弱者から抜け出しても弱者向けコンテンツを愛せるか
私は愛せませんでした。
大学生時代の自分がそうであったように、
漫画家のように絵が書けなくても、ゲームクリエイターのようにプログラミングが出来なくても、
タイピングする能力だったりがあれば何とかなる可能性のある物書き界隈は、
『弱者が人生捲るための手段』となりがちだ。
だから自然とネット小説自体が
『異世界で活躍』だとか
『追放されたことで自分の優秀さが判明』だとか
『俺を振った女を見返してやる』だとか
お世辞にも、順調な人生を歩んでいれば好むとは言えないものになっている。
弱者にも心の拠り所は必要だから、それ自体を完全否定はしない。
(勿論いつまでも逃避したままでは困るが)
ただ、人間は立場だったりが変われば感性が変わる。それは当然の話だ。
小学生の時はう〇こち〇こま〇こでキャッキャしてる男子だって、
高校生くらいになるとそうでも無くなる。
作り手も同じだ。
若い時に作りたいと思う作品と、年を取ってから作りたいと思う作品は当然違う。
商業作家だとそれで苦しむ人間も多い。
20代の頃は中高生が好むような作品を気兼ねなく作れても、
30代、40代になるにつれ、もっと大人が好むような作品を作りたくなるも、
『仕事』という枷がそれを邪魔する。
最近だと『コロッケ』『ガッシュ』の続編がややブラックな展開となっているようだが、
作者が年を取った結果、作りたい作風が変化したのだろう。
そして『立場』は年齢のようにゆっくりと変化する物だけでは無い。
『お金』『社会的地位』なんてまさに一瞬で変化する。
自分を弱者だと思っていた私が社会に出た途端自己評価が低すぎるだけだったと判明し、
価値観だったりが変化してしまったように、
『弱者』が物書きとして成功し『弱者』で無くなった場合、
どうなってしまうのか。
自己矛盾を抱えながらも同じような作品を作り続けるのか、
昔好きになったジャンルは例え立場が変わっても愛し続けることが出来るのか、
多くの成功者はその胸の内を語る事は無い。




