商業化とは自分の子供を売りに出すこと
漫画家が脚本家と原作再現度合いや最終回付近の脚本について
揉めた挙句自殺したという悲しいニュースがトレンドだ。
世間は脚本家やテレビ局叩き一色だし、
漫画家だったり小説家だったりは原作を守ることの大事さを説いている。
ただ個人で細々と小説書いてる社会人としては、少し、というかかなり甘いように感じる。
まず今回の件は、原作者が原作を忠実に再現することを条件に契約したという情報が入っているが、
『原作に忠実』という概念自体がふわっとしすぎている。
学園恋愛モノがキャラだけ同じ異世界ファンタジーモノになるならともかく、
主人公が学生なのに喫煙をしているキャラだったためお菓子のシガレットに変更したとか、
いじめっ子の名前が割と一般的だったのであり得ない名前に変更したとか、
そのレベルなら原作を変えていないと判断する人もいるだろう。
『原作に忠実』と言っておけば自分の頭の中を周りが読み取ってくれて、それをそのまま形にしてくれる、
というのは社会人からしたらちょっと甘いとしか言わざるを得ない。
まだ若い人なら仕方ないかもしれないが、自殺した漫画家は50歳だったということでそれはなぁ。
そして漫画家だったり小説家だったり、プロになって商業の世界に足を踏み入れるということは、
出版社だったり編集者だったり、アニメの監督だったり、今回の脚本家だったり、
作品が自分だけのモノではなくそういった関係者のモノにもなることを意味する。
作品を自分の子供、と評する人がいるが、
商業の世界に入った時点で自分の子供はもう売ってしまったも同然なのだ。
漫画も小説も、漫画家や小説家になれなくてもここを始めとしたサイトで作れる。
それも編集者に介入されることなく。
作風が過激すぎてサイトに消されたとしても、自分のパソコンのメモ帳とかならそれも回避できる。
私の今の生活は、
本業でお金を稼ぎまくって生活の不安を無くし、
世間のニーズだとかそういうのを無視した自分好みの小説を書き、
お金に余裕があればそれを漫画とかにしようと目論むなんて言う、
THE・自閉症という他ない生き方だ。
そういう人間からしたらちょっとワガママすぎると思うし、
自殺なんてのはただのテロだ。こんなもので世論を動かしてはいけない。
立場や経験が変われば主張も変わる。
私は自分の作品愛が強すぎるあまり商業デビューへの熱を失っているし、
社会で売り上げを伸ばすために他人のモノを改造するということも、
自分のモノを他人に委ねることも腐るほどやってきた。
それが失敗した時に自分がいかに悪くないかを全力で言い訳だってした。
ただの読み手なら原作者が一番大事だ! ともなるのだろうが、
中途半端な作り手かつバリバリの社会人ではそういう考えにもなるのだよ。




