願望と共感は同じ
皆さんがフィクション、恋愛だったりスポーツだったり冒険だったりのジャンルに求めるものは何だろうか。
なろうにいる人間にとっては、恐らく大半は『願望』だと思う。
『こんな恋愛してみたい』
『こんな活躍してみたい』
『嫌いな奴が悲惨な目に遭って欲しい』
そういった人間の欲望を満たしてくれるのが、
ファンタジーで活躍する主人公の物語だったり、
異性にモテる主人公の物語だ。
ただ、年を取るにつれて、人生経験を積むにつれて、それは段々と『共感』へと変化して行く。
『こんな青春してたなぁ』
『部活でこんな経験したなぁ』
『今の仕事でこんな事あったわ~』
こういった人間は現実的な物語を好むようになる。
一人の異性を振り向かせるために苦労する話だとかか、
ほろ苦い失恋の話だとか、
毎日大変だけどそれでも奮闘する話だとか。
オタクが幼稚扱いされている理由の1つも、
周囲の人間が願望から共感へと変化して行く中、願望を好み続けているからだろう。
社会的弱者になりやすいのも、実も蓋も無い事を言えば、
現実世界でそれなりに活躍していれば、自然と願望から卒業するということなのかもしれない。
そして私は幼少期から圧倒的にフィクションに共感を求めるタイプだし、
自分の作品も共感をベースに、つまりは作者の実体験を基に作ることが多い。
見ての通り多くの作品は弱者の恋愛だ。ろくな青春は送って来ていない。
願望が基本であるバトルやファンタジーに興味が無いのも当然だ。
ただ、俺は幼稚な連中とは違って共感型なんだぜと言いたい訳では無い。
そもそも私が共感型なのは、幼少期から共感力が低すぎたからだ。
そういった意味では共感も『他人と共感したい、一体感を味わいたい』
という一種の願望なのだよ。悲しいね。