呼吸をするみたいに
幕間です。
ご覧にならなくとも、物語には影響はありませんので、読み飛ばして頂いても構いません…。
ふとした瞬間に、呼吸をするみたいにカメラを構え、シャッターのスイッチを押してしまうことが、金門優奈にはよくあった。
それはほとんどの場合、誰かが幸せそうにしているときだとか、一生懸命に何かに打ち込んでいるときだった。
だからこそ優奈は、自分が衝動的にシャッターを切ってしまった相手とその表情を、カメラのディスプレイに表示された写真を見て確かめたとき、戦慄に近いものを覚えた。
さらさらロングの金髪に、耳についた銀色のピアス。
上から二つほどボタンが外されているシャツ、膝よりも短い丈のスカート。
それらの尽くが校則違反だった。もはや、破ることが彼女そのものであることを示しているかのように、そこには淀みがなく、それでいて蠱惑的だ。
攻撃的に見えるツリ目と、規則への非従順性を装備する彼女は、ある種の野蛮さを自分の周囲に対して怒鳴り散らしているみたいだった。
だから、優奈は『彼女』が嫌いだった。直接攻撃されたわけではないが、目が合っただけで攻撃してきそうな、進学校に相応しくない彼女のことが、『みんな』と同じように嫌いだったのだ。
…だというのに、今、窓の外から差し込む黄昏の光を受けている彼女はどうだろう。
憂いを帯びた眼差しは、目の前の机に突っ伏して眠る女生徒を一点に捉えていて、派手なネイルをした手は、相手の頭を優しく何度となく往復していた。
壊れ物を扱うみたいに、繊細な手付きだった。
そして、ゆっくりと…彼女は相手の髪を口元に運ぶと、静かに口づけを落とした。
神の加護を受けた騎士が、お姫様にするような気障な仕草。しかし、その表情は見ているものの胸さえ、ぎゅっと苦しめるほどに切ないものがあった。
優奈の目には、彼女が、女生徒の中にどうにか溶け込もうとしているように映った。
ぞわりと背筋を駆け上がる、稲妻の如き感覚。
心臓は気づいたら激しく脈打っていた。全力で50m走をしたって、ここまでは荒ぶらない。
優奈は直感した。
『彼女』が相手のことを心から大事に想っていることに。そして自分が、教室の扉の隙間から盗み見ている彼女に対して一目惚れしてしまっていることに。
「ん…」と女生徒が声を発し身じろぎし、面を上げる。その拍子に、彼女は慌ててその手を相手の頭からどけた。
まるで、罪を犯していることを悟られてはいけない…とでも言わんばかりに。
「お、やっと起きた?」
「んぅ…?あ――嘘、ごめん、私、寝てた?寝てたの?あぁ、ごめん」
女生徒はとても申し訳無さそうに彼女に謝罪を繰り返すも、対する相手はたいして気にも留めている様子はなく、愉快そうに口元を歪めて笑うばかりだ。
「あはは、気にしないでいいって。疲れてたんでしょ、聖名」
彼女は立ち上がり、自分の荷物を肩にかけると聖名の荷物も持ち上げた。
「あ、もう…ふふ、甘やかしたら駄目だよ、茉莉花」
その優しい行動に目を細め、幸せそうにしている聖名のことを、優奈は心の底から羨ましく思った。
「ふっ…いいのよ、私のほうがでかいんだし」
「えぇ?10センチも変わらないよぅ」
「これだけ違えば十分だと思うけど?」
「あー、私のことチビって思ってるでしょ」
このときほど、聖名の鈍感さに驚いたことはない。
どう見たって、彼女が聖名に対して想っていることは…。
黄昏の光を受けて、彼女が皮肉っぽく笑う。そうしていないと、やっていられないみたいだ。
「それはもちろん。聖名は昔から、小さいもんね」
――加賀茉莉花。
優奈は、彼女の名前を頭のなかだけで読み上げた。そうしてから、自分の胸に手を当てて、廊下をこっそりと立ち去った。
写真部の部室に戻り、今さっき撮ったばかりの写真を穴が空くほどに見つめる。
はだけた胸元や、組んだ足と太ももの白が宿す艶やかさ。それと絡み合う、憂いを帯びた瞳と、規則を塗り潰そうとしているみたいな金髪。
強烈な印象を誇るルックスだ。単純に見て、他のどんな生徒と比べて見ても派手で、しかし、大人の女性に最も近い綺麗さを持っていた。
だが…最も彼女を大人びて見えさせているのは、痛みを知っているような切なげな表情だろう。
優奈は、永遠の檻に閉じ込められた茉莉花の顔に、そっと触れた。
これ以上はない。
優奈は茉莉花の写真を見て、そう思った。
青々しさをみなぎらせながら、大人びたほろ苦さをまとう少女――いや、女性。
最も濃く十代特有の歪さを孕んだ彼女を撮ることこそが、今の自分にとって意味があるカメラの使い方だと思った。
「加賀、茉莉花さん…」
聖名の親友だ。
(どうにか、お近づきになれんやか…)
家族に無理を言って買ってもらった、命の次に大事なカメラを胸に抱き寄せながら、優奈はそんなふうに考えていた。
18時に本編を更新します!




