何に魅力を感じているのか見誤るなよ
前回の話では、
『あまり美少女だったり魅力的なキャラクターを作ろうとしすぎれば、ストーリー重視の話だとしてもキャラのファンばかりになってしまい、それがメインのキャラで無い場合作品が滅茶苦茶になる危険性がある』
という作り手視点の問題点を語った。
ちなみに私も過去に、『ストーカーに餌をあげないで!』のヒロインが思ったよりも人気が出てしまったので本来作る予定の無かったヒロイン視点の話を作ってしまったという似たような経験がある。
敵役どころかバリバリのメインヒロインだしこれはどちらかと言うと私の自爆なのだが。
しかしこれは受け手にも応用できる話だ。
漫画でもアニメでも、なろうの小説でも、
『この作品が凄く好きだ!』
というモノが皆さんにもあるだろう。
ではその作品の何が好きなのか、きちんと筋道立てて説明できるだろうか。
好きという感情は理屈では無く直感的であることも多い。
だから好きの理由を本人も時として勘違いしてしまうことがある。
実際には作中のヒロインが好きで愛読しているのに、
本人はストーリーが好きだと勘違いしていたり、
ヒロインでも無く主人公に自己投影してハマっているのに、
ヒロインが自分の理想のタイプだと思っていたり……
そして人間は見栄っ張りな生き物なので、
『ヒロインが好きだからファンになった』とか、
『いじめられっ子の主人公がクラスメイトに復讐するのに自己投影してファンになった』とか、
他人にはそんな説明は難しいし、自分の中でもなかなか認めがたい。
だから基本的にはストーリーが好きだからファンになったとかそんな感じに落ち着いてしまう。
そうなると得てして作品から教訓を得ようとしてしまう。
ヒロインが美少女なだけの、中身なんてほとんどない作品のストーリーを評価してしまい、
その自分の中では中身のあるストーリーから何かを学ぼうとしてしまう。
オタクが社会でうまくいかない理由の1つがここにある。
Fateは文学だの、クラナドは人生だの、ネタでも無く本気で思っている人がいるのだ。
美少女がたくさん出て来る漫画やアニメ、ゲームにばかり触れてきたため、
世間一般で評価されているような作品のストーリーと比較が出来ないのだ。
私が漫画だとかは美少女わんさか日常系とかコメディとかを好んでいるのも、
最初からストーリーが無いと理解しているからだ。
『美少女たくさん見たい』という欲求に忠実になれるのだ。
ストーリーなんてものは、教訓なんてものは、
現実社会だったり、リアリティある設定の作品で学んでいく。
私含めて多くの大人はそうなのだ。
こうしてリアリティあるかわからない小説は書くがね。一種の自己矛盾か。
そういう訳で皆さんには、せめて自分の中ではきちんと好きになった理由を自覚して欲しい。
おっぱい大きい女の子がたくさんいるという理由で好きになってもいい。
エ〇同人みたいな展開を想像しやすいという理由で好きになってもいい。
ただそれを自分の中ですら否定して、深いだの言い出したらどんどんおかしなことになってしまう。
自分の中でもストーリーが深いから好きなんだと錯覚し始めれば、
オタク趣味のあまりない人に『この漫画物凄くストーリーが深くて』なんて紹介してしまえば、
そりゃもうオタクと非オタクの壁は厚くなるばかりだ。




