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無愛想で、空気が読めない発達障害の彼女と私が、くっつくまでの物語  作者: null
二章 『名前』

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『名前』.2

 静海との時間は、ゆっくりと伸びていく若木のように少しずつ、しかし、着実に増えていった。


 初めは、朝の電車から登校するにかけて。それから、すれ違いざま、教室の移動中、掃除時間、授業と授業の合間の時間…と広がっていった。


 話の内容は、さして重要なものではなかった。


 次の授業の話、宿題のこと、部活のこと(静海は所属していないが)…。聖名が静海にしたような、『互いを知る』ための話題は少ない。


 だが、それで二人のどちらかが不満を覚えるということは一切なく、むしろ、その他愛もない話を行えることこそが、一歩、一歩、互いを知るための歩み寄りであるかのように感じていたのだ。


 短く、どうでもいいような会話だが、二人にとっては大事な会話。


 それが少しだけ変わったのは、彼女らが友だちになってから、実に二週間近くが経ったある日のことである。



「あ」


 聖名は、目の前を歩く、少し見慣れてきた背中を見つけて小さく声を上げた。


 170センチ近くある、ぴんと伸びた背筋。


 手入れされている様子がないにも関わらず、古い照明の埃っぽい輝きを跳ね返し輝く長い黒髪。


「大月さん!」


 部活をやっていない静海とこの時間に会えるとは思ってもみなかった聖名は、小走りで彼女に駆け寄りながらその名前を呼んだ。


 静海は聖名のほうを振り返ると、たいして表情を変化させることもないまま、立ち止まった。


「どうしたの、蛍川さん」

「それはこっちの台詞だよ。大月さん、どうしてこんな時間に学校にいるの?」

「ちょっと、先生と話してた」

「へえ、随分と長かったんだね。大事な話?」

「それは、何を大事とするかによるかな」


 煙に巻くような言い回しだが、これが静海にとっての『普通』であることを、聖名は十分に学んでいた。


「えっと、じゃあ、何の話だったの?」


 そう、こういうときは質問の仕方を変える。


 大事な話だったか、と聞かれれば、多くの人がその内容を尋ねられていることを言外に察することだろう。しかし、彼女は少しだけ違う。


 聞かれたままの意図、つまり、『大事』だったかどうかを話の主題とする。だから、聞きたいことをそのまま尋ねればいいだけなのだ。


 …とはいえ、分かっていても、これがなかなか難しい。自分たちがどれだけ遠回しなコミュニケーションを取っているのか、嫌でも聖名はこの二週間で思い知らされていた。


 静海は大仰にため息を吐くと、体を反転させて下駄箱のほうへと向かって歩き出した。


 一見すると、話を一方的に切るような動きだが、これも違う。彼女はただ、当初の目的通り帰ろうとしているだけだ。聖名も一緒に来ると当たり前のように思ったうえで。


「先生が、いい加減、どこかの部活に入れってさ」

「あー…」聖名はそれを聞くと、彼女の隣に並び、すぐに苦笑した。「うちの学校、半強制で部活に入らなきゃいけないもんね」

「迷惑極まりない」


 雑な手付きでローファーを放り投げた静海は、もたもたと靴を履き替えている聖名を置いてそのまま外に出ようとしたが、聖名が、「待って、大月さん」と言えば、ぴたりと止まり、彼女の元へと戻ってきた。


「どうしたの?」

「あ、えっとね、こういうときは、待ってもらえると嬉しいな」

「こういうとき?」

「そう、靴を履き替えているとき」

「…いいけど、なんで?」

「んー…先に行かれると、置いていかれてるみたいな気持ちになって、ちょっと悲しいからかな」

「置いていかれる…それは駄目だ…。ごめん」

「ううん、戻ってきてくれてありがとう、大月さん。嬉しいよ」


 素直な気持ちを口にすれば、こくり、と静海は頷いた。少しだけ綻んだ表情に、聖名の胸の奥も温まるようだった。


 二人で一緒に下校を開始する。降車駅まで一緒だから、長いこと二人の時間が取れそうだ、と聖名は期待に胸を膨らませていた。


「とにかく、迷惑な話もあったもんじゃないんだ」

「そっか、大変だったね」

「大変ではなかったけど、時間も無駄になったし、何より、何でも強制してしまおうという姿勢が気に入らない。腸が煮えくり返りそうになりながら話を聞いていた」

「なるほど、イライラしたんだ」

「そう」


 実に静海らしい言い分だった。


 彼女は理由のない行動をあまり好まなかったから、それを強要するとなれば、腸も煮えくり返ることだろう。


 とはいえ、納得できないことなんて、世の中にはたくさんある。


 聖名だって、この間、コンビニでレジに並んでいるときに見知らぬおじさんに割り込まれ、理不尽を覚えたものだ。何も言えない自分にも非があったかもしれないが…。


 歩み寄りの意思も大事なのでは、と伝えるべく、聖名は口を開く。


「大月さん、興味のある部活とかなかったの?}

「さあ」

「さあ、って…。その感じじゃ、調べてもないんだ」

「私は、わざわざ人の群れに加わるようなことはしたくない。生まれ持ったもののせいで苦労することは火を見るより明らかだったし、メリットのほうが少なそうだったから」


 頷いた静海は一息にそう言い切ると、桜並木を仰いで歩きながら、さらにこう続けた。


「…だけど、断じて人が嫌いなわけじゃない。だから、こうして、父親以外の誰かと話せる機会を与えてくれた蛍川さんには、本当に感謝してる」


 どこまでも真っ直ぐで、欺瞞の一欠片も見当たらない言葉の優しい波に心打たれ、感動のままに静海の横顔を見つめていると、不意に、彼女がこちらを向いた。


「ありがとう」


 ほんのちょっとだけ赤らんだ頬、そして、緩められた口元。夕焼けを背景にして、それらはあまりに美しい光をまとっていた。


(こ、これは…こう、くるものがあるなぁ…!)


 これ以上に、胸打つ響きがあるだろうか。


 大月静海という人間を理解しているのは、ことこの学校においては、間違いなく自分が一番の人間である。


 奥ゆかしい気質の聖名がそう自負してしまうほどの光景が、眩さが、今、静海のぎこちない表情からは放たれていた。


 聖名は、静海のように真っ直ぐ自分の気持ちを伝えられたら、と思った。


 しかし、それは叶わない。


「…わ、私も、嬉しいよ。大月さん」


 聖名は俯いてから、震える声でそう告げる。


 秋の黄昏時に吹く冷たい風に打たれてもなお、聖名は全身――特に顔の辺りが熱くてしょうがなかった。


 とてもではないが、静海のように相手の目を見て、率直に感謝を伝えることなどできそうにもない。しかも、自分は多少なりと邪な心も混じっているから、なおさらである。


「でも、その理由は自分で考えなきゃなんだよね?」

「う…そう、だよ」

「難しいな」


 困らせてしまっているだろうか、と少し顔を上げて静海の顔を盗み見ようと試みる。すると、彼女は思いのほか楽しそうな様子で暮れていく夕日を見つめていた。


「でも、悪くない。なんなら、少しだけ心が踊る」


 夕焼けが運んできた宵の空に、うっすらとした月が浮かんでいる。


 瑠璃色の空が夕日の反対側で徐々に広がりつつあるなか、聖名はまた俯きがちになって顔を赤くする。


(あぁ、もう。そんな顔しないで…。ドキドキしちゃう…)


 自分だけが、大月静海という人間を知っている。


 聖名は、その圧倒的優越感と、鳥肌が立つような鼓動の高鳴りをどうにか抑え込もうと両手を胸に押し当てつつ、駅の改札をくぐった。



 家の最寄り駅に降り立った頃には、すでに辺りは宵闇に包まれ始めていた。


 ちょっとのんびり駅まで歩いていたせいで、普段乗っている電車に一本乗り遅れていた。ただ、おかげで静海とたくさん話すことができた。


 ここでお別れだろうか、と家の方角を尋ねる。幸運なことに、静海の家も同じ方向だったどころか、聖名が住んでいる町の隣町だった。


「じゃあ、バスも途中まで一緒だね」


 前を向いたまま、こくり、と静海が頷く。


 これも気になっていることの一つだった。


 バス停まで歩きながら、おそるおそる、話を切り出す。


「あの…お願いばっかりで申し訳ないんだけど、話しかけたときは声を出して返事してくれると嬉しいなぁ…?」

「え?なんで?」

「なんで…えっと、寂しいからかな」

「…なんで?」


 なんで攻めがきた、と苦笑いしつつ、どうにか静海に分かりやすく伝わらないだろうか、と説明を続けるが、彼女は依然として胸にすとんと落ちていない様子で眉間に皺を寄せていた。


 ただ、聖名があまりにも一生懸命に言葉を綴るものだから、そのうち苦笑して、足を止めた。


「よく分からないけど…まあ、大丈夫。それくらい、歩み寄るよ」

「あ、あはは…ごめんね、説明下手で」

「確かに蛍川さんは、まとめる時間を与えられず、急に言葉を発さなきゃならない状況に弱い」

「う…」

「論理的じゃなかったり、そもそも言葉を口にできなかったりして、よくその後に元気がなくなる」

「はは…おっしゃるとおりです…」


 事実とはいえ、何の容赦もない指摘である。


 静海に聞こえない程度の大きさでため息を吐き、空を仰ぐ。そうすれば、一番星が見えた。宵の明星だ。


「でも」とそこで静海が立ち止まり、歩調が落ちていた聖名のほうを振り返った。「とても優しい人だ」


 穏やかな面持ちで放たれた言葉に、ふわふわとした気持ちがあっという間に心の水底から湧き上がる。


「あ、ありがとう!」


 静海は、慌てて駆け寄り並び立った聖名に対して頷くと、奇妙な間があってから、「どういたしまして」と律儀にお礼を言った。


 早速、自分のお願いを聞いてくれているのだと察した聖名は、もっと、静海のことを知りたいと、色んな話をしてほしいと自然と考えた。そして、せっかくなら静海に楽しんでほしいと思い尋ねる。


「ねえ、大月さんの好きなものってなに?」

「好きなもの?」


 目を丸くして驚いた静海に、聞き方が悪かったかもしれないと思っていると、意外なことに、彼女はこの質問について滞りなく答える。


「写真、かな」

「写真?」これは予想していない解答だ。「写真って、携帯とかで撮る、あれ?」

「いや、携帯じゃ撮らない…けど」


 別に携帯でもいいのか、とぼそりと呟いた静海は、聖名が興味津々というふうに横から覗き込んできているのを確認すると、求められずとも説明を重ねた。


「カメラだよ。一眼レフ、って言えば分かる?」

「え、一眼レフって、あの、んー…『カメラ』です!…って感じのやつ?」

「ふふ、なにそれ。でも、多分そう」

「うわぁ、かっこいい!」

「かっこいいの?…よく、分からないな」

「分からなくてもいいの!とにかく、クールな大月さんにぴったりの趣味!」


 全力全開で褒めているつもりだったが、静海は終始、不思議そうに瞬きを繰り返していた。もしかすると、彼女にとってそれらは褒め言葉でもなんでもなかったのかもしれない。


 しかし、今の聖名にとって静海の反応の鈍さなど、たいした意味を持たなかった。彼女は、また一つ憧れの静海のことを知ることができた喜びで胸がいっぱいになっていた。


 そうして、バス停に着き、二人を運ぶ鉄籠が来るまで、聖名は静海の趣味の話を根堀り葉掘り聞き出そうとした。


 聖名は言わずもがな、静海も満更でもなかった。なにぶん、自分にここまで興味を持ってもらえるという経験は初めてのことだったのだ。


「ねえ、大月さんはどういう写真を撮るの?」

「いつも風景だよ」

「風景…もしかして、いつも電車から見てるみたいな?」

「え、そうだけど…すごい、よく知ってたね、私が風景を見てるの」


 ちょっと観察してれば誰でも分かるよ、と口が滑りかけるのを慌てて止める。それを口にしてしまえば、盗み見ていたのがバレてしまう。気持ち悪がられでもしたら、それこそお終いである。


「あ、あはは…なんとなく、そうなのかなぁって」

「へぇ」


 無感情な相槌を受けて、聖名は妙に疑われているような気持ちになってしまった。それで彼女は、慌てて言葉を重ねた。


「そ、それじゃあ、写真部にでも入ったらどうかなぁ?ほら、そしたら、もう先生にうるさく言われないし」

「写真部…」


 お茶を濁すために言っただけの言葉だったが、思いのほか、静海は真剣な顔をして考え込み始めてしまった。


「考えたこともなかったな…。すごいね、蛍川さん」

「え、っと、まあ…それほどでも」


 何がすごいのか、一ミリたりともピンとこなかったが、せっかく褒めてもらえたので、とにかくはにかんで見せる。そうすれば、静海は感心した様子で頷きを繰り返した。


「写真部、どういう活動をしてるの?」

「んっと、友だちが言うには、コンテストに応募したり、学校の行事の記録とかをやってたりするんじゃなかったかな」

「…なるほどね、一考の価値がありそう」

「よければ、写真部の友だちを紹介するよ?」


 静海がその申し出に深く頷いたところで、バスがライトで宵闇を切り裂きながら、道の向こうに現れた。


 信号に引っかかってしまったバスを待つついでに、なんとなく、先ほど尋ね損ねていたことを聖名は口にする。


「風景以外の写真は撮らないの?」

「風景以外って、例えば?」

「動物とか、人とか」

「…それも、考えたこともなかったな。動物はまだしも、人には興味ないから」


 淡白な物言いに、『さすがは大月さん』と聖名は心のなかで呟いた。


 不意に、静海が何かを思いついたみたいに、「あ」と声を上げた。そして、わずかに口元を綻ばせて聖名のほうを向くと、小首を傾げながら告げた。


「でも、蛍川さんの写真なら、撮ってみたいかも」


 その言葉は、夜を流れる星のように、所詮は一瞬しか感じられないもののくせに、聖名の心を強く揺さぶった。


 言葉も紡げず、じっと静海を見返す。


「きっと、素敵な一瞬を切り取れるだろうから」


 その真意を問う勇気は、今の彼女にはない。

明日も正午と午後に一度ずつ更新致します!

よろしければ、そちらもご覧ください。


ブックマーク等頂けると、執筆の力になりますので、ぜひよろしくお願いします!

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