AIチャットだと思ったら異世界だった件。現実の飯テロギフトで、追放聖女を餌付けして救済する
俺の人生の価値は、たぶんこのコンビニのおにぎりよりも安い。
深夜二時。築四十年のボロアパート。
壁の薄い部屋には、隣人のいびきと、俺がすするカップ麺の音だけが響いている。
相馬カイト、二十六歳。
手取り十四万の派遣社員。彼女いない歴=年齢。
あるのは、虚無感と、明日の仕事への憂鬱だけ。
「……30円引き、か」
手元の「塩むすび」に貼られた、黄色い値引きシール。
誰にも選ばれず、棚の隅に残っていた売れ残り。まるで俺だ。
「……死にたくなるな、マジで」
独り言は、埃っぽい空気に溶けて消えた。
気晴らしにスマホを開く。SNSのキラキラした投稿が視界を焼く。
もう見たくない。画面を閉じようとした、その時。
端の広告バナーに、奇妙な映像が流れた。
暗い洞窟の中。
自分の背丈ほどもある大きな杖を引きずり、ヨボヨボと歩く少女。
白の聖衣は泥だらけ。栗色の髪はボサボサ。
そして何より――盛大にコケた。
『ふぎゃっ!?』
ドサァッ! という鈍い音と共に、少女は顔面から地面に突っ込んだ。
痛そう。そして、あまりにもどん臭い。
普通ならスルーする怪しい広告だ。
だが、俺はその滑稽で必死な姿に、俺を見ているようで妙に目を奪われた。
『AIチャットアプリ【A.I.Link】――接続しますか?』
気づけば、インストールしていた。
起動した画面の中、少女は泣きながら起き上がっていた。
鼻の頭に泥がついている。
最新のグラフィック? あまりにも綺麗すぎる。
(最近のアプリはここまできたのか……。)
『……うぅ、また転んじゃいました……。私なんて、やっぱりダメな聖女です……』
少女――は、杖を抱きしめて膝を抱えた。
『治癒魔法の失敗でパーティを追放されて……こんなダンジョンに置き去りにされて……。神様、ごめんなさい。私みたいな人は、ここで魔物のご飯になるしかないんですね……』
ぐすっ、と鼻をすする音。
悲壮感はある。あるはずなのに、どこか抜けている。
俺は冷めたカップ麺を啜りながら、呆れて文字を打った。
『諦めんのが早くないか?』
送信。
画面のアリアが、ビクッ! と跳ね上がった。
『はう!? こ、声が!? いま、頭の中に直接!?』
彼女はキョロキョロと辺りを見回し、そして恐る恐る天井を見上げた。
『あ、あの……どなたですか? もしかして……私をお迎えに来た死神様ですか?』
『死神じゃねえよ。ただの通りすがりだ』
俺が返すと、彼女は「え? え?」と混乱し、自分の杖に躓いてまた尻餅をついた。
……なんだこいつ。見てて危なっかしいな。
放っておけないというか、放っておいたら五分後に死んでそうだ。
『腹減ってるのか?』
『は、はい……。三日間、お水も飲んでなくて……。お腹が空きすぎて、回復魔法の詠唱も噛んじゃうんです……』
アリアのお腹が、グゥ〜と情けない音を立てた。
彼女は顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。
「こうやって課金させる手段か……」
俺は冷静に考えて、アプリの手法に納得がいった。
まぁ課金額を見て決めるか。
【ギフトを送る】ボタンをタップ。
【対象をスキャンしてください】
……はぁ。どうやら写真を取り込んで送る機能らしい。
俺はため息をつき、手元の塩むすびを見た。
30円引きの売れ残り。
カメラで塩むすびをスキャンする。
転送コスト100円。
(うげ……やっぱ課金かよ)
俺は承認ボタンを押して課金をした。
『ほらよ。食って落ち着け』
画面の中で光が弾けた。
アリアの目の前に、ポトッと塩むすびが落ちる。
『こ、これは……!?』
アリアは目を丸くした。
そして、震える手でそれを拾い上げる。
『白い……三角の……宝石? いえ、ほんのり温かいです……!』
彼女は、コンビニのビニール包装を指でつついた。
『すごい……! 透明なのに、触れない……? まるで空間そのものを断絶する「結界」で包まれています! 中の神聖な気を、一ミリも漏らさないように……!』
いや、ただの乾燥防止のフィルムだ。
だが、アリアの目は真剣そのものだ。
『こ、この結界……私のような未熟者に解けるでしょうか……えいっ!』
彼女は不器用な手つきでフィルムを引っ張る。
ビリッ。
勢い余って、海苔が少し破れた。
『ああっ!? け、結界を破壊してしまいました! 神様ごめんなさい!』
いいから食え。
俺が急かすと、彼女は恐る恐る、むき出しになった白い塊にかぶりついた。
ハムッ。
その瞬間。
アリアの動きが止まった。
『……し、信じられません……』
アリアは口元の欠片を舐めとり、戦慄した。
『雑味が……一切ない……!? 岩塩特有の苦味も、砂のジャリつきも、海水の臭みもゼロです……。純白の結晶。不純物を極限まで取り除いた、純度99.9%のエリクサーのような塩……!』
現代日本の化学精製塩。
異世界において、真っ白でサラサラな塩は、王侯貴族ですら拝めない「魔法の結晶」なのかもしれない。
『こんな……こんな奇跡の塊を、私が食べていいんですか……?』
ただの塩分補給だ。
だが、画面の中のアリアの体は、確かに淡い光に包まれていた。
プラシーボ効果か、それとも異世界では日本の精製塩がマジで聖遺物なのか。
『うぅ……おいひぃ……! こんなに清らかな味、初めてです……!』
アリアは泣きじゃくりながら、リスのように頬張った。
口の周りにご飯粒をつけ、鼻水を垂らしながら。
泥だらけで、ボロボロで、情けない姿。
なのに。
俺はスマホを握りしめたまま、口元が緩むのを止められなかった。
……なんだよ、こいつ。
俺が送ったのは、誰にも選ばれなかった30円引きの廃棄寸前だ。
社会の歯車にもなれなかった、俺みたいな「余り物」だ。
なのに。
『美味しい……! 本当に、美味しいです神様……! 生まれてきて、一番幸せです……!』
画面の向こうで、彼女はボロボロと涙を流して「余り物」を祝福してくれている。
まるで、俺の存在そのものを「価値がある」と肯定するように。
「……っ、はは。……大げさなんだよ、バカ」
喉の奥が熱い。
乾いた笑い声しか出なかったが、死んだようだった俺の心臓は、確かに今、少しだけ体温を取り戻していた。
『神様……! 名もなき神様……!』
完食したアリアは、その場に平伏した。
頭を地面に擦り付け、お尻を高く突き出した、あまりにも無防備な土下座。
『ありがとうございます……! 私、決めました! 貴方様を、私の一生の神様として崇めます! だから……これからは、毎日お祈りしてもいいですか?』
上目遣い。
捨てられた子犬が、新しい飼い主を見つけたような目。
ピロン♪ 通知音が鳴る。
【追放聖女アリアから信仰ポイントゲットしました】
【信仰ポイント(FP)獲得:1,000pt】
(FP?なんだこれ)
「……ははっ。神様、ねぇ」
俺は乾いた笑いを漏らした。
現実は、手取り14万の底辺だ。
だが。
『……勝手にしろ。ただし、ドジ踏んで死ぬなよ』
送信ボタンを押す指が、今までになく軽い。
恥ずかしさからか悪態をついてしまったが、画面の中で、アリアが顔を輝かせ、ブンブンと杖を振り回して喜んでいる。
そして、自分の足に杖をぶつけてまた転んだ。
『あうっ! ……へへ、頑張ります! 神様が見ててくれるなら、私、頑張れます!』
その笑顔を見て、俺は思った。
この子を、もう少しだけ見ていたい。
俺の「物」で、こいつが世界を見返すところを。
俺は部屋を見回した。
次はどうする? 恐らく周りは暗いだろう。
視線の先にあったのは、防災用の100円ショップの懐中電灯。
「……次は『光』でも送ってやるか。向こうじゃ、ただの豆電球も『神の威光』かもな」
俺はまだ知らない。
この気まぐれな火遊びが、後に彼女を大陸全土がひれ伏す「光の聖女」へと変貌させ、俺自身が「清めと導きの神」として神話に刻まれることになる未来を。
ポンコツ聖女と底辺神。
壮大な勘違いと、小さな救済の夜が始まった。




