特別な人.2
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パスタ麺が飛び出てしまわないかと心配になるほど、茉莉花はテーブルに強くナポリタンの皿を置いた。
周囲の視線が一気に集まるも、またすぐに散った。誰も関わり合いになりたくない、というのが見え透いて分かる行動だ。
「あ…か、加賀さん」
普段なら初対面だろうとなんだろうと、飄々と応じて見せる優奈でさえ、茉莉花の前には竦み上がっているように見える。茉莉花は、この学校においてそれだけ異質だ。
自分のせいでもないのに、何だか申し訳なさを覚えつつ、聖名は茉莉花を横目でじっとりと睨んだ。
「…茉莉花」
「ねえ、聖名。誰、この人」
顎で優奈を示す茉莉花に、いっそう聖名は険しい顔をする。
「茉莉花。さすがに失礼だよ」
「…失礼ですが、どなたでしょうか、この方は」
「金門優奈さんです。私の友だちで、写真部の人」
「ふぅん」と、茉莉花は斜め向かいに座る優奈を一瞥する。興味がなさそうである。
茉莉花は終始失礼な、あるいは、威圧的な態度であったが、優奈は多少緊張してはいるようだったけれど、すぐにいつもの調子を装い、明るく自己紹介した。
「あ、初めまして。ご紹介に預かりました、金門優奈です」
茉莉花はそんな彼女を不思議そうに観察するばかりで、口を開こうともしなかった。そのため、聖名は茉莉花の腰辺りを肘で小突いて、返事をするよう促した。
幼馴染による遠慮のない行動に、こっそりと三人の様子を盗み見ていた周囲の生徒や、優奈自身もぎょっとした。しかも、当の本人である茉莉花が、不服そうではあるが、「はいはい」と聖名に従ったことで、さらに驚きを深まる。
「加賀茉莉花です。よろしく」
「…茉莉花ってば、全然、よろしくするつもりないじゃん」
「分かってるでしょ、聖名」
ため息交じりで目を閉じ、椅子に深く座り込む茉莉花。
彼女が言わんとすることは分かる。
『向こうにだって、その気はないよ』…だ。
まあ、今までが実際にそうだった。
誰に対しても人当たりの良い聖名は友だちが多いタイプだ。だから、茉莉花がいないときは、他の人がこうして声をかけてくることがよくあったが、だいたいは、茉莉花が姿を現した途端、逃げるように去っていく。
だから、聖名も茉莉花も自然と、優奈が席を離れると考えていた。
ところが…。
「か、加賀さん、やろ」いつもは無駄にでかい声を出す優奈が、やたらと小さい声で言った。「もちろん、知っとるよ」
「…そうね。私、目立つもんね。悪い意味で」
「ちょっと、茉莉花」せっかく茉莉花とコミュニケーションを取ってくれているというのに、どうしてそういちいち刺々しいのだろう、と聖名が顔をしかめるも、茉莉花はおろか、優奈のほうも気に留めず続けた。
「わ、悪い意味じゃないけん。その、ほら…」
ただでさえ小さかった声が、さらに小さくなっていく。こんなに縮こまっていく優奈を、聖名は未だかつて見たことがなかった。
さすがの優奈も茉莉花相手では緊張するらしい。まあ、目の前でこんなにふんぞり返られたら、こうもなるだろう。
俯き、しきりに前髪をいじっていた優奈は、そのうち、唇を震わせつつ、何度も茉莉花をチラチラと見ながら言った。
「お、大人っぽい人やなぁ…って、思っとったけん。覚えとるよ」
「は…?」
絶句したのは、茉莉花だけではない。聖名だって、予想だにしない優奈の発言に言葉を失っていた。
「からかってんの…?」
「え?いや、普通に…綺麗、やし…」
「ど、どうも…」
反応に困っているのが丸分かりな茉莉花に、ついつい、聖名は口元を綻ばせる。すると、その微妙な変化を感じ取った彼女は、むくれた顔で口を開いた。
「何を笑ってるのよ、聖名」
「ふふ、いや、別に…照れてるんだな、って思っただけ」
「照れてない。急に褒められて困惑してるのよ!」
優奈の態度も珍しかったが、茉莉花の態度も同じくらい珍しかった。
自分とのやり取りであれば、色んな顔を見せてくれる茉莉花だったが、それ以外が相手だと、往々にして冷徹だ。だからこそ、こんなふうに驚いたり、照れたりしているのを見られるのは珍しいことだった。
もちろん、喜ばしいことである。いかんせん、茉莉花は聖名以外の他人に対して期待を寄せなさ過ぎるからだ。
「まあ、いいや。それより、聖名と大月がなんだって?ん?」
聖名は茉莉花の不機嫌な顔を見て、そっとため息を吐いた。
誰が好き好んで、わざわざ地雷原に足を踏み入れるような真似をするのだろう。この行為は、それに等しい行為だ。
「…別に、なんでもないよ」
「嘘」じろり、と茉莉花が睨んでくる。「何でごまかすの?ねぇ、絶対に怪しいじゃん」
「うっ…」
茉莉花がこうもこちらの交友関係に口を出すのは、きっと、彼女自身の交友関係の狭さが原因だ。
茉莉花と聖名は、小学校からずっと一緒だった。
茉莉花の思い出は全て聖名と共にある。しかしながら、聖名はそうではない。
一方には、一方しか居場所がなく。
もう一方には、他の居場所がある。
これが、茉莉花を焦燥に駆り立てている。
――…少なくとも、聖名はそう考えていた。
こうなった茉莉花は、思い通りにいくまで決して相手を離さない。
しょうがないため、聖名は静海との一連の出来事を語ることにした。
茉莉花は一応、黙って聖名の説明を聞いていた。途中、優奈が写真撮影のためのデートを提案したことを聞くと、視線だけで一刀両断してしまいそうな目つきで彼女を睨んだが、顔を赤くされて、得も言われぬ表情で聞き手に戻った。
一通りの話が終わると、茉莉花は唇を尖らせたまま、黙ってナポリタンを貪り始めた。
ケチャップが飛び散ることも厭わず、親の仇を相手にするみたいにフォークを突き刺し続けるその様子に、周囲の生徒はドン引きしている。
彼女の暴れっぷりを熟知している聖名でさえ、一体、どうなってしまうのかと顔をひきつらせてそれを見守っていた。
「余計なことを…!」
ようやく手を止めた茉莉花が口にしたのは、事の発端を起こした優奈への呪詛であった。
それを耳にした優奈は、放っておけば泣き出してしまいそうなほど、見るからに落ち込んでしまった。
これでは、気を利かせてくれた友人に悪い。
そう思った聖名は、今日何度目かの苦言を口にした。
「茉莉花ってば」
「だって、こいつがいなきゃ、聖名がオオカミとなんて――」
「茉莉花、いい加減にして」オオカミ、という単語が聖名の温厚な魂を揺さぶる。「私だって、友だちくらい自由に選んでいいでしょ。後、その呼び方はやめて」
これには、茉莉花もぐうの音も出なかったらしい。
怒ったような、ショックを受けたような顔で聖名をじっと見つめた茉莉花は、ややあって、プレート片手に立ち上がると、「ごめん。今日は向こうで食べてくる」とだけ告げて、人の少ない食堂の角へと移動した。
(今回ばかりは勝手すぎるよ、茉莉花ったら…!)
珍しく、茉莉花に対してムキになった聖名は、今にも泣きそうな顔で自分を見やる優奈に肩を竦めて見せると、幼馴染のことを忘れたふうに食事に没頭するのだった。
「え?そんなことで喧嘩しちゃったの?」
冬の宵、バス停まで歩く道中で、今日あった事のあらましを静海に伝えたところ、返ってきたのはそんな淡白な反応だった。
「…静海」
「なに、聖名」
こちらの言いたいことはやはり察せないようだ。
名前を呼ばれたことで、むしろ、どこか嬉しそうにこちらを向いて小首を傾げてきた。
(か、かわいい…)
その律儀で可愛い仕草に、不覚にも胸がときめく。
空気が読めない、というのは、何も悪いことばかりじゃない。
こうした無邪気さは、ささくれた心には癒やしになる。
しかし、今は先ほどの無遠慮な評価の仕方に苦言を呈する場面。ぐっとこらえて、聖名は静海を諭す。
「静海、あのね、私にとっては喧嘩するほど『大事なこと』なの。『そんなこと』じゃないの」
「あ、うん」
「そう。だから、『そんなこと』って扱いをされちゃうと、私はちょっと悲しいかな」
「なるほど…聖名が悲しいのは、私も嫌だ」
歯の浮くような台詞に、胸が苦しくなる。これが漫画なら、間違いなく擬音で表現されていたことだろう。
「あはは、そう言ってくれて、私は嬉しいよ。…とにかく、私が喧嘩した話をしたときは、大事なことで揉めたんだなって思ってほしいな。違ったら、ちゃんとそう言うから」
「分かった。ありがとう」
静海は本当に記憶力が良い。学業が達者なのは知っているが、こうしたことを柔軟に取り込む力も決して低くはない。
ASDには強い『こだわり』があるともネットで読んだが、人によって程度はまちまちなようだ。ただ、何にでもこだわりを発揮するわけでもないらしいので、単純にまだ知らないだけかもしれない。
(まあ…こんなふうに少しずつ学んでいく姿を見てると…何ていうのかな、ずっと見守っていたい気持ちになる…。母性?でも、母性って科学的に証明されてないんだっけ?…ま、いっか)
地元近くのバス停。ここまで来ると、近くに同じ制服の生徒はいなくなる。
数少ない、静海と二人だけになれる時間だ。
聖名は少し伸びをすると、黒に染まりつつある空を見上げた。
遠くに宵の明星が見える。
爛々と輝く一等星は、こんな自分でもはっきりと捉えることができる。
「空、綺麗だね」
不意に、静海が言った。
小さく低い声でも、はっきりと聞き取れる声だ。
「うん」
今週末はよく晴れると天気予報で言っていたから、もっと綺麗な空を見ることができるだろう。
静海も明日から部活に顔を出すと言っていた。堂々とカメラを持ってこられることに歓喜していたようだが、担任と顧問の先生から、『部活以外の時間には取り出すな』と念押しされたらしい。見るからに不満げだったが、これもルールだ。仕方がない。
部活が始まれば、静海との時間は増える。今日は偶然残っていたが、普段は部活終わりの時間に残っていることは少ない。しかし、明日からは下校の時刻が被るので、大義名分の元一緒に帰れるのだ。
明日からがまた楽しみになる、と聖名が鼻歌でも歌いたくなっていると、静海が何の脈絡もなく口を開いた。
「学校は、相変わらず煩わしいけど」
なんだろう、急に。
聖名はこてん、と首を倒しながら、静海と視線を合わせて続きを促す。
「おかげで、こうして聖名と一緒に宵の空を楽しめると思えば…なかなか、悪くないね」
「静海…」
息が詰まりそうになる感覚で、聖名は自分の両手を力強く握っていた。
するり、と静海の左手がポケットからこぼれ落ちてくる。
それは、間違いなく偶然の出来事だったに違いない。しかしながら、聖名にとってはそのつながれる先のない左手は、何か天啓に近いもののように思えたのだ。
何気なさを装うため、そして、言葉を用意するために、再び空を仰ぐ。
「静海」
「ん?」
「寒いね」
「うん」
「…手、つないでもいい?」
「え、なんで?」
なんで返しされることは予測済みだ。
聖名は淀みない口調で、「そうしたら、ちょっとは暖まるかなって思って」と答えた。
静海はしばらくの間、考え込むように唸っていた。
さすがに断られるだろうか、と心のなかだけで苦笑していた聖名だったが、静海が出した答えはその予想を裏切るものだった。
「いいよ」
差し出される、左の手のひら。
街灯の光に照らされた静海の横顔は、幻想的で、とても綺麗だった。
『本当に?』という言葉は飲み込む。
それを口にすると、何か、尊いものが全て台無しになるような気がしていた。
「ありがとう」
そっと、静海の手を握り返す。
想像していたとおり、とても暖かい。
『幸せ』に体温があるとすれば、きっと、これくらいの温度だろう…。
「本当だ、あったかい」
そう言ったのは、静海。
「えへへ、でしょ?」
数文字程度で綴られた、言葉による手紙の往復。
時間にして、数秒のやり取り。
たったそれだけのやり取りの中に、今、聖名の世界の全てが込められ、輝いていた。
指を絡める勇気はない。バス停に着いたとき、星と星を結ぶように手をつなぎ続ける勇気も。
それでも、聖名は幸せだった。
宵を泳ぐように、聖名は視線を漂わせる。
街灯の光、白い吐息、一番星、瑠璃色の空、過ぎ去る車のテールランプ…。
そして、最後に静海へとたどり着く。
静海もこちらを見ていたようで、視線が重なる。
物言わぬ数秒にこそ、二人の時間は宿った。
同時に聖名は、もはや、ごまかしようのない切なさを感じて、空いた手を胸に当てた。
(…私、やっぱり静海が好きなんだ…。友だちとしてじゃなくて…『特別な人』として…)
今日は18時にも更新します。
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