どこまでが現実世界を名乗れるか
私の作品の大半は一応現実世界が舞台の恋愛モノだったり日常モノだったりになっている。
特に異世界である必要も無いので現実世界というか日本が舞台なのだが、
日本を舞台にしただけで本当に現実世界を名乗っていいのかについては議論の余地がある。
個人的には現実離れした人間がどれだけいるかどうかと考える。
例えば自分の処女作である今日ラブのヒロインの一人は、
『学年一の美少女でありファンクラブが存在する』という設定だった。
凄い可愛い美少女がいるのは別におかしくない。テレビに出てるようなモデルだったり女優だったりの学生時代の写真が飛びぬけて可愛い、なんてことはよくある話だ。
ただ、ファンクラブが存在する、まで行くと学校に会員が大量に存在することになる。
これはちょっと現実離れしている気がする。
主要キャラが特殊能力を持っていたりイカれた性格だったりしてもそれも別におかしくない。
日本人だけで1億人以上いるのだから、たまに特殊な能力を持った人やイカれた性格がいてもいい。
ただ現実世界を名乗るなら、一般人は一般人でいる必要がある。
そういう意味では自分は推しの子にリアルは感じられなかった。
転生とかそれ以前の問題で、娯楽の豊富な今の時代にヒロイン(?)が超人気アイドルというのが
私がアイドルとかそういうのに興味が無いこともあり現実味を感じられなかったからだ。
(娯楽の少ない昔の時代なら国民的アイドル、というのも理解できるが)
作品の展開のために一般人を現実より単純に描いたり馬鹿に描くのなら、
それはもう一般人の知能レベルが劣っている異世界と言っていいのではないだろうか。
とはいえリアリティというのは受け手によって大きく異なる。
私は普通の人間に比べると感性がかなり違うため、見えている世界も普通の人とはかなり違うのだろう。
私にとってのリアリティを普通の人間は感知できず、
逆に普通の人間にとってのリアリティを私は感知できない。
残念ながら自分以外の人間がどう世界を認識しているかなんてわかりようが無いのだ。
幸せな人間からすれば世界も一般人も輝いて見えるだろうし、
底辺の人間からすれば世界も一般人も醜く見えているだろう。
現実、というのは無限に存在し、どこにも存在しないのだ。




