第4話 庭園の午後と、触れない距離
王宮の奥庭は、春の光に満ちていた。
白い石畳の小道。
淡い花々。
中央には、蒼い水を湛えた噴水。
公務の合間、わずかな休息。
「今日は風が穏やかね」
アイリスは木陰の椅子に腰掛け、紅茶の香りを吸い込む。
蒼き精霊が、楽しげに花弁を揺らしている。
少し前まで不安定だった力は、最近は落ち着いていた。
理由は分かっている。
半歩後ろに立つ存在。
「騎士レオン」
「は」
「そんなに構えなくてもいいわ。ここは王宮の庭よ」
「だからこそです」
即答。
アイリスは小さく笑う。
「あなた、昔から変わらないのね」
「……そうでしょうか」
「ええ。真面目で、融通が利かなくて」
「光栄です」
皮肉を受け止める声音は、変わらず静かだ。
だが、よく見ると。
ほんのわずかに、口元が緩んでいる。
(気づいているのよ)
アイリスは視線を逸らし、カップを傾ける。
「リリアーナとは、仲が良かったのでしょう?」
ぽつり。
風に紛れさせるように。
レオンは一瞬だけ沈黙した。
「幼少期を同じ屋敷で過ごしました。家同士が近かったので」
「今も?」
「必要な礼は尽くします」
それ以上は語らない。
それが、少しだけ物足りない。
「婚約の話は?」
問いが零れた瞬間、自分でも驚く。
レオンの気配が、わずかに硬くなる。
「そのような予定はございません」
「でも、公爵家令嬢でしょう?」
「私は次男です。殿下の護衛に選ばれた時点で、他の道は閉じました」
さらりと言う。
それは覚悟。
王女に仕える者の選択。
だが。
(他の道を、閉じた?)
胸がきゅっとする。
「……後悔は?」
問いかけた声は、少しだけ小さい。
レオンは迷わなかった。
「ありません」
即答。
視線が絡む。
真っ直ぐで、揺らがない瞳。
アイリスの指先が、わずかに震える。
精霊が、ふわりと光る。
気持ちに呼応するように。
レオンが一歩近づく。
「殿下」
低い声。
距離が、近い。
触れられそうで、触れられない。
「魔力が」
「え?」
「揺れています」
そう言って、そっと手を差し出す。
触れない。
ただ、空気を整えるように。
その温もりが、分かる。
アイリスは、思い切って手を伸ばした。
指先が、彼の手袋に触れる。
ほんの一瞬。
ぴたり、と蒼い光が重なった。
精霊が、静かに舞い降りる。
穏やか。
安心。
胸の奥が、じんわりと熱い。
「……あなたがいると、落ち着くわ」
無意識の言葉。
レオンの呼吸が、わずかに乱れる。
「それが、役目です」
「役目、だけ?」
問いかけた自分に、心臓が跳ねる。
レオンは答えない。
ただ、ほんの少しだけ。
指先が、こちらへ向いた。
触れない距離のまま。
「殿下が笑っておられるのなら、それで十分です」
ずるい。
それ以上、踏み込まない。
けれど、確かに近づいている。
そのとき。
庭園の外から、慌ただしい足音。
「殿下!」
騎士団員が駆け込む。
「北塔付近で不審な魔術痕を確認。先日の干渉と同質のものです」
空気が変わる。
甘い午後は、終わり。
レオンの瞳が鋭くなる。
「私が確認に向かいます」
「わたくしも行くわ」
「危険です」
「精霊の痕跡なら、わたくしでなければ分からない」
視線がぶつかる。
数秒の沈黙。
「……お傍を離れません」
「当然でしょう」
立ち上がる。
裾が揺れる。
蒼き精霊が、二人の間をくるりと巡る。
それはまるで――
この距離が、まだ続くことを知っているかのように。
庭園を出る直前。
アイリスは小さく呟いた。
「役目だけ、では嫌よ」
風に紛れるほどの声。
だが、レオンは聞いていた。
聞こえないふりをして。
胸の奥に、静かに落とし込む。
影は近づく。
だが。
それ以上に、距離も近づいている。




