第2話 辺境の廃鍛冶場と最初の客
夜が明けた。
空が白むにつれ、北の空気は刃物のように鋭さを増していく。
「……寒いわね」
私は破れたドレスの袖をこすり合わせた。
魔力を循環させて体温を維持しているとはいえ、露出した肌に吹き付ける風は冷たい。
一晩中歩き続けた。
普通の令嬢なら三十分で倒れていただろう。
だが私の足取りは軽い。
筋肉痛もない。
日課だった「ダンスのレッスン(という名の体幹トレーニング)」と、魔力循環のおかげだ。
森が開けた。
街道の脇に、朽ち果てた建物群が見えてくる。
「村……?」
人の気配はない。
屋根は落ち、壁は苔むしている。
随分前に放棄された廃村のようだ。
私は警戒しつつ、村へ足を踏み入れた。
足元で枯れ枝がパキリと鳴る。
(構造チェック。……あの家は柱が腐ってる。あっちの小屋は壁の重心がズレてるわね。倒壊まで秒読みだわ)
職業病(趣味)で、建物の耐久度を勝手に診断してしまう。
住めそうな家はないか。
風を凌げる場所があればいいのだが。
村の奥へ進むと、少し開けた場所に出た。
そこには、他の家とは違う、石積みの堅牢な建物があった。
屋根の半分は吹き飛んでいるが、壁は厚い。
中を覗く。
煤と鉄の匂いが、鼻をかすめた。
「ここは……」
私は目を輝かせた。
部屋の中央に鎮座する、黒ずんだ鉄の塊。
金床だ。
その奥には、冷え切っているが立派な石造りの炉。
転がる錆びたやっとこ。
「鍛冶場だわ」
心臓が高鳴る。
王都の屋敷では、本の中や職人の見学でしか触れられなかった聖域。
まさか、こんなところにあるなんて。
私は金床に駆け寄り、愛おしげに撫でた。
表面は錆びているが、叩けばまだ響きそうだ。
炉の状態も悪くない。
煙突掃除さえすれば使えるだろう。
「決まりね。ここを私の城にする」
不法侵入?
いいえ、空き家再生プロジェクトです。
そうと決まれば掃除だ。
私は腕まくりをする――といっても、袖はもうないけれど。
その時だった。
グゥゥゥゥ……。
腹の虫が、盛大なファンファーレを鳴らした。
昨日の夜会から何も食べていない。
まずは食料確保が先決だ。
*
村外れの草むら。
私は息を殺してしゃがみこんでいた。
ドレスは目立つので、泥を塗ってカモフラージュしている。
視線の先には、一匹のウサギ。
ただし、額から鋭利な一本角が生えている。
アルミラージ。
通称「角ウサギ」。
愛らしい見た目に反して凶暴で、その角で狼の腹すら突き破るという。
(食材発見)
私には、それが極上の肉塊に見えていた。
あと、あの角。
硬そうだ。素材としても優秀に違いない。
ウサギがこちらの気配に気づき、耳を立てる。
逃げるか?
いや、こちらを睨んでいる。
縄張り意識が高い個体らしい。
好都合だ。
私は足元に落ちていた手頃な石を拾った。
重さは三百グラムほど。
握りやすい楕円形。
「……ふっ」
私は投球フォームをとる。
貴族の嗜みであるクリケットで培った……わけではなく、ただの自己流だ。
狙うは頭部一点。
ウサギが飛びかかってくると同時。
私は腕を振り抜いた。
ヒュンッ!!
風を切る音。
石は一直線に飛び、ウサギの眉間に吸い込まれた。
ドムッ。
鈍い音がして、ウサギが空中で回転しながら吹き飛んだ。
痙攣もしない。
即死だ。
「……コントロールよし」
私は獲物に歩み寄る。
仕留めたはいいが、問題はどうやって捌くかだ。
ナイフがない。
私はウサギの死骸を見下ろし、その立派な角に目をつけた。
長さは二十センチほど。
螺旋状の溝があり、先端は鋭い。
「これを使えないかしら」
私はウサギを抱え、鍛冶場へ戻った。
炉に、乾いた木切れや枯草を放り込む。
火打石はないが、問題ない。
私は二つの石を拾い、超高速で打ち合わせた。
カカカカカッ!
火花が散り、枯草に引火する。
力技着火だ。
火が大きくなるのを待ちながら、私は炉の隅に落ちていた鉄板の破片(錆びたクズ鉄)を拾った。
そして、ウサギの角をへし折る。
「よし」
鉄板の上に角を置く。
本来ならハンマーで叩いて成形するのだが、ハンマーがない。
なので、そこらへんにあった「平らで硬い石」をハンマー代わりにする。
炉の熱気で汗が滲む。
私は角を火にかざし、魔力を注ぎ込む。
「熱くなれ、硬くなれ、鋭くなれ」
私の魔力は「放出」には向かないが、「循環」と「浸透」には向いている。
素材の密度を高めるイメージ。
骨の繊維を締め上げ、硬度を増していく。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
石で角を叩く。
リズムが心地いい。
ただの骨が、熱と圧力と魔力によって、鋼のような光沢を帯びていく。
不純物が抜け、純粋な「刃」へと昇華されていく感覚。
これだ。
この感覚だ。
私は今、生きている。
一時間後。
そこには、骨とは思えないほど白く輝く、一本のナイフが出来上がっていた。
柄の部分には、余っていた皮を巻いた。
「鑑定……なんてできないけど、切れ味は良さそう」
試しに、手近な木材を削ってみる。
抵抗なく、バターのようにスッと刃が入った。
「合格」
私は満足げに頷いた。
早速、ウサギの解体に取り掛かる。
皮を剥ぎ、内臓を取り出し、肉を切り分ける。
貴族令嬢がやることではないが、背に腹は代えられない。
本で読んだ知識だけが頼りだったが、ナイフの切れ味が良すぎて作業はスムーズに進んだ。
串に刺した肉を、炉の火で炙る。
脂が滴り、香ばしい匂いが廃墟に充満する。
「いただきます」
熱々の肉にかぶりつく。
塩も香辛料もない。
少し血生臭いし、筋もある。
けれど。
「……美味しい」
涙が出るほど美味しかった。
屋敷で食べた、冷めきった豪華なディナーより、ずっと。
自分の力で獲り、
自分の力で道具を作り、
自分の力で食べる。
その事実は、私の胃袋だけでなく、空虚だった心まで満たしていくようだった。
「ごちそうさまでした」
完食。
骨までしゃぶり尽くした。
満腹になると、急激な眠気が襲ってきた。
炉のそばは暖かい。
私は灰まみれの床にゴロリと横になった。
ドレスはもうボロボロだが、今はそれが最高のパジャマだ。
「明日は……屋根を直そうかな」
箒も作ろう。
扉も直さなきゃ。
やりたいことが山ほどある。
瞼が重くなる。
遠くで鳥の声が聞こえる。
私は泥と煤にまみれたまま、深い眠りに落ちていった。
この時の私はまだ知らなかった。
このボロボロの鍛冶場から響く「音」が、とんでもない客を呼び寄せてしまうことを。




