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A.O. //_OVER:RIDE  作者: じょな


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第4話「0x03_廃棄領域の彷徨い子」

広場から情報屋の姿がノイズに溶けるように消え去った後も、俺はしばらくの間、石畳の上に立ち尽くしていた。


右腕の痛みが、心臓の鼓動と完全に同期して暴れ回っている。

皮膚の下を這い回る高熱は引く気配がない。

むしろ、先ほど白き騎士のデータを初期化したことで、俺の肉体に巣食う異形の力はより深く神経の根を張ったように感じられた。


(第三層、腐海の森か)


俺は重い足を引きずり、第一層の中央に位置する転移門へと歩き出した。


人気のない旧市街を抜け、大通りへ出る。

深夜の街並みは、環境シミュレーターによって完璧な静寂を保っていた。

遠くで微かに聞こえるNPCの足音すら、今の俺にはシステムが作り出した空虚な記号にしか感じられない。


巨大な円環の形をした転移門の前に立つ。

青白い光の膜が、水面のように揺らいでいた。


俺は左手を伸ばし、転移先のリストから第三層を選択した。


足元の石畳に幾何学的な魔法陣が浮かび上がり、光の粒子が下から上へと舞い上がる。

通常であれば、無重力のエレベーターに乗ったような浮遊感とともに、一瞬で次の階層へと運ばれるはずだ。


だが、光の膜をくぐり抜けた瞬間、強烈な吐き気が胃袋からせり上がってきた。


「が、ぁっ……」


空間の転移プロセス。

俺の右腕に宿ったバグのデータが、正規の転移コードと強烈な反発を起こしているのだ。


視界がぐにゃりと歪む。

本来なら存在しないはずの、空間と空間の隙間。

緑色と紫色の文字列が嵐のように吹き荒れるデータストリームの中を、肉体をミキサーにかけられるような激痛とともに引きずり回される。


奥歯を噛み割りそうなほど食いしばり、悲鳴を押し殺す。


やがて、網膜を焼くような閃光が弾け、俺は硬い地面に乱暴に吐き出された。


「ハァッ、ハァ、ハァ……ッ!」


両手と両膝を地面につき、嘔吐するような姿勢で咳き込む。

肺に流れ込んできた空気は、第一層のそれとは全く異なっていた。


腐臭。

生ゴミと、ショートした配線が焦げる匂いを混ぜ合わせたような、強烈な悪臭。


ゆっくりと顔を上げる。

そこは、通常のプレイヤーが知る第三層の景色ではなかった。


本来の第三層は、巨大な樹木が生い茂る緑豊かな大森林のエリアだ。

だが、俺の目の前に広がっているのは、まさに世界の墓場だった。


空は毒々しい紫色に染まり、雲のテクスチャはモザイク状に崩壊して静止している。

周囲に立ち並ぶ樹木は、木肌のグラフィックが剥がれ落ち、下地である緑色のワイヤーフレームが剥き出しになっていた。

枝葉の代わりに、文字化けしたエラーコードが不気味に垂れ下がっている。


腐海の森。

情報屋が言っていた通り、ここはシステムに見捨てられたデータの掃き溜めだ。


風の音はない。

代わりに、古いブラウン管テレビの砂嵐のような、ジリジリという低い電子音が常に空間を満たしている。


俺はショートソードを引き抜き、腐りかけた大地を踏みしめて歩き出した。


隠された転移陣を探さなければならない。

トウヤが囚われているデバッグエリアへの裏口。

右腕の熱を頼りに、空間の歪みが最も強い方向へと足を進める。


ワイヤーフレームの木々を掻き分け、紫色の沼地を迂回しながら進むこと十数分。

不意に、前方の開けた場所から奇妙な音が聞こえてきた。


「いらっ、しゃいませ。いら、しゃいま、せ」


抑揚のない、壊れたレコードのような声。


俺は立ち止まり、巨木の陰からそっと様子を窺った。


そこには、一人の小さな少女のアバターが立っていた。

町でアイテムを販売する、ありふれたNPCのグラフィック。

だが、その姿は異様だった。


少女の顔の右半分は完全にテクスチャが欠落し、真っ黒な空洞になっている。

左腕は肘から先がポリゴンの塊のように肥大化し、地面を引きずっていた。


「やくそう、いかが、ですか。やくそう、いかが、です」


少女は誰もいない虚空に向かって、虚ろな笑顔のまま、同じセリフを延々と繰り返し続けていた。

彼女の足元には、アイテムではなく、ただのノイズの塊がいくつか転がっている。


(あれが、廃棄されたAIか)


アップデートの過程で不要になったり、バグを起こして正常な処理ができなくなったりしたNPCたち。

運営は彼らを修正することなく、この隔離領域に放り込んで放置しているのだ。


胸の奥が、嫌な形に軋んだ。

トウヤも今、どこかの暗闇で、あんな風に意味のない計算を強制させられているのだろうか。


少女の痛々しい姿から目を逸らそうとした、その時だ。


ジジジジジッ!


森の奥から、空気を切り裂くような甲高いノイズ音が響き渡った。


少女の頭上の空間が、突如として十字に裂ける。

裂け目から現れたのは、無数の節足を持つ、巨大な蜘蛛のような機械の怪物だった。

白銀の滑らかな装甲には、一切の装飾がない。


怪物の頭部にあたる部分に、赤い光のラインが走る。


┌────────────────────────────┐

│                      │

│ 対象:破損ファイル_NPC0492        │

│ 処理:クリーンアップを実行します。    │

│                      │

└────────────────────────────┘


システムメッセージが虚空に展開された。


(クリーンアップ。こいつ、清掃プログラムか)


バグを狩るための、運営の自動処理機構。

蜘蛛の怪物が、鋭利な前脚を振り上げた。

目標は、虚空に微笑み続けている壊れた少女のNPC。


少女は逃げる素振りすら見せない。

エラーを起こした彼女のAIには、脅威を認識する機能すら残されていないのだ。


「いらっ、しゃいま……」


振り下ろされる銀色の刃。


身体が、勝手に動いていた。


「させないって、言ってんだろ!」


俺は巨木の陰から飛び出し、地面を蹴った。

右腕の神経が、破裂するような激痛を訴えかけてくる。

だが、その痛みが莫大な推進力となって俺の肉体を加速させた。


少女の眼前に滑り込み、右腕を天へ向けて突き出す。


手にしたショートソードの金属がドロドロと融解し、真っ黒なコードの奔流が空間を塗り潰す。

瞬時に構築された漆黒の直剣で、振り下ろされた蜘蛛の怪物の前脚を下からカチ上げた。


ギィィィィンッ!


鼓膜を破るような金属音と、大量の火花が散る。


「ギ、ジジジ……ッ!」


蜘蛛の怪物が、不快な電子音を上げて後退した。

赤い光のラインが、俺の姿を捉えて激しく明滅する。


┌────────────────────────────┐

│                      │

│ エラー。未登録の特異個体を検知。     │

│ 優先目標を変更。対象をデリートします。  │

│                      │

└────────────────────────────┘


「来るなら来い。お前らのやり方は、虫唾が走る」


俺は少女を背中で庇いながら、漆黒の剣を正眼に構えた。


蜘蛛の怪物が、六本の脚を蠢かせて一気に距離を詰めてくる。

前脚だけでなく、胴体の側面から無数のレーザーの刃が展開され、俺を包み込むように襲い掛かってきた。


視界が真っ白に染まるほどの、圧倒的な暴力。

システムの演算力をフルに活用した、回避不能の包囲攻撃。


だが、痛覚と引き換えに研ぎ澄まされた俺の神経は、すべての刃の軌道を完全に読み切っていた。


「遅い」


俺は右足で腐った大地を強く踏みしめ、漆黒の剣を水平に薙ぎ払った。


真っ黒な剣閃が、空間そのものに巨大な裂け目を生み出す。

レーザーの刃が漆黒の軌跡に触れた瞬間、すべてが緑色の無害な文字列へと分解され、霧散した。


「ジ、ギィィィィッ!?」


蜘蛛の怪物が、体勢を崩してたたらを踏む。


「終わりだ」


俺は間髪入れず、怪物の懐へと潜り込んだ。

下から上へ、漆黒の剣を全力で振り抜く。


抵抗はなかった。

怪物の強固な銀色の装甲は、黒い刃に触れた端から豆腐のように崩れ落ちていく。

真っ黒な刃が、怪物の胴体を完全に両断した。


『対象の構成データを強制書換します』

『コマンド:消去』


脳内で無機質な声が宣告した直後。

蜘蛛の怪物は内側から爆発し、黒いノイズの塵となって跡形もなく消え去った。


俺は荒い息を吐きながら、剣を消散させた。

右腕が、焼け火箸を押し付けられたように痛む。


背後を振り返る。

少女のNPCは、相変わらず虚空を見つめたまま、壊れた笑顔を浮かべていた。


「やく、そう……いかが、ですか」


怪物を倒しても、彼女の壊れたAIが元に戻るわけではない。

俺がやったことは、ただの自己満足に過ぎないのかもしれない。


だが、これでいい。

俺の目の前で、理不尽にデータが消されるのを見過ごすことなどできない。


その時だった。


蜘蛛の怪物が消滅した空間の跡地に、奇妙な現象が起きた。

怪物の残骸である緑色の文字列が、空中で渦を巻き始めたのだ。

文字列は次第に収束し、やがて巨大な黒い穴のような『扉』を形成した。


扉の奥からは、底冷えするような冷気と、けたたましい機械の駆動音が漏れ聞こえてくる。


(清掃プログラムが巡回のために使っていた、システム深部への直通経路……!)


これだ。

情報屋の言っていた、デバッグエリアへの隠された転移陣。

俺がバグを破壊したことで、そのシステムの裏道が一時的に剥き出しになったのだ。


俺は振り返り、少女のNPCを一瞥した。


「……こんなクソみたいな世界、俺が全部書き換えてやる」


誰に言うともなく呟き、俺は黒い穴の奥へと足を踏み入れた。


右腕の痛みが、歓喜するように激しく脈打つ。

トウヤのいるシステムの最深部へ。

俺は、神の喉首に向かって真っ直ぐに落ちていった。


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