都合のいい展開や存在が好きな自分が認められないから考察に走る
大抵のフィクションなんてのは残酷な言い方をすれば、
『作者や読者の思想を反映させた主役が都合のいい展開で活躍したり、作者や読者にとって都合のいいヒロイン(ヒーロー)が出て来る、お人形遊び』だ。
そんなものに傾倒するな、お人形遊びをするな、とまでは言わない。
現実世界で戦い続ける事が難しいならばフィクションの世界に逃避するのも手だ。
ただし、
『都合のいい展開を求めている自分』や、『現実逃避をしている自分』は認めなければいけない。
『これは所詮はフィクションであり、自分にとって都合のいい設定や展開にまみれた、自分の浅ましい感情をこっそり満たすための物』
という割り切りが、ある程度の年齢になると必要なのだ。
それが出来ないと、認められないとどうなるか?
『自分が好きなフィクションには、”中身”があるに違いない、”理由”があるに違いない』
という考えに陥ってしまう。
ただ主人公だからモテるだけ、主人公だから戦いに勝つだけ、
フィクションにおけるその当たり前に対し、
『こういう考えだからうまく行ったんだ』と大真面目に考察して信じ切ってしまう。
そうなったら終わりやね。
そういう人間にならないためにはどうするべきか?
答えは単純だ。エ〇い作品を読め。
『全ての展開はエ〇に繋がる』
という絶対的安心感。
中身も考察も不要。ただ自分の性欲を満たすためのフィクション。
その割り切りこそが重要なのである。




