果報を待つ鳥
森の中に住む薬草師のもとに、人を乗せた大きな鳥が訪れました。
楠 結衣様主催の『騎士団長ヒーロー企画』参加作品です。
柴野いずみ様の『ヘタレヒーロー企画』にも参加しました。
緑の草原の丘で、いくつもの白い塊がもこもこと動いている。
羊たちが草を食べているところだ。羊の群れから少し離れたところで毛の長い牧羊犬が羊を見守っていた。
牧羊犬の耳がピクリと動いた。犬が丘のふもとの方を見ると、人を乗せた大きな鳥が駆けてくるのが見えた。
この国では馬だけではなく、騎乗用の鳥も飼育されているのだ。
牧羊犬は尻尾を振り、鳥に向かって歓迎するように軽く吠えた。
鳥に乗った短髪の若者は微笑んで犬に向かって手を振った。
少し急いでいたのか、走る鳥は羊たちのいる野原を通過し、遠くに見える森の方にかけていった。
深い森の奥、小さな丸木小屋の前で、一人の若い女性が木刀を振っていた。
彼女の名前はミラ。薬売りとして知られる彼女は、村でも評判の名医である。
普段は自分で集めてきた薬草で薬を作っている。すり傷や切り傷などの外傷を応じた薬や、腹痛、発熱などの病気に利く薬も作っている。
街からはるばる薬を買い付けにくる者もいる。
今日も朝早くから薬草の採取に出かけ、戻ってくると煮沸・乾燥などの下処理を行っていた。
すでに処理されている薬草からいくつかの薬を調合した。
午後にはミラは木刀を持って庭にでていた。彼女は自身の体力を鍛えるために木刀を振ることを日課としているのだ。
この日は、武装した人間に囲まれている想定で訓練をしている。
敵の攻撃をいなしつつ、斜めに振り下ろし、姿勢を変えて引き戻す。
敵が互いに邪魔になるように運足を行い、一人ずつ切り伏せていく。
ミラの額からは汗が滴る。真剣な眼差しで木刀を振る彼女の姿は、まるで一輪の美しい花のようだった。
仮想の敵をすべて倒し、ミラは動きを止める。
クェェェ……
聞き覚えのある鳥の鳴き声に、ミラは振り返った。
少し離れた木陰に青年と駆鳥がいた。
「ディエゴ! 久しぶりね。それにオルトも」
ミラが微笑んで声をかけ、青年達に近づいた。オルトと呼ばれた駆鳥はうれしそうに翼をパタパタと振った。
この鳥はうまく飛べない代わりに人や荷物を背に載せて走ることができる。
ディエゴが所属するこの国の第七騎士団は、馬ではなく駆鳥で移動している。
主に戦場において偵察や伝令、遊撃などを担っている。オルトも青年ディエゴとともに騎士団に所属しているのだ。
「や、やぁ。ミラ。あいかわらずきれいな剣だね」
いくぶんぎこちない口調でディエゴは言った。
「どうしたの、ディエゴ? なんだか緊張しているみたい。」
ミラは心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「いや、なんでもないさ」
ディエゴは苦笑いを浮かべながら答えたが、心の中では葛藤が続いていた。
重要な要件があるのだが、どうやって言い出そうか、どのタイミングがいいのか迷っていたのだ。
「ふうん? じゃあ、いつもみたいに訓練につきあってくれない?」
「え? ああ、もちろんいいとも」
ミラは小屋から木剣をもってきてディエゴにわたした。
ふたりは互いの得物を構えて対峙する。
ミラの木刀は反りのある片刃の刀を模している。
ディエゴの木剣は両刃の直刀だ。
「はっ!」
ミラはするどく踏み込んで、斜め下から木刀を切り上げた。
ディエゴが半歩下がってそれをかわし、お返しに上段から振り下ろす。
ミラは木刀を斜めにあてて、その攻撃を受け流した。
その動きのまま胴を狙う動きにつなぐ。
「ええいっ!」
「うくっ」
かわし切れずに木刀がディエゴの横腹を打ち抜いた。
ふたりは距離をとった。
「ははっ……、やっぱりミラは強いね」
ディエゴは木剣を返して苦笑いをした。
「ディエゴ、だいじょうぶ? なにか調子悪いんじゃない?」
「今日はちょっと、調子が悪いかもね」
「そう? 具合が悪いところがあったら言ってね。薬を出すよ」
ミラは午前中に作った回復薬のビンを見せた。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
クェェェ……
その時、駆鳥のオルトが甘えるように鳴いた。
「あら、オルトはお腹がすいているみたいね。食べ物を持ってくるからちょっと待ってて」
ミラは小屋の方に駆け戻った。
「……はぁ。なんて切り出そうか……」
クェェェ……
小さくつぶやいたディエゴに、駆鳥のオルトはあきれたような声で鳴いた。
ディエゴは第七騎士団の副団長を任されていた。
かつてディエゴは幼馴染のミラに「僕が団長になったら嫁にきてくれ」と言い、そしてOKをもらっていた。
前騎士団長が高齢のために引退することになり、昨日ディエゴは内々的に団長昇格への辞令を受けていたのだ。
正式発表はまだ先だが、書類上はすでにディエゴは第七騎士団の団長になっているのだ。
ディエゴは団長就任の報告をするとともに、ミラにあらためて結婚を申し込みをするつもりだ。
「いや。どう言おうか、ここに来る途中で考えてたんだ。予想以上に早く着いて、まとまらなかったんだよ。この食いしん坊が」
駆鳥のオルトは騎士団で提供されるエサよりもこの小屋での方がお好みのようだ。
行き先をつげると嬉々としてここまで走り抜けてきたのだ。
クェェェ……
駆鳥は「おまえもそうだろう」と言ったようだ。たしかにディエゴもミラの手料理が好きではあるのだが……
ミラは野菜や豆・芋などを入れた大きなバケツを持ってくきた。
オルトはクチバシをつっこみ、勢いよく食べ始めた。
ミラとディエゴは小屋に入って、日常の話やお互いの近況を語り合った。
しかし、ディエゴの頭の中には常に一つの思いが渦巻いていた。
一番大事な要件がなかなか切り出せないのだ。
そんな様子にミラが気づいていたが、急かすようなことはせず、微笑んでいた。
もし、「ディエゴ、何か大事なことがあるんでしょう? 言ってごらん」とミラがいえば、たぶん話してくれるだろう。
彼が何かに迷ったとき、ミラの助言でふっきれることは過去に何度かあった。
ただ、時には悩むことや迷うことも大事だとミラは思っていた。
他人から見れば些細なことでも、それを迷い抜いて自分で答えを出すことが彼の成長につながるのだろう。
どうしようもないときは一緒に悩んであげようとミラは考えた。
ミラはお茶を入れなおして、じっくりと待つことにした。
ただその時のミラにはディエゴが心の内を話すまでとても時間がかかることを、ましてやその夜に彼が泊まっていくことも予想していなかった。
駆鳥は初めからわかっていたのか、食事の後は納屋に入って翌朝まで寝ていたという。