第8話 魔獣スタンピードと折れない剣
ウゥゥゥゥゥゥゥ――ッ!!
不協和音のようなサイレンが、早朝の空気を切り裂いた。
敵襲を告げる警鐘だ。
「セシリア! 避難しろ!」
工房の扉が蹴破られるように開き、完全武装のギルバート様が飛び込んできた。
いつもの黒い軽鎧ではない。
全身を漆黒のフルプレートで覆い、背には私が打った大剣『黒牙』を背負っている。
戦場の顔だ。
「スタンピードだ。規模がでかい。ここも戦場になる可能性がある」
「……逃げません」
私は即答し、ハンマーを握りしめた。
「私の工房には、予備の武器が山ほどあります。それに、戦っている最中に武器が壊れたら誰が直すんですか?」
「だが……!」
「私の身なら自分で守れます。それより、これを」
私はカウンターの下から、一本の鞘を投げ渡した。
『黒牙』専用に作った、竜の革とミスリルを積層した鞘だ。
魔力を通すと自動で研磨する機能をつけておいた。
「……助かる」
ギルバート様は短く礼を言い、私の肩を強く掴んだ。
「必ず戻る。……死ぬなよ」
「貴方こそ。私の最高傑作を折ったら承知しませんからね」
彼はニヤリと笑い、風のように去っていった。
その背中を見送る余裕はない。
「さあ、開店よ!」
私は作業着の紐を締め直した。
今日は、一番忙しい日になる。
*
工房は野戦病院ならぬ、野戦修理場と化した。
「姉御! 槍が曲がった! 頼む!」
「剣が刃こぼれした! あと五分で戻らなきゃならねえ!」
傷ついた騎士たちが次々と飛び込んでくる。
私は魔力をフル回転させ、歪んだ鉄を叩き、曲がった槍を腕力で矯正する。
「はい次! これはもう寿命だから新品を持って行って!」
「盾のヒビは『圧縮』で塞いだから! あと三回は耐えられるわ!」
休む暇はない。
外からは、地響きのような魔獣の咆哮と、爆発音が絶え間なく聞こえてくる。
空が暗い。
空を覆うほどの飛行型魔獣の群れが、太陽を遮っているのだ。
「……団長は?」
修理に来た若い騎士に尋ねる。
「前線でボスを抑えてます! 馬鹿でかいレッドドラゴンだ! でも……」
騎士は顔を歪めた。
「ブレスがやべぇんです。魔法障壁ごと兵士を焼き尽くす火力で……団長も、近づけねぇ!」
レッドドラゴン。
炎の化身。
そのブレスは鉄すら瞬時に蒸発させるという。
私の剣『黒牙』なら斬れるはずだが、近づく前にギルバート様自身が燃え尽きてしまう。
(熱を防ぐもの……)
私は工房の奥へ視線を走らせた。
そこには、巨大な鉄板が立てかけてある。
先日、街の城門を改修した際に出た廃材だ。
ミスリルが含まれた合金製で、厚さは五センチ、畳二畳分ほどの大きさがある。
ギルバート様が冗談半分で「盾でも作るか」と言っていたやつだ。
まだ加工途中だが、持ち手と衝撃吸収用のクッション(魔獣の毛皮)は取り付けてある。
「……やるしかないわね」
私は決意した。
この盾を、前線まで運ぶ。
「えっ、姉御!? それ重さ三百キロはありますよ!?」
騎士が目を剥く。
私は鉄板の裏にある取っ手を両手で掴んだ。
深呼吸。
魔力を、背筋へ、腕へ、足へ。
循環率120%。
「ふんっ!」
持ち上がった。
重い。
けれど、持てない重さじゃない。
「道を開けて! デリバリーよ!」
私は巨大な盾を背負い、戦場へと走り出した。
*
街の外は地獄だった。
黒い魔獣の波が、防衛ラインに押し寄せている。
騎士たちが必死に食い止めているが、少しずつ押されていた。
そして、その奥。
燃え盛る炎の中心に、赤い巨竜がいた。
ビルほどの高さがある。
その足元で、黒い影――ギルバート様が、高速で動き回っていた。
『グオオオオオオッ!!』
ドラゴンが大きく息を吸い込む。
喉元が赤熱する。
ブレスが来る。
ギルバート様は回避しようとしているが、周囲は火の海で逃げ場がない。
盾を構えているが、あの程度の盾では蒸発する。
(間に合え……!)
私は城壁の階段を駆け上がった。
一段飛ばし、二段飛ばし。
背中の三百キロが、羽のように軽いとは言わないが、邪魔だとも思わない。
城壁の最上部。
戦場を見下ろす位置。
ギルバート様までの距離、約二百メートル。
「ギルバート様ぁぁぁぁーーっ!!」
私は腹の底から叫んだ。
戦場の轟音を切り裂く、ソプラノの絶叫。
彼が気づいた。
一瞬、こちらを見て、目が点になったのがわかった。
婚約者が城壁の上で、巨大な鉄板を構えているのだから当然だ。
「受け取ってぇぇぇーーっ!!」
私はステップを踏んだ。
遠心力。
魔力強化。
全ての筋力を、この一投に込める。
「せいっ!!!」
三百キロの鉄塊が、私の手から放たれた。
それは放物線を描くことなく、驚くべき直進性を持って飛んでいった。
もはや投擲というより、砲撃だ。
ヒュンッ!!
空気を裂く音。
鉄板は回転しながら、ギルバート様の頭上へ正確に飛来する。
彼は剣を収め、両手を広げた。
信じてくれている。
私が投げたものが、彼を害するものではないと。
ガシィィィン!!
ギルバート様が空中で鉄板をキャッチし、そのまま着地した。
地面が陥没するほどの衝撃。
だが、彼は揺るがない。
直後。
ドラゴンの口から、灼熱の奔流が放たれた。
ゴオオオオオオオオオッ!!
全てを焼き尽くす紅蓮の炎。
それが、ギルバート様が構えた巨大盾(元・城門)に直撃する。
ジュウウウウウウッ!!
鉄が焼け焦げる匂い。
盾が赤熱していく。
だが、溶けない。
私が『圧縮』で密度を高めたミスリル合金は、熱伝導率すらねじ伏せていた。
盾の裏側にあるギルバート様には、熱は届いていないはずだ。
炎が止む。
ドラゴンの息が切れた瞬間。
「今だぁぁぁぁっ!!」
ギルバート様が盾を投げ捨てた。
真っ赤に熱せられた盾が、ドラゴンの顔面に激突する。
怯む巨竜。
その隙を見逃す彼ではない。
黒い閃光。
背中の『黒牙』が抜かれた。
「はあああああっ!!」
一閃。
漆黒の刃が、ドラゴンの太い首を、バターのように切り裂いた。
ドサッ。
遅れて、巨大な首が地面に落ちた。
血飛沫が雨のように降り注ぐ。
巨体が崩れ落ち、地響きを立てる。
静寂。
そして。
「う、うおおおおおおおおっ!!」
「団長がやったぞ!!」
「ドラゴンを倒したぁぁぁ!!」
兵士たちの歓声が爆発した。
勝ったのだ。
*
戦いが終わり、私は城壁の下でギルバート様を出迎えた。
彼は煤と返り血で真っ黒だったが、怪我はないようだった。
「……無茶をする」
彼は私を見るなり、呆れたように、けれど安堵したように笑った。
「あんな鉄塊を投げる令嬢がどこにいる」
「ここにいます。……火傷は?」
「ない。君の盾のおかげだ。……あれがなければ、俺は炭になっていた」
彼は兜を脱ぎ、汗に濡れた髪をかき上げた。
そして、衆人環視の中だというのに、私を強く抱きしめた。
「きゃっ!?」
「ありがとう、セシリア。……愛している」
耳元で囁かれた言葉に、私の思考が停止した。
愛している?
契約じゃなかったの?
フリじゃなかったの?
「あの、皆さん見てますけど……!」
「見せつければいい。これで誰も、俺たちが偽装だとは疑わないだろう」
彼は確信犯的な笑みを浮かべ、さらに強く腕を回してきた。
周囲からは「ヒューヒュー!」という冷やかしと、「最強夫婦万歳!」という謎のコールが起きている。
私は真っ赤になって、彼の胸に顔を埋めるしかなかった。
鎧越しに伝わる彼の心臓の音が、私と同じくらい早かったことだけが、唯一の救いだった。
こうして、辺境のスタンピードは鎮圧された。
そして、「フライパンでゴブリンを倒し、城壁から城門を投げつける公爵令嬢」という、とんでもない伝説が爆誕してしまったのだった。




