作家になれなかった俺はしぶしぶ起業を決意しました
元ネタ知らないんだけどね
というわけで社長になりました。
といっても社員はいません。いわゆる個人事業主の法人成りです。
規模を大きくしたかった訳でも無い。税金対策にしぶしぶ社長になったのだ。
重要なのはそれくらい稼げる人間になったということである。
資本主義社会においては稼げる人間が基本的に成功者であり偉いのだ。
(まぁ、そこまでクリーンな事をしている訳では無いが)
昔から他人と価値観が合わず悩んで来たし、
現実世界からネットの世界に逃避するようになっても、
なろうで小説を書くようになっても、
常に自分は周囲とズレているという苦しみがあった。
これで人生がうまく行っていないならば単純な話だ。自分を変えればいい。
間違っているのは自分なのだから、周囲に合わせて失敗続きの人生をどうにかすればいい。
ただ幸か不幸か、人生がうまく行っていないというには、
学業だったり仕事だったりで成果を残し過ぎた。
それこそ「お前はおかしいんだ」なんて言っている人間に成果を見せつけてダメージを与えるくらい。
その理由も才能も勿論あったのだろうが、自分が周囲とズレているからだ。
常に世界から外れているからこそ、世界を客観的に、冷静に見ることが出来る。
世間の流行りに対してすら、マスメディアがプッシュしているだけで中身は無いだとか、
流行っているからって乗っかっても未来は無いだとか分析できる。
共感性だとかそういうものをほとんど失って得たものが、
その辺の人間の数倍の収入である。これを羨ましいと思うかどうかは人それぞれだろう。
その収入もいつまで続くかはわからない。
もっともこれは普通の会社員だろうと、小説家だろうと変わらないのだが。
隣の芝生は青い、とは言うが、
収入がもう少し減ってもいいので周囲と一体感を得たいし、
世間で人気の作品を見て面白いと思ったりしたいとは定期的に思ってしまう。
それはおそらく大衆も同じで、友達が減っても孤独になってもいいから、
もう少し収入が欲しい、毎日生活は苦しいし働くのも大変だと思っている人も多いだろう。
なろうでは私なんて比較にもならないくらい人気の、小説家になれた人間だって、
何冊か本を出した程度では、ちょっとアニメになった程度ではそこまで生活が豊かにならないし、
悲しいかな都合のいい作品が流行るのは、若者が社会に希望を見出せないからという部分もある。
誰しも自分の人生が完璧だとは思っていないし、辛い部分を誤魔化すために、
幸せな部分を見出す必要があるのだ。
大衆にとってはそれが往々にして自分がマジョリティであるという部分であり、
私のような人間にとってはそれが人一倍優れた成果を出しているということだ。
大衆であっても私のような人間であっても、そういった拠り所を失ってしまえば、
つまりは『成果の出せないマイノリティ』になってしまえば、途端に精神は不安定になる。
そういった意味では、私は大衆と非常に共通していると言えよう。素晴らしいことだ。




