バトル物の限界と闘争心
自分は子供の時からバトル物に興味が持てなかった。
それは自分の作品の傾向を見ればよくわかる。
大人になってから流行りのバトル物を見てみたが、やはり興味が持てなかった。
(とはいえ、世間一般的には大人がまだバトル物に興味を持っている方がおかしいのかもしれないが)
同学年の男子は大抵バトル物が好きだったし、
ワンピースにナルトに鬼滅に呪術に、いつだって大ヒット作はバトル物だ。
今更自分なりに興味を持てない理由を考えてみたが、1つ目の理由は展開がわかりやすいことだと考える。
『なんやかんやあって最終的に主人公側が勝つ』
……そりゃそうだ。バトル物なんだから。
その過程でどんな強敵が出てきたとして、どんな能力が出てきたとして、最終的には勝つのだ。
また、主人公側が強敵に勝つためにかなり強引な、都合のいい展開になることも多い。
これがスポーツ物ならば、負けたから来年リベンジだとか、
個人のスキルでは負けたがチームでリベンジだとか、納得のいく展開になりやすい。
ただしバトル物は基本殺し合いをしているわけで、負けたら本来終わりだ。
そんな世界なのに何故か敵が主人公側にとどめを刺さなかったり、自分の能力をべらべら喋ったり、
主人公側が逆転するためのフラグを作っていく。
あのケンシロウですら、サウザーの身体の秘密がわからず一度は負けている。
ピラミッドの人柱にするためにとどめを刺さずに捕まえ、仲間の犠牲によりケンシロウは脱出し、
今度はサウザーの秘密を暴いて勝利するのだ。
他にもウイグル獄長の攻撃でそれなりの時間気を失っていたり、
カーネルに背後を取られていたりと、『敵がその気になればとどめを刺されていた』場面はあった。
(カーネルはケンシロウを仲間にするという目的はあった)
問答無用で秘孔をついて爆殺するケンシロウを相手に、敵は舐めプしまくりなのだ。
所詮悪役は主役を引き立てるための存在だとしても、
戦闘のプロがそんな油断や驕りといった初歩的な部分で最終的に負けているのを見ると、
何だか都合のいい展開に感じて萎えてしまうし、
それで勝った理由だの正義だの絆だのを語られても心に響かない。
魔法だの能力だのが出てくると、更にそう感じてしまうし、
『主人公達を活躍させるために用意された物語』感が強くなってしまう。
それで色々語られても滑稽なだけだ。
そういった意味ではそれなりに楽しめたバトル物はジョジョやバジリスク、ガッシュとかだ。
敵も理由や信念を持って全力で戦っており、だからこそ味方にも大量の被害が出ている。
それくらい犠牲を払って苦戦してるからこそ勝った時の発言にも重みやリアリティーが出てくる。
これが味方側にほとんど犠牲者が出ないような展開だと、
『魅力的な味方側のキャラを売っていくための展開』にすら思えてしまうし、
主人公補正を感じすぎてしまい興醒めする。
という風に、バトル物はバトルに勝つことで話を進めていく関係上、
ストーリーの表現としては限界が来ているように思えるのだ。(特に強敵への逆転劇)
早い話がワンパターン。自分が子供の頃よりも作画のレベルだったり、能力の設定だったりは
確かに大幅に上がっているのかもしれないが、肝心の中身の部分は昔と変わらないように感じてしまう。
結局大人がバトル物に飽きる理由はそれなのだろうか?
そして根本的な問題として、私にはいわゆる闘争心が欠如している。
私がいわゆる発達障害、自閉症に分類されることは病んでいた時期に活動報告とかに書いていたし
障碍者手帳を捨てて、十分な稼ぎを得るようになった今でもマイページの自己紹介に残したままだ。
幼稚園の頃から外に出て運動はせず、
部屋の中で一人積み木をして遊ぶような子供のまま、ずっと学生時代を過ごしてきた。
当然スポーツで活躍したいとかそんな考えは無いし、
じゃあ勉強では100点を取ろうとか1位を取ろうとかがあったかと言われたら、
そんなこともない。テストは怒られない程度に中の上を取っておけばいい。
マイペースに自分のやりたいことができればいい。
そういうスタンスの人間がスポ根だのバトルだのに興味を示せないのは当然と言えば当然だ。
他人と争う理由を持たない人間からすれば争いなんて無意味なのだ。
ただし、闘争心の無い争いを好まない人間が優れていると主張したいわけではない。
むしろその逆だ。闘争心は人間に必要であり、それを持たない人間は自然と落ちぶれていく。
私が闘争心の無いままこうして生きているのは、
『生活する上では争う必要のないくらいの才能』があったからに過ぎない。
勉強やスポーツを頑張って、いい大学に入って、いい会社に入って、いい相手見つけて結婚して……
その過程の中にはいくつもの競争が存在する。
才能に満ち溢れた訳でもない、普通の人間がそれを乗り越えるために必要なのは
周りに勝ちたいという闘争心だ。
大した努力をしなくても生きていけるような才能がある訳でも無い。
働かなくても生きていけるような恵まれた家庭環境がある訳でも無い。
そんな人間が『争うのは好きじゃない』なんてスタンスを取っていれば、
周りとの差は広がる一方だ。私がそういう人間だからそこらの人間よりは
発達障害だったり自閉症だったりと関わってきたが、皆が優れた才能を持っている訳では無い。
何の才能もない、争いごとを好まないマイペースな人間なんてのは自然と社会からドロップアウトする。
男社会になってしまうのもホルモンの都合上女性の方が闘争心が低いからと言われているし、
私達がこうやって毎日インターネットで遊べているのも、
皮肉な話だが戦争という究極の闘争を繰り返し、勝つために技術がどんどん発展していったからだ。
闘争心は社会を生き抜く上では必要なのだ。
たまに教育ママが『子供の教育に悪い』とバトル物を遠ざけようとする。
確かに子供が殺し合いをしているような話を見るのは教育に悪いのかもしれない。
しかし人間が社会で生きていく上でトップクラスに必要なのは闘争心だ。
バトル物はそれを養うために必要なのだ。自分は遠ざけられた訳でも無く自分から遠ざかったが、
皆さんはあまり子供から遠ざけないで欲しい。