社会の進化にフィクションの進化は追いついているのか
技術という面で言えば、社会は物凄い勢いで進化している。
私が小学生の頃は携帯電話なんて大人でも一部の人間しか持っていなかったし、
デスクトップパソコンだって裕福な家庭が持っているかどうか。
ところが数年後には当たり前のように皆が携帯電話を持つようになって、
それがスマートフォンになって、どんどん世の中は便利になった。
しかしながら、世の中が便利になるということは、メリットばかりでは無い。
なんせその世の中を支えていくのは、我々その時代を生きている人間なのだから。
便利な社会を生きのびるためには、自分自身が便利にならなければいけない。
パソコンは使えて当たり前、人間関係にも気を配り、仕事以外の時間でも自己啓発に励む。
それが今の豊かな日本を生きていくための、いわば資格なのだ。
そして若者の価値観だったりを形成するのは勿論漫画だったりアニメだったりフィクションだ。
デジタルの普及だったりで絵柄は昔よりずっと綺麗に、繊細になっている。
じゃあ中身はどうなのか。数年後には便利な人間として生きていく人間を育てられるのか。
私は最近の流行りの作品を見ても、最近の若者の社会での活躍を見ても、どうしてもそう思えないのだ。
なんなら「なろう系」と揶揄される作品がそういった観点ではかなり負となっていると言っていい。
おっさんはいいんだよ。
ドラゴンボールだったり、北斗の拳だったり、単純なバトル漫画にハマってて、
学生時代はヤンキーになってたけど、その時の世の中にそこまで複雑な仕事は無かったから、
なんだかんだいって働けて、そのうち成長出来たんだよ。
でも君達は数年後、スマホくらい、AIくらい優秀な人間にならないといけないんだよ。
働き始めた人達だって、数年後には部下や後輩を持つ事を求められるんだよ。
覚悟しとけよ。




