特別な人.1
三章、スタートとなります。
もう少しで折り返しといった感じなので、お付き合い頂ける方がいらっしゃれば幸いです。
週明け、いつものように静海と一緒の電車に乗り、自分たちの教室へとたどり着いた聖名は、冬目前の外気から逃れてほっと一息を吐く暇もなく、駆け寄ってきた友人により足止めを食らった。
「あ、おはよう、聖名」
そこまで親密な友人たちではなかったので、珍しいなと考えながら挨拶を返すと、すぐに彼女らは、この間の日曜日にショッピングモールにいたかどうかを確認してきた。
「え、うん。いたけど、どうしたの?」
彼女らは高い声で、「やっぱり」と言ってから顔を見合わせると、食いついてくるのではないだろうかという勢いで質問を重ねてきた。
「それって、もしかして彼氏とデートだった!?」
「え?」
なんのことだ、と目を丸くした聖名は、言葉を頭のなかでまとめると、そうではないという結論だけを伝えた。しかし、それをごまかしと捉えたらしいクラスメイトたちは、耳障りな声を上げながら、自分たちの携帯の画面を見せつけた。
「嘘だぁ、ほら」
画面には、自分と静海の姿。
それを見せられた瞬間、どうしてこういう事態になっているかピンと来たが、同時に、人のプライバシーに一切の配慮がない友人たちに苛立ちも覚えた。
ただ、聖名はそれを思い切り表に出せるようなタイプではないので、「いや、これは…」と言い淀む形になってしまった。
静海のほうは、なんというか、さすがというか、教室に入るや否や、お構いなしに自分の席へと赴き、カバンを机にかけて窓の外を見つめるという平常運転ぶりであった。
「えー、こんな格好良い彼氏がいるなら教えてよぉ」
「い、いや、彼氏じゃなくて…」
「またまたぁ、ね、彼氏って歳上?大学生?お友だちとか紹介してもらえない?」
強引すぎるうえに、人の話を聞いてくれない相手に辟易としつつ、愛想笑いを消すことができない自分に聖名は嫌気が差す。
聖名は、静海や茉莉花のように、自分の気持ちをはっきりと口にできる人間になりたかった。
それはずっと昔からだったが、言いたいことをまとめるのに時間がかかる彼女は、結局、こうして愛想笑いで済ますことのほうが多い。
(あー…嫌だなぁ、こんな自分)
自分の嫌いなところが、目の前にぱっと現れる。見たくもない汚れを見せつけられた聖名は、自然と顔の角度を下げた。
そのとき、棒立ちするほかなかった聖名の後ろから、ぬっと手が伸びてきた。
「ねえ、入り口でなにしてんの」
どん、と背中に当たる柔らかな感触とバニラの香水の匂い…振り向くまでもない。茉莉花のものだ。
そのまま茉莉花は、困惑しているクラスメイトの携帯を取り上げると、表示されている画面を見て、ぎょっとした声を上げた。
「ちょ、ちょっと、待て、これ…――」
携帯の画面と、苦い顔で振り向いた聖名の顔を交互に見比べていた茉莉花は、何かを賢明にこらえるように唇をぎゅっとつむぐと、そのうち、今にも殴りかかるのではないかという顔をしてクラスメイトらを睨んだ。
「説明してくれない?この写真、なに」
「だ、だから、それを聖名に今、聞いてるところで…」
明らかに怯えた様子で答えた生徒の言葉に、茉莉花がじろり、とこちらを見やる。
「…彼氏?」
「いや、違うよ」
「…ふぅん、じゃあ、誰?」
じっとりとした茉莉花の目。これは答えるまで逃してくれないだろう。
しょうがないな、と肩を落としつつ顎を上げて、真後ろに立つ茉莉花の顔を見上げる。
「ち――大月さん」
「はぁ!?」茉莉花たちの声が重なった。
まぁ、驚く気持ちは分かる。このビシッと決めたポニーテール姿の人物を見て、他人からどう思われようと構わない、と言わんばかりの身なりをした静海を想像するはずがないのだ。
「じょ、冗談でしょ?」
「冗談じゃないってば」ちらり、と静海のほうを見やる。相変わらず、窓の外にご執心である。「…本人に聞いてみればいいよ」
そう言われるや否や、茉莉花はズカズカと静海のほうへと寄って行った。
こんな状況で自分は無関係だと言わんばかりの静海に、ちょっとした意地悪のつもりだったが、悪いことをしただろうか…と思ってしまうくらいには、茉莉花の様子はぴりついている。
「大月」
声をかけられた静海は、ちらりと茉莉花を一瞥すると、「なに?」とまた窓の外へと視線を投げそうになっていたが、はっと思い出したふうに顔を相手へと向けた。
「日曜日、聖名とショッピングモールにいたの」
「うん。いたけど」
事もなげに答える静海に、クラスメイトらは驚いたような、興奮したような声を上げて顔を見合わせる。
一方、茉莉花は違った。ますます苦い顔をはっきりとさせて詰め寄った。
「何してたの」
片手を机にドンッ、とついた茉莉花。
あれでは、尋問だ。
並の生徒なら、学校のヒエラルキーの上位に君臨する加賀茉莉花の威圧感の前に、恐れ慄くに違いない。
そう、並の生徒なら…。
静海は自分の机につかれた手を一瞥すると、茉莉花をじろりと睨み上げ、「加賀さんに話す義理はない」と冷淡に跳ね返した。
「はぁ?」
「私が聖名といつ、どこで、何をしていたのかが、あんたに関係あるの?加賀茉莉花」
「せ、聖名って…」
ばっ、と茉莉花が振り向いてくる。
その瞳に宿った感情がよく分からず、聖名は困ったふうに自分の指先を握る。
そんな聖名の様子に茉莉花は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。そして、また静海を睨みつけると、低く、煮えたぎった声で言った。
「すいませんね、関係なくて。でも、そのことで聖名が今、迷惑してるのよ」
「迷惑?」
「そう、迷惑。あんたとショッピングモールにいたときの写真をあいつらに撮られてて、『彼氏?紹介してぇ?』ってサカリのついた猫みたいな声でねだられてるのよ」
不意に自分たちのほうに矛先を向けられたクラスメイトらは、静海の視線を受けて、不安げな様子で身を固くしていた。
そうして、静海がこちらを見た。相変わらず、深い色の瞳だ。
「困ってるの?」
教室では至る所で会話が行われている。こちらの様子にアンテナを向けている者もいたが、決して静かではないし、静海の声も大きくはない。
しかし、それでも彼女の声はよく通った。優奈が言っていたように、良い声なのかもしれない。
「えっと、いやぁ…」
答えづらい質問に窮し、適当にごまかしたほうがいいだろうかと悩んでいると、静海がその心情を読み取ったみたいに、聖名の名前を口にする。
「聖名」
ごまかさないで、と言われているみたいだった。
昨日の夕方、仲直りをした後に交わした、静海との約束。
『気持ちは隠さず、きちんと言葉にして伝えること』。
誤解を多く生んでしまう、発達障害の特性。
それを踏まえたうえで、静海と齟齬なくコミュニケーションを行い、関係を築くための約束だ。
言い出したのは自分だ。ならば、それを今、早速破るわけにはいかない。
「ちょっとだけ、困ってるかな」
「そう」
興味なさげに呟いた静海だったが、その後の行動は速かった。
まず、自分の机にいつまでも手をついている茉莉花に「邪魔」と告げつつ立ち上がった。それから、ツカツカと聖名たちのほうに歩いて行くと、「写真、撮ったの?」と尋ねた。
「う、うん」
「消して」
ほとんど話したことのない相手にとって、静海のこと無感情な物言いは結構きついところがあるだろう。
「肖像権って、知ってる?何でもかんでも勝手に写真撮ってたら、いつか訴えられるよ」
「あ、いや、そんなつもりじゃ」
「あんたらがどういうつもりかなんて、私には死ぬほどどうでもいい」
彼女らの言い訳に対して、静海も苛立ちを隠すことはなかった。前も似たようなことがあったから、こういう物言いは嫌いなのだろう。
「ただ、私のことで聖名に迷惑かけることだけはやめて。分かった?」
茉莉花に睨まれ、静海にまで冷淡に命じられたら、もはや、この学校の生徒であれば従う以外の選択はない。
彼女らはその場でぱぱっと写真を消すと、小声で謝罪しながら自分の席に戻っていった。
「もう、大丈夫?」と無表情で静海が尋ねる。
「うん、ありがとう。大月さん」
「ん…?昨日みたいに静海って呼ばないの?」
「あ」
しまった、静海には何も言っていない。当然、彼女ならこうするに決まっている。
静海の言葉を聞いた茉莉花は、不機嫌な顔で二人のところに来ると、事の詳細を尋ねようとした。だが、ちょうど担任教師が教室に入ってきたせいで、それができなくなる。
「む…聖名、後で聞かせてもらうからね!」
面倒なことになりそうだ、と苦笑いしつつ、聖名は小さな声で、「静海」と彼女の名前を呼ぶと、「ありがとね」と続けてはにかむのだった。
聖名は、質問責めの手札を無数に準備しているだろう茉莉花に先に行くように言われ、一人で食堂の席に着いていた。
正午過ぎの食堂は、お腹を空かせた生徒たちで賑わっている。それにも関わらず、聖名がかけている席の周りには先輩だろうと同級生だろうと、誰も来なかった。
理由はハッキリとしている。彼女の正面には加賀茉莉花が座ることが熟知されているからだ。
聖名たちの通う学校はそこそこのレベルの進学校だ。やんちゃな生徒もいるにはいるが、所詮は『進学校生徒のやんちゃ』レベルだ。
しかしながら、聖名と一緒の高校に通うためだけに進学校を選んだ茉莉花は違う。
売られた喧嘩ならば上級生だろうと平気で買う。聖名に迷惑がかからないよう、自重する場面も増えてきてはいるが、まとう雰囲気の異質さは周囲の生徒もよく理解していた。
ちょっと勉強しただけで自分に追いついてくることからも、聖名は茉莉花の頭の良さを買っていた。しかし、彼女はそれに興味がないらしい。必要時以外は勉強の『べ』の字もしようとしない。
そんな茉莉花が一緒にいるせいで、聖名の周囲に男の気配はない。彼女に手を出そうものなら、どうなるか分からないからだ。
だから、茉莉花がいないときは、よっぽど混雑していない限り、聖名の前は空席なのだが…。
「あ、聖名!」携帯から顔を上げると、見知った顔がプレートを持って立っていた。「優奈、珍しいね、学食なんて」
「今日は寝坊して、お弁当詰め忘れたけんね」
すとん、と自分の前に腰を下ろした優奈を見て、「あ」と声を上げた聖名だったが、誰が座ろうと自由ではあるな、と思い、不思議そうにしている彼女になんでもないと伝える。
「聖名のオムライス、美味しそうやね。一口ちょうだい」
「え?しょうがないなぁ…」スプーンで一口ぶんすくい、何気なく優奈へと差し出す。「はい、優奈」
優奈は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに照れたふうに笑い、スプーンを咥える。それから、何度か咀嚼すると、「美味しいやん、これ」と満足そうに告げた。
下のほうで二つに結んだ髪型が、少しだけ幼い印象を優奈に与えているのもあるが、この柔らかな方言もそれを助長している。たしか、生まれは九州のほうだったはずだ。
二人は少しの間だけ、迫る年末のことを話題に上げていた。しかし、話が途絶えたのを切れ目にして、優奈がにやけた顔で、この間の日曜日はどうだったかと尋ねた。
「え、ま、まぁ…楽しかったよ」
「えぇ、なんなん、その感じ。なにがどう楽しかったと?」
「いや、その…」
聖名はこの場はなんとかごまかせないかと頭をひねったが、優奈の執拗さ、そして、聖名自身の口下手さから、結局は聖名に事の仔細を説明することになった。
「ほぉー…」
「や、やめて、変な反応しないで」
「ごめん、ごめん。でも、うぅん…」
優奈は、自分が頼んでいたうどんをぐるぐるかき混ぜながら、視線を天井に向けて考えを巡らせているようだった。
「と、と、とにかく、写真部には入りたいんだって。よかったね」
「…誰が入りたいって?」
「え?それはもちろん…」変なことを聞くなぁ、と『彼女』の名前を口にしかけたとき、優奈のからかうような顔が目に入って、聖名は全てを察した。「…優奈の意地悪」
「えぇ?なんでぇ?私は誰のことやかーって思っただけやん」
ムッ、と意地の悪い優奈を睨みつける。しかし、温厚な聖名がそれをしても何の効果もないようで、優奈はずっと笑っている。
(ここで変に躊躇うから、恥ずかしくなるんだ…よぉし)
聖名は一度咳払いをすると、今更ながらなんでもないふうを装い、口を開いて優奈の求める答えを告げる。
「ち、静海が言ってたの」
「ふぅん」
優奈のにやけ面に、顔が一気に熱くなる。
「仲良くなれたんなら、良かったやん、聖名」
「…まぁ」
「ふふ、誰のおかげやか?」
「…優奈さんのおかげです」
「そのとおり!」
優奈は満面の笑みを浮かべると、ずいっと顔を寄せつつ、耳を貸すよう聖名にジェスチャーして見せた。
嫌な予感を覚えつつも、言う通りに耳を貸す。
「これでもしも、聖名と大月さんがくっついたら、私のおかげってことやろぉ?」
「く、くっつい…!」
聖名は慌てて優奈から体を離すと、顔を真っ赤にさせて手を左右に振った。
「わ、わ、私と静海は、その、そんな関係じゃ――」
そうして、誤解だが、ある意味で誤解ではない優奈の言葉を否定しようとしていた刹那、聖名の隣の席に、ドンッ、とすごい音と共にナポリタンが運ばれてきた。
「――聖名と大月が、どんな関係だって?」
そこに立っていたのは、明らかに不機嫌そのものといった様子の茉莉花であった。
いつもご覧になって下さっている方々、ブックマーク、いいね、評価まで付けて下さっている方々、本当にありがとうございます。
このまま定期的に更新しますので、よろしくお願いします。
次回は土曜日の12時と18時に更新します…。




