は、咄嗟に目をつぶった。
音が聞こえなくなった……と思っていたら、再び聞こえてきた。けれど、先程までと少し違う。
秀樹はゆっくりと目を開けた。
「…………あ、れ」
何も変わっていない。
けれどよく見ると、少し違う。
近くのお店に書かれた看板の新作や、先程まで歩いていた人達とは別の人物が歩いている。
そして何より、供えられていたはずの花束がない。
すると、数名の人物たちが近づいてきた。
「あ………」
会社の同僚たちだった。
同僚たちは、花束と焼酎を供え、手を合わせていた。
彼らは立ち去る間際、「なんで……こんなことに」「佐藤さん……どうか安らかに」と呟きながら泣いてくれていた。
「……みんな…」
花束を供えてくれたのは、妻ではなく、優しい同僚たちだった。
妻想いの優しい秀樹の死を嘆いてくれたのだ。
「………いい職場だったんですね」
灰原の言葉に、秀樹は小さく肩を震わせながら、
「はい……」
と小さく答えた。
「……少し時間飛ばします。」
と灰原が言うと、再び眩い光に包まれた。
次に目を開けた時、街はすっかり夜に包まれ、ポツポツと雨が降り始めていた。
すると、1人の女性が供えられた花束の前で立ち止まった。
「……!!」
秀樹の妻だった。
彼女は傘もささず、その場に立ち尽くしながら、何かをぽそぽそと呟き始めた。
「………なんで」
拳を強く握り、肩を震わせ始める秀樹の妻。
「あんたが落ちた時、これで彼と自由に……幸せになれるって思った。」
妻の言葉を聞いた瞬間、秀樹の顔が曇った。
けれど、彼女は続けた。
「……でも、結局1人になっただけだった。」
と静かに話し始めた。
「寂しかっただけなのよ。誰かに、慰めて欲しかっただけなのよ……。わざと素っ気なくして……あなたから別れてくれればいいって。」
「そうした方が、あなたの為にもなるって
……私なりの″慈悲″だったのよ。」
そう言って、その場で泣き崩れた。
「ほんの…出来心だったのよ……。お願いだから、私を……1人にしないで……。」
誰もいない夜道で1人、泣き始めたのだ。雨の中、雨音によってかき消されていく妻の鳴き声。
「……………」
秀樹の目から、一筋の涙が零れた。
彼の人生は……たった一人の女性の、身勝手なワガママによって終わったのだ。
そして、濃い霧に包まれ、元に戻った。
_____________________
「………これが、佐藤さん。あなたが知りたかった真実です。」
久遠が、静かに告げた。
秀樹は下を俯いたまま、何も言わなかった。
「……………」
最後に笑ったのは、秀樹という足枷が無くなることへの喜びだった。
彼女は秀樹が死ぬと知った時、悲しみより、喜びを感じていたのだ。無償の愛を注いでくれていた彼に甘え、彼女の性根は腐ってしまった。
そして彼の死後、彼女は自分を正当化し始めた。「寂しかっただけだ」と。
一人の人生を奪っておいて、一言も謝ることはなかった。
彼がかつて愛した女性は、もうこの世にいなかったのだ。
「……………オクリビトさん。」
秀樹は、ゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとう………ございました」
「……!!」
秀樹は笑った。
切なげに、悲しそうに……でもどこか、吹っ切れたように。
人生の全てを否定されたとは思えないほど、清々しい表情をしていた。
「妻の本音が分かって、とてもスッキリしました。」
そう話す秀樹。
久遠は、疑問を彼にぶつけた。
「………憎いとは、思わないのですか?」
久遠の疑問に、秀樹は優しく答えた。
「憎い……というよりも、少しホッとしたんです。妻が私を忘れることは無い。そして今度、妻が幸せになることもきっとない。そう思ったら、なんだか心にあった重りが無くなったんです。今はすごく、心が軽い。」
「………私は、酷い人間ですね」
そう言って、秀樹は雲の間から覗く太陽を見つめた。
彼の透けた身体が、さらに薄くなった。
けれど、彼の目から零れた一滴の涙だけが、強く光っていた。
久遠は、静かに伝えた。
「………いいえ、あなたは″優しい人″です。」
恨むことなく、自分を殺した人が、今後も生きていくことを許した。それだけで、彼の人柄がよく分かった。
彼の死を嘆く、同僚たちの気持ちもよく分かった。
「─────ありがとう」
_____________________
その後、二人は佐藤さんを連れ、幽世の門の前へ来ていた。
大きな門がゆっくりと開く。
「この門を通ってください。まっすぐ進んでいけば、幽世に着きます」
「…………」
佐藤さんは、扉の奥に続く見えない道をジッと見つめる。
「大丈夫ですよ。道がわからなくなっても、中にいる精霊が案内してくれますから」
「そうですか」
灰原が伝えると、秀樹はホッとした表情を見せた。
秀樹は、ゆっくり、1歩1歩扉へと進み始めた。
扉に入る寸前、秀樹は振り返り、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
深く、深く……頭を下げた。
「……秀樹さん」
久遠に名前を呼ばれ、秀樹は顔を上げた。
「あなたの来世が、幸せなものであるように、祈っております。……お疲れ様でした。」
久遠が頭を下げた。それに続けて、灰原も頭を下げた。
「…………」
秀樹は、小さく微笑み扉の奥へと足を運んだ。
秀樹の背中が小さくなっていき、ゆっくりと……幽世の門が閉じていった。
_____________________
門が閉まってから、灰原が口を開いた。
「………強いひとでしたね。最後まで笑って」
「あぁ」
久遠は、目を細める。
なぜこの世は、善人ばかりが、死んでいくのか。なぜ、悪人たちが生きているのか。
彼はきっと、「ごめんなさい」の一言で、不倫相手を見逃すつもりだったのだろう。
殺されてもなお、恨みを持たない人間が、相手を殺すつもりだったとは考えられなかった。
(本当に……強くて、優しい人だった。)
久遠は門を後にし、長い階段を降りていく。
一つ一つ、階段を降りていく。
周りを見渡しても、霧によって何も見えない。
静寂の中、灰原が、口を開いた。
「先輩、ひとつ聞いていいですか?」
「なんだ」
「先輩はなんで……″オクリビト″になったんですか?」
「……………」
オクリビトには、複数の部署がある。
事件部
他殺によって無惨な死を遂げた死者を幽世の門へ送り届ける部署。
死刑部(及び刑務部)
刑務所で生涯を終えた死者、警察に捕まる前に死んだ死者など、犯罪者全般を担当する部署。
事故部
事故によって死を遂げた死者を担当する部署。(ただし、殺害目的によって亡くなった者は事件部の担当である。)
病気部
病気によって亡くなった死者を担当する部署。
老衰部
老衰によって亡くなった死者を担当する部署。
自殺部
自殺によって亡くなった死者を担当する部署。
などの部署によって構成された″オクリビト″。
獄卒が6割、元人間が4割。久遠と灰原は元人間。
そして、
他殺によって亡くなった者たちである⎯⎯⎯。
読んでいただきありがとございました!
次いつ書くか分からないけど、のんびり書きます。興味がある方は、読んで下さったら嬉しいです。




