都合の良い悪と主役の精神年齢
都合の良い悪を作り出してしまうことは好ましくない。
ここでいう都合の良い悪というのは例えば、
『大した理由無く人間の国を滅ぼそうとする極悪非道の魔王』だったり
『特に非の無いヒロインに嫉妬して虐めを行うクラスメイト』だったり、
主役側が敵と戦ったりヒロインを助けて惚れられることに正当性を与えるための存在だ。
敵をわかりやすい悪として描くことで主役を肯定してしまうのは、ある意味安易だ。
例えばこれが、
『そもそもの原因は魔物が住んでいた場所に入植し、勝手に国を作って平和のために周囲の魔物を殺す人間であり、魔王は侵略者を追い払おうとしているに過ぎない』
ならば、主役側が敵と戦うことの正当性は薄れる。人間のためにそれでも戦うべきか、人間を説得して国を捨てるべきか、和解するべきか……そういった悩みや決意、例え周囲に肯定されなくても自分を信じて行動する姿、これを描くのが力量ではなかろうか。
それに主役を絶対的な正義として描く作品はきっと教育に悪い。
現実世界で戦争吹っ掛けてる連中は大抵自分達の正義を妄信してやがるんだからな。
自分の作品のヒロインは結構な確率でいじめられていたり嫌われていたりはするが、
本人に問題があるようなケースも大半なので解決方法としては自分を変える、
主人公はそれを手伝う的なのになりがちだし、
何なら最近の作品に出がちな宇月一族は
『このままじゃいじめられると思って勝手に学校来なくなり周囲を呪う自意識過剰な被害妄想ヒロイン』
として描いているくらいだ。
というか私が察しの通り学生時代はいじめられており、
同じくいじめ被害者と傷をなめあって、同情しあって生きてきたのだが、
大人になった今になって昔の自分を思い返せば、
『あんなのいじめられて、嫌われて当然だよな』
と理解してしまったため、いじめっ子を明確な悪として描くことができないのだ。悲しいね。
自分は男ということもあり読む気は無いが、
一時期悪役令嬢モノが狂ったように流行ったのは何となく理解できる。
自分も作品で感情移入してしまうのは得てして主人公では無く、作品の都合上生み出された、負けるために作られた可哀想な悪役なのだから。そんな悪役を救いたいという想いはとても共感できるのだ。
そして大体の作品において直面してしまうのが『主役だけ精神年齢高くね?』問題だ。
異世界モノでも一般人を馬鹿に描くことで主役の凄さを引き立たせる、という光景がよく見られた。
主人公を活躍させるためには周りを下げるなり自分を上げるなりして、
主人公を周囲より凄い存在にしなければいけない。
これがファンタジーなら主人公に特別な能力があればいい。
例え主人公がアホでもそのうち力を使いこなすための責任とかどうのこうので成長する。
しかし特殊能力なんてものが存在しない、年齢もほとんど同じ学園モノにおいては
『精神年齢』で表現せざるを得なくなる。
クラスのマドンナについてあいつエロいよな、みたいな下品な会話をする年相応の健全な男子を他所に、
そういうのに興味が無い、内面の話をしようぜなんて余裕のある主人公。
クラスメイトに嫌われいじめられているヒロインに唯一優しくしてくれる理解のある主人公。
格好いいの前に自分は気持ち悪さを感じてしまうのだ。
コナン君が小学校で周囲の生徒の悩みとかを解決していく話がメインになったとして、
格好いい、とはならないだろう。そりゃ中身高校生なんだから当たり前や、となるだろう。
同じように見た目が学生なだけで中身はもっと年取った何かが憑依しているような気持ちになってしまうのだ。
こうした悩みの末、登場人物が極端に少ない、主人公とヒロインしか出てこない作品が出来るのだ。