第2話 十年越しの約束
王都に春の鐘が鳴る。
淡い花弁が城下に舞い、王宮の回廊にもやわらかな光が差し込んでいた。
あの日から、十年。
王女アイリスは十六になっていた。
金の髪は腰まで伸び、蒼い瞳は幼さよりも静かな意志を宿している。
けれど――
「殿下、また精霊が……!」
侍女の声に、回廊の空気がぴんと張り詰めた。
アイリスの足元で、蒼い光が揺れる。
小さな頃よりも強く、濃く、そして不安定に。
蒼き精霊。
王族の象徴であり、王家の加護であり――同時に、制御を誤れば災厄にもなりうる力。
最近、その揺らぎが激しかった。
「大丈夫です」
そう言って微笑むが、光は彼女の感情に呼応するようにざわめく。
理由は分かっていた。
本日、正式に“護衛騎士候補”が選定される日。
王女付きの騎士は、幼少期の顔合わせを経て最終決定されるのが慣例だ。
十年前、庭園で出会った少年の名は、候補の中にあった。
レオン・ヴァルク。
辺境伯家の次男。
優秀だが、決して最有力とは言えない立場。
王宮ではすでに、別の有力貴族の名も囁かれている。
政略。均衡。派閥。
幼い頃には知らなかった世界が、今ははっきり見えていた。
(守りに来て)
あの日、自分が口にした言葉。
子どもの約束。
けれど、アイリスにとっては――ずっと胸にあった願い。
大広間の扉が開く。
候補者たちが整列していた。
鎧のきらめき。
張り詰めた空気。
そして、その列の中に。
黒髪の青年がいた。
十年前よりも背は高く、輪郭は鋭くなっている。
だが、瞳のまっすぐさは変わらない。
レオン。
アイリスの胸が、静かに高鳴る。
視線が合う。
ほんの一瞬だけ。
その瞬間――蒼い光がふわりと広がった。
ざわり、と空気が震える。
魔術師たちが息を呑む。
しかし次の瞬間。
レオンが一歩、前へ出た。
剣を抜かず、ただ立つ。
彼の周囲の空気が整う。
重なり合う魔力。
十年前と同じ感覚。
蒼き精霊が、すっと落ち着いた。
広間が静まり返る。
王がゆっくりと立ち上がった。
「……ほう」
低い声が響く。
「王女の力に自然に同調するか」
ざわめき。
それは訓練でどうにかなるものではない。
資質。相性。あるいは――運命。
アイリスは、レオンを見つめたまま言う。
「お父様」
広間の視線が集まる。
「わたくしの護衛には、あの者を」
はっきりと。
迷いなく。
王は娘を見つめ、そしてレオンを見る。
「名は」
「レオン・ヴァルクにございます」
片膝をつき、深く頭を垂れる。
王は数秒、沈黙した。
やがて。
「よかろう」
その一言で、すべてが決まった。
歓声は上がらない。
政治の思惑が交錯する静かな決定。
けれど、アイリスの胸の奥では、何かが静かにほどけていく。
儀式が終わり、回廊へ戻る。
侍女たちが距離を取る。
新たな護衛として、レオンが一歩後ろに控える。
「……覚えていましたか」
低い声が背後から届く。
アイリスは振り返らない。
「何を?」
「十年前のこと」
少しだけ、唇が緩む。
「覚えていると思う?」
間。
そして、答え。
「はい」
即答だった。
アイリスは振り向く。
レオンの瞳は、あの日と同じまま。
「あなたが大きくなったら、守りに来て、と」
その言葉に、胸がきゅっとなる。
「……来てくれたのね」
「参りました」
それだけ。
飾り気のない言葉。
けれど、十年分の時間がそこにあった。
蒼き精霊が、二人の間を静かに舞う。
今度は暴れない。
穏やかに、寄り添うように。
アイリスは前を向く。
「では、騎士レオン」
「は」
「わたくしを守ってちょうだい」
一瞬の沈黙。
そして。
「命に代えても」
春の光が差し込む。
それは約束の再会。
けれど――
王宮の奥深くでは、別の思惑が静かに動き始めていた。
蒼き精霊の力を巡る、影。
十年前は、ただの出会いだった。
だが今は違う。
これは、王女と騎士の物語。
そして――
王宮を揺るがす運命の始まり。




