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無愛想で、空気が読めない発達障害の彼女と私が、くっつくまでの物語  作者: null
二章 『名前』

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『名前』.5

人と人が分かり合うために天から与えられた一番のものって、言葉だと思いませんか?

「ねえ、蛍川さん」


 先をズンズンと歩く小さな背中に呼びかけるも、聖名はまるで無視して進み続ける。


「蛍川さん、ねえってば」


 何度目かの呼びかけで、ようやく振り返ってくれた聖名の顔は、明らかに普段の朗らかな様子とは違っていた。


 時刻はすでに夕暮れ時。平日なら部活終わりといったところか。夕日が照らすアスファルトの上、二つの影法師が少し離れて互いを追っかけっこしていた。


 昼食を終えた後、聖名は終始無言で時を過ごした。お腹でも痛いのだろうと放っておいた結果、帰り際に聖名はショッピングモールの最寄りのバス停では足を止めず、人気の少ない土手沿いを遮二無二歩き始めてしまった。


 静海は聖名の意図が一向に読めず、不思議に思いつつ彼女の後を一応追ったのだが、段々と薄ら寒い予感を抱えて、焦燥に駆られた。


 人が離れていくときは、いつもこうだった。


 少し前まで普通に話していたのに、わけも分からないまま距離を取られ、そして、口も利いてくれなくなっていく。


 そうした人は、口を揃えて陰で自分のことをこう言う。


『無神経で、空気の読めない人だ』。


 普通の人に、この苦しみが分かるだろうか?いや、分かるはずもない。


 理由も分からず人から嫌われ、疎まれることがどれほどの寂寥感と恐怖を、そして、孤独をもたらすのかなんて…理解されるはずがないんだ。


 もう、慣れてしまったことだ。


 ただ、だからといって、孤独を友に選んだこの心が痛まないわけではない。


 それに、今回ばかりは『どうせ他人なんて』とは割り切れなかった。


 蛍川聖名は、今までの学校生活で、唯一自分に理解を示そうと、理解しようと必死になってくれた人間だ。


 命綱だった。


 人と人の関係を結ぶ、最後の…。


(私を、置いていかないで)


 静海は、振り向き、足を止めた聖名に小走りで駆け寄ると、早口になって尋ねる。


「なにか、私が怒らせたの…?」


 ぴくり、と聖名の表情が揺れ、後悔の色が滲んだ。しかしながら、静海にその色は見えないのだ。


「…なんで、そう思うの」

「蛍川さんが、『みんな』みたいに離れていくから、置いていく、から…」


 悲愴に染まる声を聞いて、ハッと聖名はショックを受けたような顔つきになった。それから、慌てて口を開くと、すぐに謝罪の言葉を口にした。


「ご、ごめん、大月さん。私、とても酷いことを…――うん、大月さん、もう私、怒ってなんてないよ。一人で勝手にむくれてただけだから、大月さんは悪いところなんてないんだから」


 違う。


 聖名の優しげな言葉たちに抱きしめられながら、反射的に静海はそう考えた。


(これじゃ、駄目だ)


 何かが違う。


 これは、あるべき形じゃない。


 今までだって、こうして譲歩したようで、去っていった友人たちがいた。


 聖名との関係を絶対に断ちたくない。


 その一心で、静海は言葉を紡ぐ。


「ちゃんと言って、蛍川さん」


 夕日を背にして、彼女は続ける。


「なんで怒ったのか、何が嫌だったのか、ちゃんと言ってほしい。じゃないと、これからもまた繰り返す。頼む、教えて、蛍川さん。私は、はっきりと伝えてくれないと、分からないんだ」


 橙色の光を受け、目を丸くしていた聖名の顔がゆっくりと歪んでいく。


 目に見えない、大きな感情の流れ。


 少しだけ、静海にもそれが見えた気がした。


「――…意味ないなんて、言わないでほしい」


 ぽつり、ぽつり、と聖名の口から言葉がこぼれる。


 それらは、今、聖名の瞳から流れ出ている、光を吸い込んだ涙の粒そっくりの言葉であった。


「わ、私は、写真なんていいから、一緒にいて楽しかったって、思ってほしかった」

「…楽しかったよ」

「そんなの、口にしてくれないと伝わらないよ!」

「蛍川さん…」

「大月さん、あんまり顔に出ないし、口数だって少ないから、何を考えているかなんて、分からないって…!」


 そうだ。何を勘違いしていたんだろう。


 障害のない人は、他人の気持ちが勝手に分かるものだとばかり考えていた。


 しかし、それは大きな間違いだ。


 誰だって、言葉にされない気持ちは分からない。分かった気にはなれるかもしれないが…、そこにはきっと、独りよがりなフィルターがかかるに違いない。


「ごめん、蛍川さん」

「私は、謝ってほしいわけじゃないよ…」


 とはいえ、こういうとき、普通の人なら察せられるのだろうかと妬ましく思えて仕方がないのだ。


 …いや、よそう。


 ないものねだりはとっくの昔にやめたはずじゃないか。


「じゃあ、どうすればいい…?」尋ねること。結局、自分にはこれしかない。「どうしたら、私は蛍川さんを笑顔にできる?」


 一歩、二歩と近づく。


 触れようと思えば、触れられる距離。


 …触れれば、分かるだろうか?


 彼女の、本当の気持ち。


 そっと肩に触れながら、静海は言葉を重ねる。


「私は、それが知りたい。蛍川さんが、私の言葉で傷ついて、泣いているのを見るのは、苦しいから」


 自分の気持ちを可能な限り口に出す。


 ASD(自閉症スペクトラム)は、人によって障害特性が違いすぎることで有名だ。自閉症やらアスペルガーやらを分別して考えるのではなく、ひとまとめにしようと試みた結果がスペクトラム――つまり、連続体と名付けられたほどだ。


 人によっては、自分自身の気持ちすら具体的に把握するのが難しいということもあるそうだ。


 それを考えれば、今、きちんと聖名に伝えられるだけ、自分の気持ちが分かることはありがたいことだったのかもしれない。


 聖名は真っ直ぐと静海の瞳を見つめ返していたが、やがて、一歩踏み込み、静海の胸に顔を埋めると、小さな声で、しかし、はっきりとした言葉で告げる。


「今日、本当に楽しかった?」

「うん、楽しかった」

「どのへんが?」

「友だちと呼べる人と外出なんて、何年ぶりか分からないから…それだけで、楽しかった。オムライスを頬張って、幸せそうな蛍川さんを見ているのも、楽しかったよ」

「ばか」

「え?」


 予想だにしない一言に身を固くすれば、自分の胸元で聖名が身じろぎと共に顔を上げた。


 潤んだ瞳、朱に染まる頬。


 いつも眩しい黄昏が、蛍川聖名という美しい鏡に反射して、静海の心を震わせる。


「でも、嬉しい。ありがとう…」


 自分でも分からない感情が、今、静海の心臓を打ち鳴らしていた。


 自分自身の心が何を生み出しているのかすら分からない自分を忌々しく思う一方、そのもどかしさには希望が宿っているような気もしていた。


「わがまま、言ってもいい?」


 こんなにも、彼女の声は美しかっただろうか…。


 こくり、と無言で頷けば、ほんの少し聖名ははにかんだ。


「…大月さんのこと、下の名前で呼びたい」

「私のことを、名前で?」


 なんで、と聞きたかったが、それをさせない輝きが聖名の瞳の奥にあった。


 そうとくれば、静海の答えは一つだけだ。


「いいよ。『さん』もいらない」


 頬を夕焼けで染めた聖名が、ゆっくりと、心を落ち着かせるようにしてその名を読む。


「――静海」


 静海は無意識のうちに、ひゅっ、と息を飲んでいた。


(なに、この感じ…なんか、変な、気分)


 息ができなくなるような感覚に、じっと相手を見つめることしかできなくなっていると、聖名が切羽詰まった様子で続けた。


「もう少しだけ、わがまま言ってもいい?」

「うん、言って」

「静海も、呼んでほしい」

「呼ぶ?なにを?」

「私の名前だよ」


 なるほど、そういうことか。


 ならば…。


「――聖名」


 ぱっ、と聖名の顔が明るくなる。それから、すぐに照れくさそうに聖名は頬を綻ばせると、「はい」と返事をした。


 何のために返事をしたのか、少しだけ不思議だった。だが、そんなことは、この眩さの前にはたいした問題じゃなかった。


 そっと、聖名の体を優しく押しのける。


 そうして距離を取った静海は、己のエゴが導くままに、肩にかけていた一眼レフを構え、ファインダーの中にその輝きを納めた。


 ちょっとだけ驚いた顔をしていた聖名だったが、全てを察したふうにはにかむと、紅葉を散らした頬で秋風に揺れる髪を片手で抑え、レンズ越しに真っ直ぐ静海を見つめた。


 パシャリ、と時と光を切り取り、永久に閉じ込める音が夕方の堤防に響く。


 時を覗き込める穴から顔を離せば、泣き出しそうな自分がいることに気づく。


 渇ききっていた不毛の砂漠に一滴の雫が落ちて、次をもっとと欲している。


 そんな切ないような、苦しいような感覚に言葉は失われる。


「どう?今度は…良い写真が撮れた?」


 きっとそれは、軽い皮肉と照れ隠しのために言った言葉だ。


 でも、静海にはそんなことは分からないし、たいした問題でもなかった。


「うん…時間が止まってる」

「え?時計の時間?」


「違うよ。――綺麗だってこと、聖名が」

これにて2章は終了です。


折返し少し手前ですが、ゆっくりとお付き合い頂けると光栄です。


次回の更新は明後日、幕間と三章一節を投稿します。

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