第3話 近づく影と、近づく距離
王女付き護衛騎士として正式に任命されてから、三日。
王宮の空気は、目に見えぬ形で変わっていた。
レオンは常にアイリスの半歩後ろに立つ。
公務の場でも、回廊でも、庭園でも。
それは職務。
けれど、十年前の約束を知る者はほとんどいない。
アイリスはそれを、少しだけ惜しく思う。
「殿下、本日の謁見は第三会議室に変更となりました」
「ええ」
淡々とした報告。
感情を乗せない声音。
だが隣にいると分かる。
彼の魔力は、常に薄く広がり、周囲を探っている。
警戒。
王女の力が安定してからというもの、視線が増えた。
蒼き精霊は王位継承の証。
それは祝福であり、争いの種でもある。
会議室の扉が開く。
中には数名の貴族。
そして――
「お久しぶりです、殿下」
優雅に一礼したのは、淡い銀髪の令嬢。
リリアーナ・アルヴェルト。
公爵家の令嬢であり、レオンの幼馴染。
アイリスはわずかに目を瞬かせる。
「アルヴェルト公爵令嬢。ご機嫌よう」
微笑む。
王女として、完璧に。
だが。
(幼馴染)
その言葉が、胸の奥で小さく引っかかった。
リリアーナはレオンに視線を移す。
「レオン様も、立派になられて」
「……お久しぶりです」
短い返答。
必要以上の言葉はない。
それが逆に、親しさを感じさせる。
アイリスは気づく。
自分の魔力が、ほんの少し揺れたことに。
蒼き光が足元でちらりと瞬く。
レオンの指先が、ほんのわずかに動く。
空気が整う。
落ち着く。
(また、助けられている)
会議は王位継承に関する議題だった。
王女を王太女として正式に推すか否か。
貴族たちの声は穏やかだが、その裏に計算が透ける。
「王女殿下のお力は素晴らしい。しかし、王には強固な後ろ盾も必要かと」
「例えば?」
「隣国との婚姻など」
室内が静まる。
アイリスは微笑を崩さない。
けれど、胸がひやりとした。
隣国の第二王子。
すでに水面下で打診があることを知っている。
政略結婚。
王女として避けられぬ道。
そのとき。
かすかな違和感。
空気が、重い。
レオンが一歩前に出る。
「殿下」
低く、短く。
次の瞬間。
天井付近の装飾が、鋭く歪んだ。
魔術式。
仕込まれていた、攻撃型の結界崩し。
悲鳴が上がる。
レオンが剣を抜く。
同時にアイリスの蒼い魔力が広がった。
「精霊よ」
光が天井へと走る。
レオンの刃が魔術式を断ち切る。
蒼と鋼。
ぴたりと噛み合う。
衝撃が弾け、装飾は崩れずに止まった。
静寂。
重い空気の中、レオンが周囲を見渡す。
「外部からの干渉です。内部協力者がいる可能性も」
貴族たちがざわめく。
誰かが、王女の力を試した。
あるいは――排除しようとした。
アイリスはゆっくりと息を整える。
「……皆様、ご無事で何よりです」
声は震えない。
だが、指先は冷えていた。
会議は中断。
回廊を戻る。
侍女たちが離れ、二人きりになる瞬間。
「殿下」
「……何」
歩みを止める。
レオンがそっと距離を詰める。
触れはしない。
だが、近い。
「ご無理をなさらないでください」
「無理など」
「先ほど、魔力が乱れていました」
見抜かれている。
アイリスは視線を逸らす。
「……婚姻の話が出たから?」
思わず出た言葉。
レオンの瞳が、わずかに揺れる。
ほんの一瞬。
それだけで胸が締めつけられる。
「殿下が望まれる道を、私は守ります」
静かな声。
感情は押し殺されている。
けれど。
「わたくしが望む道を?」
「はい」
「もし、それが――」
言いかけて、飲み込む。
何を聞こうとしたのか。
自分でも分からない。
だが、分かりかけている。
リリアーナの存在。
婚姻の話。
胸のざわめき。
それは王位への不安だけではない。
アイリスはゆっくり振り向く。
蒼い瞳が、まっすぐにレオンを見る。
「……あなたは、どこへも行かない?」
問いというより、確認。
レオンは即答する。
「殿下の御許に」
それだけ。
それ以上は言わない。
けれど、その言葉は深く胸に落ちる。
蒼き精霊が、ふわりと二人の間に現れる。
優しく、穏やかに。
まるで、何かを祝福するように。
だが。
王宮の塔の上。
黒衣の魔術師が、静かに呟いた。
「やはり同調するか……蒼き王女と誓約の護衛」
狙いは一つ。
王女の力。
そして――その隣に立つ男。
影は、確実に近づいている。




