進歩した社会におけるサブカルの存在価値
今でこそ私のような人間はやれ発達障害だやれ自閉症だやれアスペだやれADHDだ
色んな病名がついているが、そんな概念が広まって来たのは割と最近になってだ。
そんな概念が広まっていない子供時代は基本的に『勉強ができる変な子』でしか無かった。
当時からそういう病気の人間として扱われるのとどちらが幸せかは知らんがね。
昔からそういう人間は存在したはずなのに、
何故最近になって病名をつけたりする必要があったのか。
答えは単純で、そういう人間が生き辛い世の中になってきたからだ。
ちょっと前なら、無能でも無能なりに生きて行くことが出来た。
コピーにお茶酌み、ライン作業……単純作業なんていくらでもあった。
コミュニケーション能力に難があろうと、知能や手先の器用さに難があろうと、
高望みをしなければ何とかなったのだ。
ただ、今はもう単純作業は機械がやる仕事だ。
ちょっと複雑な仕事すらAIがやるようになってきている。
きちんと他者とコミュニケーションが取れて、知能等にも問題が無い。
今の進歩した社会の恩恵を受けるには、それくらいの人間で無ければいけないのだ。
更に社会が進歩すれば人間が働く必要が無くなるのかもしれないが、そんなすぐには来ないだろう。
そんな現代において、昔なら何とかなった人が何とかならなくなってきた結果、
色んな病名が出て来たり、『私って病気なのかも?』と思う人が増えてしまったのだ。
その結果、自称も含めて今の世の中には病人が多すぎる。
弱者は少数だからこそ配慮も出来るというもの。
皆が弱者になってしまえば意味が無いし救われない。
何が言いたいかと言えば、時代は変わった、ということだ。
少なくとも私はそれを理解していたから、弱者であることに甘えることを捨てた。
さて、時代が変わったため今までの常識が通用しなくなる、というのは、
我々の大好きな漫画だったりアニメだったり小説だったり、サブカル文化にも通ずるのではないだろうか。
一昔前は漫画なんて不良の読むモノ、なんて言われてバッシングを受けていた。
実際に私の親くらいの世代は、学生のほとんどがヤンキーだったとすら言われる時期で、
当時の漫画はヤンキー賛美が多かった。
暴走族の数も今とは比にならない。
ただそのヤンキーの多くが今どうしてるかと言うと、
普通に社会人やって普通に出世して普通に家庭を持っているのだ。
ただしそれはヤンキーが生存本能が強いだの人間として正しい存在であることを意味しないだろう。
昔の社会は仕事にそこまで能力が必要無かったから、ヤンキーでも何とかなったのだ。
だから今の時代のヤンキーが社会でやっていくことは昔に比べれば難しくなっている。
オタク文化も似たようなものでは無いだろうか。
最近になってクールジャパンだの持ち上げられているが、
オタク文化は基本的にバッシングばかりされていた。
学校の中でのヒエラルキーはなんだかんだ言ってモテるヤンキーより遥かに下。
犯罪者予備軍だと言われ続け、社会に出てからもコミュ障のレッテルを貼られ続ける悲しきモンスター。
それでもオタク文化が途絶えなかったのは、
同様に社会が人間に求めるスキルがそれほど高くなかったのもあるが、
専門的な知識を持つことも多いオタク達が頑張って来た面もあるのだろう。
ただ時代は常に変化しているから、オタクが許される時代がずっと続くとも限らない。
社会人に求められるスキルは昔に比べてどんどん増えている。
一部のオタクはクリエイター側になれるのは確かだ。
私はVtuberに興味は無いが、市場価値が凄いのは理解している。
ただ大多数のオタクはクリエイターになれず、ただのオタクのまま社会に出ることになる。
連中はちゃんと生きていけるのか?
生き辛いと感じて、自分を病気だと思うようにならないのか?
Xとかでアニメアイコンの人間の呟きを見ていると、どうしてもそういった不安がよぎる。
なろうのランキング上位の作品を見てたまに思ってしまうのだ。
『こんなものを好んで読んでいたらロクな大人にならない』と。
多分それは私がラノベばかり読んでいた学生時代に大人が私に対し思ったことと同じなのだろう。
自分でも小説を書く身でそんなことを言ったとして、それは嫉妬でありいちゃもんでしかない。
だから私は皆さんの今後を傍観するしかない。




